学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

七日市藩つながり

2009-01-20 | 近現代史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2009年 1月20日(火)01時02分57秒

>Akiさん
おひさしぶりです。

>畑鉄鶏の墓碑銘
七日市前田家の菩提寺だった長学寺にあるようですね。
長学寺はこじんまりとしたお寺さんですが、風情はありますね。

>筆綾丸さん
山縣有朋の『葉桜日記』を読んだことがありますが、幕末の動乱の緊迫した描写があるのかと思ったら、大半はのんびりとした歌日記なので、何じゃこれ、という感じでした。
ただ、ピストルを詠んだ珍しい歌もあり、素材の点では石川啄木の先駆者かもしれないですね。

「秋篠宮が天皇になる日」の保阪正康氏は七日市藩の家老の末裔だそうです。

※Akiさんと筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

金・銀・鉄 2009/01/18(日) 08:48:05(Akiさん)

山種美術館をつくったのが群馬出身の人だったとは知りませんでした。七日市藩士の末裔だったんですね。

山崎種二氏が日本画家のパトロンになったこととはたぶんあまり関係無いとは思いますが、七日市藩は上州の小藩とはいえ、文化的なものと無縁ではなかったっぽいです。私、七日市藩の藩医だった畑鉄鶏という人の掛軸(水墨画)を持っていますが、この人、『群馬県北甘楽郡史』(本多亀三著)によると、シーボルト事件に連坐した稲部市五郎が七日市藩に預けられた時に、藩でただ一人だけ市五郎の牢に入ることを許されて、市五郎の元にかよって蘭学を学んだという人物です。

畑家は代々七日市藩で藩医を勤めた家ですが、祖父は金鶏、父は銀鶏と号して、どちらも、江戸でそこそこ名の通った文化人だったようです。金鶏は喜多川歌麿が挿し絵を描いた狂歌集を出版していますし、銀鶏の本には、谷文晁、歌川貞広、歌川芳春といった当時一流の絵師が挿し絵を描いています。
http://www.geocities.jp/ezoushijp/azumaasobi.html
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%94%A8+%8B%E2%8C%7B

『和漢奇事変生男子之説』という奇書も銀鶏の著です。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000482454/
http://www.harikatsu.com/nikka2/calen.cgi?mode=view&YMD=20041005&w=2
http://www.harikatsu.com/nikka2/calen.cgi?mode=view&YMD=20041006&w=3


狂介の歌 2009/01/18(日) 12:08:37(筆綾丸さん)
小太郎さん
http://www.7andy.jp/books/detail/?isbn=9784047034006
『神々の乱心』上巻418頁に、満州国の切手の話があり、気になって、内藤陽介氏『満州
切手』をみますと、細かい説明がありました。遼陽の白塔と溥儀の肖像をデザインした
ものは、関東軍司令官本庄繁の承認を得て採用されたとして、こうあります(34頁)。

切手に取り上げられた白塔は、その遼陽のランドマークともいうべき存在で、金の大定
年間(1161~89)、皇帝・世宗が母后のために建てた八角十三層(高さ71メートル)の
塔である。塔身の八面に施された坐仏・脇侍・飛天などの磚像は芸術性が極めて高く、
遼陽のみならず、満州全体を代表する第一級の文化遺産である。切手は、白塔を中心に、
両脇に満州を象徴する農産物として高粱を配している。なお、印面下部の文様は満州の
建築物にしばしば見られるもので、特に、白塔を意識したものというわけではない。デザ
インは、中央の白塔部分を吉田豊が、輪郭を加曾利鼎造が、それぞれ作成した。一方、
溥儀を描いた切手は、執政としての公式のポートレートをもとに作られた。肖像を囲んで
いるのはオリーブの葉で、〃満洲國郵政〃の表示の両脇には、やはり、満洲の建築物に
よく見られる装飾文様が入れられている。こちらのデザインは吉田が単独で作成した。

貨幣の最低単位は分(FEN)、分の十倍が角、角の十倍が円、となっていて、厘・銭・円と
パラレルにしたようですね。

松本清張『象徴の設計』(文春文庫)を読み始めました。
明治11年8月23日の竹橋事件から始めて、山縣有朋を描いたものですが、解説の綱淵謙錠
氏が、北越戦争と西南戦争の時の山縣の歌を紹介しています。
山縣狂介、畏るべき歌詠みですね。

  あだまもる砦のかがり影ふけて 夏も身にしむこしの山風
  山もさけ海もあせむとみし空の なごりやいづら秋の夜の月

Akiさん
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?KEYWORD=9784779003813
はじめまして。
最近、こういう小説が出ました。
未読ですが、藩医の畑家も登場するのでしょうね。購入して、確認してみます。

七日市藩の和蘭薬 2009/01/19(月) 01:08:09(Akiさん)

筆綾丸さん、こんにちは。

下記のページ、その小説の筆者のページですが、<執筆随想録-??「隠れ切支丹の里」>というところからリンクされている PDF ファイルに、小説の背景が書いてありました。
http://www.author-touki.net/sub34.html
(↑ 開くと、音楽が鳴るので注意。)

それを読むと、どうも上州の隠れキリシタンの伝説にからめたフィクションで、畑家のことについて触れられている可能性はほとんど無さそうです。『群馬県北甘楽郡史』に引用されている畑鉄鶏の墓碑銘によると、鉄鶏は「旁通秦西横文書 故其術折衷漢蘭」だったとのことです。幕末の七日市藩が舞台で薬の調合のことをネタにしているのに、畑鉄鶏のことが出て来ないとしたら、致命的だと思われます。
とり急ぎ、まだ注文されていないことを祈りつつ・・・。

(2月3日 付記)
上記のコメントは誤りでした。『七日市藩和蘭薬記』は、畑道意(鉄鶏)についても言及されているそうです。詳しくは、たなか踏基氏の 2009年 2月 3日(火)22時07分6秒 の投稿を御覧ください。たなか踏基氏、および、このBBSを御覧の皆さんに、お詫びして訂正いたします。

中世の弊跡 2009/01/19(月) 20:26:49(筆綾丸さん)
Akiさん
すでに手遅れで注文してしまいましたが、興味深そうなテーマなので、読んでみます。
畑家は歌麿が関係してきて、とても面白いですね。まったく不案内でしたが。

松本清張『象徴の設計』に「軍人勅諭」の原案が出てきます(93頁~)。
竹橋騒動の再発を防止するため、山縣の命を受けて、西周が起草したものですが、次の
ような一文があります。

夫兵馬の大権は行政の大権と相終始して、全く我が 皇統に繋属する所なれば、縦ひ相将
に委任すること有るも、其大綱を総攬するは全く 朕が分内に在りて、子々孫々に至る
まで永く此意を体し、広く中世の弊跡を鑑み、敢て或は失墜する事ある莫らんことを深く
冀望する所なり。

文中の「中世の弊跡」とは、鎌倉幕府成立から明治初年までの七百年間のことで、天皇
が兵馬の大権を武家に奪われた否定さるべき忌々しい時代、というような意味ですね。
「中世」という用語は、独逸語の翻訳で純粋に歴史学的な概念かと思っていましたが、
阿蘭陀帰りの西が、すでに独特な意味で使っていたのですね。
とても面白く思いました。
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