かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

03 捜索 その2

2009-03-22 14:53:16 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 真夏の蝉時雨が、うるさくはやし立てているように聞こえる。物理的に突き刺さっているんじゃないか、と思えるほどの苛烈な陽光が容赦なく一行を真上から照らし、時折通りを吹く風も、熱い吐息を撫で付けて行くばかりだ。本当はすぐにも走り出したいくらいの状況なのだが、無闇やたらに突き進んで手がかりを失いたくない。麗夢は焦る気持ちを抑え、先頭を這うように進むベータの尻尾を見つめていた。
「どう? まだ大丈夫?」 
「ワン!」
 ベータが真剣な面もちで鼻を地面すれすれに降ろしながら、大丈夫、と返事をした。工場を出て間もなく、ベータの鋭い鼻がシェリーの痕跡を捉えたのだ。地面は火傷しそうなほど加熱したアスファルト。ベータの、はあはあと苦しげに舌を出しながら頑張る姿に、麗夢はあなただけが頼りなの、と声援を送る。アルファもピッタリベータに寄り添って、何か遺留品の一つもないか、と目を皿のようにして周りに視線を送っている。鬼童、ヴィクターも、今はただ黙々と麗夢達の後に従っていた。どちらもあまり外に出て仕事するタイプではない。ことにヴィクターは、過ごしやすい高原の故郷から、突然この世界中でもっとも不快なんじゃないか、と自信を持って推薦できるほどな酷熱地獄を彷徨っている。体力的にも限界だろう。だが、それはシェリーにも言えることだ。ヴィクターを支えているのは、まさにシェリーへの愛情その物に違いなかった。
 やがて、ずっと歩いてきた道に、浅い角度で交差する別の道が現れた。突然ベータの足が止まり、右左と忙しそうに首を振って地面をかぎ回った。
「ぅう~」
 やがて難しい顔つきで、心配そうに覗き込む麗夢に告げる。
「え? シェリーちゃんの匂いが分かれた?」
「きゅぅう~、くぅーうん」
 一つは、まっすぐ道なりに進む方角。もう一つはその道とVの字に分かれていく道、そしてもう一つ、そのVの字の反対側、逆方向に急角度に折れ曲がる方角。都合三方向にシェリーの匂いが残っているというのだ。
「い、一体どうしたんですか、麗夢さん」
 ヴィクターがたまらず問いかけると、麗夢は腕組みをして右手を顎につけた。
「実は、シェリーちゃんがどっちに行ったか、判らなくなったの」
「なんですって?!」
「こっちかこっちかこっち、どれかのはずなんだけど……」
 驚愕に固まったヴィクターに、ベータから教えてもらった通り三つの道を指さしてみせる。
「多分、ずっとまっすぐ歩いていって、戻ってくるときに間違え、その間違いに気づいて引き返したときに、また気づかずに違う方に歩いてしまったんだと思うのよ。でも確証はないわ」
 なおも考える麗夢に、鬼童は急角度に折れ曲がる方を指さして言った。
「ではこうしましょう。僕は取りあえずこっちの方向に進み、目撃者を捜してみます。アルファとベータはこのまままっすぐ進んで、シェリーちゃんが確かに折り返してきたかどうか確かめてもらいましょう。麗夢さんとヴィクターは、こっちの恐らく最終的にシェリーちゃんが行ったと思われる方角に進んで下さい。アルファとベータはシェリーちゃんが折り返したことを確認してから、麗夢さん達と合流し、僕たちはシェリーちゃんの足取りが掴めたら携帯電話でお互いを呼びあうことにしてはどうですか?」
「そうね、判ったわ。そうしましょう」
 鬼童としては、ピリピリしている麗夢の側が文字通り針のむしろだったがゆえの提案だったが、考えてみるとそう悪くない考えでもあった。三方向を調査しなければならないとなれば、分かれて探索するのは自然なことであるし、麗夢の推理は充分説得力のある合理的なものだったから、恐らくアルファとベータは程なくシェリーが引き返したことを探り当てることだろう。万一そっちでシェリーが見つかっても、アルファかベータどちらかが伝令役になることで連絡が付くし、麗夢と鬼童の間なら、携帯電話で状況の把握が可能だ。唯一の心配は、鬼童が見落とししかねない事である。麗夢の二人に対する信用は、シェリーを一人外に出したというその一点で既に地に落ちているのだ。とはいえ、ヴィクターを一人で不案内な日本の下町をうろつかせるわけにも行かない。
「それじゃあ、アルファ、ベータ、お願いね」
「ニャアウゥ」
「ワンワン!」
 二匹が笑顔で麗夢を見上げ、盛んに尻尾を振って了解を伝えた。麗夢もにこっと笑顔を返すと、にわかに顔を引き締めてヴィクターに言った。
「じゃあ行きましょう。ヴィクター博士」
「う、うん」
 鋭く踵を返した麗夢の背中を、慌ててヴィクターが追いかける。一方、一言もなくくるりと向こうに向いてしまった麗夢に、鬼童はまたもがっくり肩を落とし、自ら選んだ一人の道を、とぼとぼと歩き始めた。
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03 捜索 その1

2009-03-22 14:53:12 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 シェリーの姿が見えなくなっていることに鬼童とヴィクターが気づいたのは、シェリーが出て行ってからちょうど一時間が経過したときのことであった。二人は、ようやく合流した麗夢に問われ、初めてシェリーがいなくなっていることに気が付いたのだ。
「でも、確かついさっき外へ行くって言ってましたから、そんなに遠くに行っているはずはないんですが……」
 鬼童の覚束なげなその言葉は、シェリーが出ていってもう一時間になると証言した従業員によって、見事に否定された。
「そ、そんなに前だったのか?」
 ヴィクターと鬼童が狐に鼻をつままれたような顔を互いに見交わしている前で、麗夢は苛だたしげに溜息をついた。
「もう、夢中になるとこれだから……。私が遅れたのは悪かったけど、シェリーちゃん一人ほったらかして外に行かせるなんて、信じられないわ……」
「……申し訳ない」
 二人はしおらしくしょげ返って、麗夢に頭を下げた。しかし、あのシェリーが見知らぬ土地を出歩いて一時間も帰らずじまいというのは、一同に不安を惹起させるには充分な時間である。
「と、とにかく探しに行きましょう。どこかで迷子になっているのかも知れないし……」
「あ、ああ! 早く見つけてやらないと、この暑さだし、心配だ!」
 全く、心配なら目を離さないで欲しい。麗夢がきっと二人を睨み付けると、再び二人の頭ががっくりと垂れた。
「で、シェリーちゃんはどっちに行ったの?」
「そ、それが……」
「まさかそれも判らないの?!」
「面目ない……」
 二人とも並べば東京都庁のようにそびえ立って見えるのに、今は小柄な麗夢よりも小さく錯覚されるほど、がっくりと肩を落としている。そんな二人を見かねて、おずおずと社長が口を開いた。
「確か、出てすぐに左へ行ったはずや。なあ」
 社長に問われて、麗夢の前に麦茶のコップを置こうとした従業員が、何度も頷いて社長の言葉を肯った。
「確かに左やった。あれから前を通りかかってないから、右の方には行ってへんはず」
「ありがとう、左ね!」
 麗夢は努めて明るく礼を言うと、厳しい目つきに返って突っ立っている二人に言った。
「さあ、行くわよ! 鬼童さん、ヴィクターさん。早くシェリーちゃんを見つけないと!」
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02.出会い その4

2009-03-15 11:38:09 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「あなた、この辺の人じゃないわね。どこから来たの?」
「あ、あたし、フランケンシュタイン公国から……」
 私はまだ驚きからさめやらぬまま、真正直に答えた。
「フランケンシュタイン公国? へえ、随分遠くから来たのね」
「ご存じなんですか?」
「ええ、確かジクムント・フロイトが晩年に住んだ国でしょ?」
 私はまたも正直に驚いた。
 博士や鬼童さんによると、日本人で私の国を知っている人はほとんどいないそうだ。そして確かに、工場の社長さんや従業員の人達も、博士や私の自己紹介に、「日本語上手」とほめるばかりで、私の国のことを話しても首を傾げるだけだった。
 ところが、この人はズバリ知っている。
 それだけで、私はマリア様かイエス様にあったような気分になったのだから、余程不安が高じていたのだろう。どうぞ坐って、と少し腰をずらしたその人の隣に腰掛けながら、私は声をうわずらせて尋ねてみた。



「あ、あなたは? あなたもこの土地の人とは思えませんけど」
 するとその人は首を傾げ、努めて明るく私に答えた。
「あたし? あたしは大阪の生まれよ。正真正銘の日本人」
 私は今日三度目の驚きに目を丸くした。
「うそ……」
「本当よ」
 でも髪の色も違うし、その格好はきっと工場の社長さんのような日本人の中では、はっきり目立つほどに違うじゃない……。
 そんな私の心の声は、喉が空気を震わせる前に顔に出ていたらしい。少女はまた笑顔を閃かせて、私に言った。
「この髪? もちろん脱色しているのよ。それに肌の色だって」
 なるほど、そう言えば工場の従業員さんにも、黒とはもう言えない薄い色の髪の人がいた。それに彼女の肌の色は、私とは確かに違う。黄色人種に分類される、麗夢さんと同じ暖かみを帯びた色だ。
「それで、フランケンシュタイン公国人のあなたが、こんな異国で何をしているのかしら? ひょっとして、かの国のお姫様?」
「え? い、いえ、違います」
 私は咄嗟にかむりをかぶって、彼女の言葉を否定した。確かに国ではそれなりに重要人物の孫娘だけれど、フリードリッヒ・フランケンシュタインIV世陛下の姫君では断じてない。
 すると彼女は、ちょっとがっかりした風に私に言った。
「そう、私てっきり『ローマの休日』かと思ったのに……」
「……」
 私が返答に困って黙っていると、彼女は改めて何をしていたのか聞いてきた。
「えと、ちょっと迷子になって……」
 自分で口にすると、思わず不安がぶり返してまた涙が浮かんでくる。
 それを知ってか知らずか、彼女は努めて明るく、私に言った。
「ふーん、ところであなた、時間、ある?」
「え? ええ……」
 一体何を聞くのか、と私が目を白黒させていると、その少女はこともなげに驚くことをまた言った。
「じゃあお願いだから付き合ってくれない? 私、是非探したいものがあるの。何となくあなたとなら見つかりそうな気がするのよ」
「探し物?」
「そうよ。お礼にあなたを助けて上げる。ちゃんとはぐれた仲間のところに連れていって上げるわよ。どう?」
「本当に?……」
「もちろん!」
 私は突然のありがたい申し出に、また涙がこぼれそうになった。もしこれが詐欺なら、これほど容易い相手はいなかったに違いない。
 それでも私は、混乱する頭の中でも何となくこの人は信じても大丈夫という気がしていた。
 根拠も何もない。
 後で麗夢さんが知ったら叱られちゃうかもしれないけれど、私は彼女を信じることに、その瞬間決めたのだった。
 私が黙ってこっくり頷くと、彼女は早速私の手を取った。
「それじゃ行きましょ。まずは腹ごなしね。あなた、タコは食べられる?」
「タコ? ええ、食べられますけど……」
「良かった。欧米人って、タコ苦手な人多いでしょ? でも、この町で一番美味しいのはタコなのよねぇ」
 彼女は独り納得の頷きを何度か繰り返すと、突然また振り向いて私に言った。
「ところであなた名前は?」
「し、シェリー、です」
「シェリーちゃんね」
「あ、あの、あなたは?」
 私は当然そう聞き返した。第一名前も判らないとこの先呼びかけるのも苦労する。ところが、彼女は小首を傾げると、軽く眉を寄せて今日一番の驚く答えを私に返した。
「私? えーとね、実は……」
「実は?」
「判らないの」
「え? えーっ?!」
 私は相手の言葉の意味を理解するや、ただ絶句するしかなかった。そんな私の前で、彼女はのんびり私に言った。
「ええ。さっきから思い出そうと頑張っているんだけど、これが駄目なのよねぇ。これも、探し物の一つだわ」
「そんな……」
 自分の名前まで探し物の一つだなんて……。
 じゃあ彼女の他の探し物って一体? 
 新たな不安をかき立てられながらも、私は努めて冷静に尋ねた。
「じゃあ、あなたをなんとお呼びしたら……」
「私? そうねぇ……」
 彼女は腕組みしてあらぬ方を睨み付けていたが、やがて楽しそうに笑みを閃かせて、私に言った。
「時に、シェリーちゃんは年は幾つ?」
「え? 11才、です……けど……」
「そう、私は14才だから、私の方が上ね。なら都合がいいわ。いいこと? これから私のことは、お姉さまと呼びなさい」
「お、お姉さま?」
 私はもう驚くのも飽きるほど彼女を見つめていたが、彼女は別に気を悪くするでもなく、私の手を取った。
「え? あ、ま、待って……」
「お姉さま、でしょ?」
 彼女は振り返ると少し口を尖らせて私に言った。
 その様子が、年上なんだけど思い切り可愛らしく見えて、私も思わず微笑んでいた。
「待ってください、あ、あの、お、おお、お姉さま!」
 それを口にするのは妙に気恥ずかしくて、初めての言葉はどもってしまった。
 日陰だというのに耳も熱い。
 でも彼女、いいえ、お姉さまは、充分うれしそうに頷いた。
「うん! 上出来ね! さあ行くわよシェリーちゃん!」
「どこへ行くんですお姉さま!」
「さっき言ったでしょ? まずは腹ごしらえ。次に私の探し物よ!」
 疑問は一向に晴れないまま、私の体と心は、たった今出来た「お姉さま」によって、ぐいぐい引っ張られていった。
 私はやっぱり戸惑ったままだったけど、少なくとも不安だけは、無くなったみたいだった。
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02.出会い その3

2009-03-08 17:37:29 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 そんなわけだから、とにかく見えるもの全てが私には楽しい。
 もちろんさっきの工場だって、そう言う意味ではなかなか興味深いところだったけど、1時間も黙って観察を続けていられるような場所じゃなかった。いくら見ていても訳の分からないものばかりだったら、どんなに面白そうに見えても結局は退屈しちゃうでしょ?
 そこでそんな退屈を何とかしようとこうして進んでいるんだけど、いつの間にか道はゆっくり左に曲がっていって、やがて振り返ってもさっきの工場の姿が見えなくなっていた。
 そのせいか、さっき感じた不安がちょっと膨らんできたように思える。
 私はそれに逆らい、半ば意地になって先を進んだのに、どこまで行っても、見たところ変化らしい変化がなかった。
 雑然で混沌とした町並みが続いているばかり。
 それに人気もない。
 誰も、わざわざこんな暑い時に外を出歩こうなんて言う気にはなれないのでしょう。それだけをとるならば、私だって早くも後悔してないわけではなかったのだから。
 さすがに私の意地も、ここへ来てようやく音を上げたようだった。
 私はくるりと踵を返すと、元来た道を引き返した。
 行きは気持ちがわずかでも晴れたこともあって、まだ元気よく歩けた。でも、帰りは知らず知らずうつむきがちになる。
 同じ風景。
 同じ混沌。
 どこにいるのか判らないけれど、耳を塞ぎたくなるうるさい蝉が頭ごなしに鳴き喚き、容赦ないお日様を一層煽り立てているみたい。
 行きは揚々と運んでいた足が、とぼとぼという具合に勢いを無くしているのが自覚される。
 工場に帰ってもうれしいわけではないけれど、もうすぐ麗夢さんが来てくれるんだとそれだけを励みに、私は足を動かしていった。
 ところが!
 いつの間にか道を間違えたことに気づいたのは、かなり進んでしまってからだった。実は後で気づいたのだが、行きは特に気をつけていなかった浅い角度で交差する道が一つあって、周りをよく見ずに足元ばかり見ていた私は、誤ってその未知の方角に足を踏み入れてしまったのだ。周囲が私には見分けがつかない混沌世界だったことも、間違いに気づくのを遅らせた。でも、いくら見分けが付きにくいと言っても、まるで見た記憶がない大きな駐車場の横に出ては、私もさすがに気づかざるを得ない。きっと暑さに頭もぼうっとしていたのだろう。見知らぬ町で見知らぬ場所に放り出された私の頭は、知らないうちに周囲の風景に毒され、すっかり混乱してしまったようだった。
 私は慌てて振り返ると、小走りにまた道を引き返した。
 でも、どこまで行っても見覚えのある通りが出てこない。
 これも後になってそうじゃないかと思ったのは、どうやら行きはすんなり選んだ道なりの曲がり角を、気づかずまっすぐ行ってしまったみたいだった。落ち着いて
 ゆっくり進んでいればあるいは簡単に気づいたかも知れない正しい道を、私はまたしても踏み外した。
 蝉の声は相変わらず私をせき立てる。
 周りの光景は容赦なく私を混乱させてあざ笑っているみたい。
 暑い。
 のどが渇く。
 不安はもう恐怖と言っていい状態だった。
 私は何時しか涙を浮かべながら、見失った道を求めて彷徨った。
 ……いつまでそうしていただろうか。
 ちゃんと時計で計っていたらきっとせいぜい十分足らずだったのだろうけど、その時の私には全く見当も付かなかった。そんな混乱の最中、ちょっと今まで見えなかったものが、はるか向こうにちらついているのに気が付いた。
 緑だ。
 私は、緑が好き。
 湖畔の柔らかな草花達も好きだし、深い森が織りなすビロードのような濃淡も好き。
 虹や花が私の心を華やかに彩ってくれるとしたら、緑の木は静かに包み込んで寝かしつけてくれるように感じる。
 気持ちを落ち着け、安心させてくれる色。
 それが、植物の緑だろう。
 私はその安心を欲しいばかりに、見覚えのない緑の方へ惹かれていった。
 近づくにつれ、緑色は、思った通り木だったことが判った。
 もっともバイロン湖畔のどっしり構えた木々とはまるで違う。
 弱々しく枝を広げた木が、乾いた葉をつけてまばらな影をからからの地面に落としているばかりだ。
 きっと根が広がる場所が足りないのだろう。
 そんな木がざっと十本くらい? 小さな箱庭のような公園のあちこちに、無造作に並んでいた。確か日本語では、こういうのを「猫の額」と言うんだったっけ。なるほど、ぴったりの言葉だと思う。
 公園には相変わらず人気はない。
 ペンキの剥げた滑り台や鉄棒も、お日様の光に、ただ鈍く光るばかりだ。
 私はせめて影で坐ることが出来ないか、とその公園を見回した。
 さすがに疲れてしまったから、今はちょっと落ち着いて考える時間と場所が欲しかった。
 彼女がいたのは、その公園で唯一木陰が覆っている、古ぼけたベンチだった。
 ふわふわの金髪にピンクのリボンをウサギの耳のように立て、同じ色の半袖ワンピースの上から、白いエプロンドレスをつけている。
 その少女が、私を見てまるでずっと知り合いだったみいににっこりと笑顔を形作った。
 思わず私も口元をほころばせた。
 くりくり動く大きな目が私の顔を見つめ、その可憐な唇が動いた。
「どう? 坐らない?」 
 でも、それだけならびっくりはしなかっただろう。
 私は疲れていたし、迷子になって心がくじける寸前だった。驚く余裕などつゆほどもなかった。
 それでも私が驚いたのは、実はその言葉が日本語じゃなかったからだ。言葉を失って立ちつくした私に、その少女は少し小首を傾げ、もう一度、違う言葉で同じ意味のことを言い、更に言語を換えてまた言った。
 英語とドイツ語とフランス語。
 外見からして日本人っぽくないけど、この異国で急にそんな風に語りかけられるとは夢にも思わなかった。
 私は咄嗟に返事が出来ずにただ見つめ返すだけ。
「あれぇ、言葉通じないのかな?」
 少し眉を顰めて呟いたのは、間違いなく日本語だった。それも、工場の社長のような分かりにくい言葉じゃなくて、すっきり耳に入ってくる言葉だった。
「い、いえ、ごめんなさい」
 私は気が動転していたのか、思わず日本語で意味なく謝っていた。すると少女は、まるで電灯のスイッチを入れたみたいに明るく朗らかな笑みを顔中に閃かせて、私に言った。
「なんだ、日本語判るんじゃない! あーよかった。外国語ってなんか緊張しちゃうのよね」
 少女はほっと一息つくと、改めて私に話しかけた。
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02.出会い その2

2009-03-01 15:54:01 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 そんな無邪気な大人達を眺めながら、私は早く時間がたってくれればいいのに、と口の中で言ってみた。そして、自分には構わないでいい、と宣言してしまったことに、ほんのちょっとだけ後悔してた。
 初めのうちは、鬼童さんも博士も、退屈だろう、とか、疲れたろう、とか言って、一応は私のことを気にかけてくれていたのだから。
 それに対して、大丈夫だから心配しないで、って、いつもの通り少しだけ強がって見せた。だから表だって不平不満を並べる訳には行かなくなった。
 あんなこと言わなければ、まだ二人に一言くらい甘えてみることもできたかも、って思ってしまう。
 きっとそうだとしても言わなかったはずだけど、言えるけど言わないでおく、と言うのと、最初から言えない、と言うのとでは、気持ちの持ちようが違う。少なくとも前者なら、もう少し気持ちに余裕を持っていられると思うから。
 だからこうして、周りが全く目に入らなくなるほど夢中になっている二人を見ていると、一人取り残されたような気がする自分を持て余してしまう。
(それにしてもあと1時間……)
 この工場に入る直前、鬼童さんが電話してくれたけど、今、麗夢さんは全速力でこちらに向かっているとのことだった。それでも後1時間はかかっちゃうから、それまで私は頑張らないといけないのだ。
 ……でもさすがに限界かも……。
 少なくとも、ここでじっとしてるのは、もうしたくなかった。
(ちょっとお散歩くらいは、いいよね) 
 私は、話に夢中な博士に一言、ちょっと外を見てきます、と言って、そっと工場の外に出てみた。
 博士は軽く手を挙げただけで振り返りもしない。
 いや、手を挙げただけまだましかも。本当に、夢中になると目の前しか見えなくなる人なのだから。
 こうして取りあえず息の詰まる場所から離れた私は、少しだけ気持ちが清々した。
 もちろん真夏のお昼時に、母国のすがすがしい気候に慣れた体でこの見知らぬ土地を出歩こうというのは、かなり危険な冒険と言える。実際照りつける太陽は、鍔広の帽子ごしでもぜんぜん関係なしに頭や身体を熱し、まとわりつくようなじっとりした空気がとっても気持ち悪い。
 それでも、うるさくて、臭くて、まぶしくて、あつーいところにじっと閉じこめられているよりまだまし。
 そう自分に言い聞かせて、私は工場前の車2台なんとか並べられるほどの狭い道路を、きょろきょろと見渡した。
 どうも左の方が何となく影が多い。
 私はそう見定めると、とりあえず左へ足を向けた。
 初めての不案内な街だけど、こうして直進するだけなら迷う心配もないと思った。
 それにしても、何とも表現に困る街……。
 車窓から見たときと同じ感想が、暑い吐息と共に私の口を漏れ出る。
 全く統一感のない背の低い建物達の、道に面した窓や玄関のドアが大きく開け放たれ、何かの音声が通りにかなりの音量で流れ出して、小うるさい蝉の声と交じり合ってる。
 チラとそちらをみてみると、どうやらテレビの音だった。
 窓を向いたテレビの画面に、この炎天下、長袖長ズボンを着た男の人達が、長い棒を持って振り回したり、私でも鷲掴みできそうな小さな球を投げたりしている。
 事前に学習した内容を頭の中でぱらぱらめくり、それは野球という球技であろうと見当をつけた。確か日本では一番人気のあるスポーツだったはず。
 そんな玄関前には、大抵所狭しと鉢植えの植物がおかれ、燦々と降り注ぐ太陽を浴びて、さすがにぐったりと葉をたれ下げている。
 ただ、サボテンだけは様子が違うみたい。
 小指ほどの太さと長さの、産毛のような刺を体中にまとったのが、大きな鉢一杯に群がるように広がって、もう元気一杯って感じ。
 そんなこんなを眺めながら先を進んでいた私は、ふと地面に根付いている植物の姿がほとんどないことに気づいた。まだ500メートル程しか進んでいないと思うけど、地面に見える緑は、舗装された道の所々に出来たひび割れから顔を出す名も知れぬ草ばかりで、木と言えるようなものは全然ない。
 完全に緑不足。
 過ごしやすいバイロン湖畔の、柔らかな草原や深い森の緑とは全く縁のない世界。
 その上とにかく目にも耳にも雑然とした混沌が飛び込んできて、ここにいることその物が、妙な不安をかき立てる。
 全くの異国の見知らぬ町を、たった一人で歩いているのだから、その感覚は当然と言えば当然なのだ。郷に入りては郷に従え、って言う日本語も私は覚えている。だから、これはこれとしてしっかり目に焼き付けておけばいいこと。
 私は少しでも日陰を選びながら、そう自分に言い聞かせて更に先を歩いた。
 実際、目が見えるようになってからの私は、まさしく好奇心の塊だった。
 目で見えるもの全てに強い興味を覚え、少しでもその姿を目に焼き付けたくて仕方ないのだ。
 でも、そんな風に考えられるようになったのはまだ最近のこと。
 初めのうちは、耳と手触りだけの暗黒の世界に、急に光が射しこんんで来たものだから、全く目が眩んでそれどころではなかった。
 そもそもそれまで暗黒とは何かすら理解してなかったし、目が見える、と言うことを想像もできなかったのだから、私の驚きと戸惑いはほとんど恐怖そのもの。博士が根気よく献身的にリハビリテーションしてくれてなかったら、そしておじいちゃんが泣いて喜んでくれていなかったなら、私はもう一度目を見えなくしてくれるよう本気で博士に頼んでいただろう。
 それくらい、視力というのは刺激の強いものなのだ。
 でも、それにようやくの思いで慣れた私は、その裏返しのように、目に見えるあらゆる物を見て、手触りや香りで刻まれていた過去の記憶に、新たなページを書き込むことに夢中になった。
 今まで甘い香りとしなやかな肌触りで覚えていた花が、本当にきれいな色をしていることに興奮したり、冷たいだけだった雪が、奇跡のように純白で穢れない色をしていることに感激した。
 中でも湖に架かった虹の姿には、深い感動を覚えた。
 雨の後の澄んだ空気の中に、きらきら輝く湖面の上で音もなくかかる巨大な橋。赤から紫まで、この世の全ての色を順に並べたその橋の美しさは、涙がこぼれそうになる位素晴らしかった。
 北の方の神話では、あの虹を渡っていくと神の国に行けるんだそうな。私は、その虹が消えて見えなくなるまで、半ば本気で、いつの日かあれを渡ってみたいと願っていた。
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02.出会い その1

2009-02-22 09:46:10 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「おお、これは素晴らしい! これほどのものは我が国、イヤ、世界中でもここでしか出来ないだろう!」
「確かに見事な出来だよ。おっ、こっちはどうだいヴィクター!」
「素晴らしい!」
 …………
 もうかれこれ一時間にもなりますか。
 大の大人が二人して、まるで子供のようにはしゃぎまくって。
 と言って、ここが遊園地とかデパートのおもちゃ売場とか、大抵の子供なら大喜びするような場所ではもちろんない。
 軽快で楽しげな音楽の代わりに、金属が打ち合い、高速回転するモーターが上げる悲鳴のような金切り声。
 明るい華やかな照明の代わりに、飛び散る火花や目を灼く電気溶接の燭光。
 甘い甘い香りの代わりに、機械油と金属臭。
 はっきり言って、快適とは対極の位置にある場所。
 でも、二人の大人にとっては、この場所が子供にとってのおとぎの国同然に、夢のあふれるファンタジックな世界に見えているんでしょうね。
 私は思わずまた出そうになった欠伸を、強引にかみ殺した。
 退屈。
 暑くてうるさくて臭くてまぶしくて。
 でも、折角博士が喜んでいるんだから、もうちょっとだけ我慢してみようと、さっきから何度も自分に言い聞かせている。それに、もうちょっと……後1時間ばかり……我慢していれば、麗夢さんが来てくれる。今はその後のお楽しみのために、長旅で疲れた身体を休めておく時間。……こんなところで充分な休みになるとは思えない、と言うのは、この際考えないで置くことにしているんだけど……。
 さて、ここがどこかというと、東大阪市と言う町。
 ヴィクター博士が、日本に行くと決まったときから必ず行くんだって張り切っていたから、私もちょっと下調べしてみた。
 面積は62平方キロ。人口は51万人。この数字だけだと、なるほどそれなりに大きな町だけど、パリや東京よりはずっと小さい、世界中にいくらでもある都市。
 でもここには、博士が予定を無理にやりくりしてでも来たくなるものが一つだけあった。製造業事業所数8,078を数える、世界最強の中小企業群。
 下調べに使ったウェブサイトには、『歯ブラシからロケットまで』何でも作れる匠の技が揃ってると宣伝していた。博士が興奮した口調で教えてくれたんだけど、ここは、博士が研究に使う精密な測定装置も超える指先を持つ、21世紀のスーパーマン達が集まった街なんだって。確かに活気溢れる町のようで、そんな人達が寄ってたかって、「まいど1号」っていう人工衛星を、独力で開発、打ち上げようと言う稀有壮大な計画も進行中なんだとか。そんな町の超人達のお手並みを見たさに、博士は関西国際空港に降り立ったその足で、戸惑う鬼童さんをせっついていきなり車を飛ばしてきたというわけ。
 でも、そこまでして来たがった工場がどれほど立派かというと、実は本当に拍子抜けするようなこじんまりしたモノだった。
 空港から鬼童さんの運転する車で、初めて間近に見る「海」や、その海をまたぐ大きな橋と機能的な高速道路に歓声を上げたのも束の間、高速道路を降りた途端の町並みに、私は言葉を失った。
 一言で言うと、ごちゃごちゃしている。
 住居と思われる建物は一様に低く、どの家の瓦屋根も方向は勝手気まま、色も自由自在で、全く統一感と言うものがない。
 緑は少なく、妙に灰色っぽい舗装で地面が覆い尽くされている(鬼童さんによると、アスファルトという簡易舗装だそうだ)。
 そんな中に、なんの脈絡もなく細身の鉄筋コンクリートの集合住宅が、てんで勝手ににょきにょき生えている。
 本当に、ヨーロッパでは考えられない、無秩序で混沌とした町が広がっていた。
 そして工場は、そんな住宅街に埋もれるようにして建っているんだから、これまた驚き。
 実際、鬼童さんに、ここがそうだと言ってもらうまで、私も博士もまるでその存在に気づくことが出来なかった。
 それもそのはずで、博士が来たがった工場は、働いている人が社長さんも含めてわずかに7人。周りの家よりはさすがにちょっと大きめの建物だけど、とっても小さな私の国だって、これより小さな工場はないと思う。でも博士が言うには、ここで作られる超微細構造のネジやボルトは、世界広しと言えども、ここでしかできないんだって。おじいちゃんのお仕事も、ここのネジが無いと成り立たないそうだから、やっぱりすごいんだろうな。でも、そんなネジを作るスーパーマンと言うのが、博士の前に立つおじさんというのは、失礼かも知れないけれど、やっぱり嘘でしょ? と言いたい。
 日本人というと、私は麗夢さんや鬼童さん、円光さんに榊警部しか知らないけど、このおじさんはそのどの人達とも似ても似つかない。機械油と汗で薄汚れたネズミ色の作業着をまとい、始終にこにこ顔で応対する社長さんの姿は、どう贔屓目に見てもやや下膨れなアライグマ……。
「そいつの精度はコンマ0001や。ちょっとどこにでもあるゆうレベルやないで」
「信じられない! 桁が有に二つは違う……」
 自慢げなアライグマさんの何故か聞き取りにくい一言に、博士の目が分厚いガラスの向こうで目一杯広げられたのが見えた。博士の顔は本当に素直で、心の動きがはっきり出る。うれしいときは雲間から差し込む日の光のように、哀しいときは陰鬱に空を覆う雪雲のように。今の博士の顔は、まさに雲一つ浮かんでいない青空その物ね。
「これだよ鬼童! 僕が探していたのはこれなんだよ!」
 来て良かった! と感激のあまり紅潮する博士に、こちらも案内した甲斐があった、とうれしげに笑う鬼童さん。アライグマ社長さんも一緒になって快活に笑い、また違う部品を出してきて二人に披露しては、自慢げによく意味が分からない言葉でまくし立てている。それにまた博士達が歓声を上げ、気をよくした社長さんがまた別の部品を奥から出してきて……って、もうきりがない。
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01.到着 その2

2009-02-15 10:44:55 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「鬼童!」
 鬼童も軽く手を挙げて、背中を壁から離した。
「やあ、ヴィクター! 遠路はるばるようこそ・・・」
 小走りに歩み寄り、握手の右手を差し出そうとした鬼童の動きが、ふと止まった。ヴィクターの傍らに寄り添うようにしてやってくる、可愛らしい姿が目に入ったからである。
「グーテンタッグ、フロイライン」
「こんにちわ、鬼童さん」
 金髪をパステルグリーンのリボンでツインテールにまとめた頭が、ちょこんと鬼童にお辞儀した。夏らしく、ノースリーブの白のブラウスに同色の薄いカーディガンを羽織り、膝まで隠れるモノトーンの花柄スカートの前に両手を揃え、小さなバックを提げている。鬼童はやや虚を突かれて、そのきれいに渦を巻くつむじに目を見張った。



「こ、こんにちわ、フロイライン・ケンプ。驚いたな、何時の間に日本語を勉強したんだい?」
 再び顔を上げた少女は、辺りがぱっと華やぐような笑顔をほころばせて、鬼童に言った。
「日本に行くと決まってから、一所懸命頑張りました」
 よどみない流暢な言葉が、その可憐な唇から流れ出す。横でにこにこしていたヴィクターが口を添えた。
「麗夢さんと日本語でお話しするんだって張り切ってね。三ヶ月ほどで大体の会話が出来るようになったよ」
「それは凄いな、フロイライン・・・」
「私のことは、シェリーって呼んで下さい。鬼童さん」
「わ、判った、シェリーちゃん」
 にっこりとしたあどけない笑顔に、鬼童は素直に感服した。確か年は10か11のはずだ。その幼さでもう欧州の言葉とこの極東の小難しい言葉を操れるようになるとは、これは一種の天才かも知れない。
「もちろん、ただ努力しただけでもないんだけどね」
 悪戯っぽく笑うヴィクターに、鬼童はあることを思い出した。フランケンシュタイン公国から日本に帰国する直前、鬼童は目の前の少女の目の手術に立ち会っている。その時、執刀責任者のヴィクターが、細胞分裂によって生まれた本来のタンパク構造以外のものを、少女の身体に埋め込んだのを見ていたのだ。それは、極小のシリコンチップだった。1才の時に事故で失明したシェリーの視神経を復活させるため、ヴィクターが自身の研究成果を、その眠れる神経叢に応用したのである。
「そのチップの空き容量を使って、一種の翻訳辞書を彼女の記憶にマッチングさせたんだ。彼女本来の才能とも相まって飛躍的に学習が進み、今では日本語やドイツ語を初め、七カ国語で日常会話をこなせるまでになったよ」
 それは、人工生命体デルタやジュリアンで既に確立した技術でもある。鬼童は素直に感心して、ヴィクターに言った。
「そうか、さすがだなヴィクター。今から君の発表が楽しみになってきたよ」
「ハハハ、それは明後日までのお楽しみさ。それよりも・・・」
 ヴィクターはきょろきょろと辺りを見回した。
「鬼童、麗夢さんは?」
 そうか、二人はまだ知らないんだった。
 鬼童はさっきまでの妄想を思いおこし、わずかに耳を赤く染めた。
「ああ、麗夢さんは、ちょっと抜けられない用事があって到着が遅れているんだ。午後には合流できるはずだから、それまでは僕が案内するよ。まずはホテルに行こうか?」
「えーっ、折角麗夢さんも驚かせてあげようと思ったのに・・・」
 軽く落胆するシェリーの肩をぽんぽんと叩きながら、ヴィクターは鬼童に言った。
「麗夢さんがまだなら仕方ないな。じゃあ鬼童、早速で済まないんだが、行きたいところがあるんだが」
「え? 荷物は大丈夫かい?」
「かさばるものは航空便でホテルに送りつけてあるし、日本なら大抵のものは買えるだろう?」
 そう言えば、二人の荷物は本当に手提げバック一つづつという軽装だった。
「行きたいところは判っているよ。でもシェリーちゃんは?」
「あたしは大丈夫です。麗夢さんが来てくれるまで、大人しくしています」
 再びシェリーは明るい笑顔で鬼童に返した。
「仕方ないな。じゃあ車を用意してあるから」
 鬼童は先頭に立って、長旅の疲れも見せない二人を、駐車場へと案内していった。
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01.到着 その1

2009-02-08 18:56:38 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 ガラス窓一枚を隔てた向こう側は、時折奇怪に風景がゆがむ、一種の地獄だった。
 殺人光線と形容しうる灼熱の太陽が、アスファルトや白い機体に容赦なく降り注ぎ、大口径のエンジンが、熱い吐息をそこここで大量に吐き出している。
 気象庁発表の予想最高気温は33度C。だが、まだ午前九時だというのに、数センチ向こう側の世界は、体感温度なら50度C近いかも知れなかった。
 鬼童海丸は、イタリアの名匠レンゾ・ピアノが設計したという建物の一角で、一人テーブルに付いてアイスコーヒーを味わっていた。
 もうすぐそのイタリアのミラノ空港から、遠路12時間25分をかけて一機のジャンボジェットが到着する。その機に乗り込んでいるはずの友人達を迎えるため、鬼童ははるばる東京から、ここ大阪泉州沖合5キロに生まれた面積510ヘクタールの人工島、関西国際空港にやって来たのである。もっともこちらは、羽田空港を飛び立ってから一時間足らずでここに降り立ち、こうしてゆっくり暇つぶしに外を眺めているのだが。
 そうしているうちに、また一機、鬼童の視界に巨大な翼が降り立ってきた。その豪快な躍動感溢れる光景に、しばし鬼童は目を奪われる。頭の端に、離着陸時の航空機が一番不安定で危ない、という、あまり健全とは言えない思いがよぎっていくが、それは別として、科学技術文明の象徴とも言うべきその姿が鬼童は好きだった。人に言えば子供っぽいと思われるかも知れないが、こうして少し早めに来て見晴らしのいいところから飽かず眺めているのも、鬼童の心の片隅に宿るそんな少年が望んだことであった。
 しばらくしておもむろに腕時計を見た鬼童は、そろそろ降りてくる頃合いだが、と窓から見える限りの青空を見上げた。さっき確認したフライト状況を見る限り、JL5555便は定刻通り運行しているはずだ。到着予定時刻は9時15分。過密な空域と言うだけあって、見上げる視界にはぽつぽつと旋回するジェット旅客機の姿が写る。長大な主翼の下に四基のエンジンを誇らしげに吊す巨大機があれば、鬼童も乗ってきたエンジン二基だけのエアバス、機体末端に両側から挟み込むようにエンジンが付いている機体など、遠目でも色々な機体が乱舞している。ひょっとしてあれかな? と思うものもあるが、遠く音もなく飛ぶシルエットだけで、それが目的の便かどうかまでは、さすがの鬼童でも判別できなかった。
(そろそろ到着ゲートに行くか)
 鬼童はテーブルの端で申し訳なさそうに鎮座する請求書を手にすると、背広の内ポケットから財布を取りだして立ち上がった。
 
 ここ関西空港で優美な外観を見せる旅客ターミナルビルは、機能性という点でもなかなか洗練された美しさを醸し出している。国際線と国内線の乗り継ぎも、92台設置されたエレベーターや、88台が稼働するエスカレーターを使って上下に移動するだけで簡単にできるのだ。鬼童はそのうちの下りエスカレーター一基に乗って、すっと一階へと下りていった。国際線の到着口は一階にある。巨大な温室のような、ガラス張りの天井が見える吹き抜けの下を進みながら、フライト状況を表示する電光掲示板に視線を送る。大丈夫だ、予定通り定刻に飛行機が到着している。鬼童はゲート前で待ちかまえる大勢の出迎え客の一人となって、ゲートと反対側の壁にそっともたれかかった。
 待つこと五分。重々しく閉ざされていたゲートが以外な軽さで開き、その向こうから、大きな荷物を手に色とりどりの衣装に身を包む人々が吐き出されてきた。
 鬼童はその幸せそうな笑顔で満たされた老若男女の顔を眺めながら、ふと、かなわなかった逢瀬の無念を思い起こした。本当はこの場に、大事な人と二人で立っている予定だったのだ。それが急な所用で相手の到着が遅れ、鬼童は一人出迎えることになってしまったのだった。
 鬼童は人知れず小さな溜息をつくと、落ち込みかけた気を引き上げた。
 今日はこれからまだいくらでもチャンスはある。どこにいるかは判らないが、恐らくこの関西にはライバルの円光はいないだろう。それに意中の人だって、いくらエスコート役を頼んだからと言って、24時間お客様に付きっきりと言うこともあるまい。大阪で開かれるバイオテクニクス学会が閉幕するまで、自分達にはいくらでも二人きりになる機会が巡ってくるはずなのだ。
 思わずほくそ笑んだ鬼童の目に、数カ月ぶりに見る親友の姿が映った。ややおさまりの悪いウェーブのかかった栗色の髪の下で、太枠のメガネが輝いて見える。
 その分厚いレンズの向こうにある青い目が、鬼童の姿を捉えて明るくきらめいてみせた。
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はじめに

2009-02-08 10:51:38 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 


 本日より、かっこうの麗夢長編小説『アルケミック・ドリーム 向日葵の姉妹達』の週一(出来るだけ(汗))連載を始めます。
 私は基本的に自分の読みたい物を書くことにしております。麗夢の小説にこだわっているのもそのためで、主人公綾小路麗夢を初めとするキャラ達が織りなす新しいお話が見てみたいからです。結果として、これらは基本的に自分の好みに合うように書いているはずなので、どの作品も、いつ読み返しても結構楽しめたりします。中でもこの作品は一番多く読み返したお話で、破壊力抜群な夢防人さんの挿し絵も合わせ、かっこう麗夢小説本の一到達点として、満足のいく出来になっていると自負しております。
 それでも、実は一点だけ完成当初から気になっている部分があります。前振りして、そのままラストまで伏線を活用しないまま書きあげてしまった所です。それと、セリフ回しとか話の構成順とか、今読み返してみると、少しだけリフォームする必要があるようにも感じます。今回はそれをどうするか考えつつ、のんびり少しずつアップしていく予定です。
 また、夢防人さんの了解も得ましたので、話に合わせ、当時の挿し絵も公開していこうと思います。これだけでも十分楽しめるできですので、皆様、どうぞゆるゆるとお付き合いいただけましたら幸いです。
 それでは、まずは主要人物紹介から。本編第1話は今夜アップする予定で行きます。

 
 登場人物紹介

綾小路麗夢(あやのこうじれむ)
主人公。「怪奇よろず相談」の看板を掲げる美少女探偵。鬼童の依頼で、来日するシェリー達を迎えるため、大阪に向かっている。

アルファ、ベータ
麗夢のかけがえのないパートナーである子猫と子犬。麗夢同様人の夢の中に入り、獰猛な巨獣に変化して夢魔を食らう。

円光(えんこう)
密教系をベースにした独自の宗教を実践する、眉目秀麗な謎の僧侶。麗夢に懸想している。

榊真一郎(さかきしんいちろう)
警視庁きっての荒武者と評される敏腕警察官。フランケンシュタイン公国使節団接待役として、大阪まで同行している。

鬼童海丸(きどうかいまる)
超心理物理学の研究者。円光に匹敵する長身美形の若者で、麗夢を挟んで熱い恋の鞘当てを続けている。来日するヴィクターを関西国際空港に出迎える。

シェリー・ケンプ
ケンプ将軍の孫娘。幼い頃の事故で失明していたが、ヴィクターの手術で目が見えるようになった。ヴィクターに付き添い日本に遊びに来る。

ヴィクター・フランケンシュタイン
フランケンシュタイン公国大公フリードリッヒ・フランケンシュタインIV世の甥。大阪で開催されるバイオテクニクス学会の基調講演のため来日する。

ヘンリー・M・ケンプ
フランケンシュタイン公国軍陸戦部隊統合司令官。公国皇太子使節団の一員として来日するが、非公式に別任務を担い、密かに行動中。

ROM
東京を死の町に変えたスーパーコンピューターグリフィンの三次元インターフェース。麗夢と円光の活躍により、グリフィンごと滅びたはずだったが・・・。

真野昇造
株式会社真野製薬会長で関西財界の長老。孫娘佐緒里を失い、その復活に己の全てを賭けている。

真野佐緒里
ROMに生き写しの真野昇造の孫娘。二〇年前白血病で亡くなった。

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