The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
古田織部美術館、植物園、下鴨神社みたらし祭を観光
先週ここで、こう書いた。
“既成の報道は、そろそろ元首相銃撃殺害について遠い過去の出来事のように意識的にフェード・アウトしようとしているかのように見える。”
例えば、先週末の深夜討論番組で、“戦後77年若者たちの「戦争と平和」”をテーマにしていた。
憲法改正、自衛隊の憲法明記、吉田が、鳩山が、だとかを議論していた。司会者は常日頃、“これはタブーのない番組だ”と言ってきた。しかし、今まさに深刻な問題を回避して、このようなテーマを議論していた。単なる尺取り虫。要は、“元首相が外国勢力にコントロールされるポジションに居た”という、目下日本の“存立危機事態”にあるにもかかわらず、迂遠な国防論議を展開していた。あの“タブーのない番組”はウソなのではないか、と思える。
否、日本全体が“何が問題か分からない”という既に脳死の事態に至っているのではないか。これでは最早、何を議論してもダメだ。その深夜討論番組でも“昭和の議論を繰り返している”と指摘する若者の声があった。タシカニ、何年堂々巡りやってるのだ!あの番組も、もう賞味期限がきれたのか。
だが、この事件の深層は簡単に幕引きとはならない様相を呈してきている。やっぱり、この国の深くて暗い闇の真相が、明るくて穏やかで静かだった水面から、ポッカリと浮かび上がった黒い衝撃は、実はなかなか治まりそうもない。既成の報道機関がリーダーシップを発揮できずに、息を呑んで様子を伺っている風だ。どうやら、いつまでも尾を引いて長引きそうだ。
しかしそれもさるもの、元首相がビデオ・メッセージを送った、“世界平和統一家庭連合の団体である天主平和連合(UPF)と同連合が昨年9月に仁川(インチョン)の松島(ソンド)セントラルパークホテルで共催した「新統一韓国定着のためのシンクタンク2022」発足式に続く希望前進大会”には、“元首相だけでなく米国のドナルド・トランプ前大統領、カンボジアのフン・セン首相、ジョゼ・マヌエル・バローゾ元欧州委員会委員長らも同様の方法で参加している”との情報がネット上で流れている。
さらに韓国人の元国連事務総長から、メッセージを寄せる依頼が元首相にあったという未確認の噂も流れているようだ。こうして、闇勢力と元首相の関係を何気ないことがきっかけであったかのように、ヒッシに装おうとしている。
こうしたことからか、自民と旧統一教会の関係について、福田総務会長「何が問題か分からない」と発言し物議を呼び起こし、その釈明に“「社会的に問題が指摘されている団体との関係が問題であることは、言うまでもない」と説明。「そのような団体との付き合いについて『何が問題か分からない』との趣旨の発言ではない」”と言ったというが、それが“何言ってるのかチト分かんねぇ!?”
もう、思考力・論理力・言語力が破綻しているのだろうか。福田氏も御先祖からの関係なのか?
確かに、新人が国会議員に立候補するに当たって、“ボランティアで様々な活動を支えてくれる人々の存在は有難い”とは理解できるのだが、“派閥の領袖によって、そうした反社会勢力の票の割り振りあった”ということが、問題だと言いたいのだ。
それが元首相による、反社会勢力との関係性によって“お墨付き”を与えたのであろうと、容易に想像できるのだ。
恐らく、“桜を見る会”にはこうした反社の御歴々が多数参加し、参加者名簿には堂々と記載されていたのではないか。
元首相の闇には“モリカケ、サクラ”に“ハンシャ”が加えられることになるのではないか。それも“外国の”。闇がヤミを呼ぶ背後関係!それもドンドン深みに入って行くような事態だ!
何故、このような御仁を国葬にしなければならないのか。“「国葬」はまさかの「電通案件」”だという。徹底した“お仲間リケン”だったのだ。オショク国費でますます肥え太るノダ。
死してなお、利権マミレ!あの御方らしい。
かような御仁が“立派な国家観をお持ち”だったとは、“国民を外国勢力に売る”ことに加担するのが“御立派な国家観”だったとは、呆れるばかりだ!
クワバラ、桑原・・・もうドウニモ止マラナイ私の悪癖!ここで言ったコトは事実のつもりだが、個人的には確かめられない!ダカラ、その判断は読者にお任せしたい!もっとお勉強シマショッ!今やトニカク・・・・・・南無阿弥陀仏
ところで、日本のコロナ感染が“世界最多”だという。これは科学的にどういう意味なのか、誰も“科学的に”説明してくれない。世界中がPCR検査をしなくなった中で、それが科学的な意味のある数字なのか。現状のウィルスの変異にしたがって、死亡率や重症化率はどうなっているのか。科学的にどう解釈できるのか?重症者の野戦病院の建設は不要なのか?日本の“政府専門家”の科学的見解が求められるが、一体どうなっているのか。何やら聞こえて来たのは“自己判断?”かのようなコメント。ならば、“自己判断” のための材料を提供するのが彼らの仕事ではないのか。
中央政府はどう考えているのか、第7波が終息してから考えるそうだ。
イギリス人は走る前に考え(筆者が聞いていたのは、“歩きながら考える”)、フランス人は走りながら考え、イタリア人は走った後で考える、ドイツ人は考えた後で歩き出し、歩き出したら考えない・・・
という、私はこう言いたい。
・・・日本人は考えない、外国のマネをして歩くだけ。マネするモノがなくなったら、何も考えずに惰性で歩くだけ。
だから激変するこの世の中で、日本だけが変われない。“オタク、ドウシタハリマス?”甚だしいのは老人医学。全く体質の違う米国医学の見解をそのまま直輸入している。だから生活習慣病対策も和田秀樹氏が言うようにズレているのだ。だから“歩きながら対策もできない”、甚大な被害が出て戦いが“敗れてから、考えるのだ”。だからいつも死屍累々となる。
さて、今回も7月終わりに京都研修があり、午前に京都の何処を見るかとなり、実行したので報告する。7月は調べてみると、当然のように祇園祭がでてくる。それ以外はあじさい祭の三千院。祇園祭は終わったし、あじさいももう終わりかけ。やっぱり、7月の終わりの週にはもう祭礼・行事はおわったか、・・・と思ったら、何と下鴨神社の御手洗祭(みたらしまつり)というのがある、と知った。(*は筆者付加)
下鴨神社の御手洗祭は、毎年、土用の丑の日の前後(*10日間)に境内で行われています。
境内にはみたらし川が流れ、御手洗池があります。
みたらし川は、土用になると池の周辺や川の底から清水が湧きでる不思議もあるといいます。
御手洗祭りで足を浸すのはその神聖な川。 湧き水に足を浸してろうそくに献灯し、無病息災を祈る のが御手洗祭です。
この池の水に足をつけると疫病にかからない、また足の病気にも効くといわれ、現在でも皆が御手洗池で無病息災を祈っています。
どうやら、平安時代の貴族の夏の御祓いの習慣が残ったものだ、とも言われているようだ。またこれが“みたらし団子”の起源だという話もある。まぁ、夏の祭礼ならば行ってみようと思った。だが、これだけでは物足りない。下鴨神社は京(みやこ)の北北東部にある。そこでさらに北北東部でのイベントを検索してみると、地下鉄・北山駅の近くの古田織部美術館では、“利休生誕五百年記念 利休と織部”の特集展示をやっているので、久々に織部の焼き物のデザインを見てみたいと思った。また、古田織部美術館の直ぐ南には京都府立植物園がある。なので、朝早めに古田織部美術館に行って、これも久しぶりの京都府立植物園を通って南下し、下鴨神社の祭礼に参加してみようと計画した。
実際には、例によって阪急で烏丸にでて、地下鉄で“北山”まで。十三での乗り換えは、交通ソフトでは2分となっているのが、上手く行って10分をゲイン。これで気持ちにもゆとりが出た。
地図に従って北山通の北側歩道を西方へ向かう。実は、5年余り前にも来た所ではあり、思いの外、小さなスペースだった記憶はある。織部焼をもう一度見てみたい、との思いがあった。いくつかの辻をやり過ごし、10分も経たないうちに、ついに美術館入口が北側にあるとの矢印が示されている場所にいたる。
美術館の入っている建物自体も小さい。その地下1階が美術館になっている。受付は1階で、愛想よく応対してくれる。螺旋階段を下へ。やっぱり、展示物撮影不可。
今回展は利休の茶器と織部のを比較するように展示。そのためか、各々3点ずつの些少展示でガッカリ!織部の近代的センスのデザインをもっと見たかったのだが残念。だが、利休の簡素で素朴なテイストが際立った。これでは織部の“へうげもの”の良さが分かり難い。茶器以外半分は書状。書は読めないので閉口。時間が余るので、映像展示を見て常識点検。これ以上居ても仕方がないところで、引き上げ。
まぁ、時間的にはほぼ予定通り、南側の植物園へ向かう。ここも久しぶりだ。今回は駆け抜けるように見て回る。見どころは、蓮池、とのことなので、西側へ早足で向かう。行って見ると、白い蓮の花が緑色の生い茂った大きな葉の中でわずかに咲いている。もっと色様々な花々が咲き乱れているものと思っていたが、ここでも落胆。どんどん行くと神社*がある。この島のようになっている“なからぎの森”の北には水車があるが、流れとは逆の回転になっている不自然さにはゲンナリ。かつて見たはずの既に忘れていた風景をどんどん撮影。ここでもいくつか再掲する。私の記憶とはそんなものなのだ。思い違いも結構ある。
時刻予定を確認して、南側の正門から出て、植物園前バス停に向かう。ここから下鴨神社前へ行く。当初の予定では徒歩で向かうことにしていたが、この暑さと、その後の疲労、時間節約を考えるとバスに乗るのが得策と考えた。
*半木神社:京都府立植物園の半木の森に位置している。上賀茂神社の境外末社で、この地では西陣の絹織物産業が発達していたため、かつては織物業の神として信仰されていた。神社名の由来は上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)の間にあることから半木神社と言われるようになった。また別の説では、加茂川の氾濫により、上賀茂の浮田の森から三座の一つが流されてこの地に流れついたことから流木神社と呼ばれ、そこから転訛し現在の半木神社となったと言われている。
バスから降りると、バス通りから人々が神社入口と思われる辻に吸い込まれて行く。ついて行くと、案の定、“下鴨神社入口”の看板が目に入る。やっぱり人々は“お祭り”にやって来ている。駐車場の縁を周るように歩を進める。社務所の北側の通りを東に向かえば、上手く重文の朱の楼門に出る。ここから神社内へ入る。超有名な古社だが参拝する場所が非常に狭い。それにもかかわらず、干支ごとの神様の祠がしつらえられていて、ますます狭い。
ここを出ると、いよいよ“みたらし祭”への参加となる。“足を浸す人”と“浸さない人”でコースが分かれる。折角だが、私は事情があって5本指ソックスを履いている。これを脱ぐと、履き直すのにスペースが必要で面倒。そこで、“浸さない人”コースを選択。こちらは、聖水を頂き飲むことになる。こちらの方が何となく御利益ありそう。終わって、水みくじに挑戦。実は昨年貴船神社で水みくじを失念していたことへのリベンジである。そばのせせらぎに浸すが、中々文字が浮かばない。結局、浮き上がった文字を読めば末吉。ここでも落胆。リベンジが良くないのかも。
これで無事予定通り終了。糺の森の一角を素通りして、直ぐにさっきのバス通りの下鴨本通りに出る。そこに便利にもバス停があった。これで河原町三条へ向かう。
京都BALの地下書店に買いたい本2冊があったので、予定通り入手。蛸薬師通でうなぎ牛めしを優待券で食べる。タダ。今、金欠なのでありがたい。
河原町通りを南下してBOOK OFFへ。BOOK OFFを覗けば、その土地で読まれている本のレベルが知れるが、読みたい本は全く見当たらない・京都は学生の街だったが、現在はどうなのだろう。電子化の影響なのか、学生生協の力が強いのか、良く分からない!
午後は、研修で廃掃法の線引きできないグレーゾーンの講座を受講。法規制審査は事情を精査して慎重に!受審組織から逆ギレされないように!
“既成の報道は、そろそろ元首相銃撃殺害について遠い過去の出来事のように意識的にフェード・アウトしようとしているかのように見える。”
例えば、先週末の深夜討論番組で、“戦後77年若者たちの「戦争と平和」”をテーマにしていた。
憲法改正、自衛隊の憲法明記、吉田が、鳩山が、だとかを議論していた。司会者は常日頃、“これはタブーのない番組だ”と言ってきた。しかし、今まさに深刻な問題を回避して、このようなテーマを議論していた。単なる尺取り虫。要は、“元首相が外国勢力にコントロールされるポジションに居た”という、目下日本の“存立危機事態”にあるにもかかわらず、迂遠な国防論議を展開していた。あの“タブーのない番組”はウソなのではないか、と思える。
否、日本全体が“何が問題か分からない”という既に脳死の事態に至っているのではないか。これでは最早、何を議論してもダメだ。その深夜討論番組でも“昭和の議論を繰り返している”と指摘する若者の声があった。タシカニ、何年堂々巡りやってるのだ!あの番組も、もう賞味期限がきれたのか。
だが、この事件の深層は簡単に幕引きとはならない様相を呈してきている。やっぱり、この国の深くて暗い闇の真相が、明るくて穏やかで静かだった水面から、ポッカリと浮かび上がった黒い衝撃は、実はなかなか治まりそうもない。既成の報道機関がリーダーシップを発揮できずに、息を呑んで様子を伺っている風だ。どうやら、いつまでも尾を引いて長引きそうだ。
しかしそれもさるもの、元首相がビデオ・メッセージを送った、“世界平和統一家庭連合の団体である天主平和連合(UPF)と同連合が昨年9月に仁川(インチョン)の松島(ソンド)セントラルパークホテルで共催した「新統一韓国定着のためのシンクタンク2022」発足式に続く希望前進大会”には、“元首相だけでなく米国のドナルド・トランプ前大統領、カンボジアのフン・セン首相、ジョゼ・マヌエル・バローゾ元欧州委員会委員長らも同様の方法で参加している”との情報がネット上で流れている。
さらに韓国人の元国連事務総長から、メッセージを寄せる依頼が元首相にあったという未確認の噂も流れているようだ。こうして、闇勢力と元首相の関係を何気ないことがきっかけであったかのように、ヒッシに装おうとしている。
こうしたことからか、自民と旧統一教会の関係について、福田総務会長「何が問題か分からない」と発言し物議を呼び起こし、その釈明に“「社会的に問題が指摘されている団体との関係が問題であることは、言うまでもない」と説明。「そのような団体との付き合いについて『何が問題か分からない』との趣旨の発言ではない」”と言ったというが、それが“何言ってるのかチト分かんねぇ!?”
もう、思考力・論理力・言語力が破綻しているのだろうか。福田氏も御先祖からの関係なのか?
確かに、新人が国会議員に立候補するに当たって、“ボランティアで様々な活動を支えてくれる人々の存在は有難い”とは理解できるのだが、“派閥の領袖によって、そうした反社会勢力の票の割り振りあった”ということが、問題だと言いたいのだ。
それが元首相による、反社会勢力との関係性によって“お墨付き”を与えたのであろうと、容易に想像できるのだ。
恐らく、“桜を見る会”にはこうした反社の御歴々が多数参加し、参加者名簿には堂々と記載されていたのではないか。
元首相の闇には“モリカケ、サクラ”に“ハンシャ”が加えられることになるのではないか。それも“外国の”。闇がヤミを呼ぶ背後関係!それもドンドン深みに入って行くような事態だ!
何故、このような御仁を国葬にしなければならないのか。“「国葬」はまさかの「電通案件」”だという。徹底した“お仲間リケン”だったのだ。オショク国費でますます肥え太るノダ。
死してなお、利権マミレ!あの御方らしい。
かような御仁が“立派な国家観をお持ち”だったとは、“国民を外国勢力に売る”ことに加担するのが“御立派な国家観”だったとは、呆れるばかりだ!
クワバラ、桑原・・・もうドウニモ止マラナイ私の悪癖!ここで言ったコトは事実のつもりだが、個人的には確かめられない!ダカラ、その判断は読者にお任せしたい!もっとお勉強シマショッ!今やトニカク・・・・・・南無阿弥陀仏
ところで、日本のコロナ感染が“世界最多”だという。これは科学的にどういう意味なのか、誰も“科学的に”説明してくれない。世界中がPCR検査をしなくなった中で、それが科学的な意味のある数字なのか。現状のウィルスの変異にしたがって、死亡率や重症化率はどうなっているのか。科学的にどう解釈できるのか?重症者の野戦病院の建設は不要なのか?日本の“政府専門家”の科学的見解が求められるが、一体どうなっているのか。何やら聞こえて来たのは“自己判断?”かのようなコメント。ならば、“自己判断” のための材料を提供するのが彼らの仕事ではないのか。
中央政府はどう考えているのか、第7波が終息してから考えるそうだ。
イギリス人は走る前に考え(筆者が聞いていたのは、“歩きながら考える”)、フランス人は走りながら考え、イタリア人は走った後で考える、ドイツ人は考えた後で歩き出し、歩き出したら考えない・・・
という、私はこう言いたい。
・・・日本人は考えない、外国のマネをして歩くだけ。マネするモノがなくなったら、何も考えずに惰性で歩くだけ。
だから激変するこの世の中で、日本だけが変われない。“オタク、ドウシタハリマス?”甚だしいのは老人医学。全く体質の違う米国医学の見解をそのまま直輸入している。だから生活習慣病対策も和田秀樹氏が言うようにズレているのだ。だから“歩きながら対策もできない”、甚大な被害が出て戦いが“敗れてから、考えるのだ”。だからいつも死屍累々となる。
さて、今回も7月終わりに京都研修があり、午前に京都の何処を見るかとなり、実行したので報告する。7月は調べてみると、当然のように祇園祭がでてくる。それ以外はあじさい祭の三千院。祇園祭は終わったし、あじさいももう終わりかけ。やっぱり、7月の終わりの週にはもう祭礼・行事はおわったか、・・・と思ったら、何と下鴨神社の御手洗祭(みたらしまつり)というのがある、と知った。(*は筆者付加)
下鴨神社の御手洗祭は、毎年、土用の丑の日の前後(*10日間)に境内で行われています。
境内にはみたらし川が流れ、御手洗池があります。
みたらし川は、土用になると池の周辺や川の底から清水が湧きでる不思議もあるといいます。
御手洗祭りで足を浸すのはその神聖な川。 湧き水に足を浸してろうそくに献灯し、無病息災を祈る のが御手洗祭です。
この池の水に足をつけると疫病にかからない、また足の病気にも効くといわれ、現在でも皆が御手洗池で無病息災を祈っています。
どうやら、平安時代の貴族の夏の御祓いの習慣が残ったものだ、とも言われているようだ。またこれが“みたらし団子”の起源だという話もある。まぁ、夏の祭礼ならば行ってみようと思った。だが、これだけでは物足りない。下鴨神社は京(みやこ)の北北東部にある。そこでさらに北北東部でのイベントを検索してみると、地下鉄・北山駅の近くの古田織部美術館では、“利休生誕五百年記念 利休と織部”の特集展示をやっているので、久々に織部の焼き物のデザインを見てみたいと思った。また、古田織部美術館の直ぐ南には京都府立植物園がある。なので、朝早めに古田織部美術館に行って、これも久しぶりの京都府立植物園を通って南下し、下鴨神社の祭礼に参加してみようと計画した。
実際には、例によって阪急で烏丸にでて、地下鉄で“北山”まで。十三での乗り換えは、交通ソフトでは2分となっているのが、上手く行って10分をゲイン。これで気持ちにもゆとりが出た。
地図に従って北山通の北側歩道を西方へ向かう。実は、5年余り前にも来た所ではあり、思いの外、小さなスペースだった記憶はある。織部焼をもう一度見てみたい、との思いがあった。いくつかの辻をやり過ごし、10分も経たないうちに、ついに美術館入口が北側にあるとの矢印が示されている場所にいたる。
美術館の入っている建物自体も小さい。その地下1階が美術館になっている。受付は1階で、愛想よく応対してくれる。螺旋階段を下へ。やっぱり、展示物撮影不可。
今回展は利休の茶器と織部のを比較するように展示。そのためか、各々3点ずつの些少展示でガッカリ!織部の近代的センスのデザインをもっと見たかったのだが残念。だが、利休の簡素で素朴なテイストが際立った。これでは織部の“へうげもの”の良さが分かり難い。茶器以外半分は書状。書は読めないので閉口。時間が余るので、映像展示を見て常識点検。これ以上居ても仕方がないところで、引き上げ。
まぁ、時間的にはほぼ予定通り、南側の植物園へ向かう。ここも久しぶりだ。今回は駆け抜けるように見て回る。見どころは、蓮池、とのことなので、西側へ早足で向かう。行って見ると、白い蓮の花が緑色の生い茂った大きな葉の中でわずかに咲いている。もっと色様々な花々が咲き乱れているものと思っていたが、ここでも落胆。どんどん行くと神社*がある。この島のようになっている“なからぎの森”の北には水車があるが、流れとは逆の回転になっている不自然さにはゲンナリ。かつて見たはずの既に忘れていた風景をどんどん撮影。ここでもいくつか再掲する。私の記憶とはそんなものなのだ。思い違いも結構ある。
時刻予定を確認して、南側の正門から出て、植物園前バス停に向かう。ここから下鴨神社前へ行く。当初の予定では徒歩で向かうことにしていたが、この暑さと、その後の疲労、時間節約を考えるとバスに乗るのが得策と考えた。
*半木神社:京都府立植物園の半木の森に位置している。上賀茂神社の境外末社で、この地では西陣の絹織物産業が発達していたため、かつては織物業の神として信仰されていた。神社名の由来は上賀茂神社(賀茂別雷神社)と下鴨神社(賀茂御祖神社)の間にあることから半木神社と言われるようになった。また別の説では、加茂川の氾濫により、上賀茂の浮田の森から三座の一つが流されてこの地に流れついたことから流木神社と呼ばれ、そこから転訛し現在の半木神社となったと言われている。
バスから降りると、バス通りから人々が神社入口と思われる辻に吸い込まれて行く。ついて行くと、案の定、“下鴨神社入口”の看板が目に入る。やっぱり人々は“お祭り”にやって来ている。駐車場の縁を周るように歩を進める。社務所の北側の通りを東に向かえば、上手く重文の朱の楼門に出る。ここから神社内へ入る。超有名な古社だが参拝する場所が非常に狭い。それにもかかわらず、干支ごとの神様の祠がしつらえられていて、ますます狭い。
ここを出ると、いよいよ“みたらし祭”への参加となる。“足を浸す人”と“浸さない人”でコースが分かれる。折角だが、私は事情があって5本指ソックスを履いている。これを脱ぐと、履き直すのにスペースが必要で面倒。そこで、“浸さない人”コースを選択。こちらは、聖水を頂き飲むことになる。こちらの方が何となく御利益ありそう。終わって、水みくじに挑戦。実は昨年貴船神社で水みくじを失念していたことへのリベンジである。そばのせせらぎに浸すが、中々文字が浮かばない。結局、浮き上がった文字を読めば末吉。ここでも落胆。リベンジが良くないのかも。
これで無事予定通り終了。糺の森の一角を素通りして、直ぐにさっきのバス通りの下鴨本通りに出る。そこに便利にもバス停があった。これで河原町三条へ向かう。
京都BALの地下書店に買いたい本2冊があったので、予定通り入手。蛸薬師通でうなぎ牛めしを優待券で食べる。タダ。今、金欠なのでありがたい。
河原町通りを南下してBOOK OFFへ。BOOK OFFを覗けば、その土地で読まれている本のレベルが知れるが、読みたい本は全く見当たらない・京都は学生の街だったが、現在はどうなのだろう。電子化の影響なのか、学生生協の力が強いのか、良く分からない!
午後は、研修で廃掃法の線引きできないグレーゾーンの講座を受講。法規制審査は事情を精査して慎重に!受審組織から逆ギレされないように!
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