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“「関係の空気」 「場の空気」”を読んで

“日本を動かす「空気」”について書かれた本ということで 読んでみました。冷泉彰彦氏という米国で日本語教師をしている人によって書かれた本で この種の解説は珍しく、また 私は山本七平氏の“「空気」の研究”は未だ読んでいませんので その導入として、読んでみました。

日本における「空気」については 歴史を動かす巨大なパワーを持っており、戦前 天皇が 米国との開戦を憂慮して “(戦争は)どうしても避けられないのか。”と側近に諮問したのに対し、もはや開戦回避は国民感情として非常に困難な雰囲気で、“そのような「空気」でございます”と 奉答したという有名なエピソードが あるそうです。

「空気」について書かれた本書は、取り上げたテーマが 非常に面白く ぐいぐいと引き込まれてしまいます。いくつか面白い話があるのですが、例えば、現代の日本人女性が 同性同士で 嬉々として海外旅行を楽しむ姿を見て フランス人が 変に思っているなどというエピソードも取り上げられています。これに対し、日本の男性は“女子アナ”に夢中になっていて 男女間にはコミュニケーション・ギャップが存在しているとの指摘です。

ところが この本を読んだレビューとして、書籍購入サイトに載った 若者と思われる人のレビューは 残念ながら 酷いもので、まさしく「空気」以前の 読解力不足が コミュニケーション・ギャップの原因として存在するということを痛感しました。次のようです。(勝手に引用しますが、サイトに公開されているものですのでよろしく。)

“なんか、そこらのインテリぶったおっさんの繰り言を聞いているようにしか思えなかった。・・・・・・・・
・・・・・・・
全般的には「まあそうかもしれないなあ」とは思うものの、こういう根拠レスな(モノが空気だから仕方がないとはいえ)物言いに「そうかもしれないなあ」と思ってしまうこと自体、「日本は空気に支配される」ことの証拠なんだろう。ま、こういう「日本はダメだ」論を書けば、そりゃ村上龍には気に入られるんでしょうね。”

“「空気」というコミュニケーション要素を、突拍子もない自作の会話例を使って解説して、一般性・普遍性のある解釈と考えろというほうが、無理がある。中盤の第三章では、自作の会話ではなく実例も出てくるが、拉致問題も、民主党偽メール事件も、靖国問題も、何でも全て「それは空気のせい」としているだけだ。一体どういうシチュエーションが「空気のせい」で、どういう場合が違うのか、といった検証もみあたらない。”

というような 次第です。

さて、著者は “現代日本における「空気」の問題”に対して 次のような提案を 行っています。(以下括弧内は筆者注)

提案その1、ちゃんと語ることで日本語は伝わる(省略しないで 状況を細かに説明するべき)
提案その2、失われた対等性を取り戻すために(親しいつもりで使う「タメ口」は止めよう)
提案その3、教育現場では「です、ます」のコミュニケーションを教えよ(初対面や公式の場で丁寧語を 正しく使えるようにしよう)
提案その4、ビジネス社会の日本語は見直すべきだ(どんな状況でも汎用してしまうマニュアル言葉は止めよう)

その1以外は どれも丁寧語を中心にした敬語を状況に応じて適切に使えるようになるべきだ、という主張です。確かに 最近は 敬語が上手く使える人々が少なくなってきたように思います。
10年ほど前 松井選手が巨人に居る時だったのですが「(当時の長嶋)監督が・・・・・してくれました。」と堂々とインタビューに答えていたのを聞いて 私は飛び上がってしまったものです。長幼の序を大切にする体育会系のスポーツ選手が このような言葉遣いをしたことに驚いたのです。しかも、それまでは公式の場で“・・・・してくれて ありがとう” と言って許されるのは 天皇陛下だけだと 教わってきた私には 驚天動地でした。ですが 最近は スポーツ選手が インタビューに答えて “応援に来てくれて ありがとう” と観客に向かって言うことで 喝采を浴びる場面ばかりになってしまいました。
このように 敬語は 廃れてきていると 感じる私が 古い日本人なのでしょうか。
この現象は 何となく 以前に私が指摘した昆虫脳の人が増加していることと 関連があるような気がしてなりません。
私が 中学生の頃は “(面接などで)敬語が 上手く使えないと頭が悪いと思われるゾ” と言われていたものでした。高校入試問題にも敬語は取り上げられていたように思います。

また著者は、“「です、ます」のコミュニケーション”が コミュニケーション当事者の相互の尊重を生む有力な方法であると指摘しています。確かに、著者の取り上げている会話に見られるように「タメ口」は 権力者のわがままを増長させる要素があることは、これまで 見落としていた事実だと痛感しました。コミュニケーションの非対称性は 逆にギャップを生むのは事実です。

ですが 日本における「空気」の問題は 戦前からの日本社会特有の問題であって 敬語が崩壊した現代だけの問題ではないように思うのですが いかがでしょうか。もっと他に 日本社会特有の“コミュニケーション・ギャップの原因”が あるのではないでしょうか。

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