投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 7月 3日(土)00時43分6秒
『自由にしてケシカラン人々の世紀』のp124以下には次の記述があります。
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村請制が導入されるということはつまり、<領主対百姓>から<領主対村>プラス<村対百姓>の関係に移行するということである。村民にとってそのことにいったいどんなメリットがあるのかと言えば、何といっても年貢の納入が困難な時に、領主の下っ端の<怖いお兄さん>たちに責め立てられなくて済むことだろう。村が防波堤になってくれるのはやはり心強い。で、確かに心強いのだが、メリットと言えば、ひょっとしたらそれぐらいかもしれないのではあるまいか。逆にどんなデメリットがあるかというと・・・・。
その第一は、まず番頭に頭が上がらない、ということだ。(中略)
デメリットの第二は、どうも最近村の行事が多くて何かと金がかかるということだ。(中略)
デメリットの第三は、あまり大きな声では言えないが、領主帳と村帳簿の二重帳簿になってしまうということだ。村が上納すべき年貢は千八百石のはずなのだが、村民が村のまとめ役に納めなければいけないのはなぜか三千石以上になっている。残りの千二百石っていったい・・・、ということになりかねない。
じっさい、江戸時代初期の一六三四年、和泉国熊取谷諸村(大阪府南西部)が提出した訴状によると、熊取谷が岸和田藩に納める年貢が千八百石であるのに対し、村民が村の大庄屋である中家などの蔵に納めるべき米は、実に三千六十四石余りに及んでいたのだという。(後略)
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熊取谷の中家というのは↓みたいですね。
なかなか立派な家です。
http://www.town.kumatori.lg.jp/shisetsu/juubun/index.html
さて、上記部分を読んで、私は東島氏はずいぶん潔癖な人だなあと感心しました。
ま、確かに不正な「二重帳簿」も多かったのでしょうが、しかし、こういう不正に潔癖な人が、何で勧進のような不正をやり放題できるシステムを高く評価するのか、そのバランス感覚がいまひとつ理解できません。
『公共圏の歴史的創造』を見ると、「第1章 公共負担構造の転換」に「勧進僧は公共負担システムを媒介することで、自身のための物乞をもすることができた」(p48)云々とあり、勧進僧との利権争いの例を挙げていますので、東島氏がこの種の不正に気づいているのは明らかですが、それにしても村への視線の異常な冷ややかさと較べると、勧進僧への視線はずいぶん甘いですね。
村の「二重帳簿」については、差額を私腹を肥やすのに使った人もいたでしょうが、村の共同の利益のために使った人もそれなりに多かったんじゃないですかね。
中世のことしか興味がなかった私は、新潟県に来てから近世の新田開発について多少考えるようになったのですが、まあ、大変な事業ですね。
新田開発に関わった村の指導層にはずいぶん立派な人が多かったように思いますが、そうした公的事業のための資金の一部が「二重帳簿」からまかなわれたようなこともあったんじゃないですかね。
>筆綾丸さん
今、手元に『無縁・公界・楽』がないので確認できないのですが、ご指摘の点は確か東島氏の批判を受けて網野氏が追加した部分ではなかったかと思います。
東島氏の網野氏に対する批判は本当に鋭いですね。
『自由にしてケシカラン人々の世紀』のp124以下には次の記述があります。
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村請制が導入されるということはつまり、<領主対百姓>から<領主対村>プラス<村対百姓>の関係に移行するということである。村民にとってそのことにいったいどんなメリットがあるのかと言えば、何といっても年貢の納入が困難な時に、領主の下っ端の<怖いお兄さん>たちに責め立てられなくて済むことだろう。村が防波堤になってくれるのはやはり心強い。で、確かに心強いのだが、メリットと言えば、ひょっとしたらそれぐらいかもしれないのではあるまいか。逆にどんなデメリットがあるかというと・・・・。
その第一は、まず番頭に頭が上がらない、ということだ。(中略)
デメリットの第二は、どうも最近村の行事が多くて何かと金がかかるということだ。(中略)
デメリットの第三は、あまり大きな声では言えないが、領主帳と村帳簿の二重帳簿になってしまうということだ。村が上納すべき年貢は千八百石のはずなのだが、村民が村のまとめ役に納めなければいけないのはなぜか三千石以上になっている。残りの千二百石っていったい・・・、ということになりかねない。
じっさい、江戸時代初期の一六三四年、和泉国熊取谷諸村(大阪府南西部)が提出した訴状によると、熊取谷が岸和田藩に納める年貢が千八百石であるのに対し、村民が村の大庄屋である中家などの蔵に納めるべき米は、実に三千六十四石余りに及んでいたのだという。(後略)
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熊取谷の中家というのは↓みたいですね。
なかなか立派な家です。
http://www.town.kumatori.lg.jp/shisetsu/juubun/index.html
さて、上記部分を読んで、私は東島氏はずいぶん潔癖な人だなあと感心しました。
ま、確かに不正な「二重帳簿」も多かったのでしょうが、しかし、こういう不正に潔癖な人が、何で勧進のような不正をやり放題できるシステムを高く評価するのか、そのバランス感覚がいまひとつ理解できません。
『公共圏の歴史的創造』を見ると、「第1章 公共負担構造の転換」に「勧進僧は公共負担システムを媒介することで、自身のための物乞をもすることができた」(p48)云々とあり、勧進僧との利権争いの例を挙げていますので、東島氏がこの種の不正に気づいているのは明らかですが、それにしても村への視線の異常な冷ややかさと較べると、勧進僧への視線はずいぶん甘いですね。
村の「二重帳簿」については、差額を私腹を肥やすのに使った人もいたでしょうが、村の共同の利益のために使った人もそれなりに多かったんじゃないですかね。
中世のことしか興味がなかった私は、新潟県に来てから近世の新田開発について多少考えるようになったのですが、まあ、大変な事業ですね。
新田開発に関わった村の指導層にはずいぶん立派な人が多かったように思いますが、そうした公的事業のための資金の一部が「二重帳簿」からまかなわれたようなこともあったんじゃないですかね。
>筆綾丸さん
今、手元に『無縁・公界・楽』がないので確認できないのですが、ご指摘の点は確か東島氏の批判を受けて網野氏が追加した部分ではなかったかと思います。
東島氏の網野氏に対する批判は本当に鋭いですね。
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