The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
長谷川慶太郎著 “デフレは大好機”を読んで
今回は 本のコメントに戻りたい。
最近の世界をどう見るかに興味があり、通常 デフレはインフレより経済的には忌むべき状態であるという常識に反する標題に魅かれて 読むことにした。デフレを どのように好機に転化するのか。目下、民主党の代表選で、政見・政策が争われている中、何が正論か見定める一助にもなるだろうか、との思いからでもあった。
著者は 長谷川慶太郎氏。発行は今年の2月になっている。同氏は、80年代にご活躍のエコノミストであり、最近どのような主張をされているのか、知りたくもあり、懐かしさもあり手にとってみた。
実は、この著者は 工学系ご出身で、石油エネルギーについての専門家としてスタートし、国際エコノミストとして活躍の幅を広げられたものと思っている。ずいぶん 以前のことで何の会合だったかは 忘れたが私が大学院生として所属した研究室の当時の学生メンバーがたまたま集まったことがあり、その場でS金属に就職した1年後輩達が、長谷川氏が我々の先輩であり、彼らの会社では研修会の常連の講演者として招請しているというような話をしていて 驚いたことがあった。
だが、残念ながら読了後、何かインパクトを覚えたかというと そういうわくわく感もわかなかったのである。いわば、“私の常識”を超えるものではなかったのである。私と相違する部分については、反論材料を持っていたし、著者の主張には多少の針小棒大な印象を受ける事例も散見された。
人が ある本に魅かれるのには、“自分の気付かなかった異質のものを求める”と同時に“自分の見解と同質のものを求める”という傾向を 改めて感じさせられたのであるが、この両者を満足させてくれなかったのである。
そもそも 今どき“デフレ”をことさらに言うのも 少々タイミングが遅すぎる気がするのだ。政府が昨年末にデフレ宣言をしたのが 遅すぎたのである。だから、返って “どのように好機に転化するのか”に興味が集まったのだが・・・・。
例えば、日本の鉄鋼業が今後飛躍的に変化するだろうと述べている部分がある。この論は、はっきり言って非常に無理がある。
これまでの日本の“先進的”製鉄技術を羅列した後、電炉製鋼へ 重点移行するだろうと述べている。それは当然として、鉄需要の最たるものだった自動車が電気自動車に変化することで“(自動車の)構造が単純化されてくるので、あまり高品質の鋼材は必要とされなくなる。”と言っているが、それならば日本の製鉄会社でなくてもできることなのではないか。一時期、抗張力の薄鋼板が、冷間圧延・調質工程を含めた技術革新による日本鉄鋼メーカーの国際的優位性の象徴であり、これが自動車の軽量化に大いに寄与したのだが。さらに、何より電気を熱源として使用するのは効率面で非常に愚かしいことであり、それも国際的に日本の電力コストは高いと言われていて日本での電炉製鋼の優位性は、非常に低いと見てよい。
その上、自動車は限りない軽量化を目指しているのだが、実は電気自動車になると鉄をそれほど必要としなくなる。しかし、その点に触れていない。ガソリン車は可燃物で出来ていると事故の場合 燃え上がる危険があり、そのためにボディ等は鋼鈑が常識なのだが、電気自動車には そんな心配はないので、FRPで軽量化可能となる。実際に中国製の電気自動車にはそうなっているものがある。しかもエンジンの鋳物や 複雑な鍛造品のクランク・シャフト等 殆どの鉄製品は不要となるのだ。あの震災で供給不安のあったピストン・リングも当然不要になるのだ。
そればかりではない、著者の言うように電気自動車はガソリン車より部品点数が少ない(ガソリン車:3万点強、EV:1万点弱)ので産業構造を大きく変える要素を持っており、その点で日本の既存の産業ピラミッドには不利に働くと推測するが、その基本に関する言及はなかったのである。
著者の指摘の通り、製鉄業には鉄屑から高品質鋼を生産するための省エネ型技術の開発が要請されるのは明白であるが、そのような技術の開発は困難を極めるのだ。それは、徹底的に分別された鉄屑を原料として使用することは絶望的であるからであり、一旦鉄屑に混入した目的外合金成分をppmレベルで排除することは熱力学のエントロピー則に反しており 殆ど不可能なのである。
これで著者の言う“環境保全と経済成長は両立する”と言えるのだろうか。
電力供給の革新に関しては NAS電池を取り上げているが この技術もずいぶん以前から開発されてきているが、原子力との組合わせのシステムにおける決定打になるとも思えない。
こういった日本の技術開発について、著者はこう述べている。“1996年以降は、世界のすべての国に対して、「特許」の国際貿易は完全な「輸出超過」となった。・・・2007年実績では、ついに年間の技術貿易収支額すなわち輸出超過は1兆7700億円に到達した。” “何年か経てば、21世紀の、少なくとも半ばに至るまでに、日本は商品貿易出超よりも巨額の「技術貿易の黒字」を稼ぐことによって、国際収支の基調の黒字化を確保することが可能になる。”と超楽観的である。
だが、その技術の中身が問題ではないかと思う。応用技術や 改良技術ばかりの特許では、いずれ真似されて終わる。また基本技術を開発しても、日本企業の人事政策の拙さから、頭脳流出により そのお株を韓国などに 奪われて来たのが現状であり、今や、中国にも同様に人材流出は始まっていると言われる。まして、基礎研究では 教育体制含めて不安な要素が多いのが 日本の現状ではないか。そういう実態で、将来も“国際収支の基調の黒字化を確保することが可能”と断言できるのだろうか。
たったこれだけの反論で、この本の指摘する大半の“バラ色の日本の未来”は 崩れ去ってしまうのである。この本の内容が 残念ながら底が浅いものという印象だ。それに、ここに登場する産業が いずれも80年代以前に華やかだった産業である。IT革命以降のしかもアジアの時代にそぐわない内容のように感じる。
その上、残念なのが 著者お得意と思われる資源問題に言及していないことである。これこそ、環境問題のきっかけとなっている現代の根本問題であると思われるが、まさにこのことに全く言及していないのは何故なのだろうか。人口爆発により、エネルギー、水、それに食料と様々な不足が予想され、それに日本はどう向き合えば“バラ色の未来”を描けるのか、言及するべきではなかったのか。経済を語り、現代社会を語り、将来を俯瞰するこういった本は、人口爆発や資源問題に言及していることが必須条件であると思う。
その上、タリバンに関する事実大誤認の記述もあった。“「タリバン」は、・・・大きな役割として「ヘロイン」の大量生産者、大量販売者である”と指摘している点だ。ヘロインの生産は米国によるタリバン攻撃以降に 族長社会に後戻りし始めて広まり、著者指摘通り、アフガンでの生産高がものすごいものになったはずだ。イスラム原理主義者は 生真面目な宗教者であり、ヘロインに頼る生活は排撃の対象としていると聞く。ただ、彼らは、あまりにも封建的思想に凝り固まっているのが現代世界にそぐわないだけなのであり、広い視野をお持ちのはずの著者にしては いささか酷く偏った低劣な認識ではないか。
こういう本では ほんの一部の事実誤認だけでも、著者の識見を疑うもととなり、書かれている内容全体に不信感を持ってしまうものである。
私は ここで提示した困難な状況下で まさに“バラ色の未来”をどう描いておられるのか期待して読んだつもりだったのだが・・・・。それほど日本の未来は暗く深刻であることを改めて痛感した次第である。
つまり、従来型の延長線上の発想では日本は再浮上しないと思われる。ベース・ラインも未だ出来上がっていないような全くの新規産業の育成に国家総力を挙げて取り組むべきなのであり、その芽は日本には未だあるのだ。それは、効率を目指す環境関連産業でもないし、サービス産業でもなく、それらには飛躍的に雇用を増大させるパワーはない。特に 環境関連技術は雇用を縮小させる性格を含んでいるものなのだ。やはり、日本を牽引するのは 全く新規の第二次産業でなければならない。それは日本では海と空に向かって広がる産業ではないのか。そうでなければ乗数効果の期待できる投資とはならないのである。財政出動して意味のある、投資効果が何倍にもなる産業の育成には古い発想では全くだめなのだ。
最近の世界をどう見るかに興味があり、通常 デフレはインフレより経済的には忌むべき状態であるという常識に反する標題に魅かれて 読むことにした。デフレを どのように好機に転化するのか。目下、民主党の代表選で、政見・政策が争われている中、何が正論か見定める一助にもなるだろうか、との思いからでもあった。
著者は 長谷川慶太郎氏。発行は今年の2月になっている。同氏は、80年代にご活躍のエコノミストであり、最近どのような主張をされているのか、知りたくもあり、懐かしさもあり手にとってみた。
実は、この著者は 工学系ご出身で、石油エネルギーについての専門家としてスタートし、国際エコノミストとして活躍の幅を広げられたものと思っている。ずいぶん 以前のことで何の会合だったかは 忘れたが私が大学院生として所属した研究室の当時の学生メンバーがたまたま集まったことがあり、その場でS金属に就職した1年後輩達が、長谷川氏が我々の先輩であり、彼らの会社では研修会の常連の講演者として招請しているというような話をしていて 驚いたことがあった。
だが、残念ながら読了後、何かインパクトを覚えたかというと そういうわくわく感もわかなかったのである。いわば、“私の常識”を超えるものではなかったのである。私と相違する部分については、反論材料を持っていたし、著者の主張には多少の針小棒大な印象を受ける事例も散見された。
人が ある本に魅かれるのには、“自分の気付かなかった異質のものを求める”と同時に“自分の見解と同質のものを求める”という傾向を 改めて感じさせられたのであるが、この両者を満足させてくれなかったのである。
そもそも 今どき“デフレ”をことさらに言うのも 少々タイミングが遅すぎる気がするのだ。政府が昨年末にデフレ宣言をしたのが 遅すぎたのである。だから、返って “どのように好機に転化するのか”に興味が集まったのだが・・・・。
例えば、日本の鉄鋼業が今後飛躍的に変化するだろうと述べている部分がある。この論は、はっきり言って非常に無理がある。
これまでの日本の“先進的”製鉄技術を羅列した後、電炉製鋼へ 重点移行するだろうと述べている。それは当然として、鉄需要の最たるものだった自動車が電気自動車に変化することで“(自動車の)構造が単純化されてくるので、あまり高品質の鋼材は必要とされなくなる。”と言っているが、それならば日本の製鉄会社でなくてもできることなのではないか。一時期、抗張力の薄鋼板が、冷間圧延・調質工程を含めた技術革新による日本鉄鋼メーカーの国際的優位性の象徴であり、これが自動車の軽量化に大いに寄与したのだが。さらに、何より電気を熱源として使用するのは効率面で非常に愚かしいことであり、それも国際的に日本の電力コストは高いと言われていて日本での電炉製鋼の優位性は、非常に低いと見てよい。
その上、自動車は限りない軽量化を目指しているのだが、実は電気自動車になると鉄をそれほど必要としなくなる。しかし、その点に触れていない。ガソリン車は可燃物で出来ていると事故の場合 燃え上がる危険があり、そのためにボディ等は鋼鈑が常識なのだが、電気自動車には そんな心配はないので、FRPで軽量化可能となる。実際に中国製の電気自動車にはそうなっているものがある。しかもエンジンの鋳物や 複雑な鍛造品のクランク・シャフト等 殆どの鉄製品は不要となるのだ。あの震災で供給不安のあったピストン・リングも当然不要になるのだ。
そればかりではない、著者の言うように電気自動車はガソリン車より部品点数が少ない(ガソリン車:3万点強、EV:1万点弱)ので産業構造を大きく変える要素を持っており、その点で日本の既存の産業ピラミッドには不利に働くと推測するが、その基本に関する言及はなかったのである。
著者の指摘の通り、製鉄業には鉄屑から高品質鋼を生産するための省エネ型技術の開発が要請されるのは明白であるが、そのような技術の開発は困難を極めるのだ。それは、徹底的に分別された鉄屑を原料として使用することは絶望的であるからであり、一旦鉄屑に混入した目的外合金成分をppmレベルで排除することは熱力学のエントロピー則に反しており 殆ど不可能なのである。
これで著者の言う“環境保全と経済成長は両立する”と言えるのだろうか。
電力供給の革新に関しては NAS電池を取り上げているが この技術もずいぶん以前から開発されてきているが、原子力との組合わせのシステムにおける決定打になるとも思えない。
こういった日本の技術開発について、著者はこう述べている。“1996年以降は、世界のすべての国に対して、「特許」の国際貿易は完全な「輸出超過」となった。・・・2007年実績では、ついに年間の技術貿易収支額すなわち輸出超過は1兆7700億円に到達した。” “何年か経てば、21世紀の、少なくとも半ばに至るまでに、日本は商品貿易出超よりも巨額の「技術貿易の黒字」を稼ぐことによって、国際収支の基調の黒字化を確保することが可能になる。”と超楽観的である。
だが、その技術の中身が問題ではないかと思う。応用技術や 改良技術ばかりの特許では、いずれ真似されて終わる。また基本技術を開発しても、日本企業の人事政策の拙さから、頭脳流出により そのお株を韓国などに 奪われて来たのが現状であり、今や、中国にも同様に人材流出は始まっていると言われる。まして、基礎研究では 教育体制含めて不安な要素が多いのが 日本の現状ではないか。そういう実態で、将来も“国際収支の基調の黒字化を確保することが可能”と断言できるのだろうか。
たったこれだけの反論で、この本の指摘する大半の“バラ色の日本の未来”は 崩れ去ってしまうのである。この本の内容が 残念ながら底が浅いものという印象だ。それに、ここに登場する産業が いずれも80年代以前に華やかだった産業である。IT革命以降のしかもアジアの時代にそぐわない内容のように感じる。
その上、残念なのが 著者お得意と思われる資源問題に言及していないことである。これこそ、環境問題のきっかけとなっている現代の根本問題であると思われるが、まさにこのことに全く言及していないのは何故なのだろうか。人口爆発により、エネルギー、水、それに食料と様々な不足が予想され、それに日本はどう向き合えば“バラ色の未来”を描けるのか、言及するべきではなかったのか。経済を語り、現代社会を語り、将来を俯瞰するこういった本は、人口爆発や資源問題に言及していることが必須条件であると思う。
その上、タリバンに関する事実大誤認の記述もあった。“「タリバン」は、・・・大きな役割として「ヘロイン」の大量生産者、大量販売者である”と指摘している点だ。ヘロインの生産は米国によるタリバン攻撃以降に 族長社会に後戻りし始めて広まり、著者指摘通り、アフガンでの生産高がものすごいものになったはずだ。イスラム原理主義者は 生真面目な宗教者であり、ヘロインに頼る生活は排撃の対象としていると聞く。ただ、彼らは、あまりにも封建的思想に凝り固まっているのが現代世界にそぐわないだけなのであり、広い視野をお持ちのはずの著者にしては いささか酷く偏った低劣な認識ではないか。
こういう本では ほんの一部の事実誤認だけでも、著者の識見を疑うもととなり、書かれている内容全体に不信感を持ってしまうものである。
私は ここで提示した困難な状況下で まさに“バラ色の未来”をどう描いておられるのか期待して読んだつもりだったのだが・・・・。それほど日本の未来は暗く深刻であることを改めて痛感した次第である。
つまり、従来型の延長線上の発想では日本は再浮上しないと思われる。ベース・ラインも未だ出来上がっていないような全くの新規産業の育成に国家総力を挙げて取り組むべきなのであり、その芽は日本には未だあるのだ。それは、効率を目指す環境関連産業でもないし、サービス産業でもなく、それらには飛躍的に雇用を増大させるパワーはない。特に 環境関連技術は雇用を縮小させる性格を含んでいるものなのだ。やはり、日本を牽引するのは 全く新規の第二次産業でなければならない。それは日本では海と空に向かって広がる産業ではないのか。そうでなければ乗数効果の期待できる投資とはならないのである。財政出動して意味のある、投資効果が何倍にもなる産業の育成には古い発想では全くだめなのだ。
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