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丸亀城観光

何だか政界がグチャグチャ。
かと思えば、週末になって私の注目するテレビ番組はいずれも、朝鮮半島情勢が急迫しているという内容を伝えていた。つまり米国が北に軍事オプションをとるタイミングが近づいていると言うのだ。かなりの専門家が私が4月に想定したような内容を話していた。どうやら米軍は通常兵器で北を攻撃するが、場合によっては韓国、日本の犠牲者が数百万ではなく数万人で済ませられるとのシミュレーションも出てきたらしい、それならば軍事オプションの行使という発想も米側に生まれつつあるという。具体的には南北休戦ラインの北側に連なる岩盤内の砲列等を大規模爆風爆弾(Massive Ordnance Air Blast bomb)で攻撃すれば十分な破壊が可能だということのようだ。時期は年末から年初だろうという。
恐らく、海上発射トマホークや韓国側からの中短距離ミサイルで露払い後、寸暇を置かずスティルス戦闘機(日本に駐留するF35は数的には不十分)が大挙して、さらに地ならししB1,B2でMOABを要所に投下するのだろう。それに、そこまでする米軍に北の兵士が頑強な抵抗をするほどの気力があるのだろうか。現に米空軍のB1Bの近接飛行に対し、何の反応も示さなかったのは、前線兵士の士気低下も一因としてあるのかも知れない。
中国解放軍は北朝鮮軍の鎮撫とともに治安維持のために休戦ラインの北側にまで進出する。そのために米軍首脳が瀋陽軍区の演習を視察したりしている。
そうした報道の中では、週刊現代が先週報じたように、金正恩の亡命先をロシアが用意しているという内容も確認できた。
米軍の軍事行動は一両日で終わると見られる。しかし、その後が大切だ。大量の難民が発生する。その時の対応が大変だという。日本は具体的にどのように対応するか決めているのだろうか。

その米軍の軍事オプションという極秘事項を知った安倍首相は、“大義なき”解散をしたのだろうとの憶測がかなり有力な説となりつつある。しかしその結果、腐敗した政権の“大義なき”解散に対し民進党は信条なき解党に向かい、希望の党は信義なき烏合衆参となり、政界はグチャグチャ。
ここまで日本の政治家達が劣化しているとは、思わなかった。選挙では劣化した政治家たちの中から、どうやって信頼できる人物を選ぶのか。特に最近は、協議連携して候補者を絞る傾向にある中で、選択肢は狭まっている中でどうするのが良いのか。選挙前の協議連携は“談合”の一種と言えなくもないが、それで良いのだろうか。
リベラルに新鋭の政治家が登場せず、人気のある政治家は良く見ればゴリゴリの右派。独裁者のヒヨコばかりだ。ヒヨコだからまだ許せる部分があるが、これが成鳥になればどんな害悪を垂れ流すか分かったものではない。“改革”という言葉は口にするが、その具体的内容には一切触れていない。独裁者のヒヨコは“寛容”という曖昧な言葉を好むものだ。そしてその政策の根幹は安倍政権と全く変わりないのに注意すべきだ。
“希望”を持って参集する信条なき政治屋さんに言いたい。新党ブームを経験して分かっていることは、烏合の衆の新党は政治生命が短く、5年と持たないということだ。ブラック・ボックスだらけのファッショn・オバはんの手練手管の玩具となり下がるな。玩具はいずれ捨てられる。手段と目的を逆転させてはならない。民進党もおバカな代表を選んだものだ。
政党員は一つの旗に参集するべきで、政治信条の純化は必要なものだ。一つの旗に集まった政党毎の離合集散はあってしかるべきだが、この点が近代政治手法に疎い日本では曖昧になっているのではないか。

国民の間に政治的原則の合意無きまま、日本の政治は漂流し続けるのであろうか。
特に“国難”が迫っているという割には、いい加減でその場しのぎの対応の安倍政権がやっぱり継続するのだろうか。


さて先々週、高松に審査に赴いた際、名城とされる丸亀城に観光に行ったので、そのおおよそを話したい。
早目、午前中に高速バスで高松へ。昼前、以前から食べようとして得られなかった“あん餅雑煮”を食べに商店街を目指す。地元の人には家庭の味で、観光用の名物とは思っていないようで、高松では甘味茶屋“ぶどうの木”でしか食べられない。あとは屋島山上の喫茶店くらいではないか。高松の商店街は、網の目のようで町全体に広がっている。さすがに四国の玄関のイメージ。
実際に食べてみると、白味噌仕立ての雑煮だが、味噌の自己主張はなく、あん餅に譲っている印象。このためゴテゴテ感がなく、むしろあっさりしている。子供の頃、あん餅雑煮の話を聞いた伯母が、大声で嫌がっていたのを思い出す。塩辛さと餡の甘みをどうバランスするのか興味のあるところだったが、意外に全体があっさり。これだけでは昼食としてはいささかカロリー不足とは思うが、どっかで名物のうどんを食べるつもり。

高松から丸亀までJRで20分強。高架の駅からすでに天守閣が見えそうで見えない。駅の中は人が居るが、海と反対南側の外に出ると意外に人影を見ない。右手に、少し奇抜なデザインの建物がある。猪熊弦一郎現代美術館だが、このときは何故だかたまたま休館。
闇雲にまっすぐ直進。地図で少々確認しつつ、大きな東西の道路で左手東へ少し進む。すると公園に出た。その木立の向こうに城が見える。
その公園に何か遺跡のようなものがあり、不思議な感覚に襲われる。しかし、城はその向こうにそびえたっている。聞きしに勝る石垣の城だ。確かに整然とした石積み。堀には白鳥がのんびり泳いでいる。

橋を渡り、二ノ門から枡形に入ると直ぐ右手が一ノ門。二ノ門より立派だ。一旦城内に入ると特に施設はない。かつて在ったが残存していないだけだろうか。左手に坂道がある。場の牛のように坂道を登る。坂は次第に急になって、石垣の間を登って行く。両側の石垣から攻撃されるようになっている。石垣は高すぎるので、少数の兵が途中の脇道に退避して、銃撃したり、斬り込んで挟撃をしかけられるようになっている。登る途中で振り返ると意外な眺望。海岸というか港が見渡せる。そういう意味で名城か。登りきるとそこが三の丸。石垣以外遺構は何もない。丸亀の町東側が一望できる。
さらに二の丸のは石垣の合間を抜けなければならない。恐らくここには門構えがあったはずだが遺構はなにもない。意外に広い二の丸。ここに城主や家臣の家族・親族が戦時に避難する屋敷などが建て込んでいたのであろう。トイレがあったので一旦休憩。
そこから天守閣は直ぐだ。ゆるい坂道を登って、そう高くない石垣の間を抜けると本丸の広場だ。ここからは、町の西側と海岸が一望できる。天守閣は3層だが実際は、高さ15mと低い小さな櫓程度。これが城下から見上げると、大きく見えるようになっている。石垣のヘリに建っているが、石垣側がほぼ垂直の壁、反対側はゆるい傾斜の建物。この建て方も、少しでも城下から大きく見せるための工夫らしい。
山全体を整然と石垣で完全に覆い尽くした築城法である。確かにこうした築城では工数も相当にかかったのだろう。あまりに築城に時間がかかったので、人柱を立てたと言う乱暴な話がネットに出ていたが、この城のどこに立てたのか、現地では説明の表示はなかった。江戸期以降の城なので、実話ではない可能性もあるかも知れない。明治期以前の火力であれば、十分に陣地として使用に耐えるものであるように感じた。

下山は容易だ。一気に正面の門にまで降りる。西側にある市立資料館へ。途中に立派な門構え。どうやら平時の城主の屋敷がこちらにあったようだ。戦国の浅井氏の山城も、領主とその家族は平時は麓の屋敷に住んでいたという。徳島も和歌山も山城だが、城主はいずれも平地に屋敷を構え、そこに住んでいた。江戸期はズーッと平時だったので、常時平地の屋敷に住みっぱなし、となったようだ。

資料館では、常設展示だけ。無料。丸亀藩の陣立て演習の図。その他、江戸期の地元の画人の花鳥風月図があった。資料館から出て、ここから見上げる石垣も壮観だ。

さて、高松に戻る列車のタイミングを計ると、難しい。ネットで紹介されたうどんやさん、商店街の入り口にある“つづみ”、ここのぶっかけが美味い、とあった。好きな明太子のぶっかけを食べた。出汁の入った徳利に少々たじろぐ。
しかし、うどんはやはり断面が四角でコシは強い。正に目指すうどんだ。満足に浸って、駅に向かう。ドンキがあったので、入ったがやっぱり安いが品数というか種類も少ないのが残念。売り場面積のせいであろう。
途中通過したのは、アーケードの商店街。残念ながらシャッター通り。人気が全くない。途中地銀の建物に工事が入っていたが、リニューアルのためか。何にリニューアルするのか気懸りだ。完成して賑わいを取り戻せるのであろうか。
驚いたことにアーケードの中を車が疾走している。良く見ると、広くない道幅だが、人道と車道の区分があって納得。
こうして夕刻には高松に戻って、高層ホテルに投宿。

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