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梅雨明け一番は、、、冷やし茄子おろし蕎麦

朝のうちはすっきりしない天気でしたが、10時頃から陽射しが戻って、気象庁は関東甲信と東海に「梅雨明け」を発表
正午前には32℃を超える暑さで、お昼ご飯は「可祢井(かねい)」さんの「冷やし茄子おろし蕎麦」

カラッと揚がったナスに山盛りの大根おろし
サービスのミニおにぎりも美味しくいただきました

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「Caféふれあい」の、、、青椒肉絲

祇園祭(前祭/さきまつり)の宵々山は突然のゲリラ豪雨で大変だったようですが、今日はハイライトの山鉾巡行。生稚児ののった「長刀鉾」を先頭に油照りの洛中を山鉾の列が進んでいることでしょう。

さて、今日は障がいのある人もない人もともに働く場「Caféふれあい」が「週3回」出先にも届けてくれるお弁当の日。
今日の日替わりは「青椒肉絲」

レンジで軽く温めて美味しくいただきました

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お土産は、、、鱧寿司

御所南夷川の「ろうじな」さんでランチのあとは、四条高倉の「さか井」さんに戻ってツレへの土産の『鱧寿司』

自宅に帰って 美味しくいただきました

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旅行の〆は、、、「はりそば」

祇園祭(先祭)前日の鉾の町から夷川通寺町西入ル北側の「ろうじな」さんでランチ

お昼のおきまりもコスパ最高で魅力的ですが、帰りの列車までちょっとゆとりがあったので、ロックでいただく清酒=アイスブレーカーに合わせて酒肴三種盛りなど2~3品

鴨たたき おろし添えに、、、
〆は夏らしい「はりそば」


美味しくいただきました

最後の2枚は開店10周年記念にいただいた、寺町通りの「京あめ処 豊松堂」さん謹製の「すだち飴」


こちらはツレへのお土産になりました

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鉾の町を散歩

第一旭で腹ごしらえしてから、山鉾巡行を明日に控えた鉾の町を散歩
山鉾の非常に古い形態を残している四条傘鉾や糸縢りも美しい綾傘鉾、カマキリのギミックを戴く蟷螂山や先祭の掉尾を飾る船鉾、、、

船鉾は出陣する船を表しているといわれ、船首には想像上の鳥である鷁(げき)、船尾には飛龍紋の舵の意匠も綺麗ですね!

お腹も空いてきたので寺町を上って、夷川の「ろうじな」さんに向かいます

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京都の朝は、「第一旭」

京都の朝は、「第一旭」
一回り小さいミニラーメンにして九條ネギをてんこ盛り


途中で特製の唐辛子味噌を加えて味変


美味しくいただきました 

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祇園祭 宵々山

K6で下地を作って、宵々山に繰り出しました

 

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K6で、、、マディラワイン

にこらさんで〆にシェリーをいただいたので、K6ではマディラワイン

このあと宵々山に行ってみます

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西陣の「にこら」さん

大河ドラマ「光る君へ」の舞台の一つ「土御門第跡」から今出川通をバスで移動して西陣の「にこら」さんで夕ご飯
まずは黒ビールで喉を癒して、お決まりの三品から…
 
おきまりの3品 左から…
茹鶏と茗荷の梅肉和え
鮪の軽い燻製(レモンヴィネガードレッシング)
つるむらさきと干しイチジクの白和え、、、
 
次のお皿は 皮付きベビーコーンのオーブン焼き(パルメジャーノ)
 
こちらは、明石蛸と万願寺 中華香味炒め
たんなる蕎麦前というにはあまりに美味しいお料理に
自家製粉粗挽き十割手打蕎麦
 
 
〆にいただいたのが「PEDRO XIMENEZ(ペドロヒメネス)」
店主曰く「料理に使うんだからこんな良いものじゃなくてもいいんですけどね…やっぱりね☺️ 100%天日干しを行うワイナリーはこの蔵元だけとなったそうです‼︎
美味しくいただきました
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「光る君へ」の舞台の一つ「土御門第跡」へ

「さか井」さんで鱧をいただいてから、寺町界隈を散歩しながら、いまNHKの大河ドラマ「光る君へ」の舞台の一つ「土御門第跡」へ
 
平安時代中期に摂政・太政大臣となった藤原道長の邸宅跡で、拡充され南北二町に及び、上東門第(じょうとうもんてい)、京極第(きょうごくてい)などとも呼ばれました。
道長の長女彰子(しょうし)が一条天皇のお后となり、里内裏(さとだいり)である当邸で、後の後一条天皇や後朱雀天皇になる皇子達も、誕生しました。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」の歌は、この邸で催された宴席で詠まれたといいます。
 
寺町通の先の蘆山寺は紫式部の屋敷があったとされる候補地の一つで、御所にちかい梨木神社は花散里(はなちるさと)が住んでいた麗景殿女御邸や空蝉が住んでいた中川の家がここ(梨木神社辺り)だったのではないかといわれています。
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