珊瑚風疹 文京署。
三教指帰・風信帖・文鏡秘府論・性霊集
[point]
1.空海は真言宗をひらき、出家理由を『三教指帰』で述べ、漢詩集『性霊集』、漢詩論『文鏡秘府論』を書き、庶民のため綜芸種智院を開き、満濃池を築き、書簡『風信帖』で知られる。
[解説]
1.空海は(774~835)は讃岐(さぬき)生まれ。初め大学に学んだが、24歳の時の『三教指帰(さんごうしいき)』(797)で、儒教・道教・仏教の三教のうち仏教の優位を説き仏門に入る。
2.かれは804年に入唐、806年に帰国し、長安の恵果(けいか)から学んだ真言密教を伝えた。
3.816年、高野山(こうやさん)に金剛峰寺(こんごうぶじ)(和歌山県)を開き、823年、京都に東寺(教王護国寺(きょうおうごこくじ))を与えられ、両寺で真言宗を布教。
4.漢詩集『性霊集』、漢詩論『文鏡秘府論(ぶんきようひふろん)』などの詩文に優れ、最澄に送った書簡『風信帖(ふうしんじょう)』などの能筆(三筆の一人)でも知られる。
5.また庶民教育のため828年に綜芸種智院を開き、讃岐に農業用の溜め池満濃池(まんのういけ)を築くなど社会事業でも活躍した。
〈2014明大・文(文、史学地理、心理社会)
問8 下線部(オ)唐に留学していた最澄と空海が帰国に関して述べた文として誤っているものを、次の(1)~(4)のうち一つ選べ。
1 最澄と空海は、延暦23(804)年の遣唐使にしたがって入唐した。
2 最澄と空海は同じ年に帰国した。
3 最澄は伝教大師、空海は弘法大師である。
4 最澄は近江出身、空海は讃岐出身である。」
(答:2※最澄は805年帰着、空海・橘逸勢は806年帰着)〉
〈2014明大・情報コミュ(情報コミュ(A))
問4 下線部(エ)8世紀の時期の文化の内容を説明するものとして、もっとも正しいものを、次の1~4のうちから1つ選べ。
1 三論・成実・法相・浄土・華厳・律の南都六宗と呼ばれる学派が形成された。
2 塑像の技法が発達し、興福寺阿修羅像が造られた。
3 大僧正に任じられた行基は東大寺大仏の造営に協力した。
4 入唐後、帰国した空海は『三教指帰』を著して密教の国教化を図った。
(答:3 ※1浄土→倶舎
南都六宗
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華厳(けごん)・三論(さんろん) 倶舎(くしゃ)律(りつ)成実(じょうじつ)・法相(ほっそう)
、2阿修羅像は乾漆像、4出家宣言の書)〉
〈2013慶大・法:「
平安京への遷都をおこなった桓武天皇は、従来の仏教勢力を旧都にとどめ、代わって、唐へと留学した僧侶による新しい仏教を奨励した。唐から天台宗を伝えた最澄や真言宗を伝えた空海が中心的な存在となる。唐に渡るに先だって、最澄は、比叡山に入り山林での修行をおこない、また空海は、その著書[ 78 ]のなかで、「金仙一乗の法、義益最も幽深なり」と説いて出家を宣言した。
(答:三教指帰(さんごうしいき))
〈2013中大・経済:「
問3.下線部1の空海が、儒教・道教・仏教の三教のうち、仏教が優れていることを説いた出家宣言書を何というか。漢字で解答欄に記入しなさい。
(答:三教指帰)〉