滝歌北支 犀言葉。
(滝口武士(たきぐちのぶし)・宇多天皇)(白河上皇・北面武士(ほくめんのぶし))(西面武士(さいめんのぶし)・後鳥羽上皇)
[ポイント]
1.宇多天皇が滝口の武士を、白河上皇が北面の武士を、後鳥羽上皇が西面の武士を置いた。
[解説]
1.宇多天皇の御所を警護したのは、滝口の武士。清涼殿(せいりょうでん)の北東の水の落ちる滝口に警護のため詰めていたのでこの名がある。
2.白河上皇の御所を警護したのは、北面の武士。その北面につくられた武者所に詰めたもの。上皇直属の武士で院政を支えた重要な武力をなし、武士の中央進出の足がかりとなった。
3.西面の武士は後鳥羽上皇が創設した。御所の西面に詰め警護したのでこの名がある。上皇が鎌倉幕府に対抗する軍事力として設置したが、承久の乱に敗れ廃止された。
〈2016関西学院大学・全学部
【設問】
1.下線部a白河院の人物に関する説明として、誤っているものを下記より選びなさい。
ア.後三条天皇の次の天皇として即位した。
イ.まだ幼少の鳥羽天皇に譲位して上皇となった。
ウ.上皇となったのちも、院庁を開いて政治の実権を行使した。
エ.独自の軍事力として、院の御所に北面の武士を組織した。」
(答:イ×鳥羽→堀河)
〈2014文教大学・全学部〉
問 A、Bの文章を読んで、下の指示にしたがって答えなさい。
A、Bが両方正しい場合は、1をマークしなさい。
Aが正しく、Bが誤っている場合は、2をマークしなさい。
Aが誤っていて、Bが正しい場合は、3をマークしなさい。
A、Bがいずれも誤っている場合は、4をマークしなさい。
A 平安時代後期、宮中を警備する役目は西面の武士に新たに与えられ、これをきっかけにして、武士の中央進出が始まった。
B 後鳥羽上皇は、院御所を警備する役目を奉公衆に一任し、この武力を用いて北条義時追討を計画した。」
(答4:A×9世紀末に宇多天皇によって置かれたのは滝口の武士、B×後鳥羽上皇が置いたのは西面の武士)〉
〈2013明大・文
4 下線部(イ)北面の武士が置かれた直接の目的として正しいものを、次の1~5のうちから一つ選べ。
1 内裏の警護をするため
2 荘園整理政策を遂行するため
3 院御所の警護をするため
4 東北地方の反乱を鎮圧するため
5 九州北部の警固にあたるため」
(答:3)〉
〈2012中大・法
問7 下線部6北面の武士に関する説明文として正しいものにはイ、誤っているものにはロをマークしなさい。
a 北面の武士とは、宮中の警備にあたる武士をいう。
b 北面の武士とは、院の御所に置いた院の警備にあたる武士をいう。
c 北面の武士は、後鳥羽上皇の時代に西面の武士に改組された。」
(答:a×、b〇、c×西面の武士は北面の武士に併置された)〉
〈2010大学入試センター試験・日本史B
B 平安京の中央北端に配置された平安京(大内裏)には、天皇の住まいとともに、c政務や儀礼を行う建物や、さまざまな役所、密教修法の道場などが置かれていた。
問4 下線部cに関して述べた文として誤っているものを、つぎの1~4のうちから一つ選べ。
1 平安京には、国家的な儀礼などを行う大極殿が建てられていた。
2 神々の祭祀をつかさどる神祇官と、行政全般を管掌する太政官の二官があった。
3 平安宮の警護を主な任務とする滝口の武士をやめて、新たに検非違使がおかれた。
4 加持祈禱を重視する密教は、現世利益を求める皇室や貴族に受容された。」
(答:3 ※検非違使(嵯峨天皇)をやめて滝口の武士(宇多天皇)をおく)〉