The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
“技術者倫理とリスクマネジメント”を読んで
いつも本を表題で選んでしまうが、今回の本の表題は“技術者倫理とリスクマネジメント”と、私にはきわめて魅力的に思えるものであった。実際に読んでみて感じるのは、化学工学系の技術者として生きた著者の深い反省をベースに、そのあるべき姿を追究した生真面目さである。すなわち、技術者はどうあるべきかを、知ることができた限りのエピソードを集めて何らかの教訓を引き出そうとして格闘した結果だと言える。
しかし、おおよそ“リスクマネジメント”を標榜する割には、今や少々もの足りなさを感じてしまう。つまり、著者の“良心的常識”から発する極めて原初的な“リスクマネジメント”でしかないからだ。それは、“リスクマネジメント”と称するからには、ある程度の定式化された手法―例えば ISO31000やISO22301等の規格に従った手順など―に従って課題となる対象を分析し、対処するという姿勢が必要と思うが、そこまでできていないからだ。
例えば御多分に漏れず、この本でも 福島第一原発の事故について触れてはいるが、その結論は深く現実を見据えつつ論理的にたどり着いたものと言えるものではなく、通り一遍の迫力に欠けるものであったからだ。勿論、知りえる事実に関して公表されている一般的に知られた情報をベースにしたという限界はあるにしても、そこから“リスクマネジメント”に則って分析した結果を結論とは言えないように思えるのだ。
先ず、この本の危機管理対応の問題点としての結論は、①緊急事態においては、現場に指揮を委ね、特に安全、技術の専門的判断によることが必要。②情報管理の重要性(政府機関も含めての関係者間の円滑・迅速な情報共有)[実はこの本では3項目挙げているが、その内2項目の内容が重複しており、私が①にまとめた]と、極めて“当たり前”の結論になっているからだ。もっとも、大抵の事故は“当たり前”のことが出来ていないことによるものだが。
次にリスクマネジメントから見た課題として不十分であったと挙げているのは、“①原子力発電技術を日本に導入する際のリスクアセスメント ②地震や津波の強度予測と科学技術の進展により新たな事実がわかった時の対応 ③「想定外」の事象に対する対応” である。
つまり①は、事故後よく言われたことだが、立地上の地理的な条件に対応したプラント仕様になっていなかった問題を指している。つまり欧米では内陸部の河川流域に建設する仕様だが、日本では海岸域であったことから津波対策が不十分であったことである。新技術導入時の“教える側”、“学ぶ側”のリスク感覚の問題ではないか、と思うがその点には触れていない。(このリスク感覚は難しい問題だが)
②も、事故後指摘されていた課題ではあるが、中越沖地震後の耐震性評価に迅速に対応しなかったことを言いたかったようだが、本文では“技術者が重要と思わなかった部分で事故が起き易い”と言っていて、そのために安全率が重要だと指摘している。経験上重要な指摘ではあるが、コスト重視の現代において限界設計が主流であり、根拠不明の安全率は軽視されやすい。勿論、知識や情報が不十分な技術者の問題も含まれるが、これはリスク評価が不十分であるための問題ではないか。そこから、近隣住民への説明の仕方も課題としているが、何だか本筋からはずれた唐突な印象だ。リスクコミュニケーションの問題を言いたいのだろうが、近隣に住めなくなるような事態に臨んではコミュニケーションは成立せず、この場合の根本問題とはならない。
③に至っては、どうするべきだったのか、何度読んでも理解不能だ。この場合設計的には“安全率”と言うよりも、 “フェイル・セーフ”と言うことになるのだろうが、ならば具体的にどうするべきであったのかの指摘は残念ながらない。“「想定外」の事象”への対処法が一般論としてはあり得ないから、事故発生後の被害極小化の対応法や体制の構築が必要で、当事者の指揮官は常に学び、柔軟に対処する姿勢が必要だ。そのためには、事故発生対応の訓練を角度を変えて行うことが有効とされる。
しかし、そういう限界はあるものの こうした分析を総括した表を掲載している(この表は本を実際に見てもらいたい。)が、これにより、改めてある種の問題点が見えて来るような気がする。それは、この表の“想定外の事態への対応”については、“全てのリスクに対応することはできない”とあり、次に“どこまでのリスクを許容するかの合意”を挙げているが、ここに社会的に受け入れられる安全性への認識が時代とともに変化するという問題も大きような気がする。1950年頃の政府が、原発の導入が産業振興の国益にかなうと強く決意した背景には、その安全性と経済性・(当時の)将来性の比較で仕方ないものと考えざるを得なかったことがあったのだと思える。都会に設置しなければ事故があっても、より少ない人々の避難で済むことと言う判断もあっただろう。
だが、そうした近隣住民の安全を考えた場合、常に透明な情報開示が必要で、その指摘はこの表にはあるが、最悪の事態が生じた場合の対応・体制の構築も不十分であったとまでは、言ってはいない。避難範囲を考えると、原発の規模の問題もあったのではないか。巨大な原発を集中配置することがリスク対応を困難にさせていたこともあったはずだ。
次にこの本では、リスクコミュニケーションにおける専門家の在り方について重要なメッセージを紹介している。それは、元日本学術会議会長・吉川弘之氏の “我が国では、科学者は自説を主張することに留まり、現時点で何が科学的に確かであるかを科学者の間で議論し、社会に発信することができていない。” という言葉の紹介である。
また、その流れで日本のリスク認識の問題点を指摘もしている。“一つめは、リスク『ゼロ』を求めて、リスクを定量的な数値として取り扱わないこと。二つめは、代替手段との比較において、是非を判断しないこと。三つめは、トータルリスクミニマムの考え方がないこと。”である。世の中の現実でリスク『ゼロ』はあり得ないのだが、何%のリスクだと言われて、さてどうすれば良いのか、具体的には判断できず中々難しい問題だが、今後このような局面は増えて来るし、リスク専門家も、この問題に具体的に答えられるのえあろうか。その場合、想定被害額との積を基準とするべきであろうが、その積の値のどこまでを事前対策を必要とするか、社会的合意を得られる一般認識はない。
思わず、福島第一原発への言及を真っ先に挙げたが、この本の著者の原点は、仕事上の事故がきっかけだとしているので、実は この本はその問題から始まっている。
著者曰く、“技術者の使命は二つある。一つは、新しい技術を開発して社会に寄与する新しい物質や製品を生み出すことである。もう一つは、開発した技術が社会に危害をもたらさないようにすることである。”ところが、著者は取り組んでいた仕事で界面活性剤(MES:メチルエステルスルホネート)の製造工程のメターノール蒸留塔が爆発し、2名が死亡、13名が重軽傷を負う事故に遭遇したという。その原因については、錯綜していて門外漢には非常に解り辛い。この直接の原因は、著者らが予期していなかった爆発性の高いMHP:メチルハイドロパーオキサイドの発生であり、それが結果的に大量に蒸留塔に残留したことであるという。その発生が実工業化段階で予期されなかったのは、パイロット段階で気付くべきであったが、それでは扱う物質量の絶対値が小さかったこと、人間が注意深く運転していたことでMHPが発生していたとしても微量であったと思われることだとしている。結局、リスクマネジメントの立場から考え直すと、類似事故事例の徹底調査がなされなかったこと、開発チェックシステムが不十分だったこと、プロセス変更時のリスクアセスメントが実施されなかったこと、蒸留塔の扱いについての改善提案の実施が為されていたがその評価が甘かったこと、生産上のトラブルがあったが記念製品の生産が優先されてしまったこと、だとし、これらに対する対策が必要であったとしている。
なお、リスクアセスメント実施のタイミングは、平成18年の改正労安法によれば、①建設物を設置し、移転し、変更し、または解体するとき ②設備、原材料などを新規に採用し、または変更するとき ③作業方法または作業手順を新規に採用し、または変更する時 ④その他危険性または有害性などについて変化が生じ、または生じるおそれがある時、としているという。これは、概ねよく知られた4M変更と考えてよいのではないかと思うが、それで十分なのか、もう少し焦点を集約して対策を提示するべきではないかと思うが、そのように総括されていない。それが本件を理解し難くしているし、きちんと総括しきれていなければ、そういう経験を踏まえて次にステップを進めることが容易ではないように思う。
こういった事例提示の後、米国での対照的な事例を挙げていよいよ技術者のあるべき姿を模索している。それは、1986年のチャレンジャー号の爆発事件と、ニューヨークのシティーコープビル建設の設計段階での強度不足問題への対応の差についてである。
チャレンジャー号の爆発は、ロケット本体の側面に補助として取り付けられたブースターロケットの繋ぎ目に取り付けられたO-リングが硬化し、燃焼ガスシール性が劣化したのが原因とされる。その硬化は打ち上げ時の極端な外気温低下(-1.7℃)により生じたものとされる。ところが、このトラブルをO-リング・メーカーの技術者ロジャー・ボイジョリーが事前に気付き、ロケット打上延期を自社経営陣に提案した。しかし、O-リング・メーカーの表面的経営優先の要求とNASAの政治的要求が優先されて打上は強行され事故となった、という経過をたどったもの。ここで問題は、ボイジョリーは本当に技術者としての責務を果たしたと言えるのか、ということだと著者は指摘している。O-リング弾性の温度依存性について、ぎりぎりの性能しかなかったO-リングの特性をより説得力のあるデータを駆使して経営陣に示し得ていなかったのではないか。はたまた日頃から技術者としての信頼を得る実績を上げていたか、という疑問を呈している。私も、O-リングの性能がぎりぎりであったのなら、その向上開発に事前に取組むべきであったのではないかと思う。
これに対して、シティーコープビル建設の強度不足が明らかになった場合の設計者W.ルメジャーは、直ちにビル・オーナー側の副社長に報告し相談した。ルメジャーは詳細な風洞実験を通して説得力あるデータを示したため、改修計画は了承され、是正処置は実施され、しかもルメジャーの誠実性は社会的に称賛された、という。
著者は言う。“技術者にとって、安全に関する問題は、もっともその存在価値を問われる問題である。このような問題を解決するには、日頃から信頼される技術者であること、それを支えるデータの必要なことを、この二つの事例は示している。”この本では、珍しく明解な結論であり、印象的である。
ここで紹介した以外に多くの事故事例をこの本では取り上げている。「想定外」の事象には前提となる、鋭いリスク感性が必要であり、そのためには様々な事件・事故の事例の研究・追体験が重要であると言われている。この本では、その様々な事件・事故に、著者の経験を元に鋭く切り込んでいると思うが、残念ながら手法としての「想定外」の事象の面からでの解説ではないので、系統的ではなく読む側の理解として、心に深く残らない傾向があるように感じる。浅学非才の私としては、そうしたリスクマネジメント手法の どういうプロセスに問題があったとの解説があれば、より深く理解でき、強く意識付けができたのではないかと思われてならない。否、読書会でのテキストとして取上げ、分担してそういう分析をすることは有益かも知れない。
頻繁な事故訓練とともに、様々な事例研究がリスク感性を上げると言われている。リスクマネジメントには、そういうことの習慣化も必要なことなのであろう。
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しかし、おおよそ“リスクマネジメント”を標榜する割には、今や少々もの足りなさを感じてしまう。つまり、著者の“良心的常識”から発する極めて原初的な“リスクマネジメント”でしかないからだ。それは、“リスクマネジメント”と称するからには、ある程度の定式化された手法―例えば ISO31000やISO22301等の規格に従った手順など―に従って課題となる対象を分析し、対処するという姿勢が必要と思うが、そこまでできていないからだ。
例えば御多分に漏れず、この本でも 福島第一原発の事故について触れてはいるが、その結論は深く現実を見据えつつ論理的にたどり着いたものと言えるものではなく、通り一遍の迫力に欠けるものであったからだ。勿論、知りえる事実に関して公表されている一般的に知られた情報をベースにしたという限界はあるにしても、そこから“リスクマネジメント”に則って分析した結果を結論とは言えないように思えるのだ。
先ず、この本の危機管理対応の問題点としての結論は、①緊急事態においては、現場に指揮を委ね、特に安全、技術の専門的判断によることが必要。②情報管理の重要性(政府機関も含めての関係者間の円滑・迅速な情報共有)[実はこの本では3項目挙げているが、その内2項目の内容が重複しており、私が①にまとめた]と、極めて“当たり前”の結論になっているからだ。もっとも、大抵の事故は“当たり前”のことが出来ていないことによるものだが。
次にリスクマネジメントから見た課題として不十分であったと挙げているのは、“①原子力発電技術を日本に導入する際のリスクアセスメント ②地震や津波の強度予測と科学技術の進展により新たな事実がわかった時の対応 ③「想定外」の事象に対する対応” である。
つまり①は、事故後よく言われたことだが、立地上の地理的な条件に対応したプラント仕様になっていなかった問題を指している。つまり欧米では内陸部の河川流域に建設する仕様だが、日本では海岸域であったことから津波対策が不十分であったことである。新技術導入時の“教える側”、“学ぶ側”のリスク感覚の問題ではないか、と思うがその点には触れていない。(このリスク感覚は難しい問題だが)
②も、事故後指摘されていた課題ではあるが、中越沖地震後の耐震性評価に迅速に対応しなかったことを言いたかったようだが、本文では“技術者が重要と思わなかった部分で事故が起き易い”と言っていて、そのために安全率が重要だと指摘している。経験上重要な指摘ではあるが、コスト重視の現代において限界設計が主流であり、根拠不明の安全率は軽視されやすい。勿論、知識や情報が不十分な技術者の問題も含まれるが、これはリスク評価が不十分であるための問題ではないか。そこから、近隣住民への説明の仕方も課題としているが、何だか本筋からはずれた唐突な印象だ。リスクコミュニケーションの問題を言いたいのだろうが、近隣に住めなくなるような事態に臨んではコミュニケーションは成立せず、この場合の根本問題とはならない。
③に至っては、どうするべきだったのか、何度読んでも理解不能だ。この場合設計的には“安全率”と言うよりも、 “フェイル・セーフ”と言うことになるのだろうが、ならば具体的にどうするべきであったのかの指摘は残念ながらない。“「想定外」の事象”への対処法が一般論としてはあり得ないから、事故発生後の被害極小化の対応法や体制の構築が必要で、当事者の指揮官は常に学び、柔軟に対処する姿勢が必要だ。そのためには、事故発生対応の訓練を角度を変えて行うことが有効とされる。
しかし、そういう限界はあるものの こうした分析を総括した表を掲載している(この表は本を実際に見てもらいたい。)が、これにより、改めてある種の問題点が見えて来るような気がする。それは、この表の“想定外の事態への対応”については、“全てのリスクに対応することはできない”とあり、次に“どこまでのリスクを許容するかの合意”を挙げているが、ここに社会的に受け入れられる安全性への認識が時代とともに変化するという問題も大きような気がする。1950年頃の政府が、原発の導入が産業振興の国益にかなうと強く決意した背景には、その安全性と経済性・(当時の)将来性の比較で仕方ないものと考えざるを得なかったことがあったのだと思える。都会に設置しなければ事故があっても、より少ない人々の避難で済むことと言う判断もあっただろう。
だが、そうした近隣住民の安全を考えた場合、常に透明な情報開示が必要で、その指摘はこの表にはあるが、最悪の事態が生じた場合の対応・体制の構築も不十分であったとまでは、言ってはいない。避難範囲を考えると、原発の規模の問題もあったのではないか。巨大な原発を集中配置することがリスク対応を困難にさせていたこともあったはずだ。
次にこの本では、リスクコミュニケーションにおける専門家の在り方について重要なメッセージを紹介している。それは、元日本学術会議会長・吉川弘之氏の “我が国では、科学者は自説を主張することに留まり、現時点で何が科学的に確かであるかを科学者の間で議論し、社会に発信することができていない。” という言葉の紹介である。
また、その流れで日本のリスク認識の問題点を指摘もしている。“一つめは、リスク『ゼロ』を求めて、リスクを定量的な数値として取り扱わないこと。二つめは、代替手段との比較において、是非を判断しないこと。三つめは、トータルリスクミニマムの考え方がないこと。”である。世の中の現実でリスク『ゼロ』はあり得ないのだが、何%のリスクだと言われて、さてどうすれば良いのか、具体的には判断できず中々難しい問題だが、今後このような局面は増えて来るし、リスク専門家も、この問題に具体的に答えられるのえあろうか。その場合、想定被害額との積を基準とするべきであろうが、その積の値のどこまでを事前対策を必要とするか、社会的合意を得られる一般認識はない。
思わず、福島第一原発への言及を真っ先に挙げたが、この本の著者の原点は、仕事上の事故がきっかけだとしているので、実は この本はその問題から始まっている。
著者曰く、“技術者の使命は二つある。一つは、新しい技術を開発して社会に寄与する新しい物質や製品を生み出すことである。もう一つは、開発した技術が社会に危害をもたらさないようにすることである。”ところが、著者は取り組んでいた仕事で界面活性剤(MES:メチルエステルスルホネート)の製造工程のメターノール蒸留塔が爆発し、2名が死亡、13名が重軽傷を負う事故に遭遇したという。その原因については、錯綜していて門外漢には非常に解り辛い。この直接の原因は、著者らが予期していなかった爆発性の高いMHP:メチルハイドロパーオキサイドの発生であり、それが結果的に大量に蒸留塔に残留したことであるという。その発生が実工業化段階で予期されなかったのは、パイロット段階で気付くべきであったが、それでは扱う物質量の絶対値が小さかったこと、人間が注意深く運転していたことでMHPが発生していたとしても微量であったと思われることだとしている。結局、リスクマネジメントの立場から考え直すと、類似事故事例の徹底調査がなされなかったこと、開発チェックシステムが不十分だったこと、プロセス変更時のリスクアセスメントが実施されなかったこと、蒸留塔の扱いについての改善提案の実施が為されていたがその評価が甘かったこと、生産上のトラブルがあったが記念製品の生産が優先されてしまったこと、だとし、これらに対する対策が必要であったとしている。
なお、リスクアセスメント実施のタイミングは、平成18年の改正労安法によれば、①建設物を設置し、移転し、変更し、または解体するとき ②設備、原材料などを新規に採用し、または変更するとき ③作業方法または作業手順を新規に採用し、または変更する時 ④その他危険性または有害性などについて変化が生じ、または生じるおそれがある時、としているという。これは、概ねよく知られた4M変更と考えてよいのではないかと思うが、それで十分なのか、もう少し焦点を集約して対策を提示するべきではないかと思うが、そのように総括されていない。それが本件を理解し難くしているし、きちんと総括しきれていなければ、そういう経験を踏まえて次にステップを進めることが容易ではないように思う。
こういった事例提示の後、米国での対照的な事例を挙げていよいよ技術者のあるべき姿を模索している。それは、1986年のチャレンジャー号の爆発事件と、ニューヨークのシティーコープビル建設の設計段階での強度不足問題への対応の差についてである。
チャレンジャー号の爆発は、ロケット本体の側面に補助として取り付けられたブースターロケットの繋ぎ目に取り付けられたO-リングが硬化し、燃焼ガスシール性が劣化したのが原因とされる。その硬化は打ち上げ時の極端な外気温低下(-1.7℃)により生じたものとされる。ところが、このトラブルをO-リング・メーカーの技術者ロジャー・ボイジョリーが事前に気付き、ロケット打上延期を自社経営陣に提案した。しかし、O-リング・メーカーの表面的経営優先の要求とNASAの政治的要求が優先されて打上は強行され事故となった、という経過をたどったもの。ここで問題は、ボイジョリーは本当に技術者としての責務を果たしたと言えるのか、ということだと著者は指摘している。O-リング弾性の温度依存性について、ぎりぎりの性能しかなかったO-リングの特性をより説得力のあるデータを駆使して経営陣に示し得ていなかったのではないか。はたまた日頃から技術者としての信頼を得る実績を上げていたか、という疑問を呈している。私も、O-リングの性能がぎりぎりであったのなら、その向上開発に事前に取組むべきであったのではないかと思う。
これに対して、シティーコープビル建設の強度不足が明らかになった場合の設計者W.ルメジャーは、直ちにビル・オーナー側の副社長に報告し相談した。ルメジャーは詳細な風洞実験を通して説得力あるデータを示したため、改修計画は了承され、是正処置は実施され、しかもルメジャーの誠実性は社会的に称賛された、という。
著者は言う。“技術者にとって、安全に関する問題は、もっともその存在価値を問われる問題である。このような問題を解決するには、日頃から信頼される技術者であること、それを支えるデータの必要なことを、この二つの事例は示している。”この本では、珍しく明解な結論であり、印象的である。
ここで紹介した以外に多くの事故事例をこの本では取り上げている。「想定外」の事象には前提となる、鋭いリスク感性が必要であり、そのためには様々な事件・事故の事例の研究・追体験が重要であると言われている。この本では、その様々な事件・事故に、著者の経験を元に鋭く切り込んでいると思うが、残念ながら手法としての「想定外」の事象の面からでの解説ではないので、系統的ではなく読む側の理解として、心に深く残らない傾向があるように感じる。浅学非才の私としては、そうしたリスクマネジメント手法の どういうプロセスに問題があったとの解説があれば、より深く理解でき、強く意識付けができたのではないかと思われてならない。否、読書会でのテキストとして取上げ、分担してそういう分析をすることは有益かも知れない。
頻繁な事故訓練とともに、様々な事例研究がリスク感性を上げると言われている。リスクマネジメントには、そういうことの習慣化も必要なことなのであろう。
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