幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

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美輪明宏さん、涙こらえ戦時体験語る 寂聴さんと対談 ”戦争を繰り返したいのでしょうか?”

2015-07-26 10:40:56 | 社会
2015年7月25日23時31分
http://www.asahi.com/articles/ASH7T52ZCH7TPTFC00G.html
僧侶で作家の瀬戸内寂聴さん(93)と歌手の美輪明宏さん(80)が25日、被爆70年を迎える長崎市で対談した。安倍政権が安全保障関連法案の成立を急ぐなか、自身の戦争体験に触れつつ「このままだと第2次世界大戦と同じようにひどい目に遭う」と訴えた。

安保法制「絶対に廃案にして」 瀬戸内寂聴さん訴え

 この日、長崎県美術館で開幕した寂聴さんの半生を紹介する特別展(8月31日まで)の関連イベントで、約2千人が来場。寂聴さんが「だんだんと戦争の時代に似てきている」と語ると、長崎市出身で被爆者でもある美輪さんは、自民党の勉強会で報道を威圧する発言が出たことや安保関連法案を念頭に「国会議員が言い出しっぺの責任を取って鉄砲を担いで鉄かぶとをかぶって、まず第一に兵隊として出ていただくのがよい」と述べた。

 美輪さんは、戦時中に見た光景を涙をこらえながら紹介。
戦地に赴く息子の足にしがみつき、「どんなことがあっても死ぬなよ」と叫ぶ母親が憲兵に突き飛ばされ、鉄柱にひたいをぶつけたという。「戦地で死んだ息子が最後に見た母親が、憲兵に突き飛ばされて血だらけになった姿。情けないじゃありませんか」「今また、同じことをやろうとしている。責任が重いのは選挙民。それを支持しているわけだから」

 寂聴さんが最後、「いい戦争はない。戦争は集団人殺し。命をかけて反対する」「長崎と広島は世界にない、原爆のひどい被害に遭っている。みなさんが先頭に立って戦争に反対してください」と呼びかけると大きな拍手が起きた。(岡田匠)

感想;
どうして今、集団自衛権をこんなに急いで、無理に通す必要があるのでしょうか?
集団自衛権が国民の安全を守るために必要との安倍首相の言葉は詭弁のようにしか思えません。逆に国民を戦争に巻き込むリスクを高め、安全を脅かすのではないでしょうか。

安倍首相だけの問題ではなく、それを一緒に進めている自民党、公明党の議員、そしてそれを支援している人々も、安倍首相の言葉を本当にそうだと思われているのでしょうか?思われているなら、美輪さんのおっしゃるように、先ず自ら戦争に行く覚悟があるのかどうか。

今、阻止できるかどうかは、安倍首相の支持率低下と反対の意志を提示するしかないように思います。これだけの国民の反対があっても推し進めるのが政治なのでしょうか?選挙では騙されないように投票しないといけないとつくづく思います。



「本能寺の変431年目の真実」 明智憲三郎著 "歴史は征服者が創る”

2015-07-26 01:06:34 | 本の紹介
明智光秀が信長への恨み、丹後などの領地を取り上げられることへの不満などが通説になっています。
明智光秀のような才智満ちた武将が怒りで信長に反逆を起こすだろうか?との疑問を持っていました。
今回の新説はなるほどと思わせる内容でした。

反逆を起こさせた理由;
1)信長は朝鮮、中国に派兵を考えていてその先鋒に秀吉や光秀など、織田一族でないものを使おうとしていた。それを阻止したかった。
2)明智との盟友だった長宗我部を滅ぼそうとしていたので、それを阻止したかった。長宗我部が滅びることは明智が弱体することでもあった。
3)信長は家康を殺害するつもりで、光秀と順慶に指示をだしていたのではないか。家康が少人数で京都、大阪を訪れさせていた。そして本能寺の変の当日、家康と順慶を持てなす予定をしていて、そこへ、光秀に家康を殺害するように指示をだしていた。家康を殺害した後、直ぐに家康の岡崎を攻撃させる予定であった。このチャンスを逆に活用して信長を殺害した。
4)光秀の計画は事前に考えており、盟友の細川に伝えていた。細川は裏切って秀吉に伝えていた。秀吉はその準備をしており、本能寺の変が起きたことを知り、直ぐに大阪周辺にいる武将に協力依頼を出していた。
5)家康も光秀の反逆を知っていて、本能寺には向かわずに伊賀越えをしたが、伊賀者服部が手伝った。それも分かった上だった。
6)秀吉がまとめさせた「惟任(光秀)退治記」は秀吉を崇め、光秀をおとしめるためにでっちあげたものである。
7)春日野局は、光秀の片腕であった斎藤利三の娘 福(春日野局)を家康の孫 竹千代(家光)の乳母に採用した。反逆者の大物の一族を大切な孫の乳母にしたのは異例ではないか。実は福は光秀の母だったとの説を紹介している。また、明智の一族土岐明智を取り立てた。
8)家康は信長が自分を暗殺する計画を知っていて、罠に引っかかったように見せかけ、光秀が行うことを支援し、実は光秀が秀吉に討たれることまで考えていた。それは盤石な信長を倒し、混乱をもたらしたかったからで、本能寺変後、直ぐに甲斐、信州を攻撃し自分の支配下とした。それはその後の話し合いでも認められた。

感想;
歴史は、征服者が自分の都合のよいように作ることの典型のように思いました。この新説の方が納得が行くものでした。この新説は残っている記録、その中には宣教師が書いた記録なども調べておりなるほどと思うことが多かったです。この新説に是非、学者が意見を出して欲しいと思いました。