学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

資料:大隅和雄氏『愚管抄 全現代語訳』「信西の最期」

2024-12-31 | 鈴木小太郎チャンネル2024
大隅和雄氏『愚管抄 全現代語訳』(講談社学術文庫、2012)
https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211593

p249以下
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信西の最期

 さてそうこうするうちに、平治元年(一一五九)十二月九日の夜、信頼・義朝は後白河上皇の御所であった三条烏丸の内裏を包囲し、火を放ったのである。信西が息子たちを引きつれていつもここに伺候していたので、とり囲んでみな討ち殺そうという計画であった。
 さて、信頼の一味の者であった師仲源中納言が御所の門中に御車を寄せて、後白河上皇と上西門院(統子)の御二方をお乗せした。その時、信西の妻で成範の母にあたる紀二位は小柄な女房であったから上西門院の御衣の裾にかくれて御車に乗ってしまったのを誰も気づかなかった。上西門院は御生母が後白河上皇と同じ待賢門院(璋子)であり、後白河天皇の准母(国母としての待遇を受ける)に立てられた御方であったという。そんなこともあってこの御二方は何かにつけて特に親密で、いつも同じ御所においでになった。ところでこの御車は、(源)重成・(源)光基・(源)季実などが警固して、一本御書所(世間に流布している書物を各一部書写して内裏に保管していた所)にお移しした。この重成はのちに自害したが誰であるかを人に知られなかったので称賛された人物である。
 さて、御所にいた俊憲・貞憲はともに難をのがれた。俊憲はもう焼け死ぬ覚悟をして北の対の縁の下に入っていたが、あたりを見まわすとまだ逃げることができるようなので焔の燃えさかる中を走りぬけて逃げたのである。信西は不意をうたれた敗北を感じとり、左衛門尉師光・右衛門尉成景・田口四郎兼光・斎藤右馬允清実をつれて人に感づかれないような輿かき人夫の輿に乗って、大和国の田原(京都府綴喜郡宇治田原町。大和は誤り)というところへ行き、地面に穴を掘ってすっかり埋まって隠れていた。従った者どもは四人とも髻を切って法名をつけよといったので、西光・西景・西実・西印と名づけたのであった。四人のうち西光・西景はのちに後白河上皇に仕えていた人物である。西光は「もうこうなったうえは中国に渡航なさる以外にありません。御供いたしましょう」といったが、信西は「行くとしても、星の方位を見るにもうどうしてみてものがれるすべはあるまい」と答えたという。
 ところで、信頼はこのような勝手なことをして大内裏に二条天皇の行幸を仰ぎ、当時在位の天皇である二条天皇をとりこんで政務を掌握し、後白河上皇の方は内裏のうち御書所という所にお据えして、さっそく除目を行なった。この除目で義朝は四位に上って播磨守となり、義朝の子で十三歳であった頼朝は右兵衛佐に任ぜられたりしたのであった。
 信西は巧みに隠れたと思っていたのに、あの輿をかついだ人夫が他人に秘密を洩らし、(源)光康(光保・光安)という武士に聞きつけられた。光康は義朝方であったから信西を探して差し出そうと、田原に向かったのである。田原で従者の師光が大きな木の上に登って夜明しの番をしていると、穴の中で声高く阿弥陀仏の名号を唱えるのがかすかに聞こえてきた。折しも遠くの方にあやしい火が数多く見えてきたので、木からおりて「あやしい火が見えております。御用心なさいませ」と、大きい声で穴の中にいいこんで、また木に登って見張りをしていると、多勢の武士どもが続々とあらわれ、あたりをあれこれと見まわしはじめた。信西が入っていた穴は、うまく埋めこんであると思っていたが、穴の口をふさいでいた板が見つけられてしまった。武士どもが掘ると、信西は持っていた腰の小刀をみずからの胸骨の上に強く突き立ててすでにこときれていたのである。武士どもは掘り出した信西の首をとり、得意顔にそれを掲げて都大路を行進したりした。信西の息子たちは、法師になっていた者まですべて流刑に処せられ、諸国に送られたのであった。
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※信西の最期の場面、『愚管抄』では西光の活躍が目立つが、『平治物語』陽明文庫本では西光は京都にいて信西に随行すらしていない。
そして随行者四名が信西から「各、西の字に俗名の片名をよせて」法名としてもらったことを聞いて、自身も出家し、「西光」と名乗ったとしている。

資料:『平治物語 上』「信西の首実検の事 付けたり 南都落ちの事 并びに 最期の事」〔2025-01-08〕
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/2279690e570d3e975366a4674b26d469
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