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鶴見線小さな旅 おさらい

鶴見線小さな旅のおさらいです。

この歳まで乗車の機会が無かった鶴見線ですが、途中に「駅そば」を挟んでも1時間半足らずで小旅行の気分が楽しめる路線でした。

接続が悪くて大川支線や扇町の方までは足が延ばせませんでしたが、工場地帯の夜景も含めてまた行ってみたい場所の一つが増えました。

2枚目はICカードの乗車履歴。

終点の「海芝浦」は無人駅ですので、一瞬「タッチしないで戻っちゃっても分からないよね?」なんて『邪心』が過りましたが、そこは鉄道ファンの名前を汚すことなく、「出場」「入場」それぞれの簡易Suica改札機にタッチ。
途中の「国道」タッチで正しく清算しました

3枚目は帰りの山手線

ズラ~~っと並んだ「タスキ」は言うまでもなくお正月の箱根駅伝
3日には皇居一周ウォーキングのついでに眺めてこようかな!

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鶴見線小さな旅、、、「国道」駅 Ⅱ

鶴見線は鶴見駅から東海道本線を越え、さらに東海道本線に並行して流れる鶴見川を渡るため、国道駅付近で大きくカーブしていますが、その曲率半径は200m。
 
200mと聞いてもピンとこないかと思いますが、国の「普通鉄道構造規則」第10条にホームに沿う曲線は400m以上と定められているので、ここのカーブのきつさが分かるかと思います。
 
1階からホームに上がる通路に「すきま注意!」のペイント
床のペイントなのに看板が立っているように見えて「だまし絵」みたい
 
ホームに出ると3両編成の停車部分一帯に転落検知マット
 
国道駅はエレベータも設置されていないし、電車との間もこれだけ空いていて苦情が来ないのかしら?
 
ところで、1987年のTVドラマ『男女7人秋物語』のロケ地がここ「国道」駅なんですね!(機銃掃射痕の写真をお借りした先輩に教えていただきました)
私は「男女7人…」は見ていなかったのですが、TVに映る釣り船「荒三丸」はまだ健在で営業中です
 
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「国道駅」の機銃掃射痕

独特の雰囲気の「国道駅」ですが、橋脚部分には第2次大戦中の米軍機による機銃掃射痕。

横浜市のHPには「吹雪のなかを艦載機116機、鶴見区方面に来襲。/昭和20(1945)年2月25日」。また5月29日には「横浜大空襲。この日午前、B29、500機、P51、100機来襲。無差別焼夷弾爆撃とP51による銃爆撃。焼夷弾投下総量2570トン、旧市域の市街地壊滅」
鶴見方面に絞ってみても7月12,13、25日、8月1日など京浜工業地帯に繰り返し空襲があったことが記されています。

戦争の記録も語り継いでいかなければいけませんね。

※橋脚の機銃掃射痕の写真は先輩のDさんからお借りしました。

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鶴見線小さな旅、、、「国道」駅

12:36の電車で「海芝浦」をあとに「国道」で途中下車。


駅名にもなっている「国道」は国道15号線。
横浜方面に馴染みの無い私でも「第一京浜」と聞けば「箱根駅伝の!」と思い出せます。

開業は1930年ですから間もなく100年!高架下は開業当時を思い起こさせる独特の雰囲気です!

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鶴見線小さな旅、、、「海芝浦」で折返し

12:21に到着した「海芝浦」は聞いていた通り、京浜運河と東芝工場に挟まれた1面のホームがあるだけの折返しの駅。工場内敷地への立ち入りはもちろん撮影も禁止とあって、三々五々ホームの先に続く「海芝公園」へ

この公園は「東芝エネルギーシステムズ」さんがベンチを設けてくれて、綺麗な植栽越しに眺める景色も中々  夕暮れ時には絶好の撮影ポイントになりそうです。

眺めは良いのですが、ここで15分後の折返しの列車を逃すと次は13:56と1時間20分待ち! 発車前にチョッと特徴のあるE131の正面の写真を、、、

鶴見線を走るE131-1000番台は途中の急カーブをクリアするため他と違って車体幅2,778mm(他は2,950㎜)のストレート車体。ちょっぴりスレンダーな印象です。
正面の写真も撮れたので「国道」に向かいます

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鶴見線小さな旅、、、「海芝浦」に着きました

鶴見線・小さな旅の続きです
12:10鶴見駅を発車したE131は左にゆるくカーブしながら東海道本線を越えていきますが、その直前、線路の真ん中に何かホームの遺構のようなものを発見! Webで調べたら鶴見臨港鐵道時代にあった「本山駅(ほんざんえき)」の遺構のようです。

この辺りでは「川崎大師」が有名ですが、石原裕次郎や芦田均の墓所もある名刹・曹洞宗大本山・總持寺も鶴見区にあって、その門前駅として1930年に開業しましたが、1942年戦争激化に伴う燃料統制の名のもとに廃止されました。
帰りにその片鱗だけでも、、、と思って電車に乗ったら結構な混雑…女子高生に白い目で見られるのが怖くてスマホを仕舞ったのが残念です

さて、話しは戻って4つ目の「浅野」で本線と分かれ大きく右にカーブ、旭運河に沿った「海芝浦支線」の左手に「鶴見つばさ橋」が見えるようになると終点の「海芝浦」。「鶴見つばさ橋」の右側は横浜大黒ふ頭です

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鶴見線小さな旅、、、歴史を感じる鶴見線ホーム

品川の常盤軒でお昼を済ませ、京浜東北線で鶴見へ、、、
学校が田町にあった関係で、山手線や京浜東北の北行にはよく乗りましたが、南行に乗る機会は少なかったので、特に多摩川を渡るあたりの車窓の風景もいいですね!
残念ながら乗務員室後部の「かぶりつき」を占めながらスマホしか見ていない高校性には困ったものです

鶴見線は階段を上った3・4番線でかつては手前に改札があったはずですが、今はフリーパス。同じJRなのに改札があった理由は、元は「鶴見臨港鉄道」という民営鉄道で運賃体系が別立てだったせいでしょうね。
時代は下って昭和18年7月1日、戦時体制の強化に伴って大正15年に貨物専用鉄道として発足した「鶴見臨港鉄道」を国有化。ちなみに東京都もこの日に発足しています。
さらに時代は下って同一経営になって「改札」を置く理由は無くなったかに見えましたが、後年の人減らし合理化=駅の無人化に伴う不正乗車を防止するために残されたのではないか…と思っていたら、この方面に詳しい友人から「鶴見線は国鉄時代の1971年に鶴見駅以外の各駅の出改札業務を無人化しました。鶴見駅の鶴見線改札口はその時に設置されました。鶴見線各駅と鶴見駅を経由して国鉄各駅との乗車の場合はこの改札でチェックするためだったと思います」とご教示いただきました。今はSuica/PASMOなどのICカードが圧倒的になって出札業務が要らなくなった、というあたりが真相ですね。

さて、本題の鶴見線ホームですが、歴史を感じさせる鉄骨造。

普段は手前の3番線の1面しか使われていませんが、注目すべきは反対側の4番線。


ベンチの「低さ」にはかつて日本男子の身長が「5尺」だったころの名残りを感じます。

板塀に掛けられた時計の「銘板」には「皆さんお元気で 朝鮮民主主義人民共和國 鶴見地区帰國者一同」と彫られていて、1950年代、朝鮮北部を目指した「祖国復帰運動」の歴史遺産ですね

12:10の海芝浦行が入線。

京浜運河に沿って6駅11分のE131系の旅です

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鶴見線小さな旅、、、品川 常盤軒の「かき揚げそば」

目的地の「海芝浦」の駅前はT芝さんの工場が広がり、反対側は京浜運河に面して1面のホームがあるだけのシンプルな駅。お昼を食べるような場所は無いので、途中の品川で腹ごしらえ。
いまでは駅中の商業施設(エキュート)のお店も充実していますが、今日はチープに常盤軒の立ち食いそば
かつては5軒あったそうですが、いま営業しているのは山手線と横須賀・総武快速線13・14番線ホームの2店舗。「通」の常連さんの間では13・14番線ホームの「26号」の方がそばつゆの味が1番線よりも濃いめだとか、、、
さすがに食べ比べはできませんが一番人気の「かき揚げそば」を、、、
 
26号店では「七味」と「一味」が並んでいるところも常連さんには人気のようです
熱々をいただいて、京浜東北線に向かいます
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「海芝浦」に行ってきました

まだ少し咳き込むときはありますが、風邪もほとんど抜けて天気も良いので、鶴見線の「海芝浦」に行ってきました。

写真はホームから眺めた「鶴見つばさ橋」

おいおい途中の写真もアップしていきます

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