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世界の賢人7人に問う“ウクライナ危機後の世界”を読んで

既成の報道は、そろそろ元首相銃撃殺害について遠い過去の出来事のように意識的にフェード・アウトしようとしているかのように見える。触れたくないが隠しようがない現実、というか、今まで明るかった水面に思わずポッカリ浮かび上がった巨大な闇のバケモノを前に当惑して、それ自体を隠しようがなくオロオロしているかのように見える。そして“暗殺”という言葉遣いすら忌避している。
一見明るい水面下に何があるのか、確かめること自体に当然のように危険がともなう闇のバケモノなのだ。“報道の自由”を“身勝手な野次馬”と勘違いしていた日本の報道関係者は皆、ビビるばかりで、オロオロしているのであろうか。だから自らのインチキ存在も置き去りにして、早く時間が過ぎて欲しいと願っているのだろうか。
だが、世の中はIT時代。ネットは“不都合な真実”を振り撒くので、恐らく今後も忘れたころにポカリとその闇を浮かび上がらせるのだろう。これからその度に、そのウェッブサイトは消去しなければならない。大変な作業に翻弄されることになる。中には取りこぼしも出て来るに違いない。
“人の噂は75日”やっぱり、そうなるのかどうかが国葬の日になるのではあるまいか。だが、そう思い通りになるのか。
天網恢恢疎にして漏らさず!
どうなることやら!

あの元首相は右派民族派だと言われていた。だが、本当の民族派だったのだろうか。あれは単なる仮面だったのか。
派閥を通して、新興宗教に我等が善良な国民を有償で売っていたのではないかとの疑惑は疑惑ではなく事実だったのではあるまいか。売られた国民は地獄のどん底に堕ちた。その堕ちた一人が積年の恨みをはらした。
しかもその売り先は半島だった。半島からはどうやら大陸へのつながりがあるかのような“根も葉もない”ウワサもある。
そんなつながりがあれば、半島北側への手づるもあったはずではないか。ならば、あの拉致被害者もその手づるで何とかなったのではないか。ライフ・ワークと称していたのならば、何故、その手づるをも使わなかったのか。ヤッパリ本気ではなかったのか。拉致被害者さえ、私益に消耗させたのか。
この国の右派の目は最早濁っているどころか腐っているのではあるまいか。それともアホアホ過ぎて簡単に欺かれているのか。それで右派と呼べるのか。
考えれば考えるほど、気分の悪くなる闇のバケモノだ。
この国の人々は簡単に欺かれてしまうのか。そんなサタンのような人間を政治のトップに長年ダラダラ据えてしまったのだった。しかも“功績を称えて”国葬にするという。どんな“功績”があったというのか。単に長く居座って私益を貪っただけ?
言っておくが、こういう疑惑が生まれるのは御当人が適正に“説明責任を果たさなかった”結果なのだ。そういう点でも、“身から出た錆”なのだ。あくまでも御本人の責任。闇を墓場に御持ち込み、の御積りか。

政治家も含めて多くの識者と呼ばれる人々は“元首相銃撃は「民主主義への挑戦」”という通り一遍の台詞を、使ってコメントした。どことなく空々しく、聞こえるのは何故だろう。厳しい社会の矛盾に目を向けていないからのような気がする。
日本のある一流とされる政治哲学者は、“日本は、成熟した民主主義国家です。自分の不満や怒りを表現しようと思ったときに、暴力に訴えずとも、さまざまな手段が確保されています。あくまで言説で表現しなければなりません。”と発言している。建前はそうかもしれないが、矛盾する現実はそう単純な話ではないことは誰もが知っている。そんな建前だけで学問が成立するなら、実に仕合せなことだ。
何より、カチンと来るのが、“日本は、成熟した民主主義国家”という建前だ。それは既に崩れた建前なのだ。それを是認して議論しても、この世の中は良くならない。そんなチャチな政治哲学で飯が食えるのは実に仕合せなことなのだ。
しかも銃撃された政治家は日本の民主主義崩すことに尽力した張本人ではないのか。
匿名でしか発言できないこと自体が、民主主義が崩れ去っている証左ではないのか。

クワバラ、桑原・・・またしても言ってしまった。もうドウニモ止マラナイ私の悪癖なのだ。ここで言ったコトはホントウかウソか、その判断は読者にお任せしたい!もっとお勉強シマショッ!今やトニカク・・・・・・南無阿弥陀仏



さて、今回はやはり気になる“ウクライナ危機後の世界” についての宝島新書を読んだので、読後感想を紹介したい。当然のこととは思うがこの本を紹介しているウェッブサイトには、“この戦争の結果は私たちの未来に決定的な変化をもたらす”とある。
国際ジャーナリスト・大野 和基(おおの かずもと)氏が、ロシアによるウクライナ侵攻について、現代最高峰の知性7人に緊急インタビューを実施し、特に“世界と日本の行く末”を問い、そのコメントを公表するかたちになっている。したがって、出版社内容情報によれば、“(独裁者)プーチンによる暴挙は世界情勢にどんな影響を及ぼすのか。権威主義の前に民主主義は屈するのか。これから我々はどんな未来に立ち向かうのか。新たな冷戦時代の有り様を大胆予測――”となっている。本の体裁としては著者はその賢人7人で、大野和基・編集となっている。
目次は次のようである。

第1章 ユヴァル・ノア・ハラリ;プーチン勝利で訪れる戦慄のディストピア
第2章 ティモシー・スナイダー;“プーチンの戦争”の本質は「永遠の政治」と「帝国主義」
第3章 ポール・クルーグマン;脱グローバリゼーションで世界経済は「ブロック化」される
第4章 ジャック・アタリ;「世界の平和」はロシアが民主化されない限り訪れない
第5章 ラリー・ダイアモンド;この戦争は衰退する民主主義の存亡を賭けたい戦いである
第6章 ジョセフ・ナイ;核武装ではなく米軍の駐留が「核の傘」を確実なものにする
第7章 エリオット・ヒギンズ;ロシアには触れてほしくない「隠された真実」がある

7人の回答から共通しているのは、“この戦争の終息点は誰にも分からないが、ロシア軍がウクライナから撤退することはないこと、よって核使用も0%ではない。だが、ロシアはこの戦争に消耗して大国の地位から転落するのは明白だ。”というようなことを異口同音に述べていることだ。こういう見解は、ほぼ間違いないものと十分に思われる。もしそれが間違っていたならば、プーチンに並外れた能力・指導力があったことになり、余程の幸運が舞い降りたことになる。だが万一そうなれば、特にハラリ氏が“プーチン勝利で訪れる戦慄のディストピア”と強調したように権威主義に対する民主主義の敗北となり、世界史は恐ろしい方向に転換していくことになる。だから、逆にそうならないように、世界はウクライナを支援して行く必要がある、ことになる。
マクロ的にはそういう結論なのだが、興味深いのはインタビューア・大野和基が日本の今後についてのコメントを求めていたものと思われ、各氏がそれにほぼ言及していることで、これが他の類書とは際立って異なって興味深い点ではなかろうか。


この点、第1章の思想家・ユヴァル・ノア・ハラリ氏は既に言ったように、ウクライナに対し“傍観者になるのではなく行動を”と傍観者になりがちの日本人を戒めたのであろうか。“ウクライナの人々は、全世界の未来の輪郭を描いているのです。・・・ただの傍観者にとどまっていては意味がありません。今こそ立ち上がり、行動で示すときなのです。”と締めている。


第2章の歴史学者・ティモシー・スナイダー氏は、プーチンが“自分にとっての権威はイリイン*だ”と述べたことからそのイデオロギーを分析している。その結果、プーチンの世界観はボリシェヴィズムそのものが“共産主義を、退廃的なヨーロッパから押しつけられたもの”であり、“ロシアとは、「無垢」で常に外部から脅威に晒されているもの”いうのであると指摘している。さらに、その“ロシアの純粋性こそ、世界を救済するものであり、・・・無垢なロシアは「救世主」を必要とする”とイリインは言い、“救世主の人格を一つの制度”とし、それは“主権者であり、国家元首であり、独裁者であるべきで、行政・立法・司法のすべての権限を手中に収め、軍の司令官であるべき”だという。そしてプーチンはオリガルヒ(新興財閥)をベースにその体制を作った。
ヨーロッパ思想は民主主義の政治体制を“(歴史的に)必然の政治”と呼ぶのに対し、ロシアではソ連の崩壊後、イリインの思想による“永遠の政治”と呼ばれるべき政治体制が標榜される。ロシアは常に受難の中にあり外部から脅かされる脆弱な存在なので、そういった脅威から守るべきと、ロシアの政治家達は考えていると言うのだ。こうして、“永遠の政治”により“法の支配”を否定し“帝国”を選んだのだ、という。

イワン・アレクサンドロヴィチ・イリイン(Ива́н Алекса́ндрович Ильи́н、1883年~1954年)は、ロシアの宗教哲学者・政治哲学者。イリインは“扇動主義と陰謀理論を振りかざし、ファシズム志向をもつ国家主義者にすぎなかった。「ロシアのような巨大な国では民主主義ではなく、(権威主義的な)『国家独裁』だけが唯一可能な権力の在り方だ。地理的・民族的・文化的多様性を抱えるロシアは、強力な中央集権体制でなければ一つにまとめられない」”と主張した。

分かり辛い思想だが、何だか戦前の日本軍部の潜在意識との類似性があるのではないか。戦前の日本軍部には、欧米に対する後進性や経済力(国力)の劣勢感から、逆に精神主義による超克にすがり、日本特有の天皇を中心にした思想を肥大化し、自らを客観視できなくなりついに夜郎自大化して、墓穴を掘ったものと似ているのではないか。それは後進国にはありがちな自己を見失わないための精神構造なのだろうか。そうでなければ国家的アイデンティティは確保できないのかも知れない。だからこそ、“国家ありき”ではなく、“国民一人ひとりの幸福”はどうあるべきかの視点が大切で、戦後そのように語られたが、最近は“国家ありき”意識が全面に出て来ているように思う。“だから戦争になるのか?”
特に最近の日本は、様々な面で退行現象が目立つので、それが後進国意識・劣等感から復古的精神主義に至り、再び破滅に至るのではないかと懸念される。

スナイダー氏は、(マルクス・レーニンによって)“ソ連は「必然性の政治」に基づく国家”であったと規定し、ソ連の歴代の政治指導者はウクライナという国を尊重していたが、プーチンはイリイン思想による“ロシアの「帝国」化”を実現させ、「ウクライナは国として存在しない」として、侵攻した。それは思想的退行であり、“21世紀の今日に蘇った帝国主義と植民地主義との戦い”であり、それと
“私たちは戦わなければならない” と締めくくっている。


第3章のノーベル賞経済学者・ポール・クルーグマンは、消費税増税した日本政府(安倍政権)のデフレ対策に対し苦言を呈したので有名だが、“ウクライナ侵攻が世界規模でのインフレ率の上昇をもたらしている”が今後世界経済はどうなるのかを語った。
アメリカ経済についてクルーグマンは、FRBの政策を基本的に信頼しているようで、“今後、賃金上昇が満足に行われることが重要”と述べているだけだ。日本の賃金上昇については、“日本の生産性の低さは世界的に知られているが、それだけで説明できない”とし、“非正規労働者が増加したことが挙げられる”と言っている。これまで日本は財政出動を繰り返して来たが、“企業側が従業員の賃金を上げない限り、長期にわたるデフレから脱却できない”と言っている。日本の人口減少も、“物価上昇にともなう賃金を上げる”ことが重要な対策となると、言っている。しかし、決定的打開策は述べていない。

日本企業の低生産性は中小企業が問題であって、その経営者が互いに“オタクどうしてはります?”と戦々恐々で、独自の工夫への志向を放棄している限りにおいて、その向上・改善は無理であろう。企業は夫々独自の経営条件の中で運営されているのであって、その独自さの中に工夫の余地があるので、“他社の事例”は参考にならないことを知るべきである。会社のリスクは夫々で異なり、千差万別なのだ。社長ともなればそれはイロハのイであるとの認識がなければならないハズなのだが、その覚悟のない社長が大半なのではないか。また、そのための設備投資をしようにも民間金融機関の貸し渋りが続く限り無理ではないのか。日本の金融機関も又適切なリスク・テイクをしていないのだ。ココロある経営者は国金に頼らざるを得ない現実があるという。

ウクライナ侵攻はこれまで考慮しなくて良かった地政学的リスクを各国に意識せざるを得なくし、“脱グローバリゼーション”は進み、世界経済のブロック化が進むだろうと指摘している。ロシアの権威主義的態度が変化しない限り、対ロシア制裁は長期化し、ロシアに対する西側の信頼は容易に回復しない。“経済のブロック化の結果、反対にロシアと中国が緊密に結びつき、別の経済圏を作ってしまう可能性”があると言っている。

また、今の資本主義経済は“その仕組みを熟知している者だけが儲けることができるシステムになっている”ので、“(例えばセフティ・ネットが充実したような)社会主義的な要素をもっと取り入れたハイブリッド型資本主義でないと、・・・格差はより深刻になる”。“そうなれば、持続的な経済成長は難しくなる”。“つまり分断のリスクがある資本主義経済は、長期的に見れば負の側面が強くなる”との指摘だ。
そして、“とくに国家の存亡にかかわるエネルギー源の確保について、自給自足ができない日本は、そのことをこれから真剣に考えなければならない”との指摘もあった。エネルギーに関してはロシアからの直接的影響はヨーロッパほどではないのだが、どういう意味だろうか。今後は中東原油の争奪戦の激化を警戒しろ、ということか。


第4章は、フランスの思想家・ジャック・アタリである。彼は何と、2016年に著書『2030年ジャック・アタリの未来予測』でロシアによるウクライナ侵攻を予測していたという。だから、ロシアの侵攻はないとしたライバル米政治学者イアン・ブレマーをも、“実際には私が正しかったのです。「専門家」と言われる人々は、最も重要な「悪い状況bad news」に目を向けるのが嫌なのです。”と、日本の専門家をも“なで斬り”にしている。こんなに露骨に他者を非難する表現は見たことが無かった。
“現代の独裁国家は、もはや国民が他国で起きていることを知るのを妨げることはできない”。“また国内の中流階級から、近隣の民主主義国家の国民と同じように、消費、所有、財産形成、批判や発言の権利を持つのを完全にうばうこともできない”。“したがって、独裁国家は何としても民主主義を貶める必要がある”と指摘している。だから、EUという民主主義と統合のモデルの成功と繁栄は、“いかなる独裁者にとってもきわめて耐え難いこと”である。“反対にアメリカやEUなど西側諸国にとっては、民主主義の繁栄を脅かすプーチン大統領のロシアに、決して敗北するわけにはいかない”のだ。
また、情報管理が徹底している独裁国に対しては、“検閲をうまく回避するシステム構築の研究開発”を行うべきだと言う。“そんなソーシャル・メディアの開発は、おそらく民主主義の防衛のためにも大きく寄与”するだろう、とも言う。

ウクライナ侵攻に対し、ロシアのすべての人間を犯罪者のように扱うことは、“アメリカ人全員を帝国主義者と呼ぶのと同じくらい馬鹿げている”とも言っている。それよりも、“クレムリンに反対するロシアの人々やより民主主義的体制を望み、独裁体制をおわらせたいというロシアの人々の気持ちをより強いもの”にしなければならない。

“世界史において、今のところ、民主主義の国家間では一度も戦争は起きていない”から、アタリは“いずれロシアが民主主義国になることを望んでいる”。それが本当に戦争を終わらせることであり、ロシア自身の安全保障になると言っている。
しかしそこに至るまで、ウクライナへの支援やウクライナ自身の抵抗は犠牲が増えるが、この“ウクライナ人を助けなければ、決してウクライナにとっての平和は訪れない”。“ロシア軍の思いのままにさせるならば、訪れるのは、ロシアにとっての平和”でしかない。

ウクライナの抵抗による核戦争の危機については、アタリは“私は答えを持ち合わせていない”という。こういう状況下で“日本が非常に危うい位置にあることは事実”だが、そこで日本が核武装することの是非については、ダメ出しをしている。それは核武装化するより多くの他国の連鎖のきっかけにしかならないためだという。

アタリもクルーグマン同様、日本のエネルギーについて懸念してくれている。どうやら日本の高級官僚だけが、電力(エネルギー)の自給に全く他人事のようにしていると見えてしまうのだ。フランス人アタリは“日本も原発の再稼働を真剣に考える”べきだと言い、日本は信頼できる技術大国であるから、“新しいテクノロジーを用いたより安全な原発の稼働を模索”していかなければならない、と言っている。

最後に近未来の6つの危機を挙げている。
①気候危機;3年後には、地球の気温をコントロールする限界に達する。
②世界的飢餓;ウクライナの戦争で既に始まっている。
③工業製品の原材料の不足;中国が供給しているレアメタルの不足
④ロシアとの戦争;今の戦争は始まったばかりだ。
⑤新パンデミックの懸念;新たなウィルスとの戦いで、団結して民主主義を維持できるか。
⑥世界的金融危機;リーマンショック後、過去15年で未だ明確な解決策を見出してない。
とはいうものの、この危機は“あくまでも短期的な予測”だと言い、“より長期的な視座に立って考えるならば、真っ暗な夜の後には必ず、夜明けが来て太陽が明るく照らしてくれる”とノンキに仰っている。だが、挙げられた6つの危機は、失敗すれば人類滅亡に至る巨大危機ではないか。一体、何を考えているのか、理解に苦しむ。


第5章は、スタンフォード大学の政治学・社会学教授・ラリー・ダイアモンド。“ロシアとウクライナの戦いはもはや2国間の戦争” ではなく、“民主主義と権威主義のいずれが、世界の秩序を担うのかが賭けられた戦いだ” と説いているという。
こうした実際の戦争の前に、権威主義国家は既に民主主義国家にソーシャルメディアを使って分裂をもたらそうとしており、有名な例がブレグジットだという。これは真偽が問われる話で、検証が必要だろう。スパイの映画がある英国での事件がそうならば、日本もスパイ天国と蔭では言われて続けて笑い話にしかなっていないが、真剣に真偽を確かめることは為されていない。十数代前の既に鬼籍に入った元首相が中国のハニー・トラップに嵌っていたという笑えない話も聞いている。それが事実ならば今も継続している可能性もあると考えるのが普通だろう。
直近の暗殺事件も、背景に外国の宗教団体が絡んでいたというが、それだけで済む話かどうか・・・。その外国が韓国と来れば、北朝鮮~中国と拡がりがあるのではないかと疑うのが普通だろう。尤も一国の元首相がその外国の宗教団体と深く関係していたという事実が、大きな社会問題とならないこの国の危うさ。それを感じないのは、知的不感症でしかない。その元首相が“右派・民族派”だったという奇妙奇天烈、異様な不気味さ、如何なものか。
まッ、そのような仕掛けの力をダイアモンド教授は“シャープ・パワー”と称している。(ジョセフ・ナイのハード・パワーとソフト・パワーの間にあるパワーと説明してはいるが・・・。)

教授は言う、“2021年版の「世界の自由度freedom in the World」の報告書によれば、過去15年間のうちに民主主義は衰退傾向を示しており、市民的な自由が減少している国は、増加している国の数より上回っている”と。また“日本を含む自由民主的な先進国の多くで、民主主義を支えるチェック・アンド・バランス、つまり司法の独立、メディアの自由、市民的自由が低下・浸食されている”とも言う。確かに、日本の報道の自由は怪しい傾向にあり、司法の独立も前々政権によって危うくされている。

また、プーチンは“フェイクニュース”によって政権を得、“フェイクニュース”によってトランプ大統領を作ったと教授は指摘する。ロシア連邦保安庁FSB中佐のアレクサンドル・リトビネンコはロシアでの1999年の爆破事件は捜査の結果“チェチェン侵攻の口実を得るための自作自演”と訴えて、元KGBの工作員に毒殺された、という指摘だ。“このテロと戦争のでっち上げによって、どうねん11月にはプーチンの支持率は45%にまで跳ね上がった。そして、12月にエリツィンが辞意を表明し、プーチンを自らの後継者に指名した”。

また、“民主主義というものは、人々がそれを達成するために必死に努力をしなければならず、ときにはそれを維持するために多くの犠牲すら払わなければならない。そのような絶えざる民主主義に対する配慮がなければ、ロシアのような権威主義国のシャープパワー的介入による腐敗によって、簡単に崩壊しかねないほど脆いものなのだ”とも指摘している。

日本は民主主義を防衛する戦いにおいて、もっと積極的であるべきだと教授は訴えるが、日本人自身が真の民主主義に関する関心が薄く、現状の自身を民主主義の危機にあるという認識すらない状態では、何ら期待できないのではないか。


第6章は国際政治学者・ジョセフ・ナイ氏である。同氏は米国の“民主党政権では国務次官代理や国家情報会議議長、国防次官補などを歴任し、・・・日米安保体制の強化を推し進めるなど、アメリカ対日政策に大きな影響力を発揮してきた外交実務家”であるので、同氏の発言には注意を要するので本書を選んだ理由もある。
そうした現実主義的な目からは、ロシアの侵攻には“この四半世紀にわたるNATOのロシアに対する傲慢で無神経な政策”の問題があったのではないかとの意見には懐疑的で、“主な責任はプーチン大統領がとるべき”と言っていて、これまでの他の賢人と同じ見解だ。

そして、“今回のウクライナ侵攻で、ロシアは多くの軍事力や経済力を失ったが、同時にソフトパワーをも失った”と言い、中国も又ロシアの侵攻を容認して同調したと見做され、“ウクライナとヨーロッパ各国の中国に対する見方は間違いなく悪化”し、“かなりのソフトパワーを失った”と言っている。しかも“ロシアは人口の面でも経済面でも衰退しつつある国”なので、“中国がロシアと密に足並みを揃えることは間違いである”とも言う。逆に“日米など西側諸国も、軍事的には中国を牽制しつつも、中国と協力すべき分野が多くあることを認識”しなければならないとも言う。 “パンデミックや気候変動問題はその典型例”だという。意外に寛容な姿勢だ。

核戦争のリスクについて、“私たちにできることは、(核の小型化やAIによる自律型兵器の進展による偶発的事故の可能性の出て来た)時代の変化や不測の事態に対応しながら、自らの決断が核戦争のリスクを減らすという長期目標にどのように影響を及ぼすかを考え続けることだけ”と消極的見解を述べるにとどまっている。

最後に、日本の核武装論と日米安保についてであるが、日本には“いざという時にアメリカは本当に戦うのか”という議論があることに注目している。それには、“日本に駐留するアメリカ兵が中国からの攻撃で殺されるのを見たら、アメリカの若者は進んで戦争に行く”と断言している。そして歴史的には1960年代のベルリンの事例を挙げている。当時ベルリン駐留の米兵力は少なくソ連から守るのは不可能だろうと言われていたが、攻撃されれば米兵の犠牲が発生するため、駐留すること自体に意味があるのであり、“日本における米軍の存在は、いわゆる「運命共同体community of fate」に我々がかかわっていることを意味する”と言っている。さらに“日本にアメリカの核兵器を配備することで、アメリカの核の傘の誠意や現実を証明することはできない。それは、日本に米軍を駐留させることによってのみ、証明できる”。また“日本が自国の核兵器を開発することでアメリカの核の傘の保障が弱まることになれば、日本は受益者ではなく、むしろ損失者になる”と断言している。だが日本人としては無条件で100%受け入れる言葉ではあるまい。


最後の第7章のエリオット・ヒギンズは、インターネットやソーシャルメディアを駆使してさまざまな事件を調査する集団「べリングキャット」の創始者である。“猫に鈴をつける”ことで、猫という権力者の危険を事前に知らせるというイソップ童話にちなんでBelling-catと名付けたという。関わった事件として次がある。“2014年にウクライナ東部上空で起きたマレーシア航空17便撃墜事件(親ロシアの反政府勢力によるミサイル誤射)、2018年にイギリスで起きた元ロシアスパイのスクリパリ父娘毒殺未遂事件など、ロシアが関与したとされる事件の真相を究明してきた。”

“べリングキャット”と“ウィキリークス”の違いを次のように説明している。“「ウィキリークス」はあくまでも機密情報をリークすることが目的で、基本的には秘密主義だ。彼らは独自に機密情報にアクセスする手段と力をもっている。しかし、私たちはあくまでも誰でも見ることができる公開された情報を分析している。それがオープンソース調査であり、基本的にその調査であり、基本的にその調査は誰でも検証することができる”ということだ。

“べリングキャット”のメンバーは30人ほどで、年間予算は200万ユーロ(1ユーロ140円として、2.8億円)だという。
“現在はロシアによるウクライナ侵攻に関する調査を実施しているが、多くの証拠を集めてアーカイブ化している。・・・現時点で多くの組織とともに調査を行っている。”いずれ、終戦後ロシア軍の犯罪行為が行為者の特定とともに 白日の下に明らかにされると予想される。
このため、ロシア当局も警戒し“私やメンバーたちが殺害対象者リストに入っている可能性もある”と推測している。“しかし、私たちは本当に小さな組織で、ロシアに関する調査にしても主導しているのは基本的には一人。にもかかわらず、ロシア当局は私たちを諜報機関のような大きな組織と考えている。”その警戒は、“一つの組織としてその規模に比べてはるかに大きな打撃を彼らに与えている”と思われるとのこと。


賢人それぞれの発言内容が濃いので、読後感想も思わず長くなってしまった。

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