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「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

「若い女性や子どもが生きたまま投げ込まれたといわれるセノーテ・サグラード」

2018-06-21 | 「大山喬平氏の中世身分制・農村史研究」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年 6月21日(木)12時41分36秒

『「世界遺産を旅する」11 メキシコ・中米・カリブ海』(近畿日本ツーリスト出版部、1999)は一応は長谷川悦夫氏という考古学研究者が「監修者」となっていますが、その内容が長谷川氏の学問的見解をそのまま反映したものかというと、そこは微妙な問題があるのでしょうね。
発行者の近畿日本ツーリストとしては、読者の好奇心を掻き立て、旅行に行ってもらうことが目的であって、監修者に余り煩く口出しされるのは迷惑かもしれません。
個別の事情は分かりませんが、世界遺産関係の旅行ガイドの類を見ると、「監修者」がNHK大河ドラマの歴史考証担当者くらいの存在である例も多そうです。
ま、それはともかく、杓谷茂樹氏(中部大学国際関係学部教授)の「遺跡利用と観光開発─チチェン・イツァを中心に」(井上幸孝編『メソアメリカを知るための58章』所収)を少し紹介したいと思います。
同書の「執筆者紹介」では杓谷茂樹氏の専攻は「観光人類学、ラテンアメリカ地域研究」となっていますが、もともとは考古学出身で、中部大学サイト内の記事によれば、専攻を変えたのはチチェン・イッツァ訪問がきっかけだそうですね。

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当時ゴリゴリの考古学者だった私は、ある日、チチェン・イツァという世界遺産になっている遺跡公園に行きました。そこはすべてが観光用に美しく整えられていて、日頃私が発掘作業などで接してきた遺跡とは全く異質な場所に感じたのです。その時、考古学者として私はそこが「つまらない」と感じたのです。しかし、その後ふと「あのつまらなさは何だったのだろう」と自分に問いかけました。そして、この問いを発端に、目の前で現在を生きる遺跡公園を相手にすることにしたのです。

https://www3.chubu.ac.jp/international/news/198/

ということで、以下、「遺跡利用と観光開発─チチェン・イツァを中心に」の引用です。

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 メソアメリカ地域を構成するメキシコおよび中米諸国にとり観光は製造業と並んで国家を支える重要な産業であり、それぞれの国が時に連携しながら観光産業を盛り上げようと努力し、開発が行なわれている。【中略】
 この魅力的な資源である古代遺跡を観光利用する形の開発が目的とするべきは、単に観光客が落としてゆく金で地域経済が潤うというだけのことではない。【中略】
 しかし、地域振興を観光に頼ろうとすればするほど、経済的な側面が強化されていってしまうことは想像に難くない。この地域でも古代遺跡は、まず観光客を集めて満足させ、お金を落としていってもらうことを第一に、様々な魅力的な意味づけがなされて、「遺跡公園」として地域における観光のメニューに並んでいる。【中略】
 この遺跡への意味づけは比較的自由に行われるものだ。【中略】一方で、この意味づけを科学的な手続きを踏んで「正しく」やろうとするのが考古学である。だから「一般的には」私たちは考古学者による説明を正しいこととして考える。しかし、それでも遺跡公園においては、考古学者が解明し、説明してきたものとは若干異なる語りが、観光という現実の中で日々生み出されているのはおもしろい。
 メキシコのユカタン州にチチェン・イツァというマヤ遺跡公園がある。現在までに積み上げられてきた国際的な知名度とそのイメージから、この遺跡は「マヤ文明」に関する一般の興味や関心の中で、常にその中心的な存在であり続けてきた。現在の遺跡公園の形は20世紀前半にアメリカのカーネギー研究所によって行われた調査・修復によってほぼ決まったと言っていい。そして、1988年にはユネスコの世界遺産に登録されている。【中略】
 チチェン・イツァという遺跡は非常に広大な都市遺跡であるが、遺跡公園として観光客に公開されているのはごく限られた中心部のみにすぎない。【中略】この他にも、神からの神託を得るために若い女性や子どもが生きたまま投げ込まれたといわれるセノーテ・サグラード、生贄から取り出した心臓を置いたチャクモールという石像、あるいは建築様式の類似性から中央高原で語り継がれた伝承と結びつけて語られる戦士の神殿もある。さらにメソアメリカ最大の規模を誇る大球戯場のレリーフ彫刻に描かれている球戯の場面は、勝った方のチームのキャプテンが首をはねられるという西欧的な考え方からは奇異に感じうるガイドの説明が興味をそそる。見所が多いのだ。しかし一方で、観光客がわざわざ足を運ばなかったり、素通りしてしまったりする建造物も少なくない。
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途中ですが、いったんここで切ります。
「神からの神託を得るために若い女性や子どもが生きたまま投げ込まれたといわれるセノーテ・サグラード」とありますが、青山和夫氏によれば、これも「俗説」のようですね。
その点も後で紹介します。
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