投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 2月 7日(火)12時36分12秒
高山宏氏の文章を眺めていて、久しぶりに山口昌男(1931-2013)への若干の興味も湧いてきました。(P22以下)
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一九六〇年代といえば、大学紛争の激動の時代であるが、山口昌男氏の論に代表されるように、一九二〇年代と一九六〇年代は、趣味や感覚が非常に似ている。そのことがよく理解されているファッション、映画、絵など、アートの分野だけでなく、エピステーメーというか知的な関心のあり方もまた互いに酷似しているのである。
実際、山口氏は、二〇年代前衛のアートよりも、知識人の離合集散に興味を示していて、後にその探求・記述を歴史人類学という名で呼ぶことになる。『本の神話学』ではそうした氏の興味の中心はワルブルク研究所(後のウォーバーグ研究所)であった。フランセス・イエイツをうむことで、シェイクスピア研究を一変させる運命にある知的組織である。
山口氏は『本の神話学』を一九七一年に発表する。実は僕は<その本の>弟子に当たる(ご本人の弟子ではないことをあえてつけ加えておこう。シシュクという奴である)。『本の神話学』は、英文学プロパーの本ではないが、「シェイクスピアは芸能ではないか」と指摘する「<社会科学>としての芸能」の章には、非常に興奮させられた。
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特に哲学青年でも思想青年でも芸術青年でもなかった私自身が山口昌男を読み始めたのはずっと遅れて、ニューアカブームすら遥か昔となった1990年くらいなのですが、やはり『本の神話学』にはずいぶん興奮しました。
ただ、私が夢中になって山口昌男の本を集めていた頃、山口昌男自身の関心は日本的なチマチマした世界に向かっていたようで、『「敗者」の精神史』(岩波書店、1995)や『「挫折」の昭和史』(岩波書店、1995)など、まあ、それなりに面白くもない訳でもない内容ながら、今から振り返ると、何で山口昌男のような才能の持ち主がこんな狭い方面に向かってしまったのか、不思議な感じがしますね。
ま、このあたりで私も山口昌男から徐々に離れて行って、晩年の著作はあまり読んでいないのですが。
「松岡正剛の千夜千冊」山口昌男「敗者」の精神史
http://1000ya.isis.ne.jp/0907.html
高山宏氏の文章を眺めていて、久しぶりに山口昌男(1931-2013)への若干の興味も湧いてきました。(P22以下)
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一九六〇年代といえば、大学紛争の激動の時代であるが、山口昌男氏の論に代表されるように、一九二〇年代と一九六〇年代は、趣味や感覚が非常に似ている。そのことがよく理解されているファッション、映画、絵など、アートの分野だけでなく、エピステーメーというか知的な関心のあり方もまた互いに酷似しているのである。
実際、山口氏は、二〇年代前衛のアートよりも、知識人の離合集散に興味を示していて、後にその探求・記述を歴史人類学という名で呼ぶことになる。『本の神話学』ではそうした氏の興味の中心はワルブルク研究所(後のウォーバーグ研究所)であった。フランセス・イエイツをうむことで、シェイクスピア研究を一変させる運命にある知的組織である。
山口氏は『本の神話学』を一九七一年に発表する。実は僕は<その本の>弟子に当たる(ご本人の弟子ではないことをあえてつけ加えておこう。シシュクという奴である)。『本の神話学』は、英文学プロパーの本ではないが、「シェイクスピアは芸能ではないか」と指摘する「<社会科学>としての芸能」の章には、非常に興奮させられた。
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特に哲学青年でも思想青年でも芸術青年でもなかった私自身が山口昌男を読み始めたのはずっと遅れて、ニューアカブームすら遥か昔となった1990年くらいなのですが、やはり『本の神話学』にはずいぶん興奮しました。
ただ、私が夢中になって山口昌男の本を集めていた頃、山口昌男自身の関心は日本的なチマチマした世界に向かっていたようで、『「敗者」の精神史』(岩波書店、1995)や『「挫折」の昭和史』(岩波書店、1995)など、まあ、それなりに面白くもない訳でもない内容ながら、今から振り返ると、何で山口昌男のような才能の持ち主がこんな狭い方面に向かってしまったのか、不思議な感じがしますね。
ま、このあたりで私も山口昌男から徐々に離れて行って、晩年の著作はあまり読んでいないのですが。
「松岡正剛の千夜千冊」山口昌男「敗者」の精神史
http://1000ya.isis.ne.jp/0907.html
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