The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
健診帰途の大阪上本町~難波ミニ観光
新型コロナウイルス感染リスクについて思うに、感染者数は減少してきてはいるが、各地の実効再生産数は下がりきっていない。6/11現在東京で0.89(前日比+0.02)、神奈川0.99(+0.01)、埼玉0.85(-0.01)、大阪0.82(+0.01)、兵庫0.75(-0.02)、京都0.84(-0.02)。いずれも1を割ってはいるが、その傾向は単純に減少しているのではなく、微増のところも多い。全体として下げ止まり感が強く、ここを底に増加拡大が強く懸念される。各地の実効再生産数は昨年秋以来0.7を下回ったことはほとんどなく、このあたりで下げ止まる、つまり今後増加の懸念は十分ある。インド株の感染拡大はその大きな要因であろう。又、高齢者のワクチン接種は進むであろうが、あるところで停滞する懸念もあり、その点で高齢重症者が増加する要因にはなる。
政権はオリパラ開催強行に踏み切ったと、感じたのは先月末だった。その時はまだ、首相の強調する“安心・安全”の開催のため“水も漏らさぬ”態勢が構築されるものと思っていた。“安心・安全”の開催のため“水も漏らさぬ”態勢の根拠が、強固なバブル方式への期待だった。
ところが最近聞いたところでは、実際はすでに穴の開いたバブルだったのだ。“4~5月に入国した東京五輪・パラリンピック関係者の約85%にあたる約1700人が、新型コロナウイルスの水際対策として導入されている隔離措置を免除される「特例入国」で入国”したが、隔離されなかったうちの1人が入国4日後の検査で陽性”だったというのだ。
これが、政権政府のいう“安心・安全”のオリパラ開催の実態なのだ。穴の開いたバブルは直ちに破裂するもので、何の意味もない。バブル崩壊どころか、“言葉だけ”で元々何もないも同然なのだ。政権政府の考えることは、私の理解を超えている。前回も指摘したが、“政策形成過程での論理力不足”を痛感するのだ。つまり、本当に“安心・安全”のオリパラを開催しなければ、今秋に必ず実施しなければならない総選挙には、与党政権は絶望的敗北を喫することは必至だからだ。
それ以外にも、もう一つポイントがある。それはワクチン接種が入国の必須前提とのことだったが、ここでの議論はそれが抜けている。だが、ワクチン接種の実績をどうやって確認するのか、方法論の明示がない。ワクチン接種の客観証明をどう確認するのか。ワクチン・パスポートの国際枠組みも出来上がっていない状態でどうするのか。ロシアや中国のワクチンでも可とするのか。米国では証明書が多量に盗まれたとの報道も聞く。まさか自己申告で確認と言うのならば、ここでも抜け穴となる。これでは“バブル”はオリパラ開催アリキのための“言葉だけ”というのは確かなことだ。
先月24日に発表された、東大グループの感染シミュレーションによれば、次の通りだったという。“現在出ている緊急事態宣言が6月中旬まで延長され、国内のワクチンの接種は1日に60万本のペースで進むと仮定し、大会期間中、海外から選手や関係者など10万5000人が入国し、このうち半数がワクチンの接種を終えていると想定した。”
その結果は、オリパラ開催起因の感染増加は“1日平均15人”、人出増加で10月頃にタイミング良くピークとなり“1日当たり千人~千6百人”となるとの結論だった。つまり9月の総選挙は、感染拡大の中での実施となる。これで国民一般は東京オリパラは成功だったと感じるだろうか。これで政権与党が総選挙に勝てると思っているのだろうか。“論理に弱い”としか思えない政策。ということは、つまりアホ!アホアホはどうやら前政権から継続していると考えるのが妥当のようだ。
ウィルスに“忖度を期待する”のはアホの極み。ウソも通じない。そこまで政権首脳の脳味噌は腐っているのか。
そのアホアホ政権の真ん中で、オリパラ開催は当然と叫ぶ御仁が居るという。何とそれは、小泉政権で総務相を務めた御仁。人の論文に名前を載せてもらって、学位を取り、脱税に近い節税をやって、国務大臣になったという黒い噂が満載の怪人。どうやら最近は“学者先生の仮面”をかなぐり捨てていよいよ本性を現し、やくざな“口入屋”、“手配師”の頭目となって、あこぎに稼ごうとの魂胆。
小泉政権下で“働き方の多様性を図る”とのことで、“固定化している雇用形態を流動化して、どんどん自由な「フリーター」となって、働きたいときに働き、楽しく生活しましょう”と甘い言葉を言っていたのを思い出す。そしてヌケヌケと労働者派遣法を改悪して、派遣可能な業種を無制限に拡大した。
その結果、人余りの時代に安易に正規社員や常雇工が、ドンドン派遣社員や派遣工・臨時工に切り替わり、これから就職しようとする新人の若者は正規社員になる機会も激減し、派遣会社にでも所属せざるを得なくなった。これで多くの企業は人件費を抑制し、経営に工夫のない会社が生き残り、大部分はゾンビ企業となった。こういう会社は大抵他社のことばかり気にかけ、自社の事業を熟慮して根本から見直そうとはしない。モノマネでは独自性が無く、独自製品も持てず、存在価値がなくなるのだ。審査に行っても“「設計」は有りません”と得意気に言いながら、キュウキュウとしている会社が結構多い、というより殆どだ。結局のところ、中国企業の下請けしか仕事が無いアホ。逆に、独自製品のある会社は僅少だが、納期を気にせず悠々とマイペースで十分に儲けている。
実はこれが、日本を賃金の上がらないデフレ社会にし、沈滞社会にした本当の原因なのだ。未だに、大企業のような顔をしているが、内実はゾンビの会社が結構生き残っている。コロナ禍のせいのようにして、未だに早期退職を大規模に募る会社があるが、それが内実ゾンビなのだ。例えば事業をB to CからB to Bに移行するというのは、体のいい“下請け化”なのだ。モノマネ稼業がDNAなので独自製品が持てず、下請けとなるのだ。そんな会社でもSDGsは真面目にやっていると自称し、そうPRしている。こんな会社に就職してはならないし、株は買ってはならないし、融資するのもオバカの極み。やっていることはウソばかりと思って間違いない!
そんな社会を作った張本人・超極悪人が、その総仕上げに、東京オリパラ開催を奇貨として“手配師”稼業で荒稼ぎを目論んでいる。こんな御仁が御立派な顔をして、お天道様の下で堂々と生きていける社会がまともであるはずがない。
これでも現政権政府が“利権まみれとは言い難い”と言えるのだろうか。“利権がある”、“そのキックバックがある”からオリパラ強行開催なのではないか。利権政権にとっては一般国民の命と健康は二の次なのだ。
さて、先週は年2回通院している大阪の大病院での健診・MRI(Magnetic Resonance Imaging)検査に赴いた。昼過ぎの検査で朝食後絶飲食だったが、思っていたように無事、特に異常は見つからず終わった。だが注意書きに“飲食不可”と軽く書かれていて、6月ならば大したことあるまいと思っていたら、当日は真夏のような暑さ。一口も水が飲めないのが大いに辛かった。ところが検査前の確認で“水はガブ飲みしていませんネ?”と聞かれて、少しくらいなら大丈夫だったのか、とガックリ。MRIは狭所恐怖症にはパニックになるようだが、やっぱり実際に入れられると、少々嫌な気分になる。中には、眠り込んでしまう人もいるようだ。
検査後、直ぐに院内食堂に飛び込んだ。思わず貰ったコップの水をガブ飲みした。それでも肉類は避けて、天ざる定食とした。
検査費用は請求書を見て高価でびっくり。念には念を入れての検査ではあろうが、実はこの病院での設備稼働率向上に寄与させられているのだろうと、感じた。まぁそんなところだ。
いつもは、そのまま最寄りの駅から電車で帰るのだが、今回は大阪上本町から歩いて西進し、大阪市内中部のミニ観光とした。ちょうど近鉄難波線に沿って、その約200m南側を西にナンバまで歩いた。
先ずは、上本町YUFURAのショッピングモールに入り、無印良品、ユニクロ、オリヒカを覗いて、冬物売れ残りと夏物物色。以前は、ここのユニクロでは私には結構買いやすい良いものが有ったのだが、最近は店の個性が無くなってきた印象が強くなっている。つまり、面白くなくなってきていて残念。
外に出ると夏の日差しにうんざり。また、これからこの暑さに耐えて行かねばならない。飲食店の多いハイハイタウンを右に見て、上町筋を少し50mほど南へ下がって、西へ横断。さらに300 m西進すると谷町筋。
このあたりが、スポーツ・マンの贔屓筋、タニマチの言葉の発祥の地。昔は人気力士の贔屓から来ている。この界隈は寺院が多く、大相撲が来ると、これら寺院に力士達は寄宿する。
ここの歩道橋を渡って西に向かうと、やがて木々の緑が見えてくる。それが“いくたま・はん”の杜だ。どうやら正式には生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)と言うようだ。実をいうと、私は大阪生まれ大阪育ちだが、ここへ来るのは初めてなのだ。何故か子供時代でも親には連れられて来なかった。だから、この機に来た訳だ。
実際に来て見た正直な印象では、残念ながら境内周辺はあまり整備されていないと感じる。境内に入ろうとして鳥居の下に立った時に、心の底に浮かんだ大阪弁が“ズンベラボン!”鬱蒼とした木立がある訳でもない。何が原因なのか分からないが、威厳はあるがいわゆる荘重さに欠けるのだ。戦前は格式・最高位の官幣大社に位置づけられ、“日本書紀”にも記載のある由緒正しい、大阪の代表的な古社の一つとは思えない残念な風景。親達はそういうことを感じ取って、私を連れて来なかったのだろうか。
とは言え、来たからにはとにかく参拝し、祈願する。末社に“天満宮”があるのが驚き。いわば天神さんを従えている訳だ。さすがに格式はこっちが上だというのだろう・・・。
“いくたま・はん”の南隣に生玉公園がある。ここも残念ながら、雑草ボウボウで、写真を撮る気にもならない。折角なのに、これでは心も荒れる。市民広場だが、大阪市役所も市民も整備しようという意識はないような気がする。残念の極み。
金網で囲われた一角があり、さすがに草ボウボウとはなっていないので、テニス・コートかと思いきや白線テープが無く、よく見ると2方向にベンチのようなコンクリートの囲いがある。どうやら子供用の野球グラウンドのようだ。ソフト・ボールがかろうじてで、大人の硬式ではとても使えそうにない。これでは使用率は低かろう。狭いから仕方ないのか。
その小さなグラウンドの脇を抜けると、展望台が現れた。西に向かう展望台なので、このあたりが大阪では珍しく“夕陽丘”とロマンチックに呼ばれる由縁だろうか。ようやく木立の中、ホッとする空間。だが、残念ながら見渡す限り、ナンバに至る高層ビル、マンションばかりが見えて、風情がない。上町台地の西側の縁なので、大昔は海岸と夕日が見えたのだろうか。
そこにかつて、“浪速富士山”あったという掲示板“大阪市顕彰史跡 第205号”を見つけた。
“かって生国魂神社周辺には桜を植えた境内を開放した寺院や田楽店・だんご店などがあり、一帯は庶民の行楽地であった、そこに目を付けた大蔵信之(当時、西高津村の戸長を勤めていた)によって、明治22年(1889)年「浪速富士」と呼ばれる展望台が神社の南横手に造られた。富士山を模して円錐形に木材を組み、それに仮に板を貼って漆喰で固めて仕上げ、雪を頂く富士の姿を描いていた。また麓から高さ18m ある頂上にむかって螺旋状に階段が造られ、登頂気分が味わえるようになっていた。
さらに、場内には花壇や人工の滝、加えてあたかも生きた人間のように作られた「生人形」の展示があって庶民の人気を博し、開業当時は2万余人に上ったという、しかし、維持費が予想以上にかかったことなどの理由で1年足らずで閉鎖された”由。
もう一つ、“生玉公園地下壕”の掲示があり、残骸・遺構を求めて下り坂の石段を下りる。その石段を鳩が一羽、案内するようのワザワザ前をドンドン下って行くのが妙に面白い。下りきると、雑草の中へ餌を求めてか、姿を消した。
下りきり傾斜を見上げると、結構急だ。古い上町台地なので、地下防空壕を掘るには最適と思われる。その詳細が記されたプレートがあった。曰く。
“先の戦争において我が国はアジア・太平洋地域の人々に対し大きな災禍と苦痛をもたらしたことをわすれてはなりません。また、大阪においても8次にわたる大空襲を含む50回を超える空襲を受け、まちは一面の廃墟となりました。
ここ、生玉公園は1940(昭和15)年5月着工、42(昭和17)年5月に開園、地下壕は当時軍部が戦局を拡大させる中で空襲に備えるための「都市防空壕」として大阪市によって建設されました。
地下壕については、その建設経過や使用状況などの詳細は明らかになっていませんが、戦争末期には陸軍が使用していました。戦後、米国戦略爆撃調査団により刊行された報告書では、当時、一般では入手できなかった資材を使用して建設された「特別防空壕」の例として報告されています。
また、この地下壕建設にあたっては、当時の植民地支配の下で「強制連行などにより集められた朝鮮人が苛酷な労働に従事させられた」との体験者の証言があります。
戦後の50年にあたり、戦争の悲惨さを語り継ぎ、国籍・民族・文化等の違いを超えた相互理解と友好を深め、世界平和を心から願う気持ちを込め、ここに銘板を設置します。
1996年(平成8年)3月大阪府/大阪市”
これに壕の構造の説明があり、“地下壕の内部の構造はアーチ状で無筋コンクリート造り・2階建て(ただし、2階部分は現存せず)で、本体は幅約9m、高さ約6.5 m、長さ約24 m、1階部分の床面積203㎡”とのこと。
規模は大して大きくもないが、旧陸軍の第4師団司令部は大阪城内にあり要塞の中なので攻撃目標になり易いが、ここなら目立たず、空襲を受けても被害を少なくできると考え、壕を設置したのであろう。大阪城からは車で10~20分程度で行き来や退避が容易だ。
“浪速富士山”にしても、この“地下防空壕”にしても、何らかの遺構を残すなり、模型をみせるなり、それなりの見せる工夫があっても良いのではないかと思うがどうだろう。
せめてそこまでしなくても、公園の整備は他都市のようにきちんとやって欲しい。公園は作りっぱなしで、維持手入れをしていない印象が強い。大阪市や府下の衛星都市にはそういうところは多い。掲示板も、もう少し表示様式の統一化を図って欲しいものだ。これからは、街の景観をもっと重視して欲しい。役所・市民一体となって、早く“痰壺”から脱して欲しいと切に願うものだ。そういう“そしり”を受けて怒るのは勝手だが、そういう“そしり”には事実としての側面はあるのだから・・・。
“いくたま・はん”と言い、生玉公園といい、少々荒れた印象が残る。上町台地の大阪のHeart Landがこのままで良いのだろうか。これは大阪市民の心が荒廃していることの象徴であろうか。思えば“大阪市解体”などは他都市ではみられないムーブメントだったが、それは荒廃した深層心理、つまり自暴自棄の表徴であったのだろうか。あの“維新の会”のファウンダーは、そうした衰弱した大阪人の心を弄んで、自己利益に誘導したトリックスターだったのではないのか。
市道・天神橋天王寺線と言うようだが、4車線南側一方通行の道路を渡り、さらに西側へ移動。
阪神高速1号環状線をくぐると、異様な木造3階建ての建物。地図では“アパート”となっているが、何となく昔の遊郭のにおいがする。それを左にかわして、さらに西進すると、ようやく黒門市場のアーケードと文字が見えてくる。
黒門市場は概ね南北に400m弱、東西150mに広がり道路は“キの字”に配列。つまり2箇所の交差点を抱えている。ここも実は中に入るのは初めて。今まで外から見て、南北の1本道と思い込んでいた。今回は“キの字”の南側の短い東西の道路を東から進入した。外国人観光客が少なくなったとのことで、外人との人混みは好まないので、今回特に行ってみたくなったのだ。だが木曜日だったせいもあるのか、シャッター街とは言わないが、その傾向が見れて辛い。そういえば、京都の錦市場も同じような惨状だ。
ここは毎年年末の風物詩として、テレビが良く取り上げる市場で、まぁ、本来は生鮮食品がメインだろうが、今回は御菓子で・・・。それも古くからの市場なので、洋菓子店はあったとしても敬遠し、むしろ和菓子店だろうと、“三都屋”に入る。10種類程度はあろうかと思われる中から、6種類の饅頭を選んだ。それらは、1個ずつ丁寧にプラスチック・ケースに入っている。それとわらび餅を土産とした。さすがに店のオバチャンの客あしらいも、あっさりしてはいるが良い。話し込めたら面白いに違いない。
家で食べると、やはり全てきちんと丁寧に作られている。これがモノづくりの基本だ。特に餡子が良い。わらび餅も黄な粉がきちんと過不足なくまぶされている。美味かった。
できれば又、年末にも来て、海鮮物の掘り出し物を見つけてみたい。
ここからは、最終目的地BOOK OFFなんば戎橋店までは適当に歩いても10分程度で、たどり着ける。
目指すは、城山三郎の“雄気堂々・上下”文庫本だったが、大河ドラマの真っ最中のためか、さすがに無かった。
“なんなんタウン”で、翌日昼食用のパンを買って大阪難波から阪神電車で帰神した。
政権はオリパラ開催強行に踏み切ったと、感じたのは先月末だった。その時はまだ、首相の強調する“安心・安全”の開催のため“水も漏らさぬ”態勢が構築されるものと思っていた。“安心・安全”の開催のため“水も漏らさぬ”態勢の根拠が、強固なバブル方式への期待だった。
ところが最近聞いたところでは、実際はすでに穴の開いたバブルだったのだ。“4~5月に入国した東京五輪・パラリンピック関係者の約85%にあたる約1700人が、新型コロナウイルスの水際対策として導入されている隔離措置を免除される「特例入国」で入国”したが、隔離されなかったうちの1人が入国4日後の検査で陽性”だったというのだ。
これが、政権政府のいう“安心・安全”のオリパラ開催の実態なのだ。穴の開いたバブルは直ちに破裂するもので、何の意味もない。バブル崩壊どころか、“言葉だけ”で元々何もないも同然なのだ。政権政府の考えることは、私の理解を超えている。前回も指摘したが、“政策形成過程での論理力不足”を痛感するのだ。つまり、本当に“安心・安全”のオリパラを開催しなければ、今秋に必ず実施しなければならない総選挙には、与党政権は絶望的敗北を喫することは必至だからだ。
それ以外にも、もう一つポイントがある。それはワクチン接種が入国の必須前提とのことだったが、ここでの議論はそれが抜けている。だが、ワクチン接種の実績をどうやって確認するのか、方法論の明示がない。ワクチン接種の客観証明をどう確認するのか。ワクチン・パスポートの国際枠組みも出来上がっていない状態でどうするのか。ロシアや中国のワクチンでも可とするのか。米国では証明書が多量に盗まれたとの報道も聞く。まさか自己申告で確認と言うのならば、ここでも抜け穴となる。これでは“バブル”はオリパラ開催アリキのための“言葉だけ”というのは確かなことだ。
先月24日に発表された、東大グループの感染シミュレーションによれば、次の通りだったという。“現在出ている緊急事態宣言が6月中旬まで延長され、国内のワクチンの接種は1日に60万本のペースで進むと仮定し、大会期間中、海外から選手や関係者など10万5000人が入国し、このうち半数がワクチンの接種を終えていると想定した。”
その結果は、オリパラ開催起因の感染増加は“1日平均15人”、人出増加で10月頃にタイミング良くピークとなり“1日当たり千人~千6百人”となるとの結論だった。つまり9月の総選挙は、感染拡大の中での実施となる。これで国民一般は東京オリパラは成功だったと感じるだろうか。これで政権与党が総選挙に勝てると思っているのだろうか。“論理に弱い”としか思えない政策。ということは、つまりアホ!アホアホはどうやら前政権から継続していると考えるのが妥当のようだ。
ウィルスに“忖度を期待する”のはアホの極み。ウソも通じない。そこまで政権首脳の脳味噌は腐っているのか。
そのアホアホ政権の真ん中で、オリパラ開催は当然と叫ぶ御仁が居るという。何とそれは、小泉政権で総務相を務めた御仁。人の論文に名前を載せてもらって、学位を取り、脱税に近い節税をやって、国務大臣になったという黒い噂が満載の怪人。どうやら最近は“学者先生の仮面”をかなぐり捨てていよいよ本性を現し、やくざな“口入屋”、“手配師”の頭目となって、あこぎに稼ごうとの魂胆。
小泉政権下で“働き方の多様性を図る”とのことで、“固定化している雇用形態を流動化して、どんどん自由な「フリーター」となって、働きたいときに働き、楽しく生活しましょう”と甘い言葉を言っていたのを思い出す。そしてヌケヌケと労働者派遣法を改悪して、派遣可能な業種を無制限に拡大した。
その結果、人余りの時代に安易に正規社員や常雇工が、ドンドン派遣社員や派遣工・臨時工に切り替わり、これから就職しようとする新人の若者は正規社員になる機会も激減し、派遣会社にでも所属せざるを得なくなった。これで多くの企業は人件費を抑制し、経営に工夫のない会社が生き残り、大部分はゾンビ企業となった。こういう会社は大抵他社のことばかり気にかけ、自社の事業を熟慮して根本から見直そうとはしない。モノマネでは独自性が無く、独自製品も持てず、存在価値がなくなるのだ。審査に行っても“「設計」は有りません”と得意気に言いながら、キュウキュウとしている会社が結構多い、というより殆どだ。結局のところ、中国企業の下請けしか仕事が無いアホ。逆に、独自製品のある会社は僅少だが、納期を気にせず悠々とマイペースで十分に儲けている。
実はこれが、日本を賃金の上がらないデフレ社会にし、沈滞社会にした本当の原因なのだ。未だに、大企業のような顔をしているが、内実はゾンビの会社が結構生き残っている。コロナ禍のせいのようにして、未だに早期退職を大規模に募る会社があるが、それが内実ゾンビなのだ。例えば事業をB to CからB to Bに移行するというのは、体のいい“下請け化”なのだ。モノマネ稼業がDNAなので独自製品が持てず、下請けとなるのだ。そんな会社でもSDGsは真面目にやっていると自称し、そうPRしている。こんな会社に就職してはならないし、株は買ってはならないし、融資するのもオバカの極み。やっていることはウソばかりと思って間違いない!
そんな社会を作った張本人・超極悪人が、その総仕上げに、東京オリパラ開催を奇貨として“手配師”稼業で荒稼ぎを目論んでいる。こんな御仁が御立派な顔をして、お天道様の下で堂々と生きていける社会がまともであるはずがない。
これでも現政権政府が“利権まみれとは言い難い”と言えるのだろうか。“利権がある”、“そのキックバックがある”からオリパラ強行開催なのではないか。利権政権にとっては一般国民の命と健康は二の次なのだ。
さて、先週は年2回通院している大阪の大病院での健診・MRI(Magnetic Resonance Imaging)検査に赴いた。昼過ぎの検査で朝食後絶飲食だったが、思っていたように無事、特に異常は見つからず終わった。だが注意書きに“飲食不可”と軽く書かれていて、6月ならば大したことあるまいと思っていたら、当日は真夏のような暑さ。一口も水が飲めないのが大いに辛かった。ところが検査前の確認で“水はガブ飲みしていませんネ?”と聞かれて、少しくらいなら大丈夫だったのか、とガックリ。MRIは狭所恐怖症にはパニックになるようだが、やっぱり実際に入れられると、少々嫌な気分になる。中には、眠り込んでしまう人もいるようだ。
検査後、直ぐに院内食堂に飛び込んだ。思わず貰ったコップの水をガブ飲みした。それでも肉類は避けて、天ざる定食とした。
検査費用は請求書を見て高価でびっくり。念には念を入れての検査ではあろうが、実はこの病院での設備稼働率向上に寄与させられているのだろうと、感じた。まぁそんなところだ。
いつもは、そのまま最寄りの駅から電車で帰るのだが、今回は大阪上本町から歩いて西進し、大阪市内中部のミニ観光とした。ちょうど近鉄難波線に沿って、その約200m南側を西にナンバまで歩いた。
先ずは、上本町YUFURAのショッピングモールに入り、無印良品、ユニクロ、オリヒカを覗いて、冬物売れ残りと夏物物色。以前は、ここのユニクロでは私には結構買いやすい良いものが有ったのだが、最近は店の個性が無くなってきた印象が強くなっている。つまり、面白くなくなってきていて残念。
外に出ると夏の日差しにうんざり。また、これからこの暑さに耐えて行かねばならない。飲食店の多いハイハイタウンを右に見て、上町筋を少し50mほど南へ下がって、西へ横断。さらに300 m西進すると谷町筋。
このあたりが、スポーツ・マンの贔屓筋、タニマチの言葉の発祥の地。昔は人気力士の贔屓から来ている。この界隈は寺院が多く、大相撲が来ると、これら寺院に力士達は寄宿する。
ここの歩道橋を渡って西に向かうと、やがて木々の緑が見えてくる。それが“いくたま・はん”の杜だ。どうやら正式には生國魂神社(いくくにたまじんじゃ)と言うようだ。実をいうと、私は大阪生まれ大阪育ちだが、ここへ来るのは初めてなのだ。何故か子供時代でも親には連れられて来なかった。だから、この機に来た訳だ。
実際に来て見た正直な印象では、残念ながら境内周辺はあまり整備されていないと感じる。境内に入ろうとして鳥居の下に立った時に、心の底に浮かんだ大阪弁が“ズンベラボン!”鬱蒼とした木立がある訳でもない。何が原因なのか分からないが、威厳はあるがいわゆる荘重さに欠けるのだ。戦前は格式・最高位の官幣大社に位置づけられ、“日本書紀”にも記載のある由緒正しい、大阪の代表的な古社の一つとは思えない残念な風景。親達はそういうことを感じ取って、私を連れて来なかったのだろうか。
とは言え、来たからにはとにかく参拝し、祈願する。末社に“天満宮”があるのが驚き。いわば天神さんを従えている訳だ。さすがに格式はこっちが上だというのだろう・・・。
“いくたま・はん”の南隣に生玉公園がある。ここも残念ながら、雑草ボウボウで、写真を撮る気にもならない。折角なのに、これでは心も荒れる。市民広場だが、大阪市役所も市民も整備しようという意識はないような気がする。残念の極み。
金網で囲われた一角があり、さすがに草ボウボウとはなっていないので、テニス・コートかと思いきや白線テープが無く、よく見ると2方向にベンチのようなコンクリートの囲いがある。どうやら子供用の野球グラウンドのようだ。ソフト・ボールがかろうじてで、大人の硬式ではとても使えそうにない。これでは使用率は低かろう。狭いから仕方ないのか。
その小さなグラウンドの脇を抜けると、展望台が現れた。西に向かう展望台なので、このあたりが大阪では珍しく“夕陽丘”とロマンチックに呼ばれる由縁だろうか。ようやく木立の中、ホッとする空間。だが、残念ながら見渡す限り、ナンバに至る高層ビル、マンションばかりが見えて、風情がない。上町台地の西側の縁なので、大昔は海岸と夕日が見えたのだろうか。
そこにかつて、“浪速富士山”あったという掲示板“大阪市顕彰史跡 第205号”を見つけた。
“かって生国魂神社周辺には桜を植えた境内を開放した寺院や田楽店・だんご店などがあり、一帯は庶民の行楽地であった、そこに目を付けた大蔵信之(当時、西高津村の戸長を勤めていた)によって、明治22年(1889)年「浪速富士」と呼ばれる展望台が神社の南横手に造られた。富士山を模して円錐形に木材を組み、それに仮に板を貼って漆喰で固めて仕上げ、雪を頂く富士の姿を描いていた。また麓から高さ18m ある頂上にむかって螺旋状に階段が造られ、登頂気分が味わえるようになっていた。
さらに、場内には花壇や人工の滝、加えてあたかも生きた人間のように作られた「生人形」の展示があって庶民の人気を博し、開業当時は2万余人に上ったという、しかし、維持費が予想以上にかかったことなどの理由で1年足らずで閉鎖された”由。
もう一つ、“生玉公園地下壕”の掲示があり、残骸・遺構を求めて下り坂の石段を下りる。その石段を鳩が一羽、案内するようのワザワザ前をドンドン下って行くのが妙に面白い。下りきると、雑草の中へ餌を求めてか、姿を消した。
下りきり傾斜を見上げると、結構急だ。古い上町台地なので、地下防空壕を掘るには最適と思われる。その詳細が記されたプレートがあった。曰く。
“先の戦争において我が国はアジア・太平洋地域の人々に対し大きな災禍と苦痛をもたらしたことをわすれてはなりません。また、大阪においても8次にわたる大空襲を含む50回を超える空襲を受け、まちは一面の廃墟となりました。
ここ、生玉公園は1940(昭和15)年5月着工、42(昭和17)年5月に開園、地下壕は当時軍部が戦局を拡大させる中で空襲に備えるための「都市防空壕」として大阪市によって建設されました。
地下壕については、その建設経過や使用状況などの詳細は明らかになっていませんが、戦争末期には陸軍が使用していました。戦後、米国戦略爆撃調査団により刊行された報告書では、当時、一般では入手できなかった資材を使用して建設された「特別防空壕」の例として報告されています。
また、この地下壕建設にあたっては、当時の植民地支配の下で「強制連行などにより集められた朝鮮人が苛酷な労働に従事させられた」との体験者の証言があります。
戦後の50年にあたり、戦争の悲惨さを語り継ぎ、国籍・民族・文化等の違いを超えた相互理解と友好を深め、世界平和を心から願う気持ちを込め、ここに銘板を設置します。
1996年(平成8年)3月大阪府/大阪市”
これに壕の構造の説明があり、“地下壕の内部の構造はアーチ状で無筋コンクリート造り・2階建て(ただし、2階部分は現存せず)で、本体は幅約9m、高さ約6.5 m、長さ約24 m、1階部分の床面積203㎡”とのこと。
規模は大して大きくもないが、旧陸軍の第4師団司令部は大阪城内にあり要塞の中なので攻撃目標になり易いが、ここなら目立たず、空襲を受けても被害を少なくできると考え、壕を設置したのであろう。大阪城からは車で10~20分程度で行き来や退避が容易だ。
“浪速富士山”にしても、この“地下防空壕”にしても、何らかの遺構を残すなり、模型をみせるなり、それなりの見せる工夫があっても良いのではないかと思うがどうだろう。
せめてそこまでしなくても、公園の整備は他都市のようにきちんとやって欲しい。公園は作りっぱなしで、維持手入れをしていない印象が強い。大阪市や府下の衛星都市にはそういうところは多い。掲示板も、もう少し表示様式の統一化を図って欲しいものだ。これからは、街の景観をもっと重視して欲しい。役所・市民一体となって、早く“痰壺”から脱して欲しいと切に願うものだ。そういう“そしり”を受けて怒るのは勝手だが、そういう“そしり”には事実としての側面はあるのだから・・・。
“いくたま・はん”と言い、生玉公園といい、少々荒れた印象が残る。上町台地の大阪のHeart Landがこのままで良いのだろうか。これは大阪市民の心が荒廃していることの象徴であろうか。思えば“大阪市解体”などは他都市ではみられないムーブメントだったが、それは荒廃した深層心理、つまり自暴自棄の表徴であったのだろうか。あの“維新の会”のファウンダーは、そうした衰弱した大阪人の心を弄んで、自己利益に誘導したトリックスターだったのではないのか。
市道・天神橋天王寺線と言うようだが、4車線南側一方通行の道路を渡り、さらに西側へ移動。
阪神高速1号環状線をくぐると、異様な木造3階建ての建物。地図では“アパート”となっているが、何となく昔の遊郭のにおいがする。それを左にかわして、さらに西進すると、ようやく黒門市場のアーケードと文字が見えてくる。
黒門市場は概ね南北に400m弱、東西150mに広がり道路は“キの字”に配列。つまり2箇所の交差点を抱えている。ここも実は中に入るのは初めて。今まで外から見て、南北の1本道と思い込んでいた。今回は“キの字”の南側の短い東西の道路を東から進入した。外国人観光客が少なくなったとのことで、外人との人混みは好まないので、今回特に行ってみたくなったのだ。だが木曜日だったせいもあるのか、シャッター街とは言わないが、その傾向が見れて辛い。そういえば、京都の錦市場も同じような惨状だ。
ここは毎年年末の風物詩として、テレビが良く取り上げる市場で、まぁ、本来は生鮮食品がメインだろうが、今回は御菓子で・・・。それも古くからの市場なので、洋菓子店はあったとしても敬遠し、むしろ和菓子店だろうと、“三都屋”に入る。10種類程度はあろうかと思われる中から、6種類の饅頭を選んだ。それらは、1個ずつ丁寧にプラスチック・ケースに入っている。それとわらび餅を土産とした。さすがに店のオバチャンの客あしらいも、あっさりしてはいるが良い。話し込めたら面白いに違いない。
家で食べると、やはり全てきちんと丁寧に作られている。これがモノづくりの基本だ。特に餡子が良い。わらび餅も黄な粉がきちんと過不足なくまぶされている。美味かった。
できれば又、年末にも来て、海鮮物の掘り出し物を見つけてみたい。
ここからは、最終目的地BOOK OFFなんば戎橋店までは適当に歩いても10分程度で、たどり着ける。
目指すは、城山三郎の“雄気堂々・上下”文庫本だったが、大河ドラマの真っ最中のためか、さすがに無かった。
“なんなんタウン”で、翌日昼食用のパンを買って大阪難波から阪神電車で帰神した。
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« 先月5月に自粛... | この度初めて... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |