投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年11月 3日(月)21時22分55秒
>筆綾丸さん
高澤紀恵氏の一般論は理解できるのですが、古文書・古記録の世界に沈潜するのが好きな人と外国語が好きな人のタイプは相当ずれますからねー。
仮に日本史を専門的に学びたいと考える全ての学生に「複数の地域を主専攻、副専攻として学び、卒業論文は主専攻で書くといったシステム」を適用したら、未来の坂本太郎や佐藤進一だって逃げ出しかねず、角を矯めて牛を殺す事態になってしまいますね。
>将基面貴巳氏
西洋史の人だそうですね。
『言論抑圧ー矢内原事件の構図』は未読ですが、簑田胸喜の文章については著者に若干の誤解がありそうですね。
「多様な傍点」は別に蓑田だけが用いているのではなく、戦前の学者・評論家には結構その種の癖のある人が多いように思います。
例えば久米邦武の「神道ハ祭天ノ古俗」など、「多種多様な傍点が多数入り交ることで、目がチカチカするような派手さを持つ。その結果、しばしば、執筆者が絶叫しているような印象を与えるものとなっている」文章の典型ですね。
私は昔、「神道ハ祭天ノ古俗」をホームページにアップしようと思ってOCRにかけたところ、「多種多様な傍点」のおかげで全く読み取ってくれず、断念したことがあります。
久米邦武筆禍事件
それと矢内原忠雄は、キリスト教徒としての確固たる信念に基づいて、治安当局を刺激する言動を意図的に繰り返していたので、まあ、弾圧を受けるのは、ある意味当たり前だったような印象があります。
中公新書の宣伝文には「本書は、出版界の状況や大学の内部抗争、政治の圧力といった複雑な構図をマイクロヒストリーの手法で読み解き、その実態を剔り出す」とありますが、今さら簑田胸喜あたりに着目するのが「マイクロヒストリーの手法」なんですかね。
ちょっとピンと来ないですね。
※筆綾丸さんの下記二つの投稿へのレスです。
ppp(pianississimo)からfff( fortississimo )まで 2014/11/01(土) 18:27:22
小太郎さん
清岡卓行の「先生は魂の奥底に深い虚無をかくしていた」という文は、漱石の「こころ」の先生のようですが、渡辺一夫の「虚無」の原因は何だったのか、弟子に推察してほしかったですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%A9_(%E6%88%AF%E6%9B%B2)
ご引用の高澤氏の文章から cry for the moon を連想し、そういえば、カミュの『カリギュラ』にも月を欲しがるシーンがあることを思い出しました。「母語だけで思考するのではなく」などとサラリと書いていますが、脳にとって、母語以外で「思考する」ことは容易ではないですね。
追記1
http://grace-of-monaco.gaga.ne.jp/
http://en.wikipedia.org/wiki/Monaco
『グレース・オブ・モナコ』を観ました。モナコの歴史は複雑ですが、この映画はド・ゴールによる経済封鎖を描いたもので、どこまで史実か不明ながら、アルジェリア戦争の財政負担が原因のひとつだったようですね。下記の loosely は、NHKの大河ドラマくらいのフィクションというほどの意味でしょうか。
----------------
In 1963, a crisis developed when Charles de Gaulle blockaded Monaco, angered by its status as a tax haven for wealthy French. The 2014 movie Grace of Monaco is loosely based on this crisis.
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追記2
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2014/09/102284.html
将基面貴巳氏の『言論抑圧ー矢内原事件の構図』に簑田胸喜への言及がありますが、一部を引用してみます。
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そのうえこれまでほとんど紹介されてきていないのは、簑田が矢内原に対して繰り広げた非難の内容である。実際のところ、簑田が矢内原をなぜどのようにして攻撃したのかという問題にまで考察の筆を進めている論考は寡聞にして知らない。そもそも簑田胸喜という人物がいったいどのような思想家だったのかという問題に正面から取り組む試みは今世紀に入るまで皆無に等しい状態にあったといっても大過はなかろう。日本敗戦とともに、この狂信的な右翼思想家は忌避の対象となるか、あるいは真剣な学問的探究には値しないものと見なされてきた傾向があるように思われる。
簑田を「狂信的な」という言葉で形容したが、実際、彼の論文には、学術的論考に見られるような冷静沈着さが欠如しており、そのかわり、その文体は激情が迸り、批判対象を徹底的に叩きのめす執拗さによって彩られるものとなっている。そのような印象を醸し出す理由としては、ひとつには、後述するように、簑田が攻撃対象にありとあらゆる罵詈雑言を浴びせていることであるが、それに加えて、簑田の文章には傍点が極端に多い。それも標準的な傍点だけではなく、丸印、二重丸、バツ印、三角印など種類も豊富である。多様な傍点を簑田が厳密に使い分けていたと思われるふしはない。
しかし、それらは視覚的に独特の効果をもたらしている。傍点はあたかも音楽の譜面におけるフォルティッシモやリタルダンドのように、特に強調したい部分を示しているが、そのような箇所があまりにも多いために、印刷された文面は多種多様な傍点が多数入り交ることで、目がチカチカするような派手さを持つ。その結果、しばしば、執筆者が絶叫しているような印象を与えるものとなっているのである。(83頁~)
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将棋面の由来は知りませんが、珍しい名字ですね。
小太郎さん
清岡卓行の「先生は魂の奥底に深い虚無をかくしていた」という文は、漱石の「こころ」の先生のようですが、渡辺一夫の「虚無」の原因は何だったのか、弟子に推察してほしかったですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%83%A9_(%E6%88%AF%E6%9B%B2)
ご引用の高澤氏の文章から cry for the moon を連想し、そういえば、カミュの『カリギュラ』にも月を欲しがるシーンがあることを思い出しました。「母語だけで思考するのではなく」などとサラリと書いていますが、脳にとって、母語以外で「思考する」ことは容易ではないですね。
追記1
http://grace-of-monaco.gaga.ne.jp/
http://en.wikipedia.org/wiki/Monaco
『グレース・オブ・モナコ』を観ました。モナコの歴史は複雑ですが、この映画はド・ゴールによる経済封鎖を描いたもので、どこまで史実か不明ながら、アルジェリア戦争の財政負担が原因のひとつだったようですね。下記の loosely は、NHKの大河ドラマくらいのフィクションというほどの意味でしょうか。
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In 1963, a crisis developed when Charles de Gaulle blockaded Monaco, angered by its status as a tax haven for wealthy French. The 2014 movie Grace of Monaco is loosely based on this crisis.
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追記2
http://www.chuko.co.jp/shinsho/2014/09/102284.html
将基面貴巳氏の『言論抑圧ー矢内原事件の構図』に簑田胸喜への言及がありますが、一部を引用してみます。
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そのうえこれまでほとんど紹介されてきていないのは、簑田が矢内原に対して繰り広げた非難の内容である。実際のところ、簑田が矢内原をなぜどのようにして攻撃したのかという問題にまで考察の筆を進めている論考は寡聞にして知らない。そもそも簑田胸喜という人物がいったいどのような思想家だったのかという問題に正面から取り組む試みは今世紀に入るまで皆無に等しい状態にあったといっても大過はなかろう。日本敗戦とともに、この狂信的な右翼思想家は忌避の対象となるか、あるいは真剣な学問的探究には値しないものと見なされてきた傾向があるように思われる。
簑田を「狂信的な」という言葉で形容したが、実際、彼の論文には、学術的論考に見られるような冷静沈着さが欠如しており、そのかわり、その文体は激情が迸り、批判対象を徹底的に叩きのめす執拗さによって彩られるものとなっている。そのような印象を醸し出す理由としては、ひとつには、後述するように、簑田が攻撃対象にありとあらゆる罵詈雑言を浴びせていることであるが、それに加えて、簑田の文章には傍点が極端に多い。それも標準的な傍点だけではなく、丸印、二重丸、バツ印、三角印など種類も豊富である。多様な傍点を簑田が厳密に使い分けていたと思われるふしはない。
しかし、それらは視覚的に独特の効果をもたらしている。傍点はあたかも音楽の譜面におけるフォルティッシモやリタルダンドのように、特に強調したい部分を示しているが、そのような箇所があまりにも多いために、印刷された文面は多種多様な傍点が多数入り交ることで、目がチカチカするような派手さを持つ。その結果、しばしば、執筆者が絶叫しているような印象を与えるものとなっているのである。(83頁~)
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将棋面の由来は知りませんが、珍しい名字ですね。
幻の柿生離宮 2014/11/03(月) 17:16:57
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062882859
原武史氏の『思索の源泉としての鉄道』「第2章 天皇・皇居と鉄道」には、禅寺丸柿で有名な柿生村における離宮造営計画(1941年4月頃)の話とともに「宮内大臣秘書官筧素彦」という記述がありますが、この人は筧克彦の長男なんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%A7%E5%85%8B%E5%BD%A6
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長男は筧素彦(宮内庁皇太后宮事務主管)で、終戦時には玉音盤を放送局へ極秘裏に運搬した。1987年(昭和62年)に、回想記『今上陛下と母宮貞明皇后』を日本教文社で刊行し、またテレビインタビューでも当時の回想を行っている。
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http://www.shinchosha.co.jp/solomon/
宮部みゆき『ソロモンの偽証』を一気に読み終えましたが、中学生の話なのに、年寄も堪能できる見事なまでの作品です。偽証は perjury というのですね。来春公開の映画も楽しみです。
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062882859
原武史氏の『思索の源泉としての鉄道』「第2章 天皇・皇居と鉄道」には、禅寺丸柿で有名な柿生村における離宮造営計画(1941年4月頃)の話とともに「宮内大臣秘書官筧素彦」という記述がありますが、この人は筧克彦の長男なんですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%A7%E5%85%8B%E5%BD%A6
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長男は筧素彦(宮内庁皇太后宮事務主管)で、終戦時には玉音盤を放送局へ極秘裏に運搬した。1987年(昭和62年)に、回想記『今上陛下と母宮貞明皇后』を日本教文社で刊行し、またテレビインタビューでも当時の回想を行っている。
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http://www.shinchosha.co.jp/solomon/
宮部みゆき『ソロモンの偽証』を一気に読み終えましたが、中学生の話なのに、年寄も堪能できる見事なまでの作品です。偽証は perjury というのですね。来春公開の映画も楽しみです。
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