明日掃く天候 刻印を。
[ポイント]
1.古代文化は飛鳥→ 白鳳→ 天平→ 弘仁・貞観→ 国風→(院政期の文化)と推移。
[解説]
1.飛鳥文化ではまだ大陸の模倣の域を脱しきれていなかった。仏像の表情が異国人の風貌だったことがそれを物語る。しかし白鳳文化のころから、仏像の貌(かお)は純日本人風に変わった。大陸文化を消化し、以後わが国独自の文化として、段階をふんで次々と発展を遂げる。
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ〉
Ⅰ.次の文1~3を読み、下記の設問A~Cに答えよ。解答は解答用紙の所定欄にしるせ(一部文化に関係ない部分および後半中世部分を省略)。
1.6世紀の半ばごろ( イ )天皇の時代に、百済の聖明王から、釈迦仏の金銅像や経論が公的な形で伝えられた。このとき天皇が仏への礼拝の可否を臣下に尋ねたところ、受け容れに積極的な( ロ )が、物部尾輿と対立した。587年、( ロ )の息子は尾輿の息子を滅ぼし、一族の権勢を固めていった。
594年、(2)推古天皇は(3)三宝を興隆せよとの詔をくだした。その摂政を務める厩戸皇子が、自分に仕える渡来人系の〈 あ 〉へ、新羅から伝来した仏像を贈ったことが『日本書紀』にしるされている。
仏教を中心とする飛鳥文化が興隆するなか、わが国にも仏像を造る者が現れた。その代表的人物が鞍作鳥であり、( ハ )金堂におかれた国宝、釈迦三尊像は彼の作とされる。
2.(4)天武・持統天皇の時代を中心とする白鳳文化は、律令国家が形成される時期のためか生気あふれる作品が多い。仏像としては、興福寺の仏頭などがある。この寺は、( ニ )の死去に際し彼の邸を私寺にした山階寺が前身であり、( ニ )の子によって平城京へ移され、藤原氏の氏寺となった。
政変や飢饉、疫病の流行が相次ぐなか、聖武天皇は鎮護国家の思想に基づく国分寺建立の詔、大仏造立の詔をくだした。そして聖武天皇の跡を継いだ( ホ )天皇の時に、大仏の開眼供養がおこなわれた。
東大寺の大仏は銅像の表面に鍍金を施した金銅像であるが、天平文化の時代には、( へ )や乾漆像の制作技法も発達した。( へ )は木を芯として粘土を塗り固めて造る像で、乾漆像は粘土などの原型の上に麻布を漆で幾重にも覆い固め、中の原型を抜き取って造る像である。
3.(7)奈良時代の後期、一木造が盛んになった。量感にとみ、神秘的な表現の施された作品が多く、平安時代前期には(8)密教興隆の影響もあって造立数はさらに増えた。たとえば河内長野市の〈 い 〉の国宝、如意輪観音像がある。
末法の世が到来するとされた〈 う 〉年が近づくにつれて、浄土信仰が盛んになった。来世における極楽往生を願う貴族たちは、極楽浄土を模した仏堂を造立しだした。
藤原頼通が宇治川のほとりに建立した鳳凰堂が代表例である。鳳凰堂の本尊の阿弥陀如来像をつくったのが、( ト )である。また( ト )の時代には。仏像の身体をいくつかのバーツに分け、大勢で別々に彫った上で組み合わせる寄木造の技法が発達し、末法思想を背景とする仏像への需要の増大にこたえた。
A.文中の空所(イ~ト)それぞれにあてはまる適当な語句をしるせ。
(答:イ欽明、ロ蘇我稲目、ハ法隆寺、ニ中臣(藤原)鎌足、
ホ孝謙、ヘ塑像、ト定朝)
B.文中の空所〈あ~う〉にあてはまる適当な語句または数字を、それぞれ対応する次のa~dから1つずつ選べ。
〈あ〉a.観勒 b.高野新笠 c.裴世清 d.秦河勝
〈い〉a.観心寺 b.元興寺 c.法界寺 d.室生寺
〈う〉a.1016 b.1052 c.1112 d.1156
(答:あd、いa〈カン〉、うb)
C.文中の下線部(2)~(8)にそれぞれ対応する次の問に答えよ。
2.下線部(2)推古天皇に関連する記述として正しくないのはどれか。次のa~dからlつ選べ。
a.甥の厩戸皇子が編纂したとされる書に『天皇記』と『国記』がある
b.小野妹子が遣隋使として派遣された
c.十二階からなる冠位の制度がもうけられた
d.中国の文物を学ばせるため、高向玄理、南淵請安、玄昉を留学させた
(答:d ※×玄昉→旻)
3.下線部(3)三宝は、憲法十七条にも「篤く三宝を敬へ」という形でしるされている。この三宝とは何か。すべてしるせ。順序は問わない。
(答:仏・法・僧)
4.下線部(4)天武天皇に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.飛鳥浄御原令の編纂を命じた
b.額田王に『万葉集』を編纂させた
c.皇子の1人、草壁皇子を謀反の疑いで捕らえた
d.皇子の1人、有間皇子に、『日本書紀』の編纂にあたらせた
(答:a)
7.下線部(7)奈良の都への望郷の思いから、大宰府の地にて、「あをによし奈良の都は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」と詠んだのは誰か。次のa~dからlつ選べ。
a.小野老 b.小野篁 c.小野道風 d.小野好古
(答:a〈おののお〉)
8.下線部(8)密教に関する記述として正しくないのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.これを天台宗に導入した円珍の門流はのちに寺門派と呼ばれた
b.これを天台宗に導入した円仁の門流はのちに山門派と呼ばれた
c.これを日本に伝えた空海は、嵯峨天皇、橘逸勢とともに三蹟と呼ばれた
d.これを日本に伝えた空海は、庶民に門戸を開いた綜芸種智院を創設した
(答:c※三筆の誤り)
腐った三筆。
空海 嵯峨天皇 橘逸勢 三筆