学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

「君らは赤松先生の弟子や」(by 黒田俊雄)

2018-07-01 | 「大山喬平氏の中世身分制・農村史研究」

投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 7月 1日(日)11時01分2秒

六月後半は京都大学名誉教授・大山喬平氏のインタビュー「大山喬平氏の中世身分制・農村史研究」(『部落問題研究』218号、2016)から始まったラテンアメリカ紀行になってしまいましたが、いろいろ課題はできたものの、一応このあたりで終えようと思います。
発端となった大山氏のインタビューは、その聞き手が、

-------
大山先生の最初のご本『日本中世農村史の研究』の刊行に協力されるなど先生の研究の身近なところに七〇年代から八〇年代初め頃までおられた久野修義さん、清水三男『日本中世の村落』を岩波文庫に収録する仕事を先生と一緒にされた馬田綾子さん、中世の身分・寺社・社会研究から近年は「ムラの戸籍簿研究会」を大山先生と一緒に進めておられる三枝暁子さんに聞き手をお願いし、近世史からも塚田孝さんにもご参加いただくこととしました。久野さん・馬田さんは、大山先生も中心になって進められた『部落史史料選集』(第一巻「古代・中世篇」、部落問題研究所、一九八八年)の編集にも参加しておられます。なお、この聴き取り会の事務局は、近代史が専門ですが西尾泰広さん(部落問題研究所)と私、竹永が務めます。
-------

ということで(p3以下)、専門も世代も幅広く、非常に充実していますね。
ちなみに久野修義氏は岡山大学名誉教授、馬田綾子氏は梅花女子大名誉教授、三枝暁子氏は立命館大学准教授を経て東京大学准教授、塚田孝氏は大阪市立大学教授、竹永三男氏は島根大学教授です。
大山氏が早熟な政治青年だった高校生の頃の話は既に少し紹介しましたが、大学に入るとすっかり政治嫌いになり、林屋辰三郎や赤松俊秀の下で勉強に専心したそうですね。

「大山喬平氏の中世身分制・農村史研究」
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c1422218c8cfcc2a3e215a63052fd5d0

大山氏が黒田俊雄から「君らは赤松先生の弟子や」と言われていたという話はちょっと面白いですね。

-------
久野 でも、その黒田さんが、大山先生は赤松さんのお弟子やというふうに感じるというのは、どういうふうに考えればいいのですか。
大山 僕だけではないですよ。黒田さんは「君たちは」と複数で言っていました。赤松先生の演習に出席した、村井康彦さん以下の新制の中世史のことですね。西田直二郎さんの講義とは大違いだって。西田さんの黒板はフランス語、ドイツ語、英語と横文字ばかりだったと言っていました。僕たちは赤松さんの匂いがぷんぷんすると。
-------

ということで(p25)、黒田俊雄氏は1926年生まれだから大山氏とは7歳違いですが、僅かな年齢差で京大史学科の雰囲気もかなり異なったようですね。
率直に言うと、当時、旧制の人は新制の人を、語学ができない莫迦ども、みたいに軽蔑していたところがあったようです。

赤松俊秀(1907-79)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E4%BF%8A%E7%A7%80
黒田俊雄(1926-93)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E7%94%B0%E4%BF%8A%E9%9B%84

さて、大山氏が大山荘の研究を始めたのは姓が大山だから、という伝説もあるようですが、大山氏自身は、

-------
久野 大山荘(丹波国)との出会いもかなり偶然という感じでしたか。
大山 そういうことです、まったく。あの当時、中世史は個別荘園研究と決まっているというような状態でしたね。村井康彦さんは伊勢国川合大国荘。史料カードに筆写した「川合大国荘関係文書」を年次順にリングで閉じて、いつも繰っていました。戸田さんが伊賀国黒田荘、熱田公さんが紀伊国荒川荘という具合でした。それで村井さんがドクターの一番上、新制のトップでした。それで村井さんのお宅に河音と二人で卒論の相談に行き、「何にしようか」と言いましたら、村井さんが僕には大山荘を薦めました。
-------

と言われていますね。(p26)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『インカとスペイン 帝国の... | トップ | 池田嘉郎『ロシア革命─破局の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

「大山喬平氏の中世身分制・農村史研究」」カテゴリの最新記事