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「東京都慰霊堂」

江戸東京博物館から1ブロック離れたところの「東京都慰霊堂」に行ってみました。
当初は「震災記念堂」と名付けられた慰霊堂は、大正12年(1923年)9月1日に発生した、関東大震災による遭難者(約58,000人)の御遺骨を納めるための霊堂として、東京市内で最も被害の大きかった本所被服廠跡に、震災7年後の昭和5年(1930年)に完成。その後、東京空襲で亡くなった方のご遺骨も納められ、昭和26年(1951年)、名称を「東京都慰霊堂」と改称。震災、戦災合わせて約163,000体の御遺骨が安置されています。



屋外には震災で焼けただれた車のシャーシや花崗岩の礎石なども展示され、災害の凄まじさが伝わってきます。







参考;東京都慰霊堂の歴史(https://tokyoireikyoukai.or.jp/ireidou/history.html)

余談ですが地名の「横網(よこあみ)」を両国国技館が近いことから「横綱」と間違える人も少なくないようです

日が陰ってきたので、お隣りのかつては隅田川の水を引いた汐入回遊式庭園・「安田庭園」を通って帰路につきました。

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江戸東京博物館の続きです。

「和宮の企画展」から常設展へ、、、
施設の名前のとおり、江戸期から明治~昭和にかけての原寸大模型や実物の展示が多く、たっぷり時間をかけても愉しめる博物館です。
















ダットサンやスバル360も可愛い



屋外にも、焼ける前の浅草寺の鬼瓦や、汐留にあった鋳物場と溶鉱炉、東京市電4000系の台車など興味は尽きません















江戸東京博物館をあとに、東京都慰霊堂へ足を延ばします。

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企画展「和宮 江戸へ ―ふれた品物 みた世界—」

「江戸蕎麦 ほそ川」でお昼を済ませてから江戸東京博物館に戻って、徳川14代家茂の正室として降嫁した「和宮」の企画展へ、、、





孝明天皇から拝領した「蹴鞠」など 精緻を極めた銀製髪飾(德川記念財団蔵)の写真が撮れないのは残念でしたが、天皇家出身の和宮故に「菊」に係る紋=「葉菊紋」を施した調度品は見事
















中仙道(中山道)を下向する和宮の行程が描かれた「瓦版」の左下には「いたばし」の地名も書かれていますが、今も板橋本町にある「縁切榎」を避けて迂回ルートを通ったことは出てない(正確に言えば「読めない」)ですね?

やはり「言霊」を気にしたのかしら?

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「江戸蕎麦 ほそ川」でランチ

江戸東京博物館で開催中の「古代エジプト展」を観てから、通りを1本隔てた路地の「江戸蕎麦 ほそ川」でランチ。
以前、吉川市にあったお店で、その頃はうどんやご飯物もあって出前もしていたそうですが、いまは名前のとおり産地にもこだわり、「挽きたて」、「打ちたて」、「茹でたて」の十割蕎麦を出すお店です。

軽く蕎麦前をいただきながら、、、

焼き穴子の酢の物のあとは…

ほとんどの人が食べている「穴子天せいろ」

ふっくら揚がった穴子は絶品

今日のお蕎麦は茨城県産とか

お代わり蕎麦を頼むと、他所の産地のものを出しているそうです

美味しくいただきました
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古代エジプト展に行ってきました

今日は定例の金曜休み。体育館には昨日行ったので、前から行ってみたかった江戸東京博物館で開催中の、特別展「国立ベルリン・エジプト博物館所蔵 古代エジプト展 天地創造の神話」に行ってきました。


長さ4メートルを超える『タレメチュエンバステトの「死者の書」』や装飾が美しい「タイレトカプの人型木棺(外棺)」など100点以上は日本初公開!写真撮影もOKとあって、他のお客さんの迷惑にならないよう気を付けながら、バシバシ撮ってきました
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