投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 6月22日(金)23時06分26秒
今日は杓谷茂樹氏の「メキシコにおける『マヤ文明』イメージの<女性性>と観光」(『国立民族学博物館調査報告』37号、2003)と「マヤ・イメージの形成・消費と古代遺跡─マスツーリズム状況下を生きるマヤ遺跡公園のイメージ戦略」(『大阪経大論集』61巻6号、2011)を入手して読んでみたのですが、観光社会学はなかなか面白い世界ですね。
チチェン・イツァに関しても新たに興味深い情報をいくつか仕入れたのですが、とりあえず「遺跡利用と観光開発─チチェン・イツァを中心に」(井上幸孝編『メソアメリカを知るための58章』所収)の続きの方を先に引用しておきます。(p327以下)
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これらを見る観光客の多くは、そうした情報をチチェン・イツァに来る前から、様々なメディアを通して学習しており、彼らは遺跡公園に来ることで、実物を目の当たりにし、ガイドの説明によって自らの知識を確認、補足することで、満足して帰って行くことになる。そして、この観光用に「囲い込み」された遺跡中心部の側も、観光客が遺跡について事前に獲得し、また期待して持ち込んでくるイメージに対応して、彼らが遺跡に求める要素を強調、あるいは追加して提示することで遺跡公園を形作っている。その際、そこではマヤとは別の文化要素まで利用されることすらある。選ばれた建造物、遺構が、驚異と奇異に満ちた物語性をまとい、我々の神秘的な古代文明への関心を刺激しようとする遺跡公園のあり方は、観光客に見せるもの、そしてその見せ方の意図的な操作の上に成り立っているということだ。【後略】
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p328には「球戯場でのガイドの説明」とのキャプションがついた写真が載っていますが、これは「勝った方のチームのキャプテンが首をはねられるという西欧的な考え方からは奇異に感じうるガイドの説明」がなされている場面と思われます。
地元の観光関係者は観光客の反応を冷静に観察しており、おそらく実際には「勝った方のチームのキャプテンが首をはねられるという西欧的な考え方からは奇異に感じうるガイドの説明」が「俗説」であることを承知の上で、多くの観光客の期待通りに神秘的でエキゾチックな説明を繰り返しているのでしょうね。
また、『「世界遺産を旅する」11 メキシコ・中米・カリブ海』(近畿日本ツーリスト出版部、1999)に「チチェン・イツァーの支配者は、神への生けにえとして、あるいは神の託宣を聞かせるために、男性、女性や子供までも生きたままこの池に投げ込んだ」云々と紹介されている「聖なるセノーテ Cenote Sagrado」ですが、青山和夫氏は、
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チチェン・イツァ最大の「聖なるセノーテ」は直径六〇メートル、深さ三六メートルを誇る。七〇〇年頃から雨と稲妻の神チャークの宗教儀礼に用いられ始め、都市が衰退した後も一六世紀までマヤ低地北部の重要な巡礼地であった。【中略】
「聖なるセノーテ」の底の発掘調査によって、上記の遠距離交換品に加えて、多種多様な供物が見つかっている。【中略】
雨乞いのために、「聖なるセノーテ」に「多くの処女が生け贄とされた」という俗説がある。これまでに一二〇体ほどの人骨が確認されているが、一〇〇〇年以上にわたる生け贄の数はそれほど多くはない。事故死など、生け贄でないものもあるだろう。実際には子供の骨が半分以上を占め、成人では男性の骨が女性よりも多い。生け贄はそれほど頻繁に行われたのではなく、宗教儀礼では主に供物が供えられたのである。
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と書かれています。(『マヤ文明』、岩波新書、2012、p121)
120体もの人骨が出たと聞くとおどろおどろしい感じがしますが、1000年で120人であれば8~9年で1人くらいの割合ですから、まあ、誤って落ちたり、子供が泳いでいるうちに溺れたり、といった事情で相当数が説明できそうですね。
>筆綾丸さん
ククルカン神殿の階段、登るのはまだしも下りは本当に怖そうですね。
Mexiko - Welt der Maya - Chichén Itzá - Pyramide Kukulcan
>拾ひし玉
九条良経の叔父の慈円に「拾玉集」という歌集があるのを思い出しましたが、これは他撰(尊円入道親王)で、一四世紀中頃の成立なんですね。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
言海 2018/06/22(金) 14:32:34
小太郎さん
ご紹介の青山和夫氏『マヤ文明』を眺めていますが、マヤ関連の書を読んでいた20年前の記憶が、だんだん蘇ってきました。
http://www.shinchosha.co.jp/book/133301/
高田宏『言葉の海へ』を読み始めたところですが、これは良い本ですね。
『言海』が、後京極(九条良経)の歌に由来することを、はじめて知りました。
敷島ややまと言葉の海にして拾ひし玉はみがかれにけり
小太郎さん
ご紹介の青山和夫氏『マヤ文明』を眺めていますが、マヤ関連の書を読んでいた20年前の記憶が、だんだん蘇ってきました。
http://www.shinchosha.co.jp/book/133301/
高田宏『言葉の海へ』を読み始めたところですが、これは良い本ですね。
『言海』が、後京極(九条良経)の歌に由来することを、はじめて知りました。
敷島ややまと言葉の海にして拾ひし玉はみがかれにけり
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