かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

いつの時代かあやふやだった銅鐸の埋められた時期が、初めて特定されました。

2017-06-06 20:08:27 | Weblog
 今朝の最低気温は13℃、最高気温は26.9℃でした。今朝はなんだかやたら寒くて朝5時頃目が覚めたのですが、アメダスのデータを見る限りでは昨日より朝の気温は高めですね。ただ、気象観測装置の設置場所がうちからは北に30キロくらい離れているので、あまり当てにもできないというところはあります。ちなみに、南に20キロ程離れた五條市のデータだと、今朝の最低気温は9℃ちょうどと10℃を割り込んでいました。感覚的にはこちらの方があっていますが、南北の間ということで昨日よりやや低め、位に思っておくとしましょう。

 さて、一昨年の4月に兵庫県南あわじ市で発掘された、7基の松帆銅鐸の年代測定に成功し、埋められたのが紀元前4から紀元前2世紀と想定されることが判りました。銅鐸を埋めた年代が科学的に判明したのはこれが初めてとのことで、我が国の考古学史上画期的な成果になるとのことです。
 この銅鐸は、出土当初から、舌という銅鐸の音を鳴らすための棒が完全な形で残っていたり、大小の銅鐸が入れ子状になって埋まっていたりとその特異性が話題となり、また、昨年には、1基の銅鐸に付いていた傷が一致したとかで、出雲市で出土したものと同じ型で作られた同笵銅鐸である事が明らかになり、古代神話の舞台、出雲と淡路島との関連が注目を集めたりしておりましたが、今回の調査で更にその価値が高まったと言えそうです。
 年代測定の方法は、銅鐸の中に詰まっていた土に当時のものと推測される植物遺体が混じっていたことで、この植物遺体を放射性炭素年代測定法で調査した所、年代が明らかになったとのことです。それにしても今から二千数百年も前、大陸の方は戦国時代から秦の始皇帝による統一、秦楚の争いから漢による再統一という躍動の時代に、国産みの舞台とされる淡路島と国譲りの舞台である出雲とに、それぞれどんなヒトが生活し、お互いにどんな交渉を成していたのか、大陸との関係を含め、想像するだに静かな興奮が沸き起こります。残念ながら文字の記録がない時代のことなので、全容が解明されるのは難しいでしょうが、教科書で固定された古代日本の姿を打ち破るような、浪漫あふれる画期的な研究成果を、これからも期待したいと思います。

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