1051年 前九年の役。
統合急げ 前九より。
1051年 前九年の役 源頼義
[ポイント]
1.前九年の役は源頼義が、後三年の役は源義家が鎮定した。
[解説]
1.1051年におこった前九年の役は、源頼義が対立する安倍氏を清原氏の助けを得て滅ぼした。
2.1083年におこった後三年の役は、清原氏の内紛に源義家が介入・鎮定した戦乱で、奥州藤原氏繁栄の基礎、および源氏の東国地盤確立がなる。
〈2016関西学院大学・全学部
4 次のa・bの正誤を記せ。
a.前九年合戦では、源頼信・義家父子は東国の武士を率いて陸奥の安倍氏と戦い、清原氏の助けを得て安倍氏を滅ぼした。
b.後三年合戦では、源義家が清原(藤原)清衡を助けて清原氏の内紛を制圧した。清衡の子孫は奥羽地方を支配した。」
(答:a×頼信→頼義、b〇)
〈2016早大・文化構想
問2 下線a頼朝の祖先が奥羽の地域権力の活動に介人しているに関連して述べた次の文X・Y・Zの正誤の組み合わせのうち、正しいものはどれか。1つ選べ。
X 源頼信は、前九年合戦で活躍した。
Y 源頼義は、安倍貞任を滅ぼした。
Z 源義家は、清原氏の内紛に介入した。
ア X一正 Y一正 Z一正
イ X一正 Y一正 Z一誤
ウ X一正 Y一誤 Z一正
エ X一誤 Y一正 Z一正
オ X一誤 Y一正 Z一誤」
(答:エ ※X×頼信→頼義)〉
〈2016慶大・法
問ア 前九年の合戦は、俘囚の長としでその地方で権力を振るっていた安倍頼時らが国司に対して反乱を起こしたのが発端であり、摂関家に仕える軍事貴族であった清和源氏の流れをくむ[ 19 ]がその子とともに平定した。この合戦を素材とする[ 20 ]は、『将門記』とともに中世の軍記物語の源流である。」
(答:19源頼義、20陸奥話記 ※原問には59項の選択肢があり、そのうち源氏は7人)〉
〈2014立大・経済コミュ福観光
この源頼光に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.その弟の源頼信は、平忠常の乱を鎮圧した
b.その子の源頼義は、後三年合戦で、安倍頼時・貞任による反乱を鎮圧した
c.その父の源満仲は、藤原純友の乱を鎮圧した
d.その孫の源義家は、保元の乱の時に後白河天皇と結び勝利した。」
(答:a ※b.頼義は頼信の子。安倍氏の内紛は前九年合戦の誤り、後三年合戦で勝利したのは子の義家、c源満仲は安和の変で藤原氏に協力して左大臣源高明を密告。藤原純友の乱の鎮圧は源経基、d保元の乱は源義朝(義家の嫡子為家の長男))〉
〈2013明大・文:「
C.10世紀の前半、日本列島の東西で二つの大きな戦乱がおこった。(オ)坂東(関東地方)と瀬戸内海を舞台におこった承平・天慶の乱とよばれた二つの乱で、乱を鎮圧した勝者とその子孫たちは中央の官人となり、「都の武者」となっていった。清和源氏の頼光は摂関家とつながり受領として活躍していったが、その弟の[ d ]は、11世紀前半に再び坂東でおこった[ e ]の乱で追討使に任じられ、乱を平定したことで坂東に進出する足がかりを得た。そののち、子の頼義が前九年合戦を、頼義の子義家が(カ)後三年合戦を鎮圧したことで、源氏は東国での基盤を固めることになった。
8.空欄d・eに入る語の組み合わせとして正しいもの次の1~4のうちから一つ選べ。
1d.満仲 e.平国香
2d.満仲 e.平忠常
3d.頼信 e.平国香
4d.頼信 e.平忠常
9.下線部(オ)に関連して、坂東でおこった戦乱を描いた書物として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1『将門記』 2『純友追討記』
3『陸奥話記』 4『保元物語』
10.下線部カの後三年合戦以後の出来事として正しいものを一つ選べ。
1 戦乱などの社会不安を背景に、末法思想が民衆の間に急速に広まった。
2 後三条天皇は、荘園の乱立をおさえるため、延久の荘園整理令を発した。
3 東北地方は、清原(藤原)清衡やその子孫が支配する地となった。
4 武士の実力が認められ、宮中を警護する滝口の武士がはじめておかれた。
(答:8(4)、9(1)、10(3))〉