The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
京都博物館・国宝展と中之島・国際美術館・「バベルの塔」展の観覧
先週末の午前、散歩の帰りに書店店頭で“地政学”に関するグラフィック・デザイン(図解)本が2冊あったので、手に取って見た。“地政学”について何をどう書いているのか興味があった。ところが日本に関する“地政学”は何も書かれていないようだったのだ。書かれていても大きなスペースは割かれてはいないようで、目次にはそれに該当する章立てはなかった。これはどういう事か。この本は何のために作られ、世に問おうとしているのか全く意味不明。この点2冊ともほぼ同じようだった。
これには大いに落胆せざるを得ず、非常に気分を害した。これが日本人を啓蒙しようという本なのだろうか。ちなみに北方領土は呑気に日本の領土領域として地図に示されていた。竹島や尖閣も同様の扱いだったように思う。これでは、正しい日本の地政学は語れない。米露中欧の4大地政学勢力を示していたが、日本は米露中の間にあってどのように自己主張するべきか、それが日本の地政学ではないかと思われるが、それがこれらの本は語っていないのだ。
先日も触れたが、日本を植民地化する日米地位協定がある限り、その点に触れずに日本の地政学は語れないはずだ。日本は米国の地政学に埋没していて、その勢力に手先として利用されつくしている、それが日本の地政学の本質なのだ。その点に全く気付かない日本人とは一体どういう人々なのだろう。
世界を見渡して、どんな開発途上国もすべからく厳しい国際情勢の中で、自主自立のためどのように自己主張するのか常に必死に模索している。中東での混乱も、その厳しいせめぎ合いの中にあるのだ。自己主張しなければ、外国勢力に良いように利用される、つまり国益を損なうだけなのだ。北朝鮮も当初“蟷螂のあがき”と思われていたのが、正確な地政学的分析とその後の必死の“努力”で今や米国も無視できないモンスターになってしまった。米国に魂を売った日本は外交力についてはこうした途上国にすら及ばない。安倍氏の浮ついた俯瞰外交もお遊びにしか見えない。結局は巨額の財政赤字の中、貴重な金を諸外国に無駄に献呈するだけだ。アホでマヌケな“外交”だ。
沖縄の現状を見て欲しい。またヘリコプター事故が起きたが、日本の警察が捜査権を行使できないのが現実だ。そんな“独立国”が世界にあるだろうか。事故を起こしたヘリコプターのローターの付け根にローターの不調を検出するための放射性物質が装着されていた、という。事故後それがどうなったのかは、日本国の捜査権がないため不明のようだ。
米国によって日本が放射能汚染されても、日本は何も言えない。恐らく日本人に健康障害が発生しても米国は責任を取らない。取らないために情報を開示しないのだろう。欧州では微量の有害化学物質を問題にする時代に、日本の不利益から日本人を守ろうとしない日本政府。そのトップに安倍氏はいる。安倍氏は常日頃“日本人の生命財産を守る”と言っている。これが真っ赤なウソなのは明らかではないか。彼の言動には正しい信念もなく、全てウソだ。
日本は国全体が“平和ボケ”の中にある。スキャンダルがあっても、それでも安倍氏自民党を支持する大勢の日本人がいる。今後自民一強の国会となるようだ。まるで“もっといじめて!”のマゾヒズムの国民のようだ。
北朝鮮危機があれば自民を支持。果たしてそれで良いのだろうか。米国は北朝鮮を利用して、役に立たない兵器を売る。安倍氏は北朝鮮を利用して政権を取る。怪しい話を呑気な国民は是認するのだ。
日米地位協定を普通の国家間の協定に改訂、せめて米国フィリピン並のレベルにして、その上で、ある種の覚悟をもって安全保障を考える、それが普通の国のすることだ。憲法改訂より、それを優先させるのが日本の喫緊の課題だ。日米地位協定より憲法改訂を優先すればますます、日本は国際的に恥ずかしい変な国柄の国になってしまう。
さて、日常の生活に戻って、それこそ呑気に一生懸命。暑いのか寒いのか分からない今日この頃。
京都に博物館に国宝展、大阪中之島の国際美術館に“(ブリューゲル作)「バベルの塔」展”が来ていて、“バベルの塔”は前週末で終わりとなる。昨年、ダリを見逃していたので焦っていたが、ようやく機会をみつけ1日がかりで観覧に出かけた。
予定としては、6時半に起床。当朝録画した経済ニュースを再生し、朝食を摂る。住まいの神戸から阪急で京都に向かう。途中下車で審査報告書を事務局に持参。河原町から京阪に乗り換え、七条で京都博物館の国宝展に。観覧後、昼食を摂り、中之島へ。その後神戸の元町へ行き、経済情勢について金融関係者の意見聴取、が当初の計画だった。つまるところ阪急で京都に向かい、京阪で大阪、阪神で神戸という京阪神周回コースだ。
実際は確かに6時半には目覚めたのだが、もう少しと思いつつフト時計を見ると7時45分だった。慌てて飛び起き、録画経済ニュースの視聴はあきらめ、急いで朝食を摂る。結局、スタートが20分遅れ。これをどこで取り戻すかが課題となる。審査報告書の提出は予定に余裕を持たせすぎたせいで、早くも予定をクリア。京阪の切符を金券ショップで入手。
無事、京博に11時半前に到着し、入場料を払い入館券を得たが、入場者が多く館内入場まで1時間半に制限との表示と案内。高齢者ばかり。金を払ってからこういう案内とは、悪徳業者のやり方だが、見ていると結構人波は動くので、1時間半は誇大と見てそのまま従う。結局1時間も経たない内に入場。
全体の感想としては、いずれもこれまでどこかで見たようなものばかり、とは言い過ぎか。見たいと思えば見れるものも多くある。例えば、俵屋宗達の風神雷神図は建仁寺に行けば見れる。しかし、あれは複製か。本物は絵具も剥げかけていて迫力が失われている。建仁寺は京博からは近い。
書は、とにかく苦手。先ずは読めない。古い紙に書かれた薄い文字を一生懸命見る気にはならない。だから人だかりがあっても、殆ど素通りした。ただ、空海の“聾瞽指帰”は、以前見た筆跡より少々残念な印象。右肩上がりで好きではない。しかし文字の輪郭がしっかり書かれていて、読みやすい特徴は変わらない。ブラタモリで見た高野山秘蔵の書は、ひどい右肩上がりではなかったように思う。
但し、縄文土器の“深鉢形土器(火焔型土器)”はなかなか見たことはない。所蔵も新潟十日町市博物館なので、これからも見れないだろう。この実物は見事だ。欠けているところがなく、古代のものとは思えない抽象であり、しっかりした形象だ。
絵は好きだ。雪舟の“秋冬山水図”。これもかつてどこかで見たように思うが、しっかりした迷いない線と、印刷などで紹介される複製画よりも墨が冴えわたっている。“慧可断臂図”も見たことがあるように思うが、展示されていたものは記憶のものよりはるかに巨大。昔その時、何を見たのだろうか。思い違いか。達磨の目は何とも言えない表情。“信貴山縁起絵巻飛倉の巻”もあったが、これも紙が古く色も褪せていて見難いのが残念。しかし後ろで“(絵にある人物が)何で皆、上を見てるの?何か落ちてくるの?”といった子供ではない女性の声が聞こえて、こういうレベルの人も来ていての混雑かと、実に残念。この時は、ポスターにあった頼朝の肖像画はなかったが、所蔵は神護寺のようなので、いずれ又行けば良い。
染織は無残な布のオンパレード。見るに堪えないので、殆ど素通り。結構発汗して、汗も引かない。
結局、1時間強で見終わらせた。音声ガイドは借りなくてよかった、との思い。
そろそろ1時で、予定では京阪七条付近のカフェ喫茶店で昼食の予定だったが、目当ての店は狭そうで、当然人も入っている。そこでかつて行った喫茶店を当てにしたが、本日閉店。
少々絶望してそのまま京阪電車に。改札で金券ショップでかった切符は汗で少々湿っていて自動改札を通りきれず、機械の中でぐしゃぐしゃになってしまったようだ。駅員は親切に別の紙に書いた切符をくれた。こんな紙を鉄道会社は用意しているのだ。二階車両の下のフロアにゆったり着席。ホームのフロア上に窓があるのは初めてだが、それほど酷い印象はなく気にしなければ快適で、空いている。中之島・渡辺橋で降車。駅でさっきの紙を渡すと、“連絡を受けています。”と通してくれた。
いよいよ昼食。大阪中之島のビジネス街。とは言うものの少々下町的雰囲気もある。車中で“食べログ”で調べた蕎麦屋さん・吉々へ。親子丼定食で蕎麦を注文して休憩。蕎麦は手打ちではないが、具と汁が美味い。鶏肉は値段に押されてか良いとは言えないが、不味くはない。いずれ又機会あればここで食べたい。
店を出て西へ進めば、曲線異形のステンレス製構造物が見える。これが国立国際美術館。背後にビルがあるが、これは昔四ツ橋にあった電気科学館の進化形の市立科学館。美術館は地下にある。この辺りは、かつて阪大の敷地。松下講堂や事務局本部があった。その南に理学部。戦前はシンクロトロンがあったと聞いている。湯川秀樹氏のノーベル賞研究はここで行われた。この北側河岸辺には医学部。古い学食もあった。
美術館は、全く地下に埋設されている。従い、どんどん地下に入って行くことになる。
“バベルの塔”1枚の絵を見に来たのだが、それでは展覧会が成り立たないということか、“16世紀ネーデルランドの至宝―ボスを超えて”とある。その中心にはヒエロニムス・ボスがいる。これはこの夏に神戸で見て、ここでも報告している。
その時みたような絵が、また展示されていた。エッチングだと思われる絵が多数あった。モンスター多数。
疲労困憊して、最後にようやくお目当ての“バベルの塔”。ここに至って、また並んで40分だという。我慢して並んで、ようやく見れると思ったら、“立ち止まるな”とノタマウ。御蔭で細かい絵の詳細が見れない。一体何が描かれているのか、分からぬまま、絵とお別れ。まぁ“見た”という自己満足のみが残る。その後に、東京芸大によるCG解説を見せるブースがあり、そこでようやく納得。やっぱり実物で納得したかった。これでは無味乾燥。
会場を出て、あまりの無力感に疲労感倍増。予定では、阪神で神戸に向かう時刻だが、元気が出ない。
それでもお約束の時刻には何とか間に合う。寝起きのトラブルから始まってちょっとしたハプニングを交えながらの、疲労はしたものの結構面白い一日は終わった。
これには大いに落胆せざるを得ず、非常に気分を害した。これが日本人を啓蒙しようという本なのだろうか。ちなみに北方領土は呑気に日本の領土領域として地図に示されていた。竹島や尖閣も同様の扱いだったように思う。これでは、正しい日本の地政学は語れない。米露中欧の4大地政学勢力を示していたが、日本は米露中の間にあってどのように自己主張するべきか、それが日本の地政学ではないかと思われるが、それがこれらの本は語っていないのだ。
先日も触れたが、日本を植民地化する日米地位協定がある限り、その点に触れずに日本の地政学は語れないはずだ。日本は米国の地政学に埋没していて、その勢力に手先として利用されつくしている、それが日本の地政学の本質なのだ。その点に全く気付かない日本人とは一体どういう人々なのだろう。
世界を見渡して、どんな開発途上国もすべからく厳しい国際情勢の中で、自主自立のためどのように自己主張するのか常に必死に模索している。中東での混乱も、その厳しいせめぎ合いの中にあるのだ。自己主張しなければ、外国勢力に良いように利用される、つまり国益を損なうだけなのだ。北朝鮮も当初“蟷螂のあがき”と思われていたのが、正確な地政学的分析とその後の必死の“努力”で今や米国も無視できないモンスターになってしまった。米国に魂を売った日本は外交力についてはこうした途上国にすら及ばない。安倍氏の浮ついた俯瞰外交もお遊びにしか見えない。結局は巨額の財政赤字の中、貴重な金を諸外国に無駄に献呈するだけだ。アホでマヌケな“外交”だ。
沖縄の現状を見て欲しい。またヘリコプター事故が起きたが、日本の警察が捜査権を行使できないのが現実だ。そんな“独立国”が世界にあるだろうか。事故を起こしたヘリコプターのローターの付け根にローターの不調を検出するための放射性物質が装着されていた、という。事故後それがどうなったのかは、日本国の捜査権がないため不明のようだ。
米国によって日本が放射能汚染されても、日本は何も言えない。恐らく日本人に健康障害が発生しても米国は責任を取らない。取らないために情報を開示しないのだろう。欧州では微量の有害化学物質を問題にする時代に、日本の不利益から日本人を守ろうとしない日本政府。そのトップに安倍氏はいる。安倍氏は常日頃“日本人の生命財産を守る”と言っている。これが真っ赤なウソなのは明らかではないか。彼の言動には正しい信念もなく、全てウソだ。
日本は国全体が“平和ボケ”の中にある。スキャンダルがあっても、それでも安倍氏自民党を支持する大勢の日本人がいる。今後自民一強の国会となるようだ。まるで“もっといじめて!”のマゾヒズムの国民のようだ。
北朝鮮危機があれば自民を支持。果たしてそれで良いのだろうか。米国は北朝鮮を利用して、役に立たない兵器を売る。安倍氏は北朝鮮を利用して政権を取る。怪しい話を呑気な国民は是認するのだ。
日米地位協定を普通の国家間の協定に改訂、せめて米国フィリピン並のレベルにして、その上で、ある種の覚悟をもって安全保障を考える、それが普通の国のすることだ。憲法改訂より、それを優先させるのが日本の喫緊の課題だ。日米地位協定より憲法改訂を優先すればますます、日本は国際的に恥ずかしい変な国柄の国になってしまう。
さて、日常の生活に戻って、それこそ呑気に一生懸命。暑いのか寒いのか分からない今日この頃。
京都に博物館に国宝展、大阪中之島の国際美術館に“(ブリューゲル作)「バベルの塔」展”が来ていて、“バベルの塔”は前週末で終わりとなる。昨年、ダリを見逃していたので焦っていたが、ようやく機会をみつけ1日がかりで観覧に出かけた。
予定としては、6時半に起床。当朝録画した経済ニュースを再生し、朝食を摂る。住まいの神戸から阪急で京都に向かう。途中下車で審査報告書を事務局に持参。河原町から京阪に乗り換え、七条で京都博物館の国宝展に。観覧後、昼食を摂り、中之島へ。その後神戸の元町へ行き、経済情勢について金融関係者の意見聴取、が当初の計画だった。つまるところ阪急で京都に向かい、京阪で大阪、阪神で神戸という京阪神周回コースだ。
実際は確かに6時半には目覚めたのだが、もう少しと思いつつフト時計を見ると7時45分だった。慌てて飛び起き、録画経済ニュースの視聴はあきらめ、急いで朝食を摂る。結局、スタートが20分遅れ。これをどこで取り戻すかが課題となる。審査報告書の提出は予定に余裕を持たせすぎたせいで、早くも予定をクリア。京阪の切符を金券ショップで入手。
無事、京博に11時半前に到着し、入場料を払い入館券を得たが、入場者が多く館内入場まで1時間半に制限との表示と案内。高齢者ばかり。金を払ってからこういう案内とは、悪徳業者のやり方だが、見ていると結構人波は動くので、1時間半は誇大と見てそのまま従う。結局1時間も経たない内に入場。
全体の感想としては、いずれもこれまでどこかで見たようなものばかり、とは言い過ぎか。見たいと思えば見れるものも多くある。例えば、俵屋宗達の風神雷神図は建仁寺に行けば見れる。しかし、あれは複製か。本物は絵具も剥げかけていて迫力が失われている。建仁寺は京博からは近い。
書は、とにかく苦手。先ずは読めない。古い紙に書かれた薄い文字を一生懸命見る気にはならない。だから人だかりがあっても、殆ど素通りした。ただ、空海の“聾瞽指帰”は、以前見た筆跡より少々残念な印象。右肩上がりで好きではない。しかし文字の輪郭がしっかり書かれていて、読みやすい特徴は変わらない。ブラタモリで見た高野山秘蔵の書は、ひどい右肩上がりではなかったように思う。
但し、縄文土器の“深鉢形土器(火焔型土器)”はなかなか見たことはない。所蔵も新潟十日町市博物館なので、これからも見れないだろう。この実物は見事だ。欠けているところがなく、古代のものとは思えない抽象であり、しっかりした形象だ。
絵は好きだ。雪舟の“秋冬山水図”。これもかつてどこかで見たように思うが、しっかりした迷いない線と、印刷などで紹介される複製画よりも墨が冴えわたっている。“慧可断臂図”も見たことがあるように思うが、展示されていたものは記憶のものよりはるかに巨大。昔その時、何を見たのだろうか。思い違いか。達磨の目は何とも言えない表情。“信貴山縁起絵巻飛倉の巻”もあったが、これも紙が古く色も褪せていて見難いのが残念。しかし後ろで“(絵にある人物が)何で皆、上を見てるの?何か落ちてくるの?”といった子供ではない女性の声が聞こえて、こういうレベルの人も来ていての混雑かと、実に残念。この時は、ポスターにあった頼朝の肖像画はなかったが、所蔵は神護寺のようなので、いずれ又行けば良い。
染織は無残な布のオンパレード。見るに堪えないので、殆ど素通り。結構発汗して、汗も引かない。
結局、1時間強で見終わらせた。音声ガイドは借りなくてよかった、との思い。
そろそろ1時で、予定では京阪七条付近のカフェ喫茶店で昼食の予定だったが、目当ての店は狭そうで、当然人も入っている。そこでかつて行った喫茶店を当てにしたが、本日閉店。
少々絶望してそのまま京阪電車に。改札で金券ショップでかった切符は汗で少々湿っていて自動改札を通りきれず、機械の中でぐしゃぐしゃになってしまったようだ。駅員は親切に別の紙に書いた切符をくれた。こんな紙を鉄道会社は用意しているのだ。二階車両の下のフロアにゆったり着席。ホームのフロア上に窓があるのは初めてだが、それほど酷い印象はなく気にしなければ快適で、空いている。中之島・渡辺橋で降車。駅でさっきの紙を渡すと、“連絡を受けています。”と通してくれた。
いよいよ昼食。大阪中之島のビジネス街。とは言うものの少々下町的雰囲気もある。車中で“食べログ”で調べた蕎麦屋さん・吉々へ。親子丼定食で蕎麦を注文して休憩。蕎麦は手打ちではないが、具と汁が美味い。鶏肉は値段に押されてか良いとは言えないが、不味くはない。いずれ又機会あればここで食べたい。
店を出て西へ進めば、曲線異形のステンレス製構造物が見える。これが国立国際美術館。背後にビルがあるが、これは昔四ツ橋にあった電気科学館の進化形の市立科学館。美術館は地下にある。この辺りは、かつて阪大の敷地。松下講堂や事務局本部があった。その南に理学部。戦前はシンクロトロンがあったと聞いている。湯川秀樹氏のノーベル賞研究はここで行われた。この北側河岸辺には医学部。古い学食もあった。
美術館は、全く地下に埋設されている。従い、どんどん地下に入って行くことになる。
“バベルの塔”1枚の絵を見に来たのだが、それでは展覧会が成り立たないということか、“16世紀ネーデルランドの至宝―ボスを超えて”とある。その中心にはヒエロニムス・ボスがいる。これはこの夏に神戸で見て、ここでも報告している。
その時みたような絵が、また展示されていた。エッチングだと思われる絵が多数あった。モンスター多数。
疲労困憊して、最後にようやくお目当ての“バベルの塔”。ここに至って、また並んで40分だという。我慢して並んで、ようやく見れると思ったら、“立ち止まるな”とノタマウ。御蔭で細かい絵の詳細が見れない。一体何が描かれているのか、分からぬまま、絵とお別れ。まぁ“見た”という自己満足のみが残る。その後に、東京芸大によるCG解説を見せるブースがあり、そこでようやく納得。やっぱり実物で納得したかった。これでは無味乾燥。
会場を出て、あまりの無力感に疲労感倍増。予定では、阪神で神戸に向かう時刻だが、元気が出ない。
それでもお約束の時刻には何とか間に合う。寝起きのトラブルから始まってちょっとしたハプニングを交えながらの、疲労はしたものの結構面白い一日は終わった。
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