かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

「昭和」は自分の生まれ育った世代ですが、100年と言われるといかにも歴史的な出来事になってしまったようで、ちょっと不思議な感じがします

2025-01-02 20:25:31 | Weblog
 今朝の奈良市の最低気温は0.5℃、昼の最高気温は11.5℃、五條市の今朝の最低気温はー3℃、最高気温は12.1℃でした。今朝は思い切り冷え込みましたが、日中は日差しに恵まれ、暖かくなりました。明日も今日と同じくらいの上天気に恵まれそうで、今年の三が日は安定した良い天候に恵まれそうです。
 さて、今年は昭和元年から100年になるのだとか。不覚にも家人に言われるまで気づきませんでしたが、なるほど、言われてみればと思い、年のため調べてみたら、1926年12月25日の大正天皇崩御、即日皇太子裕仁親王(昭和天皇)践祚、元号を昭和に改元とのことでしたので、正確にはまだ1年弱先の話になります。ということは、昭和元年は1週間もなかったのですね。もっとも、裕仁親王は病弱だった大正天皇に代わり、1921年から摂政宮として天皇の大権を代行されていたので、当時の人々にとっては突然の代替わり、というような感覚ではなかったのかな、とも思います。
 しかし、昭和は遠くになりにけりとはよく言ったもので、始まりが既に100年前、終了からも36年経過してしまいました。昭和生まれ世代としては、身近な生活時間から歴史的記録へと昭和という元号が位置づけられつつあることが、なんとなく不思議な感じがしますが、いくら昭和生まれと言っても改元のときはもちろん、前半の一大事であった戦争も体験していませんし、戦後の瓦礫の山からの復興期も知りません。かろうじて記憶に残っているのは昭和40年代からですから、昭和史全体の3分の1も大権していないのです。しかもほとんど子供の時ですから、その体験・記憶もかなり偏っていると言うか、幼児期・少年期の僅かな行動範囲の中だけの世界しか知りませんでした。それでも明らかに今とは違う独特の昭和世代感というのはあって、おそらくはそんな昭和の空気の残滓を実地に感じていた最後の世代がちょうど我々の世代なんじゃないかと思います。
 しかしまあ、わずか100年の間の世界の変容と言ったら、改めて振り返ったら唖然とするよりありませんね。私の昭和史からしても現代は文字通り激変していますが、それでも電子デバイスや通信関係が異常発達しただけで、基本的な生活様式には大きな変化は無いように思います。しかし、100年前は明らかに色々と違いがあったでしょう。今年はそんなことを取り上げるテレビ番組や書籍などが色々出てきそうですが、時にはそういったものを観て振り返ってみるのも面白いでしょうね。
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