今日は用事があって国立奈良女子大学を訪ねました。ここは東のお茶の水女子大学と並び称される我が国にただ二つあるだけの国立女子大で、武蔵野の一角に構えるという某お嬢様養成校のごとく、1908年(明治41年)設立された奈良女子高等師範学校を母体とする、まさに名門と言う称号がぴったりくる由緒ある学校です。文学部、理学部、生活環境学部(旧家政学部)と、文系理系の多彩な先生達が集まっていて、色々相談や提携などで割と頻繁に訪れています。こういった専門分野の違う先生方と一対一で話をするのはなかなかにスリリングで、眼から鱗が何枚も落ちることがありますし、逆にこちらの話で相手の驚愕を誘うことも出来たりして、時間を忘れて没頭してしまいます。なかなか息は抜けませんが、楽しいひと時には違いありません。
さて、昨日は掲載できなかった壷阪寺参詣の写真をアップしておきます。さすがに不敬かと思い、ご本尊の十一面千手観音は撮影しませんでしたが、観音菩薩から連想される柔和で女性的な風貌とは明らかに異なる、力強いお顔立ちをしております。機会があれば必見の仏様ではないでしょうか。また、眼病に霊験あらたかなお寺ですので、PCの画面に眼を痛めつけられているヒトは、参詣されるとよいでしょう。
インド風の大仏です。鎌倉の大仏は現物を見たことがありませんが、ちょうどこれくらいでしょうか? 脇のかえでが色づき始めていますから、もう少し秋が深まってから行ったらなかなか瀟洒な景色になりそうです。
多宝塔です。朱の色落ちもなく、綺麗な塔ですが、建てられたのは平成14年4月落慶、なのだそうです。開創1300年記念で建立された、とのこと。施工は竹中工務店、と聞くと、なんとなくですがありがたみが薄いような・・・。でも、建設資金は多くの信者の喜捨によって集められたそうですから、篤い信仰心の塊であることは間違いないようです。
4.6m角、高さ23mの立派な三重塔です。朱塗りの落ち具合などを見てもかなりの年代モノに見えますが、1497年(明応六年)4月に完成したものだそうです。その後寺自体が何度か火にかかっていますが、奇跡的にこの塔は燃えずに残り、以後何回か修理の手が入りつつ、今に伝えられているそうです。きっと完成当時は朱も鮮やかな華麗な塔だったのでしょうね。造作が細かくてまるで細密画のようです。現在重要文化財に指定されているそうです。
今回は途中で雨が降ってきたので足早に観て回ることになりましたが、晴れていれば眺望もよく、これからの季節は紅葉も楽しめそうです。もう少し足を伸ばして山を上れば日本一の山城だった高取城址がありますし、山を降りれば高松塚や石舞台のある飛鳥がすぐ傍にあります。歴史的な遺物があちこちに転がるならならではの土地柄といえましょう。
さて、昨日は掲載できなかった壷阪寺参詣の写真をアップしておきます。さすがに不敬かと思い、ご本尊の十一面千手観音は撮影しませんでしたが、観音菩薩から連想される柔和で女性的な風貌とは明らかに異なる、力強いお顔立ちをしております。機会があれば必見の仏様ではないでしょうか。また、眼病に霊験あらたかなお寺ですので、PCの画面に眼を痛めつけられているヒトは、参詣されるとよいでしょう。
インド風の大仏です。鎌倉の大仏は現物を見たことがありませんが、ちょうどこれくらいでしょうか? 脇のかえでが色づき始めていますから、もう少し秋が深まってから行ったらなかなか瀟洒な景色になりそうです。
多宝塔です。朱の色落ちもなく、綺麗な塔ですが、建てられたのは平成14年4月落慶、なのだそうです。開創1300年記念で建立された、とのこと。施工は竹中工務店、と聞くと、なんとなくですがありがたみが薄いような・・・。でも、建設資金は多くの信者の喜捨によって集められたそうですから、篤い信仰心の塊であることは間違いないようです。
4.6m角、高さ23mの立派な三重塔です。朱塗りの落ち具合などを見てもかなりの年代モノに見えますが、1497年(明応六年)4月に完成したものだそうです。その後寺自体が何度か火にかかっていますが、奇跡的にこの塔は燃えずに残り、以後何回か修理の手が入りつつ、今に伝えられているそうです。きっと完成当時は朱も鮮やかな華麗な塔だったのでしょうね。造作が細かくてまるで細密画のようです。現在重要文化財に指定されているそうです。
今回は途中で雨が降ってきたので足早に観て回ることになりましたが、晴れていれば眺望もよく、これからの季節は紅葉も楽しめそうです。もう少し足を伸ばして山を上れば日本一の山城だった高取城址がありますし、山を降りれば高松塚や石舞台のある飛鳥がすぐ傍にあります。歴史的な遺物があちこちに転がるならならではの土地柄といえましょう。
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