172cm 星組トップスター男役 今年5月宝塚退団公演に12,000人が集結したという異例の多さだった。100年続く宝塚でレジェンドと呼ばれる一人になった。宝塚初の台湾公演を大成功、武道館で単独公演、6年間トップ。立派なトップになろうと思っていたころはすっきりしていなくて。
変わったことは、いつも行っているお店で「そろそろスカートはどうですか?」と言われるようになった。女性らしさを模索中である。
聴きたくなる曲 アンジェラ・アキ「手紙」 悩んでいる時、例えば退団後、どうするのか?など。
歌詞の中のフレーズ「自分の声を信じて歩めばよい」 これで元気がでた。
トップになった時にいつでもいつ辞めるかを考える。
退団する人は輝いている。全ての公演を自分の退団の公演と思うようにした。宝塚100周年まで頑張ろうと思った。
背が高いのもずっとコンプレックス、クラシックバレー 大きくて肩幅も広くて、9歳からクラシックバレー、相手がいなかった。海外だと相手がいると海外に目が向いていたが、宝塚はどうかと?と言われた。
関西にいたのに宝塚は知らなかった。自分としてはクラシックバレーをしたいので、歌やお芝居はしたいと思わなかった。
17歳の時に宝塚音楽学校入った。ブリッジで歩くということを特技でやった。父親が関西人で、ぜったいやれと言われた。面接で特技をブリッジで歩くことだと言ったら、やってみてと言われやったら、笑いが起こった。
自分の娘が宝塚に入ったらいろいろな店に言いまわるくらい喜んでくれた。その父は初舞台を見て亡くなった。
入ってみたら拘っていたクラシックバレー以外のダンスも教えて貰えてバラ色だった。
宝塚の演技に戸惑った。どうやったらよいかが分からなかった。「男役」「娘役」の決め方。早めに決める。男役をどう作り上げていくか。宝塚ファンは男役をどう見ているかだけでなく、一般の人はどう見ているかも考えて取り組んだ。
本当にキスはしていない。手で隠すとか。キスシーンの極意。いろいろなバージョンを用意した。その二人の関係を考えてその感情をそれそれの状況で考えた。男役に伝わるテクニックがある。2階席の端の方にも目を合わせようと見てくれている人全員と目を合わせるように心掛けた。壁ドンを流行る前に取り込んだりしていた。
トップになったのは11年目で異例の早さ。自分だけの役だけでなく、全体を見たり、メンバーがイキイキしているか、チケットの売れ行きなど全体を見るようになった。納得できるようになったのは3年経ってから。それまでは必至だった。かしこいトップになろうと思っていた時は納得できなかった。
2005年単独コンサート。自ら歌詞を書いたり、観客との呼びかけなど、かっこよくない自分も見えるようにした。そうしたらお客さんとのキャッチボールができるようになった。仲間に頼れるようになった。全部自分で口出ししていたのを皆に頼るようにしたら皆がイキイキするようになった。それまでは自分で全てを引っ張ろうと思っていた。
宝塚を離れて抱いた夢(海外留学)を実現しようと思っていたら、「プリンス・オブ・ブロードウェイ」に出ないかと声をかけて貰えた。声が低いけど、その声を生かしましょうと言って貰えた。英語もある。「オペラ座の怪人」 ブロードウエィで聴いて感激を受けた。この曲を作られたハロードさんが監督だと知りさらに感激した。
恋愛も自由になるけど、今は結婚は考えていない。それはいつかタイミングが合えば。これからのこと不安もあるが、頑張って来ようと思っている。
感想;
トップスターは全てが順調に見えるけれど、いろいろな悩みを抱えながらチャレンジされていることが伝わって来ました。さらに米国でミュージカルの挑戦と新しいことにチャレンジされています。このチャレンジが大切なんだと思いました。
大阪出身で、話し方が懐かしくて(私は兵庫県出身)、キャラも自然で応援したくなりました。
変わったことは、いつも行っているお店で「そろそろスカートはどうですか?」と言われるようになった。女性らしさを模索中である。
聴きたくなる曲 アンジェラ・アキ「手紙」 悩んでいる時、例えば退団後、どうするのか?など。
歌詞の中のフレーズ「自分の声を信じて歩めばよい」 これで元気がでた。
トップになった時にいつでもいつ辞めるかを考える。
退団する人は輝いている。全ての公演を自分の退団の公演と思うようにした。宝塚100周年まで頑張ろうと思った。
背が高いのもずっとコンプレックス、クラシックバレー 大きくて肩幅も広くて、9歳からクラシックバレー、相手がいなかった。海外だと相手がいると海外に目が向いていたが、宝塚はどうかと?と言われた。
関西にいたのに宝塚は知らなかった。自分としてはクラシックバレーをしたいので、歌やお芝居はしたいと思わなかった。
17歳の時に宝塚音楽学校入った。ブリッジで歩くということを特技でやった。父親が関西人で、ぜったいやれと言われた。面接で特技をブリッジで歩くことだと言ったら、やってみてと言われやったら、笑いが起こった。
自分の娘が宝塚に入ったらいろいろな店に言いまわるくらい喜んでくれた。その父は初舞台を見て亡くなった。
入ってみたら拘っていたクラシックバレー以外のダンスも教えて貰えてバラ色だった。
宝塚の演技に戸惑った。どうやったらよいかが分からなかった。「男役」「娘役」の決め方。早めに決める。男役をどう作り上げていくか。宝塚ファンは男役をどう見ているかだけでなく、一般の人はどう見ているかも考えて取り組んだ。
本当にキスはしていない。手で隠すとか。キスシーンの極意。いろいろなバージョンを用意した。その二人の関係を考えてその感情をそれそれの状況で考えた。男役に伝わるテクニックがある。2階席の端の方にも目を合わせようと見てくれている人全員と目を合わせるように心掛けた。壁ドンを流行る前に取り込んだりしていた。
トップになったのは11年目で異例の早さ。自分だけの役だけでなく、全体を見たり、メンバーがイキイキしているか、チケットの売れ行きなど全体を見るようになった。納得できるようになったのは3年経ってから。それまでは必至だった。かしこいトップになろうと思っていた時は納得できなかった。
2005年単独コンサート。自ら歌詞を書いたり、観客との呼びかけなど、かっこよくない自分も見えるようにした。そうしたらお客さんとのキャッチボールができるようになった。仲間に頼れるようになった。全部自分で口出ししていたのを皆に頼るようにしたら皆がイキイキするようになった。それまでは自分で全てを引っ張ろうと思っていた。
宝塚を離れて抱いた夢(海外留学)を実現しようと思っていたら、「プリンス・オブ・ブロードウェイ」に出ないかと声をかけて貰えた。声が低いけど、その声を生かしましょうと言って貰えた。英語もある。「オペラ座の怪人」 ブロードウエィで聴いて感激を受けた。この曲を作られたハロードさんが監督だと知りさらに感激した。
恋愛も自由になるけど、今は結婚は考えていない。それはいつかタイミングが合えば。これからのこと不安もあるが、頑張って来ようと思っている。
感想;
トップスターは全てが順調に見えるけれど、いろいろな悩みを抱えながらチャレンジされていることが伝わって来ました。さらに米国でミュージカルの挑戦と新しいことにチャレンジされています。このチャレンジが大切なんだと思いました。
大阪出身で、話し方が懐かしくて(私は兵庫県出身)、キャラも自然で応援したくなりました。