The Rest Room of ISO Management
ISO休戦
映画“太平洋の奇跡−フォックスと呼ばれた男”を見て
この数年1月頃から始まる仕事の増加にもかかわらず、その上に押し寄せるイベントがあり、国民の義務たる確定申告も押し寄せてきている。しかし春めき始めた先週あたりから、そうした繁忙もようやく終息へと向かっている。
こうしたホッとした気分の中で起きている森友学園スキャンダルは、政権側の揉消しも奏功せず燃え盛った。国会での論戦を見ていると、やった、ウソだの水掛け論となりいささか本筋から離れ、議論は隘路に入りかけている。こうなった原因は、証拠となる記録を官僚側が隠滅したからだという指摘がある。考えてみるとこうした記録の廃棄は、日本では犯罪として成立しないのだろうか。あって然るべき官の記録が隠滅されているのだが。
ISOマネジメント・システムでも記録の保管は重要な要素だが、その廃棄は組織のリスク考量によって任意とされている。だが折角作られた記録は、安易に廃棄されてよいのだろうか。記録があってその信憑性を事実によって補完することが可能となれば、一層その記録の証拠性は増す場合があり、結果として組織の利益を守ることもあり得る。例えば成立した特許に対し、先使用権が何気ない日常的記録によって獲得できることもある。
だが、しかし記録の保管には目に見えないコストがかかることが多い。また最近はITによって様々な記録が細大漏らさず残すことが可能になり、逆に無駄な記録が累々と残存する可能性が出てきた。従い、これも記録の発生から相当期間を置いてITにより自動的に消去することを決める場合が多い。しかし逆に、自動的に決めたとおり確実に消去できることが手軽な印象を与え、これが“記録の廃棄”への慎重さを失わせている側面もあるような気がする。
(最近、自衛隊の電子記録である日報が廃棄されたり、復活したり不思議な管理状態であることが露呈したが、いい加減なコメンテーターの見解の多くが的外れな印象にあるのに苛立ちを覚えるがいかがだろうか。いずれにしても確かに防衛大臣・稲田氏の現場統制力には大いに問題がありそうなのは事実であろう。)
話が若干逸れたが、とにかく日本の官僚は記録を自己保身のツールとして使っている印象がある。従い自己に都合の良いデータは活用するが、不利な記録は平気で廃棄する。これを大規模にやったのが、敗戦直後の公的記録の廃棄・焼却令だ。*だが、これによって歴史の検証が困難になった側面が大きいと言われている。しかし、そういう歴史的検証を阻害したことを問題視する声は大きくないのは事実だ。つまり先の戦争に関する客観的反省を困難にしている大きな要因にもなっているにもかかわらず、なのだ。
*政府は1945年8月14日に、 「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した、と言われる。占領軍GHQの調査が始まる前に、戦争実行の証拠隠滅を急いだ。通達「機密重要書類焼却の件」は、「機密重要書類」を焼却せよという内容であり、昭和20年8月18日の発行とされる。その後、軍関係、役所、学校等で数日をかけて重要書類は焼却廃棄された。さらに、昭和20年8月21日に、「戦争ポスター」を焼却せよ、という通達もわざわざ出しているとのこと。
こうして客観的記録の覆滅によって、自己に都合の良い歴史の書き換えが可能になる。最近特に当時を知る人々が年老い生存しなくなると、平気でウソを作り上げ事実であるかのように言いふらし、あたかも事実であるあのようにしてしまう。こうして記録の軽視は歴史修正主義の温床となる訳であり、現政権の立場を補強するものへと繋がるのだ。
今回の森友学園スキャンダルでも、官僚の手によって不都合な記録は廃棄されている。これは、国有財産の廉価払下げとともに大きな犯罪ではないのか。どこかにこれを罰する法規は存在しないのだろうか。
民間人の籠池氏は証人喚問であるが、何故財務官僚は参考人招致に済ませられるのか。この国は官僚と政治家の癒着によって成り立っているのか。これが“民主主義国家”なのか。
スキャンダルにもかかわらず現政権の支持率が高く、安定政権であると見られるのは何故なのか。これに対し検察当局は市民の告発にもかかわらず、動く気配を見せないのは何故か。いずれもう少し経てば、本件も終息し、一時燃え上がった火の手は何事もなかったように鎮火するのであろうか。
こうした国内の騒ぎの一方で、米国は北朝鮮政策を転換したとされ、先日の米国国務長官の突然の日中韓歴訪はその説明だったとされる。今後の北の出方では、米国の実力行使が十分あり得るとされる。さしずめ米韓軍事演習が近海で実施されているが、それが終わる6月までは北との駆け引きに緊張が走っているはずなので、場合によっては核ミサイルが頭上に飛来する懸念があり、のんきに日常を過ごせる状況ではない。
本日の話題へと移そう。冒頭に言ったように年中行事になった繁忙も終わったので、以前から見たいと思っていた映画3本をレンタル・ビデオ(正確に言うとDVD)で見た。それは、“オッデッセイ”と“X-ミッション”、“太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男”である。
“オッデッセイ”は近未来の設定で、火星の科学探査時の事故で取り残された探査隊員のサバイバル・ドラマであり、場合によっては起こり得る話と思える想定になっている。“X-ミッション”は現実ではありえないような想定の犯罪捜査であり、何故か自然を相手に挑みつつ既存の体制を揺るがそうとする陰謀集団を壊滅するために動く米国捜査官の話だ。DVDジャケットは明るい写真で飾られているが、実際の映像は全体に何故か暗いのが、少々滅入る。“太平洋の奇跡”は太平洋戦争の終盤、サイパン島で戦われた米軍による残敵掃討戦に抵抗を試みた日本敗残兵のエピソードである。
ここでは3本のうち特に強く感慨を覚えた“太平洋の奇跡”を取り上げたい。以下に、この映画の周辺情報をネット情報(主にWikipedia;“太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-”,“サイパンの戦い”等,)を渉猟してまとめてみた。
この映画はドン・ジョーンズの長編実録小説“タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日”を原作とした 2011年2月11日公開の日本映画。日本語版出版時に映画化を企図したが、ジョーンズがハリウッドでの映画化を希望してハリウッドに売り込んだものの、大場隊の中の動きが中心になっている内容が米国での映画化には適さない上に、英文での出版物がないことを指摘され、頓挫し日本で映画化したという。
*日本映画とは言え、日本側には詳細な記録がないので米国人の小説に頼らざるを得ない部分も多かったのではないか。現日本政府は、この映画を厚生労働省社会保障審議会が推薦する児童福祉文化財の1つに選んでいるというが、情けない限りだ。
サイパン島戦は、太平洋戦争(大東亜戦争)中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘。斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が上陸し、戦闘の末に日本軍は全滅した。これにより当時日本政府が設定した“絶対国防圏”の重要な一角が失陥し、この後、それまで九州までだった米軍による戦略爆撃の範囲が、サイパン島を基地とするB29爆撃機の編隊による日本本土の爆撃が可能となり激化する。(サイパン島から東京まで約2400km、往復で4800kmになる。)
サイパン島に残ったわずかな日本兵は遊撃(ゲリラ)化して各個で戦闘を継続した。その主なものにタッポーチョ山を拠点とした大場栄・陸軍大尉を頂点とする海軍を含む各部隊の敗残兵47人が組織的戦闘で約45,000人の米軍を巧みに翻弄した。その大場栄大尉を米兵が畏敬の念を込めて“フォックス”と呼んだ実話である。大場らは1945年8月のポツダム宣言受諾(1945年8月15日)以降も、その事実を知らずに交戦を継続していたが、ついにそれを知り順次投降することになる。歩兵第18連隊衛生隊の大場栄陸軍大尉以下の部隊は、1945年11月27日に独立混成第9連隊長の天羽馬八陸軍少将(陸士第23期卒)の正式の命令(発令は25日)を受け、12月1日戦没者に弔意を示す3発の発砲を捧げ慰霊をした上で軍歌(彼らの部隊の隊歌と「歩兵の本領」)を歌ってながら山を降り投降した。512日にわたる戦いだったという。彼らは大本営のサイパン放棄を知らされず、必ず援軍がサイパンを奪還に来ると信じていたという。この映画はその経過を大場大尉を中心に描いている。
原作者ドン・ジョーンズ(Don Jones, 1924年 - 没年不詳)は、元アメリカ海兵隊隊員で作家。日本語の読み書きはできないが日常会話に不自由しない程度に日本語が堪能だったという。小説“タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日”創作の背景は、中村定“文庫本のための訳者あとがき”より次のようにまとめられている、という。
・大場栄本人による改訂は日本文から確定していった。まずジョーンズが書いた英文を中村が日本語に訳し、それを大場が確認。大場の異議に対して中村が代案を提示し、承認を得たものを中村が英訳してジョーンズに送った。
・ジョーンズは映画化を第2の目標としており、物語を面白くする方向に走りがちだったが、一方の大場は事実に正確に記すことを望み、細かく異議を申し立てた。両者の調整を行なったのは訳者の中村だった。
・ジョーンズには大場に対する強烈なイメージがあり、それを明確にするため一部フィクショナイズすることを譲らなかった。たとえば、大場自身は当時「玉砕することのみ考えていた」と言うのに対し、ジョーンズはそれを「生きのこって最後まで戦う」と変更した。
・日本での出版に合わせて来日したジョーンズの各方面への精力的な働きかけにより、大場隊の生き残り全員(18名)をサイパンに連れて行き、慰霊祭を行なった。
映画の配役は以下の通り。
大場栄 大尉(別名:フォックス) - 竹野内豊
ハーマン・ルイス大尉- ショーン・マクゴーウァン(co-star)
堀内今朝松 一等兵(別名:サイパンタイガー) - 唐沢寿明
青野千恵子 - 井上真央
私は竹野内豊も唐沢寿明も井上真央も好演していて、出来の良い映画だと単純に思った。実話をベースにしているので違和感がほとんどないのだろうと思われる。それでも一部の映画評論によると、唐沢寿明扮する元ヤクザの堀内今朝松一等兵がスキンヘッドだったのは、ゲリラ戦の中では実際上は維持困難であり、いかにも見せる映画の演出だというのは至当かもしれない。同様に、井上真央扮する青野千恵子も小説や映画のための架空の人物ではないかと思われ、大場が戦場から救出し、その後彼女が絡む赤ん坊も架空ではないかと思われる。しかしこれらは全くあり得ない話ではない。
米軍側のハーマン・ルイス大尉は大場大尉と対峙する設定だが、ここでは米軍側の数少ない知日派とされ、アイビーリーグの大学出身で2年日本に留学したという経歴ということになっている。しかし、実際は作者のドン・ジョーンズそのもに仮託しているかも知れない。
だがこの知日派の大尉が上官に日本の将棋のルールを通して日本軍の敢闘精神を説明するシーンがあるが、“日本人の忠誠心”の説明を間違えている。日本の将棋はチェスとは違い、一旦捕虜になるとその捕虜にした側の君主に忠誠を誓ってたたかうのが日本人の忠誠心であり、それほど“忠誠”を大切にするのだ、という。むしろ、日本には“死しても二君にまみえず”という言葉があり、大尉の説明には大きな違和感がある。日本映画であるにもかかわらず、この部分だけは戴けない。昔、日本は集落ごとに陣取り合戦を繰り広げるのが一般的であり、その集落単位で主君を変えることはあったので、このような将棋のルール確立の戦国期と、その後 個の忠誠心の確立した江戸期とは時代背景が微妙に異なっていることが考えられる。
単純に見れば、当時の日本人の敢闘精神を表現した映画と受け取れる。しかし、旧日本軍では戦争捕虜の扱いを規定したジュネーブ協定の教育がなされないまま戦争に従事していたのであり、逆に“生きて虜囚の辱めを受けず”という戦陣訓を叩き込まれ、このような絶望的な戦いの中では“玉砕することのみ考えていた”となるのが、現実であり、当然の帰結であったのだろう。
そういう偏った教育を受けていたにもかかわらず、大場大尉は情報が途絶した極限状況でも、常に何が正しい情報かを身近に見る状況からだけで推定し決断していく柔軟な発想と動物的勘と論理的推理力と合理的判断力を持ち合わせていた。
それは先ず、ジャングルの中でのゲリラ戦を戦う工夫であった。それが霧の発生すらゲリラ戦術に利用したというエピソードを生み、“フォックス”と呼ばれて恐れられる存在になったことに示される。その一方場合によっては廃屋に取り残された赤ん坊を敵の米軍に委ねる判断であり、敗残兵を糾合した時に行動を共にし始めた日本人民間人を米軍の収容所に向かわせる決断に見られる。頭の固い職業軍人としての思考ではなく、決して“死を無理強い”しなかった。
その後、米軍が空からまいたビラで東京の焼け跡の写真を見て衝撃を受け、広島・長崎での新型爆弾の話を聞いて、どう判断するかだが、内容の信憑性に頭から拒否してしまうことはなかった。日本軍が持ち得なかったような目の前で飛び立つ巨大なB29爆撃機を目撃して、何が真実なのかをどう推量するのか。ここで、柔軟な発想と動物的勘と論理的推理力と合理的判断力によって、投降するのが部隊の生存者にとって最良の決断だと判断したのだ。
戦後29年間ルバング島で戦っていた小野田寛郎少尉もサイパン島の大場栄大尉もいずれも陸士・陸大のエリート軍人ではない。しかし、彼らはいずれも決して無原則には降伏しなかった。いずれも投降するには上級の司令官の降伏命令を必要として要求した。命令が届いていないので戦争を継続したという、原則を曲げない行為こそ尊敬に値するのだ。柔軟にして、なお原則を外さない、これは生き方として非常に重要なことではないか。
振り返って、ISO審査でも顧客の立場に立って柔軟な裁定は必要だが、顧客とのトラブルを恐れて、無原則な審査をするようでは、審査の権威を貶めることになることを知るべきではないか。そのいい加減な審査が多すぎるような気がする。

こうしたホッとした気分の中で起きている森友学園スキャンダルは、政権側の揉消しも奏功せず燃え盛った。国会での論戦を見ていると、やった、ウソだの水掛け論となりいささか本筋から離れ、議論は隘路に入りかけている。こうなった原因は、証拠となる記録を官僚側が隠滅したからだという指摘がある。考えてみるとこうした記録の廃棄は、日本では犯罪として成立しないのだろうか。あって然るべき官の記録が隠滅されているのだが。
ISOマネジメント・システムでも記録の保管は重要な要素だが、その廃棄は組織のリスク考量によって任意とされている。だが折角作られた記録は、安易に廃棄されてよいのだろうか。記録があってその信憑性を事実によって補完することが可能となれば、一層その記録の証拠性は増す場合があり、結果として組織の利益を守ることもあり得る。例えば成立した特許に対し、先使用権が何気ない日常的記録によって獲得できることもある。
だが、しかし記録の保管には目に見えないコストがかかることが多い。また最近はITによって様々な記録が細大漏らさず残すことが可能になり、逆に無駄な記録が累々と残存する可能性が出てきた。従い、これも記録の発生から相当期間を置いてITにより自動的に消去することを決める場合が多い。しかし逆に、自動的に決めたとおり確実に消去できることが手軽な印象を与え、これが“記録の廃棄”への慎重さを失わせている側面もあるような気がする。
(最近、自衛隊の電子記録である日報が廃棄されたり、復活したり不思議な管理状態であることが露呈したが、いい加減なコメンテーターの見解の多くが的外れな印象にあるのに苛立ちを覚えるがいかがだろうか。いずれにしても確かに防衛大臣・稲田氏の現場統制力には大いに問題がありそうなのは事実であろう。)
話が若干逸れたが、とにかく日本の官僚は記録を自己保身のツールとして使っている印象がある。従い自己に都合の良いデータは活用するが、不利な記録は平気で廃棄する。これを大規模にやったのが、敗戦直後の公的記録の廃棄・焼却令だ。*だが、これによって歴史の検証が困難になった側面が大きいと言われている。しかし、そういう歴史的検証を阻害したことを問題視する声は大きくないのは事実だ。つまり先の戦争に関する客観的反省を困難にしている大きな要因にもなっているにもかかわらず、なのだ。
*政府は1945年8月14日に、 「国や自治体の機密文書の廃棄」を閣議決定した、と言われる。占領軍GHQの調査が始まる前に、戦争実行の証拠隠滅を急いだ。通達「機密重要書類焼却の件」は、「機密重要書類」を焼却せよという内容であり、昭和20年8月18日の発行とされる。その後、軍関係、役所、学校等で数日をかけて重要書類は焼却廃棄された。さらに、昭和20年8月21日に、「戦争ポスター」を焼却せよ、という通達もわざわざ出しているとのこと。
こうして客観的記録の覆滅によって、自己に都合の良い歴史の書き換えが可能になる。最近特に当時を知る人々が年老い生存しなくなると、平気でウソを作り上げ事実であるかのように言いふらし、あたかも事実であるあのようにしてしまう。こうして記録の軽視は歴史修正主義の温床となる訳であり、現政権の立場を補強するものへと繋がるのだ。
今回の森友学園スキャンダルでも、官僚の手によって不都合な記録は廃棄されている。これは、国有財産の廉価払下げとともに大きな犯罪ではないのか。どこかにこれを罰する法規は存在しないのだろうか。
民間人の籠池氏は証人喚問であるが、何故財務官僚は参考人招致に済ませられるのか。この国は官僚と政治家の癒着によって成り立っているのか。これが“民主主義国家”なのか。
スキャンダルにもかかわらず現政権の支持率が高く、安定政権であると見られるのは何故なのか。これに対し検察当局は市民の告発にもかかわらず、動く気配を見せないのは何故か。いずれもう少し経てば、本件も終息し、一時燃え上がった火の手は何事もなかったように鎮火するのであろうか。
こうした国内の騒ぎの一方で、米国は北朝鮮政策を転換したとされ、先日の米国国務長官の突然の日中韓歴訪はその説明だったとされる。今後の北の出方では、米国の実力行使が十分あり得るとされる。さしずめ米韓軍事演習が近海で実施されているが、それが終わる6月までは北との駆け引きに緊張が走っているはずなので、場合によっては核ミサイルが頭上に飛来する懸念があり、のんきに日常を過ごせる状況ではない。
本日の話題へと移そう。冒頭に言ったように年中行事になった繁忙も終わったので、以前から見たいと思っていた映画3本をレンタル・ビデオ(正確に言うとDVD)で見た。それは、“オッデッセイ”と“X-ミッション”、“太平洋の奇跡―フォックスと呼ばれた男”である。
“オッデッセイ”は近未来の設定で、火星の科学探査時の事故で取り残された探査隊員のサバイバル・ドラマであり、場合によっては起こり得る話と思える想定になっている。“X-ミッション”は現実ではありえないような想定の犯罪捜査であり、何故か自然を相手に挑みつつ既存の体制を揺るがそうとする陰謀集団を壊滅するために動く米国捜査官の話だ。DVDジャケットは明るい写真で飾られているが、実際の映像は全体に何故か暗いのが、少々滅入る。“太平洋の奇跡”は太平洋戦争の終盤、サイパン島で戦われた米軍による残敵掃討戦に抵抗を試みた日本敗残兵のエピソードである。
ここでは3本のうち特に強く感慨を覚えた“太平洋の奇跡”を取り上げたい。以下に、この映画の周辺情報をネット情報(主にWikipedia;“太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-”,“サイパンの戦い”等,)を渉猟してまとめてみた。
この映画はドン・ジョーンズの長編実録小説“タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日”を原作とした 2011年2月11日公開の日本映画。日本語版出版時に映画化を企図したが、ジョーンズがハリウッドでの映画化を希望してハリウッドに売り込んだものの、大場隊の中の動きが中心になっている内容が米国での映画化には適さない上に、英文での出版物がないことを指摘され、頓挫し日本で映画化したという。
*日本映画とは言え、日本側には詳細な記録がないので米国人の小説に頼らざるを得ない部分も多かったのではないか。現日本政府は、この映画を厚生労働省社会保障審議会が推薦する児童福祉文化財の1つに選んでいるというが、情けない限りだ。
サイパン島戦は、太平洋戦争(大東亜戦争)中、1944年6月15日から7月9日に行われたアメリカ軍と日本軍のマリアナ諸島サイパン島における戦闘。斎藤義次中将が指揮する第43師団を主力とした日本軍が守備するサイパン島に、ホランド・スミス中将指揮のアメリカ軍第2海兵師団、第4海兵師団、第27歩兵師団が上陸し、戦闘の末に日本軍は全滅した。これにより当時日本政府が設定した“絶対国防圏”の重要な一角が失陥し、この後、それまで九州までだった米軍による戦略爆撃の範囲が、サイパン島を基地とするB29爆撃機の編隊による日本本土の爆撃が可能となり激化する。(サイパン島から東京まで約2400km、往復で4800kmになる。)
サイパン島に残ったわずかな日本兵は遊撃(ゲリラ)化して各個で戦闘を継続した。その主なものにタッポーチョ山を拠点とした大場栄・陸軍大尉を頂点とする海軍を含む各部隊の敗残兵47人が組織的戦闘で約45,000人の米軍を巧みに翻弄した。その大場栄大尉を米兵が畏敬の念を込めて“フォックス”と呼んだ実話である。大場らは1945年8月のポツダム宣言受諾(1945年8月15日)以降も、その事実を知らずに交戦を継続していたが、ついにそれを知り順次投降することになる。歩兵第18連隊衛生隊の大場栄陸軍大尉以下の部隊は、1945年11月27日に独立混成第9連隊長の天羽馬八陸軍少将(陸士第23期卒)の正式の命令(発令は25日)を受け、12月1日戦没者に弔意を示す3発の発砲を捧げ慰霊をした上で軍歌(彼らの部隊の隊歌と「歩兵の本領」)を歌ってながら山を降り投降した。512日にわたる戦いだったという。彼らは大本営のサイパン放棄を知らされず、必ず援軍がサイパンを奪還に来ると信じていたという。この映画はその経過を大場大尉を中心に描いている。
原作者ドン・ジョーンズ(Don Jones, 1924年 - 没年不詳)は、元アメリカ海兵隊隊員で作家。日本語の読み書きはできないが日常会話に不自由しない程度に日本語が堪能だったという。小説“タッポーチョ『敵ながら天晴』大場隊の勇戦512日”創作の背景は、中村定“文庫本のための訳者あとがき”より次のようにまとめられている、という。
・大場栄本人による改訂は日本文から確定していった。まずジョーンズが書いた英文を中村が日本語に訳し、それを大場が確認。大場の異議に対して中村が代案を提示し、承認を得たものを中村が英訳してジョーンズに送った。
・ジョーンズは映画化を第2の目標としており、物語を面白くする方向に走りがちだったが、一方の大場は事実に正確に記すことを望み、細かく異議を申し立てた。両者の調整を行なったのは訳者の中村だった。
・ジョーンズには大場に対する強烈なイメージがあり、それを明確にするため一部フィクショナイズすることを譲らなかった。たとえば、大場自身は当時「玉砕することのみ考えていた」と言うのに対し、ジョーンズはそれを「生きのこって最後まで戦う」と変更した。
・日本での出版に合わせて来日したジョーンズの各方面への精力的な働きかけにより、大場隊の生き残り全員(18名)をサイパンに連れて行き、慰霊祭を行なった。
映画の配役は以下の通り。
大場栄 大尉(別名:フォックス) - 竹野内豊
ハーマン・ルイス大尉- ショーン・マクゴーウァン(co-star)
堀内今朝松 一等兵(別名:サイパンタイガー) - 唐沢寿明
青野千恵子 - 井上真央
私は竹野内豊も唐沢寿明も井上真央も好演していて、出来の良い映画だと単純に思った。実話をベースにしているので違和感がほとんどないのだろうと思われる。それでも一部の映画評論によると、唐沢寿明扮する元ヤクザの堀内今朝松一等兵がスキンヘッドだったのは、ゲリラ戦の中では実際上は維持困難であり、いかにも見せる映画の演出だというのは至当かもしれない。同様に、井上真央扮する青野千恵子も小説や映画のための架空の人物ではないかと思われ、大場が戦場から救出し、その後彼女が絡む赤ん坊も架空ではないかと思われる。しかしこれらは全くあり得ない話ではない。
米軍側のハーマン・ルイス大尉は大場大尉と対峙する設定だが、ここでは米軍側の数少ない知日派とされ、アイビーリーグの大学出身で2年日本に留学したという経歴ということになっている。しかし、実際は作者のドン・ジョーンズそのもに仮託しているかも知れない。
だがこの知日派の大尉が上官に日本の将棋のルールを通して日本軍の敢闘精神を説明するシーンがあるが、“日本人の忠誠心”の説明を間違えている。日本の将棋はチェスとは違い、一旦捕虜になるとその捕虜にした側の君主に忠誠を誓ってたたかうのが日本人の忠誠心であり、それほど“忠誠”を大切にするのだ、という。むしろ、日本には“死しても二君にまみえず”という言葉があり、大尉の説明には大きな違和感がある。日本映画であるにもかかわらず、この部分だけは戴けない。昔、日本は集落ごとに陣取り合戦を繰り広げるのが一般的であり、その集落単位で主君を変えることはあったので、このような将棋のルール確立の戦国期と、その後 個の忠誠心の確立した江戸期とは時代背景が微妙に異なっていることが考えられる。
単純に見れば、当時の日本人の敢闘精神を表現した映画と受け取れる。しかし、旧日本軍では戦争捕虜の扱いを規定したジュネーブ協定の教育がなされないまま戦争に従事していたのであり、逆に“生きて虜囚の辱めを受けず”という戦陣訓を叩き込まれ、このような絶望的な戦いの中では“玉砕することのみ考えていた”となるのが、現実であり、当然の帰結であったのだろう。
そういう偏った教育を受けていたにもかかわらず、大場大尉は情報が途絶した極限状況でも、常に何が正しい情報かを身近に見る状況からだけで推定し決断していく柔軟な発想と動物的勘と論理的推理力と合理的判断力を持ち合わせていた。
それは先ず、ジャングルの中でのゲリラ戦を戦う工夫であった。それが霧の発生すらゲリラ戦術に利用したというエピソードを生み、“フォックス”と呼ばれて恐れられる存在になったことに示される。その一方場合によっては廃屋に取り残された赤ん坊を敵の米軍に委ねる判断であり、敗残兵を糾合した時に行動を共にし始めた日本人民間人を米軍の収容所に向かわせる決断に見られる。頭の固い職業軍人としての思考ではなく、決して“死を無理強い”しなかった。
その後、米軍が空からまいたビラで東京の焼け跡の写真を見て衝撃を受け、広島・長崎での新型爆弾の話を聞いて、どう判断するかだが、内容の信憑性に頭から拒否してしまうことはなかった。日本軍が持ち得なかったような目の前で飛び立つ巨大なB29爆撃機を目撃して、何が真実なのかをどう推量するのか。ここで、柔軟な発想と動物的勘と論理的推理力と合理的判断力によって、投降するのが部隊の生存者にとって最良の決断だと判断したのだ。
戦後29年間ルバング島で戦っていた小野田寛郎少尉もサイパン島の大場栄大尉もいずれも陸士・陸大のエリート軍人ではない。しかし、彼らはいずれも決して無原則には降伏しなかった。いずれも投降するには上級の司令官の降伏命令を必要として要求した。命令が届いていないので戦争を継続したという、原則を曲げない行為こそ尊敬に値するのだ。柔軟にして、なお原則を外さない、これは生き方として非常に重要なことではないか。
振り返って、ISO審査でも顧客の立場に立って柔軟な裁定は必要だが、顧客とのトラブルを恐れて、無原則な審査をするようでは、審査の権威を貶めることになることを知るべきではないか。そのいい加減な審査が多すぎるような気がする。
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