学問空間

「『増鏡』を読む会」、第10回は3月1日(土)、テーマは「二条天皇とは何者か」です。

「(レベジェフ将軍は)どこまでも抜け目のない老人であった」(by 饗庭孝典)

2019-02-20 | 「五〇年問題」と網野善彦・犬丸義一
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 2月20日(水)11時11分29秒

朝鮮戦争に入りこんだらすっかり補給線が伸びきってしまいました。
そろそろ撤退の時期ですが、その前に昨年末、内田力氏の論文を読んで以来の疑問には一応の決着をつけておこうと思っています。

内田力「一九五〇年代の網野善彦にとっての政治と歴史」へのプチ疑問(その1)

>筆綾丸さん
先日の番組に比べると29年前のNHKスペシャルは非常に優れた内容ですね。
まだまだ事実関係の解明が不十分だった時期で、例えばソ連関係では、

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壁厚いソビエト軍関与の実像

 グラスノスチの結果として、いまではKGBの文書保管所やスターリンの政敵だった政治家に関する資料が保管されているレーニン図書館特別保管所も公開された。この肯定的な流れが続けば、いずれは朝鮮戦争の資料も公開されることになろう。それまでは生存者の証言が、唯一の頼りだ。
 解放直後の北朝鮮でソビエト占領軍の政治担当責任者として駐在し、金日成の擁立に大きな役割を果たしたというレベジェフ少将がモスクワに健在だった。九〇歳になるレベジェフ将軍は耳も達者で言葉も明晰、しかも肝心のところにくると話を外したり、雑談の中でこれはというおもしろい話があってもカメラが回ると途端に内容が変ってはぐらかされたりという具合で、したたかな老人であった。【中略】
 朝鮮戦争が始まる前の金日成の秘密訪ソに触れるかと心待ちにしていたが、出てきたのは発表済みの公式訪問であった。どこまでも抜け目のない老人であった。
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といった状況だったそうですが(『NHKスペシャル 朝鮮戦争~分断38度線の真実を追う~』、日本放送協会、1990、p115以下)、それでも幾多の工作に関わったレベジェフの人物自体に妙な味わいがありますね。
29年前のNHKスペシャルを製作した饗庭孝典氏は、

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1956年東京外国語大学英米科卒業、NHK報道局入局。国連広報局出向を経て、NHKアジア総局をはじめ、サイゴン、シドニー、ニューデリー、ソウル、北京の各支局勤務の後、解説主幹。1993年NHK退職、同年より99年まで杏林大学社会科学部教授、2004年まで早稲田大学法学部講師。現在、東アジア近代史学会副会長。


という経歴の方ですが、2016年に亡くなったそうですね。

>坂井孝一『承久の乱』
今は余裕がなくて、本郷和人氏の著書とともに暫く先送りします。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

神南記念日 2019/02/18(月) 12:18:24
小太郎さん
野暮な話になりますが、NHKにはもうちょっと「学問的」な番組を作ってもらいたいですね。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24323110W7A201C1000000/
「これでいいぜ」と寺田が言ったから十二月六日は神南記念日

最高裁大法廷判決を門前で聞いて、三宅坂(隼町)在住の柔術師範代・柔万智蔵が詠じた駄歌のひとつですが、二日遅らせて十二月八日にすればよかったものを、とかなんとか呟いていたそうです。
(愚注)神南は、勿論、NHK本局の換喩(metonymy)ですが、幹部職員が背後の代々木公園で拾い集めた神南ならぬ残んの銀杏をサラダに混ぜてお祝いした、という含意でもあります。

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO41322070V10C19A2MY9000/
本郷氏は、和田義盛をダシにグチってますが、見苦しいですね。

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 ・・・研究の進展によって、朝廷と幕府の関係は対立の構図だけでは捉えられるものではなく、後鳥羽が目指したのも執権北条義時の追討であって倒幕ではなかったことが明らかになってきた。高校日本史の教科書も、後鳥羽は「北条義時追討の兵をあげた」「義時追討の命令を諸国に発した」と叙述し、「倒幕」「討幕」という表現は少なくなっている。(坂井孝一『承久の乱』「はじめに」?頁)
・・・・実朝も上洛して後鳥羽や順徳、御台所の兄坊門忠信ら院近臣たちと対面し、和歌談義に花を咲かせ、朝幕の友好関係を進展させることも夢ではない。いわば、実朝による「幕府内院政」である。(同書96頁)
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こんな記述をみて、これは駄目だな、と坂井氏の本を読むのはやめました。
北条義時だけを芟除したいのであれば、のんびり東下りした押松の代わりに、もう少し賢そうな暗殺者を仕向ければよかったんじゃないの、と思いますね。いま一歩のところで始皇帝暗殺に失敗した荊軻とか、物の見事にトロツキー暗殺に成功したラモン・メルカデルとか、ほかにいただろうに。
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