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衆院選に思う―リベラリストにしてナショナリストの眼―

今回の衆院選は国難選挙だという。実は、安倍氏難儀選挙というのが正しいのではないか。当初のザックリした予想では、自民が60減って、その分民進と小池新党がそれぞれ30議席の増であった。それでも安倍氏が解散を選んだのは、何としてもモリカケ隠しをしたかった。自民の議席が減っても隠したかった、というのが本音ではないか。要するに自民党陣笠議員は安倍氏の私兵、生きようが死のうがお構いなし。そういう野卑な安倍氏の心情が透けて見えたのだ。

ところが、その後の政治屋のもっと酷い右往左往の憐れというか、醜態を見ることとなった。安倍氏をはじめ、“信なくば立たず”を真面目に実行している日本の政治家の如何に少ないことかを目の当たりにしてしまった。私は、こんな情けない政治屋達を長らく政治家と信じて選択してきたことになるのだろうか。
国民の利益を優先するのではなく、権力ゲームに地道をあげる政治屋ばかりだ。政治家を志す目的は何だったかを忘れ、その手段である権力奪取にうつつを抜かす結果、国民・国家の利益は何処かへ行ってしまったのだ。
目前に迫る北朝鮮危機。膨大な財政赤字の危機。人口減少の危機。これらは全て、日本の政治屋の怠慢が招いた危機ではないか。その場しのぎの弥縫策で問題を先送りした結果ではないか。

選挙戦では安倍氏以上に虚しい言葉の羅列が予想される。その渦の中心に“希望”と言う言葉がある。しかし、何やら空々しく聞こえる。“希望”ではなく、言い出しっぺには“野望”であり、その周囲に群がる人には“絶望”ではないかと揶揄する向きもある。このオバはんこそ権力ゲームに地道をあげる元凶であるように見える。くだらない権力好きのオバはんにマスコミは騒ぎ過ぎるし、それを取り巻く政治屋どもは振り回され過ぎだ。一地方自治体の問題すら何も解決できない人間に、国政の積年の難問を解消させる手腕があるとはとても思えない。無駄に公金を浪費しているにもかかわらず、臆面もなく“wise spending”などと格好よくノタマワる。安倍氏と同様、ウソの塊だが、なぜかマスコミは騒ぐ。そして実態のない言葉ばかりが空回りしているのだ。
第一に曰く、“寛容な保守”。それが仲間に入れてほしい人々を自分好みの人だけの“選別”に走る。
次に曰く、“しがらみのない政治”。それが周囲を見渡して、選挙後を巧く立ち回るための“しがらみ”を配慮して立候補者擁立。
三つ目が極め付け。ブラック・ボックスを作らない“透明な政治”。実はブラック・ボックスだらけでしかも自由のない会派運営に、最初に味方になった都議会議員2名が仲間から離脱してしまった。今時珍しい全体主義的な時代錯誤の存在ではないか。要するに、党首の“自分ファースト”の会派を作っただけ。独裁体制だ。党員はすべからく使い捨ての私兵でしかない。ヤクザの世界でいう鉄砲玉。死のうが生きようが知ったことではない。人を人とは思っていない。それが見抜けぬアホな政治屋の如何に多いことか。安保法制に反対した連中が大挙して、必死に“希望”にすがって、“お目こぼしにあずかり”もぐりこんだようだ。“絶望”の鉄砲玉ばかりで呆れるばかりだ。
独裁オバはんは“リセット”とか、“改革”だとかいう言葉がお好きなようだが、何をどのようにリセットし、改革するのか良く分からない。安倍政権の主張とどこが違うのか、何がダメなのか、良く分からない。何故ならば、中身は同じだからだ。私益は違うので、モリカケ問題は“しがらみ”を見計らって、取り上げるようだ。
そもそも、選別する“厳格な保守”に“リセット”とか、“改革”だとかいう言葉が馴染むのだろうか。“保守”は旧弊を厳守するものだ。言っていることは矛盾していないか。一体、何がホンネなのだろうか。安倍氏と同様、ウソの塊だ。特に日本の“厳格な保守”は時代錯誤にも女性の自由は言わないものだが、オバはん大暴れで大いなるご都合主義。
だがそういった、虚しい言葉の空中戦はやはり見捨てられる風が少し出てきたようだ。“絶望”の鉄砲玉に言いたい。今からでも遅くない、気付いたならば“希望”から脱出しろ。あんたはおバカな民進党代表にたばかられただけなのだ。

しかし、こうした困った側面ばかりではない。こうしたドタバタ劇で、さっきも言ったようにいい加減な政治屋ポンコツがあぶりだされたのだ。今まで主張してきた政治信条を打ち捨てて、厚顔にも正反対の政策を声高に主張するのだろうか。信じられる政治家か否かは、主張にブレがあるかどうかで、今度は選挙民が選別するのだ。要するに“Integrity”を大切にするのは、万国共通の絶対的基準だ。ドラッカーも経営者の徳目として指摘しているし、ISOでも組織管理の注目点として言及している。政治家は自らの信条の堅固さを示す、内実のある言葉を大切にしなければならない。矛盾する発言はウソの始まりであり論外だ。


目下、日本にとって喫緊の政治課題をも一度整理確認すると、次の3つの不在だ。一つ目が“戦後日本の国家体制(憲法と安全保障)”であり、次が“混乱する国際関係の見取り図”、それに“巨大な財政赤字と少子高齢化へ向かう日本社会の将来像”ではないか。

“戦後日本の国家体制(憲法と安全保障)”について、戦後に戦争責任について何故か徹底した反省がなかった。そのため、あたかも進駐軍に従う対米追従者が、無条件で戦前体制を反省した政治家であり、民主的な人物であるかのように見做されて来た。その後 世代交代があり、55年体制が崩れても対米盲従が継続し、国を売る“ナショナリスト”と言うヌエのような存在が平気で闊歩しているのだ。普通の国では考えられない状態ではないか。
首都・東京の上空は進駐軍を引継ぐ駐留米軍が管制し、日本の領土のどこにでも基地建設が可能だという体制が出来上がっている。しかも、米軍人及び基地内は治外法権。米軍使用機材にも日本の施政権が及ばない。そうした米軍には、“思いやり予算”が出され国費が費やされている。そのため米軍人家族は日本から長期旅行に出かける際、エアコンを点けっぱなしで行くという。その費用は日本政府がだしてくれるのだ。しかも緊急事態では、米軍は自衛隊を指揮できるという。集団的自衛権は正にそのための法制化であった。安倍氏は田原総一朗氏に“集団的自衛権を法制化したら、米側から要求がうるさく来なくなった。”と言ったという。毎日新聞の岸井成格氏も米側のリチャード・アーミテージ元米国務副長官が“日本の集団的自衛権の法制化を喜んでいて、これで自衛隊を海外に派遣できる、と言っていた。”との証言をしていて異なる方向からの情報の平仄は一致している。安倍氏は日本を守る自衛官の命を米軍に切り売りしたのは明らかだ。
こんな国が独立国家であるとはとても言えまい。まして、対米従属国家が世界を主導するなどとはおこがましいことだ。せいぜいで、敵味方から金をせびられるのがオチで気前よく出していても、結局はバカにされている国際的“いじめられっ子”になっているのだ。これでは“地球儀俯瞰”の賢い外交とは言えまい。
又、極端に言えば国の形が植民地的でその根本が間違っているから、正論を吐く野党は“何でも反対”せざるを得ない状態だったとも言えなくもないだろう。それを右の人々は何でも反対と揶揄するが、本質を見誤っている。
言っておくが、日本は合衆国日本州ではなく、あくまでも事実上の植民地なのだ。もし、日本州ならば辺野古の基地建設のための大規模な自然破壊は米環境省が差し止め命令を出すはずだ。米軍機特にオスプレイが居住地域を我が物顔で深夜であろうが飛行することはない。従がい、日本国民は米国の二等市民以下の扱いとなる。国外で日本人が苦難にあっても、米軍は必ずしも日本人を優先的に扱うとは限らない。無条件に米軍を当てにすると失望は大きい。

“混乱する国際関係の見取り図”の不在については、国の形が植民地的であれば全く仕方のない話だ。自ら戦前の反省が出来ない国民には無理な話だ。とにかく、戦前“国際情勢複雑怪奇”と言って内閣を投げ出した首相が居た。このことも反省できないのでは、何をどうすればよいのか不明のままなのだ。何が国益かを素早く見抜く国際的生存本能に基本的に欠けたDNA・外交音痴をズーッと引きずったままなのだ。

“巨大な財政赤字と少子高齢化へ向かう日本社会の将来像”については、日本の経済学者はミクロ経済に足元をさらわれ、自らの学説にグランド・デザインつまり日本の国家戦略の視点がないことが原因だと考える。不思議だが日本の経済学の水準が国際的には全く低いままなのだ。現にノーベル賞を受賞した経済学者はいない。日本には欧米、取り分け米国経済学を講釈する学者しかいないのが現実ではないか。欧米の中央銀行が既に出口戦略を指向しているにもかかわらず、未だに異次元の緩和に拘泥せざるを得ず、巨額の財政赤字をさらに積み上げていて、戦前の財政赤字の水準を超えて来ている。戦前の財政赤字は戦後どうなったか、歴史を知らない日本人は御存知ない。

この中で取り分け重要なのは、一つ目の対米追従の国家体制であることの問題だ。これを改めない限り、日本の国の形は異形のままであり、世界から独立国家とは認めてもらえない。何が問題か。日米地位協定である。このヤミの協定が日本を植民地化しているのだ。この改訂或いは破棄なくして日本は戦後の植民地体制から脱却できないし、何らの改革も意味を持たない。まして、改憲を目指しても、それは米国を利するものでなければ本国からの承認は得られず、そんな改憲はありえない。ここでお得意の忖度が働いているのだ。
要するに改憲を議論する前に、憲法以上の効力を持つ日米地位協定の改訂による自主・自治権回復が大前提になるのだ。その上で安全保障をどのようにするかの議論が必要なのだ。この闇の協定を明るみに出して、植民地的状況から脱出するのがいの一番のはずだが、日本のいずれの政治家(政治屋)もこの大問題を口にしない不思議がある。日本に真のナショナリスト政治家が居らず、安倍氏のように国を売ることを生業とする政治屋ばかりなのは日本の不幸だ。問題の核心を棚上げにしたままでは、どんな改革も無意味なのだ。日本の台頭は基本的に米国の国益に叶わないという厳しい地政学を日本人は知らなければならない。おめでたい日本人ではいつまでもミツグ君のいじめられっこで子でしか、厳しい国際社会で生きては行けないのだろうか。
こういう主張をすれば命の危険があるのかもしれない。田中角栄氏は、その逆鱗に触れ失脚したのかも知れない。この国の大いなる闇を排除しない限り、日本は何をしても無駄となるのではないか。
当面の選挙では、よりましなブレない政治家を選ぶより、選択肢はない。矛盾する発言の政治屋はウソツキであり論外だ。

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