投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年12月20日(水)12時44分33秒
続きです。
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院も我が御方にかへりて、うちやすませ給へれど、まどろまれ給はず。有りつる御面影、心にかかりて覚え給ふぞいとわりなき。「さしはへて聞こえんも、人聞きよろしかるまじ。いかがはせん」と思し乱る。御はらからと言へど、年月よそにて生ひ立ち給へれば、うとうとしくならひ給へるままに、慎ましき御思ひも薄くやありけん、猶ひたぶるにいぶせくてやみなんは、あかず口惜しと思す。けしからぬ御本性なりや。
なにがしの大納言の女、御身近く召し使ふ人、彼の斎宮にも、さるべきゆかりありて睦しく参りなるるを、召し寄せて、「馴れ馴れしきまでは思ひよらず。ただ少しけ近き程にて、思ふ心の片端を聞こえん。かく折良き事もいと難かるべし」とせちにまめだちてのたまへば、いかがたばかりけん、夢うつつともなく近づき聞こえさせ給へれば、いと心うしと思せど、あえかに消えまどひなどはし給はず。らうたくなよなよとして、あはれなる御けはひなり。鳥もしばしば驚かすに、心あわたたしう、さすがに人の御名のいとほしければ、夜深くまぎれ出で給ひぬ。
日たくる程に、大殿籠り起きて、御文奉り給ふ。うはべはただ大方なるやうにて、「ならはぬ御旅寝もいかに」などやうに、すくよかに見せて、中に小さく、
夢とだにさだかにもなきかりぶしの草の枕に露ぞこぼるる
「いとつれなき御けしきの聞こえん方なさに」ぞなどあめる。悩ましとて御覧じも入れず。強ひて聞こえんもうたてあれば、「なだらかにもてかくしてを、わたらせ給へ」など聞えしらすべし。
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井上訳は、
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後深草院も御自分の部屋に帰っておやすみになったが、お眠りになれない。さっきの斎宮の面影がお心に残って忘れられないのが、なんとも困ったことだ。「わざわざ(思いをこめた)手紙をさしあげるのも人聞きがよくなかろう。どうしようか」と思い乱れられる。御兄妹とはいっても、長い年月を外でお育ちになったので、すっかり疎遠になってしまわれているわけで、(妹に恋するのはよくないのだ、という)慎まれるお気持も薄かったのであろうか、やはりひたすらに思いもかなわず鬱々として終ってしまうのは、不満足で残念に思われる。よろしくない御性格であるよ。
某大納言の娘で御身近に召し使う女房が、その斎宮にも然るべき縁があって親しく参り慣れている、その者を召し寄せて、「(斎宮に)慣れ慣れしく、深い仲になろうとまでは思ってもいない。ただすこし近い所で、思う私の心の一端を申しあげようと思う。こういういい機会も容易に得がたいであろう」と熱心に、まじめになっておっしゃるので、(その女房は)どううまく取りはからったのであろうか、(院は闇の中を)夢ともうつつともなく(斎宮に)近寄り申しなさると、斎宮はまことにつらいことと思われたが、弱々と、今にも死にそうにうろたえるということもなさらない。かわいらしくなよなよとして、可憐な御様子である。そのうち、暁を知らせる鳥の声も、しばしば目を覚まさせるので、心もそわそわとして落ち着かず(名残は惜しまれるが)、やはり斎宮のお名前が(浮き名が立つと)お気の毒なので、夜深い中を忍んでお出ましになった。
日が高くなったころ、お目覚めになって、お手紙をさしあげなさる。表面はただ普通の手紙のようにして、「お慣れにならない御旅寝はいかがでしたか」などのように、まじめに見せて、中に小さい字で、
夢でお会いしたとさえはっきりしなかった昨夜の 仮寝の床の契りなので、
この旅の枕に露のごとく涙がこぼれます。
「まことによそよそしい御様子で、なんとも申しあげようもございません」と書かれたようである。斎宮は、気分が悪いといって御覧にもならない。無理になにやかやと申しあげるのも心もとないことなので、院は「(お気持ちを)平らかになさって、なんでもなかったふうにしておいでください」など申しあげられるようだ。
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という具合で、このあたり、原文は意図的に曖昧になっているので、井上訳がないとなかなか理解できないですね。
さて、「けしからぬ御本性なりや」(よろしくない御性格であるよ)は、語り手の老尼のコメントです。
『増鏡』は冒頭で、嵯峨の清涼寺において老尼が語るという舞台設定はなされているのですが、実際には老尼はあまり登場せず、忘れたころに時々現れるという感じで、ここもその一つです。
また、後深草院が召し使う「なにがしの大納言の女、御身近く召し使ふ人」とは後深草院二条のことです。
このあたり、『とはずがたり』に全面的に依拠している文章が続くのですが、『とはずがたり』が発見されるまでは「なにがしの大納言の女」も誰か不明でした。
また、そもそも『とはずがたり』の発見前は、ここに登場して異母妹と関係を持つ人物は『増鏡』の他の場面でも好色であることが強調されている亀山院だと思われていて、戦前の『増鏡』の注釈書では全て亀山院になっています。
それと、後深草院が前斎宮に贈った、
夢とだにさだかにもなきかりぶしの草の枕に露ぞこぼるる
という歌は、『とはずがたり』には存在せず、『増鏡』にのみ登場する歌です。
この歌から「草枕」という巻名が付けられていて、『増鏡』作者はこの歌を相当重視している訳ですね。
なお、二条師忠の登場はまだまだ先です。
続きです。
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院も我が御方にかへりて、うちやすませ給へれど、まどろまれ給はず。有りつる御面影、心にかかりて覚え給ふぞいとわりなき。「さしはへて聞こえんも、人聞きよろしかるまじ。いかがはせん」と思し乱る。御はらからと言へど、年月よそにて生ひ立ち給へれば、うとうとしくならひ給へるままに、慎ましき御思ひも薄くやありけん、猶ひたぶるにいぶせくてやみなんは、あかず口惜しと思す。けしからぬ御本性なりや。
なにがしの大納言の女、御身近く召し使ふ人、彼の斎宮にも、さるべきゆかりありて睦しく参りなるるを、召し寄せて、「馴れ馴れしきまでは思ひよらず。ただ少しけ近き程にて、思ふ心の片端を聞こえん。かく折良き事もいと難かるべし」とせちにまめだちてのたまへば、いかがたばかりけん、夢うつつともなく近づき聞こえさせ給へれば、いと心うしと思せど、あえかに消えまどひなどはし給はず。らうたくなよなよとして、あはれなる御けはひなり。鳥もしばしば驚かすに、心あわたたしう、さすがに人の御名のいとほしければ、夜深くまぎれ出で給ひぬ。
日たくる程に、大殿籠り起きて、御文奉り給ふ。うはべはただ大方なるやうにて、「ならはぬ御旅寝もいかに」などやうに、すくよかに見せて、中に小さく、
夢とだにさだかにもなきかりぶしの草の枕に露ぞこぼるる
「いとつれなき御けしきの聞こえん方なさに」ぞなどあめる。悩ましとて御覧じも入れず。強ひて聞こえんもうたてあれば、「なだらかにもてかくしてを、わたらせ給へ」など聞えしらすべし。
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井上訳は、
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後深草院も御自分の部屋に帰っておやすみになったが、お眠りになれない。さっきの斎宮の面影がお心に残って忘れられないのが、なんとも困ったことだ。「わざわざ(思いをこめた)手紙をさしあげるのも人聞きがよくなかろう。どうしようか」と思い乱れられる。御兄妹とはいっても、長い年月を外でお育ちになったので、すっかり疎遠になってしまわれているわけで、(妹に恋するのはよくないのだ、という)慎まれるお気持も薄かったのであろうか、やはりひたすらに思いもかなわず鬱々として終ってしまうのは、不満足で残念に思われる。よろしくない御性格であるよ。
某大納言の娘で御身近に召し使う女房が、その斎宮にも然るべき縁があって親しく参り慣れている、その者を召し寄せて、「(斎宮に)慣れ慣れしく、深い仲になろうとまでは思ってもいない。ただすこし近い所で、思う私の心の一端を申しあげようと思う。こういういい機会も容易に得がたいであろう」と熱心に、まじめになっておっしゃるので、(その女房は)どううまく取りはからったのであろうか、(院は闇の中を)夢ともうつつともなく(斎宮に)近寄り申しなさると、斎宮はまことにつらいことと思われたが、弱々と、今にも死にそうにうろたえるということもなさらない。かわいらしくなよなよとして、可憐な御様子である。そのうち、暁を知らせる鳥の声も、しばしば目を覚まさせるので、心もそわそわとして落ち着かず(名残は惜しまれるが)、やはり斎宮のお名前が(浮き名が立つと)お気の毒なので、夜深い中を忍んでお出ましになった。
日が高くなったころ、お目覚めになって、お手紙をさしあげなさる。表面はただ普通の手紙のようにして、「お慣れにならない御旅寝はいかがでしたか」などのように、まじめに見せて、中に小さい字で、
夢でお会いしたとさえはっきりしなかった昨夜の 仮寝の床の契りなので、
この旅の枕に露のごとく涙がこぼれます。
「まことによそよそしい御様子で、なんとも申しあげようもございません」と書かれたようである。斎宮は、気分が悪いといって御覧にもならない。無理になにやかやと申しあげるのも心もとないことなので、院は「(お気持ちを)平らかになさって、なんでもなかったふうにしておいでください」など申しあげられるようだ。
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という具合で、このあたり、原文は意図的に曖昧になっているので、井上訳がないとなかなか理解できないですね。
さて、「けしからぬ御本性なりや」(よろしくない御性格であるよ)は、語り手の老尼のコメントです。
『増鏡』は冒頭で、嵯峨の清涼寺において老尼が語るという舞台設定はなされているのですが、実際には老尼はあまり登場せず、忘れたころに時々現れるという感じで、ここもその一つです。
また、後深草院が召し使う「なにがしの大納言の女、御身近く召し使ふ人」とは後深草院二条のことです。
このあたり、『とはずがたり』に全面的に依拠している文章が続くのですが、『とはずがたり』が発見されるまでは「なにがしの大納言の女」も誰か不明でした。
また、そもそも『とはずがたり』の発見前は、ここに登場して異母妹と関係を持つ人物は『増鏡』の他の場面でも好色であることが強調されている亀山院だと思われていて、戦前の『増鏡』の注釈書では全て亀山院になっています。
それと、後深草院が前斎宮に贈った、
夢とだにさだかにもなきかりぶしの草の枕に露ぞこぼるる
という歌は、『とはずがたり』には存在せず、『増鏡』にのみ登場する歌です。
この歌から「草枕」という巻名が付けられていて、『増鏡』作者はこの歌を相当重視している訳ですね。
なお、二条師忠の登場はまだまだ先です。
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