投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 3月15日(月)21時31分31秒
タイトルが各務支考「歌書よりも 軍書に悲し 吉野山」のパクリではないかと思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、それは気のせいです。
また、『臨永集』の引用は『新編国歌大観 第6巻 私撰集編 2』(角川書店、1988)から行っています。
さて、巻七「恋歌中」に入ると、445が赤橋英時です。
いつよりか 契りもおかぬ 夕ぐれを とはるるほどの なかとならまし
続いて462も赤橋英時
ながらへば いくゆふぐれの いつはりを いのちのうちに たへてまたまし
そして487に大友貞宗
見せばやな 今朝のわかれの そのままに やがてかわかぬ 袖の名残を
まあ、類型的といえばそれまでですが、赤橋英時も大友貞宗も練達の詠み手という感じですね。
巻八「恋歌下」に入ると、503の作者が「藤原貞経」となっていますが、これは少弐貞経です。
いつまでか をぎのはならで おとづれし 人の心の 秋の夕風
519の「よみ人しらず」の歌と520の赤橋英時の歌はセットになっているようですね。
人のもとにつかはしける よみ人しらず
あだなりし むかしの夢の なごりをも よにながらへて 見るよしもがな
返事 平英時
うつつにぞ われは忍ぶる うき人の 夢になすてふ 契なれども
赤橋英時は恋歌が得意のようです。
さて、537に再び「源高氏」が登場します。
ことの葉に 出でぬさきより もりそめて 涙ぞ人を まづ恨みける
うーむ。
「もりそめて」がちょっと変な感じがしないでもありません。
ま、それはともかく、548は大友貞宗
寄枕恋を 平貞宗
おもひわび うちぬるよひの たまくらも うくばかりなる 我が涙かな
こういう歌を屈強の武家歌人が詠んでいるかと思うと、ちょっと可笑しいですね
巻九「雑歌上」に入ると、576も大友貞宗
松浦がた なみぢのすゑを 見わたせば 霞もとほき 春のあけぼの
616は再び少弐貞経
納涼の心を 藤原貞経
ときわかぬ 松のこかげの 夕すずみ 秋にはあらで 秋風ぞふく
622は平守時朝臣女
さすが又 身にしむ程は なかりけり 今朝ふきそむる をぎの上風
巻十「雑歌下」に入ると、650が大友貞宗
題しらず 平貞宗
のがれくる みのかくれがの 山里は 煙のすゑも よそにしらるな
706は赤橋英時
さとまでは まだ行きやらで あふ人に かねて宿とふ 夕暮の空
737は足利尊氏の三首目
述懐の心を 源高氏
これのみや 身の思ひ出と なりぬらん なをかけそめし 和歌の浦浪
うーむ。
謙虚といえば謙虚な歌ですが、あまり若々しくないというか、老成している感じですね。
そして756は平守時朝臣女
いかにせん 世のうきたびに いとへども 心の末の まことならぬを
うーむ。
これもおよそ若々しくない歌で、やはり平守時朝臣女は赤橋英時・赤橋登子の姉妹ではないかなあ、という感じがします。
以上、『臨永集』全十巻、全七七〇首の中から赤橋英時・平守時朝臣女と足利尊氏・大友貞宗・少弐貞経の歌だけを駆け足で見てきました。
この他、「従一位定房卿」(吉田定房)・「大納言親房卿」(北畠親房)・「権中納言具行卿」(北畠具行)・「権中納言隆資卿」(四条隆資)など、あの人がこんな歌を詠むのか、といった興味を抱かせる歌人も多いのですが、きりがないのでここまでとします。
タイトルが各務支考「歌書よりも 軍書に悲し 吉野山」のパクリではないかと思われた方がいらっしゃるかもしれませんが、それは気のせいです。
また、『臨永集』の引用は『新編国歌大観 第6巻 私撰集編 2』(角川書店、1988)から行っています。
さて、巻七「恋歌中」に入ると、445が赤橋英時です。
いつよりか 契りもおかぬ 夕ぐれを とはるるほどの なかとならまし
続いて462も赤橋英時
ながらへば いくゆふぐれの いつはりを いのちのうちに たへてまたまし
そして487に大友貞宗
見せばやな 今朝のわかれの そのままに やがてかわかぬ 袖の名残を
まあ、類型的といえばそれまでですが、赤橋英時も大友貞宗も練達の詠み手という感じですね。
巻八「恋歌下」に入ると、503の作者が「藤原貞経」となっていますが、これは少弐貞経です。
いつまでか をぎのはならで おとづれし 人の心の 秋の夕風
519の「よみ人しらず」の歌と520の赤橋英時の歌はセットになっているようですね。
人のもとにつかはしける よみ人しらず
あだなりし むかしの夢の なごりをも よにながらへて 見るよしもがな
返事 平英時
うつつにぞ われは忍ぶる うき人の 夢になすてふ 契なれども
赤橋英時は恋歌が得意のようです。
さて、537に再び「源高氏」が登場します。
ことの葉に 出でぬさきより もりそめて 涙ぞ人を まづ恨みける
うーむ。
「もりそめて」がちょっと変な感じがしないでもありません。
ま、それはともかく、548は大友貞宗
寄枕恋を 平貞宗
おもひわび うちぬるよひの たまくらも うくばかりなる 我が涙かな
こういう歌を屈強の武家歌人が詠んでいるかと思うと、ちょっと可笑しいですね
巻九「雑歌上」に入ると、576も大友貞宗
松浦がた なみぢのすゑを 見わたせば 霞もとほき 春のあけぼの
616は再び少弐貞経
納涼の心を 藤原貞経
ときわかぬ 松のこかげの 夕すずみ 秋にはあらで 秋風ぞふく
622は平守時朝臣女
さすが又 身にしむ程は なかりけり 今朝ふきそむる をぎの上風
巻十「雑歌下」に入ると、650が大友貞宗
題しらず 平貞宗
のがれくる みのかくれがの 山里は 煙のすゑも よそにしらるな
706は赤橋英時
さとまでは まだ行きやらで あふ人に かねて宿とふ 夕暮の空
737は足利尊氏の三首目
述懐の心を 源高氏
これのみや 身の思ひ出と なりぬらん なをかけそめし 和歌の浦浪
うーむ。
謙虚といえば謙虚な歌ですが、あまり若々しくないというか、老成している感じですね。
そして756は平守時朝臣女
いかにせん 世のうきたびに いとへども 心の末の まことならぬを
うーむ。
これもおよそ若々しくない歌で、やはり平守時朝臣女は赤橋英時・赤橋登子の姉妹ではないかなあ、という感じがします。
以上、『臨永集』全十巻、全七七〇首の中から赤橋英時・平守時朝臣女と足利尊氏・大友貞宗・少弐貞経の歌だけを駆け足で見てきました。
この他、「従一位定房卿」(吉田定房)・「大納言親房卿」(北畠親房)・「権中納言具行卿」(北畠具行)・「権中納言隆資卿」(四条隆資)など、あの人がこんな歌を詠むのか、といった興味を抱かせる歌人も多いのですが、きりがないのでここまでとします。
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