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「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

歌書よりも セーターに悲し アラン島

2015-12-08 | 石母田正の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年12月 8日(火)09時45分29秒

>筆綾丸さん
>ベケットに影響を与えた人
アイルランド文学愛好者はともかく、普通の人にとってはアラン島はセーターで有名な地名なんでしょうね。
『紀行・アラン島のセーター』(伊藤ユキ子著、晶文社、1993)という本の「プロローグ─伝説への旅立ち」は次のように始まります。

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 忙しさで煮詰まったような日常を放り出し、どこか遠くへ行きたくなったとき、ふと、アイルランドが浮かんだ。
 理由はひとつ、……アランセーターだった。あの乳白色の浮き彫り模様に秘められているというロマンチックな<伝説>を耳にしたときから、その生まれ故郷、アイルランドはたちまち心ひかれる地になってしまったように思う。
 かつてアランセーターは、アイルランド西方の小さな島、アランの男たちの労働着だったのだそうな。半農半漁の村の男たちは、畑を耕すときも魚を獲るときもそれを着こんで作業したという。
 一面にひろがる美しい浮き彫り模様。それらは、ただ模様というにとどまらず、家紋のような意味をもっていた。それぞれの家がそれぞれに、模様の組み合わせパターンを代々受け継いでいたのだ。だから、漁に出た男たちがよしんば怒り狂う海にのみこまれ、顔のない無残な溺死体で発見されたとしても、着ているセーターによってどこのだれかは確認することができる。
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このセーター<伝説>の形成にはシングの戯曲『海に騎(の)りゆく人々』も多少役立っているようですね。
司馬遼太郎の『街道をゆく 愛蘭土紀行』でもアラン島訪問記が相当の分量を占めていて、アランセーターや『海に騎りゆく人々』への言及もあります。


>なぜヴェルディのナブッコなのか
これは調べればいろいろ出てきそうですね。

>香淳皇后に似ているなあ
「田舎のお母さん」はさすがに言いすぎでしたね。
品はありますからね。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり 2015/12/07(月) 12:56:28
小太郎さん
https://fr.wikipedia.org/wiki/Rue_Corneille_(Paris)
コルネイユ・ホテルが気になりましたが、Rue Corneille を挟んでオデオン座の対面にあったものとすれば、写真の右側がオデオン座だから、左側の建物の一部がホテルだったのかもしれません。
文学部のあるソルボンヌ大学(パリ第?)は、ホテルから歩いて数分の距離にあり、パリのテロ(11月13日)の後、オランド大統領が追悼集会を開いたところですね。正式な国家による追悼はアンヴァリッドで後日行われましたが、なぜソルボンヌ大学(パリ第?)が会場になったのか、こういうときのフランス文化の背景にはわからないものがあります。

http://www.rfi.fr/france/2min/20151127-direct-suivez-hommage-victimes-attentats-paris-invalides
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%B3
この写真はアンヴァリッドでの追悼(11月27日)のもので、大統領退席後(11時30分)、Cœur des esclaves (Nabucco) de Verdiの曲が流れたとありますが、なぜヴェルディのナブッコなのか、この文化的背景もわかりません。
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Va, pensiero, sull'ali dorate;
Va, ti posa sui clivi, sui colli,
Ove olezzano tepide e molli
L'aure dolci del suolo natal!
行け、想いよ、金色の翼に乗って
行け、斜面に、丘に憩いつつ
そこでは薫っている。暖かく柔かい
故国の甘いそよ風が!
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ウィキのシングのサイトに、
Beckett was a regular member of the audience at the Abbey in his youth and particularly admired the plays of Yeats, Synge and O'Casey.
とありますが、ベケットに影響を与えた人なんですね。

『東京物語』の東山千栄子は香淳皇后に似ているなあ、と思いました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%A6%99%E5%AF%BA_(%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9%E8%B2%9E%E6%B0%8F
原節子が半世紀過ごした隠遁の地は足利氏所縁の浄妙寺の隣ですが、浄妙寺殿貞氏の祥月命日(9月5日)は、旧暦ながら、原節子の命日と同じなんですね。

http://gendai-shinsho.jp/
『鄧小平』を読みましたが、あまり面白くないですね。
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