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旅の〆は、、、やっぱり「にこら」で…

ちょっぴり寄り道して開店時刻に合わせて行った「にこら」さん(http://www.sobaya-nicolas.com/ 
まずは黒ビールで喉を潤して、、、




定番のセットメニュー(3品×2人


一息ついていただくお酒は、「平和酒造」の「紀土」(きっど)


蔵元さんを紹介する問屋さんのHP(http://www.kagimoto.com/shopbrand/ct22/)には「第二次世界大戦中、激しくなる戦局に国から命じられ酒造の休業を強いられ…さらに戦後しばらくしても酒造免許の再開を許されず、、、国会に足を運び陳情演説を行う等して、その情熱の末にようやく再開の許可がおりたので、平和な時代に酒造りができる喜びから『平和』という名前を冠した酒蔵名になった(要旨)」とありました。「ジャケ買い」みたいに8月に因んで名前で選んだお酒ですが、やはりそんな思いが込められていたんですね

お酒に合わせて もう一口アテが…と思ってお願いした「鴨つくね」

鴨の脂がいい香り!鼻腔が刺激されます

締めはもちろん「自家製粉 石臼粗挽き 手打十割蕎麦に 黒豚のつけ汁」


今回もいい旅でした
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京都でこんなん買いました、、、「五辻の昆布」

出町ふたばの豆餅を頬張りながら今出川通りを千本今出川まで移動。
お昆布の類は錦の「千波」さんがご贔屓ですが、前に友人にお土産でいただいた「五辻(いつつじ)の昆布」が美味しかったので、自宅用に汐吹昆布の刻み(一つは山椒入り)



帰り際、お店から近い「左大文字」の消し炭も分けていただきました
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応仁の乱発端の地、、、御靈神社

さて、五山送り火に始まる京都の旅も最終日。
送り火と消し炭拾いに如意が嶽に登る他は 予めプランを立てないブラリ旅。朝食を摂りながら「今日は何か面白そうな催しはあるかなぁ…」と歳時記を眺めていたら、御靈神社(上御霊神社)の例大祭!
他の用事もあったので、バスで京都駅に出てから最寄りの地下鉄「鞍馬口」から上御霊神社へ、、、
上御霊神社といえば、「…先の戦というと、応仁の乱…」という『京都人あるある』がありますが、10年以上にわたって京の町を焼き尽くし、戦国時代がはじまるきっかけとなった「応仁の乱」の戦端となった「御霊合戦」の地。






境内には戦乱から550年を記念して建立された「応仁の乱発端 御霊合戦旧跡」の石碑があり、2年前の除幕式では東西に分かれて争った細川氏と山名氏の末裔が出席し、和やかに握手を交わしたそうです。
さて、楼門から境内に進むと本殿から笙、篳篥などの雅楽が流れてきます。





中をのぞくと神職が祝詞を詠んで舞っています。


巫女さんの舞いはよく目にしますが、男性のは少ないですね。

御靈神社(上御霊神社)のHPは;http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/

そろそろお腹も空いてきたので、相国寺さん辺りから今出川に出ようと思って歩いて、ふと気がつくと前方に賀茂川の土手  
チョッと間違えて出雲路橋の近くに出てしまったようです   土手に上がると北は比叡、東には昨日登った如意が嶽、南側・出町柳の「鴨川デルタ」からの風がいい感じです。地図も持たずに散歩してると思いがけない風景に出会えるのもいいですね♪ ちょうどよい具合に市バスが来たので「出雲路俵町西」から葵橋までバスで涼んで移動。出町ふたばで名物の「豆餅」を買って、西陣五辻町の「にこら」さんを目指します。
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K6で夕ご飯

京都第2日目の夕ご飯は木屋町二条のBar K6
「バーでご飯?」と疑問に思う向きも多いでしょうが、フードメニューも超充実

ハイボールで口開けして、K6サラダでスタートします

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京都でこんなん買いました! 「Outdoor Research」のサンハット

夕食前に寺町界隈をブラリと散歩 、、、連れがよくのぞいているお店で見つけた「Outdoor Research」のサンハット  
とかくバーゲンになるとサイズに難ありが多いのですが、頭でっかちの私にも使えるサイズで、カラーも好み



まだまだ暑い日が続くので活躍しそうです
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町家を抜ける 風

厄除けや無病息災のご利益があるという消し炭を拾って山を下ると、さすがに街なかは暑いですね
一旦宿に戻って汗を流したあとの昼ご飯は紫野東藤ノ森町の「かね井」さんでお蕎麦

店内での撮影はNGですので、写真は店先の釣りしのぶ



亭主のポリシーで クーラーの無い町家を抜ける 風もご馳走
ちょっぴりやせ我慢ですが、季節野菜の焼き浸しに定番のお蕎麦、、、美味しくいただきました
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登ってみました! 「大文字山」

五山送り火の翌朝、銀閣寺の下の登山口から「大」の字が描かれた如意が嶽へ、、、

銀閣寺の手前を左に折れてしばらく砂利道を歩いて「大文字山」の標識から山道に入ります。


木道が整備されたところもあれば、木の根がごつごつした急な登り道


途中の「千人塚」は、第二次世界大戦末期に高射砲を設置のため、地面を掘ったらおびただしい人骨の入った壺が出土 戦国時代、足利義輝が三好、松永の軍と戦って破れたときの兵士の遺骨といわれ、花が手向けられていました。

さらに登ると「大」の字形の中心部の金尾(かなわ)と呼ばれる火床と弘法大師を祀った祠があります。





薄雲が掛かっていましたが、市街地から吹き上げてくる風は爽やか


見下ろすと京都タワーや平安神宮の鳥居も見えて、登ってきた甲斐があります



朝一番のバスで来たのですが、大きな炭は関係者や自転車などで登ってこられる地元の方があらかた拾ったあとで、3~4cmくらいの小ぶりな消し炭…でも、横で炭を拾っていたオバチャンは、「ビニールか何かで長い炭みたいな形にして奉書紙掛ければ分かんないわよ!」


登山道の途中に水場もあります。 雨上がりでチョッと濁ってるようでしたが、顔を洗ったり口を漱いで「一日京都人」です



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五山送り火 その3

6年ぶりに「五山送り火」にやってきました。blogの履歴を調べたら、2013年には前の日に銀閣寺さんの前で護摩木を納めてたんですね

下はその時の一コマ。



こちら↓は京大吉田キャンパスからの大文字です。


今年は残念ながら台風の接近で護摩木の受付けは中止 夷川で夕ご飯を済ませ、荒神橋から手を合わせました




さて、平安時代からともいわれる五山の送り火。神仏分離令(1868)後の廃仏毀釈とともに、一時府令により「無用の火を流すもの」「文明に進歩する児童の惑も生じ」として、1881年まで一時禁止されていた時期もありましたが、前の戦争中の1943年と44年は灯火管制や人手不足の理由で中止された年もあったと聞きます。
何新聞だったか忘れましたが、1943年8月16日の早朝、京都市立第三錦林国民学校の児童や父兄、そして地元住民ら2000人が、白い服装で、大きな白いハンカチ、布を持って、大文字山に登り「大」の字に並んで白い文字を描き出したことを、郷土愛から自然発生的に行われたように書いてありましたが、色々な資料を調べてみると、「戦意高揚」のための「健民体操」というのが実態で、そのため45年には混乱により「白い大文字」も描かれることはありませんでした。

やっぱりご先祖様をお送りするにも 平和な世の中であることが必要ですね。
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五山送り火 その2 「ろうじな」で夕ご飯

京都国立博物館の「寄託の名宝; 特別展」。宗達の風神雷神図をはじめ、狩野派の作品群…なかなか見ごたえがありました
上野の博物館の方が収蔵点数などは多いのかもしれませんが、あちこちのお寺さんから寄託されてるのは、土地柄京都の方が多いのかもしれないですね~
さて、20時からの送り火前の夕ご飯は御所南の「ろうじな」さん。

定番の酒肴3種盛りにはじまり、湯葉と青菜のお浸しや出汁巻き、、、









 
夏限定のお酒の数々も魅力的 … 
でも、、、あ~ 送り火の時間も迫っているし、、、


チョッピリ名残惜しい「ろうじな」さんです
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五山送り火 その1

昨日台風10号が過ぎてから、予定より1日遅れの京都での夏休み。
まずは、高倉通錦小路下ルの「さか井」さん。お店に入ると、直前まで仕込んでいた「名物」の穴子のいい香り
脂の乗った鯵や、今シーズンの食べ納めの鱧に気を取られて、写真は「暖簾」のみ


お腹を満たしてから、京都国立博物館で開かれている「寄託の名宝; 特別展」。






西往寺の「宝誌和尚立像」や、今年国宝に指定される「安祥寺の五智如来」などを鑑賞…



博物館併設の前田珈琲で美味しい珈琲をいただきました
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