白鵬個癖 好物焼くと。
(白鳳文化)(薬師寺東塔(とうとう)・興福寺仏頭(ぶっとう))(法隆寺金堂(こんどう)壁画)
[ポイント]
1.白鳳文化を代表するのは、建築は薬師寺東塔、彫刻は興福寺仏頭、絵画は法隆寺金堂壁画である。
[解説]
1.薬師寺東塔は、高さ約34m、一辺約11mの四角形の平面の裳階(もこし)つきの三重塔。律動感がある姿で「凍れる音楽」と評される。飛鳥から移築したか平城京で新築したかは異説があるが、白鳳時代唯一の建築遺構で、のびやかな美しさがあり、雲形肘木(くもがたひじき)などの技法を伝える。頂上の飛天(空中に舞う天女)を配した水煙(すいえん)も素晴らしい。
2.興福寺仏頭は、685年造立。金銅像の顔面部が1937年興福寺東金堂本尊(ほんぞん)台座下から偶然発見された。1187年、興福寺僧徒が飛鳥の山田寺から奪い、1411年火災にあった丈六(約4.8メートル)の薬師三尊像の本尊の頭部と推定されている。仏頭はあきらかに日本人の顔つきで、飛鳥までの異国人の容貌ではない。よってこの仏頭は、大陸の模倣の域を脱し、我が国独自の文化「白鳳文化」を生み出した証拠である。なお山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂が643年に建立した寺。649年、改新政治から遠ざけられた石川麻呂は謀反の罪を着せられ、中大兄皇子の軍に攻められ同寺内で自殺した。寺は平安時代末期に荒廃。1982年、廻廊の一部が発見された。
3.法隆寺金堂壁画は12面あった。インドのアジャンター壁画に類似しており、インドの5世紀グプタ朝美術が、中国を経て日本に影響したことがわかる。残念なことに1949年に火災で『法隆寺金堂小壁飛天図』の小壁を除いてすべて焼損し、現在の壁面は模写である。残った飛天図とは、金堂内陣長押(なげし)上の小壁20面に描かれた諸菩薩の壁画。金堂外陣の四大壁の壁画が焼損した時、解体修理のため取り外されていたので、20面全部が無傷で残った。製作時期は、四大壁の壁画と同じく7C末~8C初め頃。なおアジャンター壁画とは、インドのボンベイの東北に前2C~後7Cに開かれたアジャンター石窟群の壁画。なお法隆寺金堂そのものは前代の飛鳥文化の建築である(正誤問題頻出)。
4.(その他代表彫刻として)薬師寺金堂薬師三尊像がある。本尊の薬師如来の座像を中央に、その左右に脇侍の日光・月光の立像を配す金銅像。造立は7C末藤原京の説と、8C初め平城京の両説がある。台座の葡萄唐草文様にはギリシア文化に源流をもつ西アジアの影響がみられる。異国的な飛鳥仏を脱し、柔らかい表情で表現されている。
5.また薬師寺東院堂聖観音(しょうかんのん)像は、同じく日本的な柔和な表情の像である。衣紋が左右対称に彫られているのは古い様式。丸みと奥行きのある体躯である。
6.(その他代表絵画として)高松塚古墳壁画がある。1972年に発掘調査された。直径18m、高さ約5mの円墳。内部に人一人がやっと入れるくらいの小さな石室(石槨(かく))があり、その天井および4面の壁に絵が描かれている。天井は星座、東壁には日像と青龍、男女の人物群像、西壁には月像と白虎、男女の人物群像、北壁には玄武が描かれている。石室の内部は湿度90%以上、室温15℃前後と環境が一定していたため、壁画の保存状態はよかったが、発掘後はずさんな管理によりカビが生じ、解体修理された。
7.(その他代表文学として)最初の和歌集である万葉集がある。編者は大伴家持か。
8.漢詩では最初の漢詩集である懐風藻がある。代表的詩人は大津皇子。
〈2014立大・経済コミュ福祉観光
薬師寺は、当初藤原京で造営され、8世紀前半になって平城京に移されたものである。薬師寺東塔は、藤原京で作られたものを移築したという説と、平城京で新たに作られたとの説があるが、実際には三重の塔であるものが、図1(省略)の( ト )によって六重の塔に見える工夫がこらされており、5.白鳳文化の代表的な仏教建築として知られている。
A.文中の(ト)にあてはまる適当な語句を記せ。
B5.下線部5に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。
a.この文化を代表する絵画の1つに、高松塚古墳壁画がある
b.この文化を代表する仏教建築の1つに、唐招提寺金堂がある
c.室生寺や神護寺などの山岳寺院もさかんに建立された
d.薬師寺僧形八幡神像に代表される神像彫刻が隆盛した。
(答:Aト裳階(もこし)、B5a ※b×天平文化、c×弘仁貞観文化、d×弘仁貞観文化)〉
▲薬師寺東塔。三層だが屋根の下に設けられた裳階により六層に見える。