黒く密告 あんた方。
969年 源満仲 安和の変 源高明 為平親王
[ポイント]
1.安和の変(969年)で、源満仲の密告により左大臣源高明が失脚し、藤原氏による他氏排斥は完成する。
2.源高明は醍醐天皇の皇子で、儀式書(有職故実書)である『西宮記』を著した。
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ
10世紀から11世紀にかけて、藤原氏(北家)は天皇家と外戚関係を結ぶことで、政治権力を掌握した。当時の貴族は嫁入婚が主流であり、母や母方の祖父の影響は大きかった。藤原氏はこれを利用し、( イ )の変で左大臣の源高明を失脚させて以降、摂政・関白の地位を独占した。摂関政治が確立するなかで、地方政治のあり方も変化した。
(答:イ安和)〉
〈2013早大・文:「下線bの人物(源高明)の説明として、誤っているものはどれか。1つ選び、マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 字多天皇の子供であった
イ 左遷されたとき左大臣であった
ウ 儀式書である『西宮記』を著した
エ 大宰権帥として左遷された
オ 村上天皇の死後、左遷された
(答:ア ※源高明は醍醐天皇の皇子。村上天皇の死は967年)
イ.
高明は醍醐天皇の皇子として生まれ、臣籍降下の後に左大臣に昇りながら、安和の変で大宰府に左遷されたことで知られており、『源氏物語』の光源氏のモデルの1人とも言われている。高明邸が当時では珍しく西宮(右京)側にあったことから、「西宮左大臣」の異名で呼ばれ、書名の由来となった。
本書の執筆年代は不明であるが、動機の1つとして安和の変の際にともに大宰府に送られた息子源俊賢に有職故実を伝授するために執筆されたとする見方もある[1]。