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横山崋山展鑑賞

第25回参議院選挙は一体何だったのか。自民は議席を減らし、憲法改正の可能性を減らしたにもかかわらず“勝った”と強弁しているが、これに党内からなんの異論もでて来ていない。これで正常な政界と言えるのだろうか。
これに対し、強烈な政権反対党が成立したのには、多少の期待が持てるのかも知れない。評論家は年内に選挙があればこの勢力が数を伸ばすだろうと予測しているが、年内選挙の可能性は大きいのではないか。

双かと言えば、日韓関係がぐじゃぐじゃ。議論の土俵が違うというか、向こうが意図的に土俵を変えて議論を吹っかけて来ているようにしか見えない。
海上自衛隊哨戒機への危険なレーダー照射事件(18年12月)は国際的には、韓国の北の船への瀬取りの疑いが強いと認識されているようだ。瀬取り監視のためフランスが日本に海軍艦艇を派遣してきていた事実がある。
そんな韓国が国際世論を当てにしても、変な論理は国際的に通用しないのではないか。しかし、態度不鮮明も保身としてはあり得る。だが、それに期待すべきではない。

その間隙を突いて、中露が竹島上空に領空侵犯。今後、手を変え品を変えて度々あり得るトラブルであろう。下手すれば、これで日韓関係は決定的になるかもしれない。いずれにしろ、それで韓国にとって良い結果にはなるまい。

ペルシャ湾、ホルムズ海峡の警備に海自を派遣するか否か、重要な局面のようだ。これで折角のイランとの関係を一方的に悪くする訳には行くまい。マスコミではすっかり意図的健忘症に陥っているが、安倍首相はこの6月にはイラン訪問して、米国との関係に仲介しようとしていた。それにもかかわらず、手のひらを返すように有志連合に加担するのか。それで、この国の国際的信用は損なわれないのか。その訪問中に日本のタンカーが襲撃された事実はあるのだが・・・しかし、それこそが日本外交の脇の甘さ、端的に言えばマヌケさが露わになったことである。

国内では、アニメ制作会社襲撃事件が大きな衝撃となっている。この会社、正社員ばかりの全くのホワイト企業だと言う。又、防火体制もしっかりした組織で同地の消防側も優良表彰していたという。それに恨みを持つとは、一体どういう・・・妄想に生きているオタクにかかわると、どんなことで切れられるか全く理解できない。
しかし、考えてみれば以前にも何らかの恨みを持った人間が会社の事務所受付で、ガソリンを撒いて着火放火して、死者が出る事件はあったように思う。なので、そういったガソリン着火対策は企業側も考えておく必要は大いにあるのではないか。セキュリティやBCP対応の重要な項目の一つであり、外部の人間が接触する受付の設計態様も考慮の対象になるのではないか。その場で初めて面会するような場合は厳重な警戒が可能になるようにするべきだろう。

関西の“お笑い”芸能社もぐじゃぐじゃになっており、ガバナンス不足の事例として大いに興味がある。あるタレントの闇営業がきっかけで、不祥事が次々と連鎖的に明らかになって来て、それ ブラックじゃぁねぇ~のと一気になってしまったからだ。的確なガバナンスが全くなく、正しくパンドラの箱を開けてしまったのだ。
追い込まれて社長が弁護士をともなって記者会見をしたが、これがまた酷かったのだ。特に同席した社員弁護士は企業法務の専門家にしては何ら対応できておらず、社長の不適切な発言を何ら遮ることなく、無能であることを露呈してしまった。今後、あの会社を離れた場合は、一切仕事は来ない惨状になるのではないか。

社長の報道陣との質疑応答の中で、“社長でなければできないことは何か”と追及されると、しばらく沈黙の末に“皆に後で聞いときます”と述べたのは極めつけの迷台詞だった。リーダーシップの欠如したマネージャー上がりの傀儡かのようで、こういう人が“怖い”権力者であったのは、社員の悲劇だろう。
私は年頭の挨拶で、“この会社の10年後の状態は知りません。”と言ってのけた社長を知っている。これを社員として聞いた当時は、大変驚いたものだった。この御仁、その後代表権を持ったまま会長に上り詰めたが、独立企業として幅広くビジネスをしていたその会社は、10年経たない内に大手企業の関連子会社へと飲み込まれてしまった。一般社員はあまりにも突然で事態を知らされておらず、その後も何ら情報がないという。その最高責任者は無能な取締役全員を引き連れて退去したというので、恐らく積極的に株式を売り渡したのではないかと想像され、むしろ一般社員には良かったのかもしれない。
今や、この日本でも無能な人物は経営者としてやっていけない当然だが厳しい時代となっているのだ。


さて、今回は従姉弟の葬儀前に行った京都の展覧会を紹介したい。葬儀の印象が強いので、展覧会の記憶が薄れているので、少々辛いが報告したい。
それは京都文化博物館で開催されている“横山崋山展”である。午後からの審査員研修会の前の午前中に行けた。展覧会副題に“まだいた、忘れられた天才絵師”とある。確かに、“横山崋山”という画家は全く聞いたことがない。

京都文化博物館の“開催趣旨”に次のようにある。
横山華山(1781/4~1837)は、江戸時代後期に京都で活躍した絵師です。幼少の頃から曾我蕭白の絵に触れて独学し、岸駒*に入門した後、呉春に私淑するなど、多くの流派の画法を身につけ、絵の幅を広げました。伝統や形式を重んじる諸画派には属さず、自由な画風と筆使いで人気を博し、その名声は当時日本中に広がっていました。海外からも早くから評価され、欧米の美術館に優品が多数所蔵されています。著名な画家を記した番付や、夏目漱石の作品に名前が登場するなど、明治から大正の頃までは世間に知られた存在でした。
華山は人物画、花鳥画、山水図など幅広い画題に秀いでていましたが、なかでも風俗画や祭礼図は真骨頂で、細やかな描写に目が奪われます。本展では、上下巻あわせて30mにおよぶ晩年の大作《祇園祭礼図巻》を一挙に公開するほか、ボストン美術館や大英博物館に渡った海外の作品も里帰りします。曾我蕭白や弟子たちの作品もあわせた約120点で、華山の多彩な画業を系統立てて紹介する初めての回顧展です。かつて有名であったにも関わらず、忘れ去られてしまった画家の全貌を掘り起こし、その魅力に光を当てます。

岸駒(がんく) [1749(寛延2)/1756 (宝暦6) 金沢~1838(天保9) 京都]
江戸時代後期の画家。幼少より画事を好み上洛。1790 (寛政2)年禁裡造営の際,円山応挙らと障壁画の御用をつとめ,のち朝廷に仕え,1809 (文化6)年息子の岱 (たい) と金沢城の障壁画を描く。晩年は洛北岩倉に天開窟を構えて隠棲。特定の師はなく,狩野派,南蘋派,四条派を独習。筆法の鋭い写実的描写によって,トラ,クジャクなどの動物画にすぐれる。

崋山を鑑賞した総合的全体観を言うと、恐らく岸駒から学んだ“筆法の鋭い写実的描写”によって繊細な線描と、圧倒する躍動感があり、しかも人々を描いたに絵はそうした厳しさはなく全て楽しげな雰囲気で見ていて自然と笑みがこぼれる。また風景画は描く対象は当然ながら、極めて鮮明に表現される。横山大観が画風を朦朧体と称されたようだが、それとは対照的に誤魔化すことのない鮮明体と言ってもいいように感じた。絶賛するべき画家で、確かに“まだいた、忘れられた天才絵師”だ!
当然、ポスターにある祇園祭の絵も展示されている。正確な描写なので、祭りで今も休眠している山(山車)があるが崋山の絵をベースに復元の活動があるとの展示記述があったように記憶している。これをネットで確認しようとしたが、何故か確認できなかったのは残念だ。

他に“池大雅”(1723〜1776)や“洛陽三十三所4 ―信仰のかたち―”の展示があったのだが、横山崋山で精力を使い果たし、残念ながら何だか月並みな印象となってしまった。“池大雅”はもっと作品数を多くするべきだと思われる。

帰りに堀之上町の京料理の店・紫洸(しこう)で昼食とした。初めてだったが観光客相手の気取った印象は無く、地元客が多く日常感があって気取らない好印象だった。食べたのは日替わりだったのか、“鰹タタキ定食”だった。私が最後の注文だったようで、後からきた地元客が頼んだが、ネタ切れで断られていた。当の客は“今度、もっとハヨ来るは”と出て行った。何となく申し訳ない感を持ってしまった。
出された料理は小鉢が2つあって京風をじわり楽しめた。次に京都文博に来たときは又行きたい。

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