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華厳(けごん)・三論(さんろん))(成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)・倶舎(くしゃ)・律(りつ)
[point]
1.南都六宗は法相宗・華厳宗・倶舎宗・律宗・三論宗・成実宗の6学派。
[解説]
1.一般の信仰が盛んになる間に、奈良の大寺院では、インドや中国で生まれたさまざまな仏教理論の研究が進められ、三論・成実・法相・倶舎・華厳・律の南都六宗とよばれる学派が形成された。「宗」ははじめは「衆」と書いており、これらは学派(研究グループ)であって宗派ではない、大学の学科のようなものだった。今日の一寺一宗派とは違い、各寺院に2、3宗が同居しており、鎌倉新仏教のような対立はなかった。これが平安時代になると一寺一宗となり宗派化していった。
2.奈良時代の初期は三論宗(7C半)が盛んだった。三つの書を研究する宗派という意味。大乗仏教の祖のインド僧竜樹(りゅうじゅ)の「中論(なかろん)」、「十二論(じゅうにろん)」、その弟子の提婆(だいば)の「百論(ひゃくろん)」を研究する学派。
3.成実宗(7C半)は三論宗の付属宗派で三論と同時に伝わる。一宗としての独立性は低い。厩戸王の法隆寺や、蘇我馬子の飛鳥寺、さらに奈良の大安寺などで研究された。
4.三論宗にかわって栄えたのが法相宗(7C半)。法相とは一切の存在のあり方を指し、あらゆる現象(相)は、唯識すなわち唯(ただ)人間の心による認識で世界が成り立っているとする唯識論の学派。唯識論は大インド旅行をした玄奘三蔵(西遊記の三蔵法師のモデル)が唐にもたらし、その弟子となった留学僧道昭が日本に持ち帰り、薬師寺や興福寺などでさかんに研究が進められた。この法相宗が南都六宗の中では最も勢力が盛んだった。義淵は玄昉・行基ら多くの門下を育てた。鎌倉時代に、法然を批判しその配流の契機をつくった貞慶(解脱)は、この法相宗の興福寺に属する学僧。
5.倶舎宗(661)は、一応、南都六宗にかぞえられるが、一宗としての独立性は低く、法相宗の附属宗派にすぎない。
6.華厳宗(736)は、華厳経を中心とする学派。世界は盧舎那仏(るしゃなぶつ)が具体的な形で現れたものであるとする華厳経を中心とする学派で、良弁(ろうべん)は東大寺建立に活躍した。鎌倉時代に、高弁(こうべん)(明恵(みょうえ))が中興。かれは『摧邪輪(さいじゃりん)』を著し、法然の『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』を批判。
7.律宗(753)は、仏教の僧侶が守るべき基準となる決まり、すなわち戒律を研究する学派。唐僧鑑真(がんじん)は、日本の僧、普照(ふしょう)と栄叡(ようえい)の懇請に、日本に渡ることを決意。海賊や暴風雨などにより5回連続失敗し、盲目にもなるが、753年、ついに日本に上陸。この鑑真が伝えたのが律宗。かれは東大寺にわが国初の戒壇(かいだん)をつくり、聖武上皇らに受戒、のちに唐招提寺(とうしょうだいじ)を創建。
8.現在は、興福寺・薬師寺・法隆寺を大本山とする法相宗、東大寺の華厳宗、唐招提寺の律宗の三宗が残る。
〈2016早大・法
1 下線a南都六宗のうち、玄奘の弟子が開いた中国大乗仏教宗派の系譜を引き、道昭が日本で広めた学派を1つ選び、マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 法相宗 い 華厳宗 う 三論宗
え 成実宗 お 律宗」
(答:あ)
法相どうしょう ぎげぎょろど。
法相宗 道昭 義淵・玄昉・行基・良弁(ろうべん)・道慈(どうじ)
〈2016同志社大・全学部
【設問2】下線部2南都六宗に関連した次の各文のうち、誤っているものはどれか。
1.六宗は後の宗派のように信仰を異にする教団ではなく、教理研究の学派というべきものである。
2.大安寺の道慈は入唐して、六宗の一つである三論宗を深めた。
3.「南都・北嶺」と言われるときの南都は、奈良の寺院のうち、特に藤原氏の氏寺であった東大寺を指す。」
(答:3 ※氏寺は興福寺)
〈2014明大・情報コミュ(情報コミュ(A)):「
問4 下線部(エ)8世紀の時期の文化の内容を説明するものとして、もっとも正しいものを、次の1~4のうちから1つ選べ。
1 三論・成実・法相・浄土・華厳・律の南都六宗と呼ばれる学派が形成された。
2 塑像の技法が発達し、興福寺阿修羅像が造られた。
3 大僧正に任じられた行基は東大寺大仏の造営に協力した。
4 入唐後、帰国した空海は『三教指帰』を著して密教の国教化を図った。」
(答:3 ※1は浄土ではなく倶舎)〉
〈2013早大・国際教養
下線部a禅律僧の活動例として正しいものはどれか。1つ選べ。
ア 専修念仏の教えを説いた。
イ 諸国を遊行して念仏を唱えた。
ウ 北山十八間戸を設立した。
エ 悪人正機の考え方を普及させた。
オ 東大寺南大門を建立した。」
(答:ウ ※「禅律僧」とは禅宗と律宗の僧の意。北山十八間戸は忍性の事績で彼は律宗。立派な忍性。アは法然で彼は浄土宗、イは一遍で時宗、エは親鸞で浄土真宗、オは重源で華厳宗)〉
〈2012立教大・全学部
7.仏教の興隆とともに国が管理・維持する寺院が創建されたが、それらは南都七大寺と総称されるようになる。そしてそうした寺院において南都六宗とよばれる宗派が展開する。それらの各宗派は仏教研究上の学派といった性格を持った。六宗の1つである( ニ )は鑑真の来朝後、盛んとなった。」
a.華厳宗 b.三論宗
c.法相宗 d.律宗」
(答:d)〉