投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 2月 7日(火)11時45分14秒
ふー。
インフルエンザは比較的軽度で済みました。
平熱が低いので、少し熱が出ると、もう死ぬんじゃないかな、みたいな気分になりますが、実際には38度をちょっと超えたくらいで、それも薬をきちんと飲んだら順調に回復しました。
人の多いところへの外出はもう少し控えますが、基本的に今日から通常運行です。
寝ている間に、高山宏『奇想天外・英文学講義 シェイクスピアから「ホームズ」へ』(講談社選書メチエ、2000)を読んでみましたが、これは面白いですね。
例えば次のような部分。(p47以下)
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マニエリスムとは何か
そう、ここでまず、ぼくなりにマニエリスム(mannerism, maniérisme, Manierismus)をどう理解しているか話しておかねばならない。
何となくいろいろつながってひとまとまりと意識される世界が、主に(1)戦乱その他の大規模なカタストロフィーを通し、かつ(2)世界地図の拡大、市場経済の拡大といった急速に拡大する世界を前に一人一人の個人はかえって個の孤立感を深めるといった理由から、断裂された世界というふうに感じられてしまう。その時ばらばらであることを嘆く一方で、ばらばらを虚構の全体の中にと「弥縫」しようとする知性のタイプがあるはず。それがマニエリスムで、十六世紀の初めに現れて一世紀続いたとされる。そして理由(1)(2)を考えると、二つの未曽有の世界戦争やグローバリゼーション狂いのこの二十世紀また、マニエリスム向きの時代である他ないだろう。
【中略】
「つなぐ」ことで「驚かせる」
未曽有の断裂は未曽有の結合をうむ、とでもいうか。マニエリスム・アートが「アルス・コンビナトリア(ars combinatoria=結合術)と呼ばれるのは、そのためである。合理的には絶対につながらない複数の観念を、非合理のレヴェルでつなぐ超絶技巧をマニエリスムという、といってもよい。
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もちろん、「ばらばらを虚構の全体の中にと「弥縫」しようとする知性のタイプ」がマニエリスムだという高山氏の理解は、エル・グレコの十二頭身像を代表とするような通常の美術史におけるマニエリスムの理解とは異なるものですが、マニエリスムと呼ぶかどうかは別にして、この表現は非常に面白いですね。
私自身も、このバラバラな世界の混乱を終息させる根本的な解決策などあろうはずはなく、現在の世界が欲しているのは「弥縫」策であり、その「弥縫」策は美的かつ知的に高度に洗練された軽やかなものでなければならないと考えているので、高山氏がこのような認識に到達した過程で参考にした書籍のいくつかを実際に読んで、もう少し知識を深めていきたいと思っています。
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