幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「働く意味」がわからない君へ -ビクトール・フランクルが教えてくれる大切なこと- 諸富祥彦著

2015-07-20 03:45:35 | 本の紹介
「何か」があなたを待っている。「誰か」があなたを待っている。
フランクルとロゴセラピーについて
「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」などの著者として知られるビクトール・エミール・フランクルが開始したロゴセラピーの考え方を用いながら下記のさまざまな悩みに回答されています。
1.「働く意味」が見えないとき
2.なぜくよくよ悩んでしまうのか?
3.悩み苦しむことの意味
4.「働く意味」を見つけるヒント
5.仕事と幸福
6.仕事と使命
自分が人生に意味を見出すというより、人生が自分にどうするかを尋ねてくるとの考え方をします。その状況でどうするかの選択の自由が人にはあります。その状況で何かの価値を発見する生き方を選ぶか、愚痴を言ってその状況を呪って生きるかを選ぶことができます。
悩むとは、そのこと自体が何かのチャンスやその悩みが次への成長につながることにもなります。
人生には、「創造価値」「体験価値」「態度価値」があります。寝たきりの状態でも「態度価値」の自由度が残されています。
ロゴセラピーについて、これまで読んだ本などを紹介しています。
http://inorinohinshitu.sakura.ne.jp/logo.html

「運命を変えられない場合に、重要なことは運命に対して正しい態度を取るということである。運命を支配したり再構成したりすることができないならば、我々はそれを受け入れなければならないのである。運命を積極的に構成するためには、我々には勇気が必要である」。

「私は何を為『すべき』であるかという問題は、私の人生のその時その時の状況に私に挑戦してくる、具体的な意味を満たすことなのである」。

「あなたの内部の混乱を見つめないで、あなたを待っているものを見つめなさい。価値があるのは、深層に潜んでいるものではなく、未来においてあなたを待っているもの、あなたによって実現されることを待っているものなのです」。

杉村太蔵が自殺した中2男子を非難「自ら命を絶つことは許されない」 ”本人の責任の前に学校の責任を!”

2015-07-20 03:03:04 | 社会
2015年7月13日 http://news.livedoor.com/article/detail/10339810/

12日放送の「サンデー・ジャポン」(TBS系)で、元衆議院議員でタレントの杉村太蔵が、自殺した中学生の少年に厳しい言葉を投げかける場面があった。

この日の番組は、岩手県の中学2年生がいじめを苦にして自殺した問題を取り上げた。この生徒は担任教諭に向けた生活記録ノートや、学校側の実施したアンケートでもいじめについて言及しており、学校側の対応が適切だったかが問われている。

スタジオでも出演者らが、学校の対応について議論を繰り広げた。

その中で杉村は、6月に担任教諭がいじめた生徒をかなりキツく注意したとの情報や、昨年の担任がいじめていた生徒、部活の顧問を交えた四者面談を行い、生徒に謝罪させていたことを紹介。学校側が何もしていなかったわけではない、と部分的に擁護してみせた。

さらに杉村は、「きわめて厳しいことを言うようですけどね」と前置きをした上で、「病気で一分一秒でも長く生きたいと願っている人がいるなかで、自ら命を絶つことは許されることではないと思います」と、厳しい発言をした。

その一方で、いじめの境遇に合っている人に向けて「本当に死にたいと思うような学校だったら、行く必要はない」「いじめがあるから学校に行きたくないと言えば十分、そこから可能性はいくらでもあるからね」と、力強く主張した。

これを受けて、爆笑問題の田中裕二は「言えなかったというところもあるんでしょうけどね」と、難しい問題である事を示唆していた。

感想;
第三者が自殺者のことをあれこれ言います。
・もっと他の選択肢があったのではないか。
・親に何故相談しなかったのか。
親には虐められていることを言うのはとてもハードルが高くてなかなか言えません。
親にも言えないと一人で、この苦しみ(虐め)から逃れたいと考えれば考えるほど苦しくなり、この苦しみから逃れたい一心で自殺してしまいます。

今回のケースのように、本人に問題があるかのような発言も多くされます。虐められる本人にも問題があるとの視点です。
確かに虐められやすいタイプはあると言われています。しかし、そのタイプが本人の責任になるのでしょうか?
虐めにあっても強く対応すればよい。今回の発言のような「学校にいかなければよい」の発言は、虐めの問題を本人に転嫁するだけで何の解決にもならないように思います。もちろん、虐めを受けた場合、どうするかとの教育は重要になりますが。

過労死には自殺する人もいます。自殺せずに、仕事を拒否すればよい、会社にいかなければよいと同じで、その選択肢が本人にとってどれほど困難だったかということです。

生活保護も同じように、働くことは本人の責任だから、働かない人に生活保護支給は問題だとの考えで生活保護支給の審査の厳格化を求めたり、生活保護支給率の上限を設定したりしている市町村もあります。まさに社会の問題を本人に転嫁しているだけのように思います。

本人の責任云々を言う前に、社会の責任、特に学校側の責任を問題にして改善すべき点があればその改善を図ることではないでしょうか。
ようやく、校長が両親に謝罪されましたが。