幸せに生きる(笑顔のレシピ) & ロゴセラピー 

幸せに生きるには幸せな考え方をすること 笑顔のレシピは自分が創ることだと思います。笑顔が周りを幸せにし自分も幸せに!

「明日なき生命の詩 めぐり逢うべき誰かのために」石川正一+左門(父)著 ”筋ジストロフィーにおかされ、20歳までの生命と宣告された石川正一君は、青春を全力で駆け抜け、神に召された”

2023-03-02 19:49:09 | 本の紹介
・14歳の初夏、正一君は自宅の風呂場で、背中を流してもらいながら、父親から「20歳ぐらいまでしかいきられない」事実を知らされた。

・正一が、徳島から帰って来たのは、11歳2か月の時だった。-歩けなくなった足にばねのついた補装具をつけて、もう一度歩けるように訓練を受け、徳島大学附属病院を退院したのは、半年ぶりの昭和41(1965)年2月の初めのことだった。

・「うん、がんばる・・・。でもがんばるって、どうしたらいいの・・・?」

・「そうか、わかった。冬があるから春がくるんだね。それが神さまの愛だね。ぼく信じるよ!」

・はたの者がいかに筋ジスという病気の真相を本人に知らせまいとしても、それは無理な注文で、子供たちは、常に自分を悩ませているその原因を、知りたいと考え願っているのだ。
1)この病気は治るのか治らないのか
2)不治ならば何歳まで生きられるのか
3)短い命ならば、筋ジスの人生にどんな生きる意味があるのか

・たとえ短い命でも
 生きる意味があるとすれば
 それはなんだろう
 動けぬ体で
 一生を過ごす人生にも
 生きる価値があるとすれば
 それはなんだろう

 もしも人間の生きる価値が
 社会に役立つことで決まるなら
 ぼくたちには
 生きる価値も権利もない
 しかし どんな人間にも差別なく
 生きる資格があるのなら
 それは 何によるのだろうか

・小学校1年で就学免除の扱いを受けた彼にとっての切実な願いは、一般の健康児ならばだれでもがしている、ごくあたり前の学校の勉強をする事だった。

・養護学校の先生のお話はこうだった。
「今年度、教師として初めて筋ジス症児の担任となったが、クラス全体が脳性小児麻痺(略称=CP)の子供で占められている中で、筋ジスの場合には、CPと比較して決定的な相違がある。・・・それは、CPは障害が固定しているのに比して、筋ジスの場合には進行性であるということだ。CPの場合には、現在時点を出発点にして目標を設定し、勇気づけや励ましをしながら目標に到達させるという学習やリハビリテーションの効果が期待でき、上昇線もの望めるが、筋ジスの場合にはこのような教育テクニックは、まったく通用せず、下降線があっても上昇線がない。昨日までやれたことが、今日は出来なくなる。今はこれがやれているが、明日はそれがやれなくなる・・・。それならば、下降線をたどるしかない筋ジス症児には、生きる目標を与えられないのだろうか。たとえ明日それが出来なくなっても、今日一日出来るなら、それを今することに意味があると教える教育とは何か、それをやる気にさせる指導とは何か?」

・病気を知り、自分の命が短いとわかった時に、初めて残された時間の貴重さがわかり、そしてそれを、どう充実させて過ごそうかと激しく思いを持った時こそ、やれるうちは、何でもやらずにいられなくなるというのだった。

・「ぼくはね、こんな体の筋ジスの人生にも、社会的な生きる価値があるかどうかはよくわからないけど、ともかく精いっぱい生きておかないと、死ぬ時に悔いを残すと思うから、生命を完全燃焼させて生きたいと頑張っているわけ。社会的にはわからなくても、そういう生き方は、少なくともぼくにとっては人間的には価値があると考えているの。だから、そういう人間として一生懸命生きていこうとする人に出会うと、尊敬できて共鳴できて、深い心のお付き合いが出来てくると思うよ」

・『人間の看護』大段智亮(おおだんともあき)著

・ことに正一が深刻に悩みぬいたのは、女子のボランティアの存在でした。純粋な善意で来てくれる人に対して、恋愛感情があるわけでもないのに、ただ男としてだけの感情を抱いてしまう自分を、正一は絶対に許せないと絶叫します。そういう心の中を知られたら、きっと激怒されるにちがいない。そんな事になるのは死んでもいやだという不安と、相手の人格を冒涜するような思いを持ってしまう自分に、何で完全燃焼を口にする資格があるのかという、自分への罵りと。

・「正ちゃんは、自分で自分が許せないと言ったけど、じゃあ、お父さんやお母さんが許してあげるよと言ったら、自分を許せる?」
「だめだよ。ぼく自身の心の中の問題だから」
「それじゃあ、この社会の人たちが、正一さん、そんなに自分を責めないでください。だれもあなたの矛盾をとがめる人はいませんから、どうぞご安心下さいと言われたら?」
「やっぱりだめだね。短い命を完全燃焼させることだけが、納得して自分の死を受け容れさせる、人間としての価値にならわけだから、社会だって関係ないよ」

・ある時
 舟の舵をとるのは僕じゃないんだ
 イエス様なんだと
 だが海はおだやかではなかった
 風がおさまったと思えば
 濃霧に悩まされる
 私の信仰はあまりにも幼さすぎた
真実の信仰に目覚めた、正一は、このような詩を記している。

・「神さまは自分が善いと思うこと、正しいと信じられることならば、それをする自由をお与えくださっているわけだから、本を出していいかどうかではなく、どんな内容の本になるか考えてみる」

・昭和48年7月、石川正一著『たとえぼくに明日はなくとも』

・ただ正一には、一つだけ確信があった。それは、この本の出版が、その大きな反響を通して、何かを自分に促そうとなされる神さまのみ手の働きにちがいない、という事であった。ともかくも、こうした自覚は、正一にとっては家族や身近な知人の中で生きてきた今までの自分を、広く社会とのかかわりで見直すということ。つまり筋ジスである自分のような者であっても、その生の自己主張を胸を張ってしさえするならば、社会に対して何らかのかかわりを、主体的に持ち得る存在なのだという、自己の再発見につながったようだ。

・「でもぼくは、たとえ筋ジスではあっても、負け犬はなりたくないと思ってきました。人生の敗者、降伏者では死ねないと考えたからです。闘わない勝利者なんてないわけですから、僕は耐えることを闘いにしてきました。でも個室に入るようになって、ただ耐えて生きることの意味はなんだろうかと、疑問になってきたのです」

・フランクルが、その著『死と愛』の中で述べている態度的価値とは、松下君や正一がその生きる態度を通して、私のように運動にかかわる者の生きる姿勢を正し、何らかの行動へと駆り立てるエネルギーを誘発させる存在としての、社会倫理的価値とまったく同質のように思える。フランクルは、アウシュビッツの収容所という、明日に死を控えて生きる限界状況のもとに形成された、一般社会の価値がまったく通用しない人間社会の中で、ただ一つ通用する価値を発見し、それを態度価値と称したのである。
 現代では、この人間社会を支えているものは、経済的価値であると考えられているが、態度価値は、とかく忘れがちな人間社会を支えるもう一つの価値、つまり、人と人との間柄や結びつきの質を高める倫理的効用として、人間関係の中に作用する大きな価値を意味している。
 フランクルは、その倫理的効用の極致の姿を、避けがたい死の運命を受け容れざるを得ない状況の中で、なお前向きに生きる姿勢を保つことにより、周囲をはげまし、生きる勇気を与えている人の、その態度にみたのである。

・筋ジスの壁といわれる20歳という年齢は、それは平均値でなくて、あくまでも余命年数の極限を意味している。

・祈りとは、いわばキリストとの人格的な交流であり、朱に交われば赤くなる譬の通り、親しい者同士が似てくるように、その祈りが深ければ深いほど、キリストの影響を受け、その人格像に似るべくキリストに近づくことを意味する。

・神さまの台本に従うということは、成り行きまかせに生きることではない。精一杯に生きる中から、台本の全容が次第に見えてくる。

・死の受容とは諦めることではない。残り時間を大切に生きることで、より良き死を迎えようとする、新たなる生の歩みを意味する。
 筋ジスの人生を、神さまから選ばれて与えられたと信じているからこそ、懸命に生きた結果を、神さまに委ねるという信仰が成立する。

・時に昭和54年(1979年)6月18日、午前7時00分。わが子・正一は、23歳7か月の生涯を閉じた-

感想
生きるとはどういうことかを考え、教えられたように思います。
今の状況で精一杯生きることなのでしょう。
それは、この本にも引用されていたヴィクトール・フランクルが創始したロゴセラピーでは「人生が自分に問いかけて来る。その問いかけにどのような選択をするかの自由はある。それにYESといって生きていると人生の意味・価値を生みだせる」と考えます。
まさに石川正一さんはそれを実践されたように思います。
ロゴセラピーでは、「創造価値」「体験価値」「態度価値」の3つの価値を言います。身体が動けなくなり、何もできなくなっても死ぬまで「態度価値」を生みだすことはできると考えます。
石川正一さんの「態度価値」を父親はフランクルの書物から実感されたのでしょう。

ロゴセラピーでは、精神次元が、心、身体の次元の上位にいると考えます。

キリスト教の神様への祈りも大きな支えになっていたように思いました。


「ホス狂い」大泉りか著 ”できれば価値あるものにエネルギーを注ぎたい”

2023-03-02 16:26:26 | 本の紹介
・本営という言葉がある。これは女性客に対して、本命の彼女だと思わせる営業方法だ。その分、使うお金も多く、エースと呼ばれる女性のほとんど本営を掛けられているといっていい。
 ところが女性側は、本営と知って遊んでいる場合もある。
 ようするにホスト遊びは、今やホストクラブの店内で完結するものではなくなっているのだ。

・これまで取材したホス狂いの多くは、有香のような、若く精祖でどこか幼い面影を残した”おじさん受け”するタイプの女性が主流が。・・・。有香も、今、デリヘルとソープ、パパ活で稼いだ金を担当に注ぎ込んで、”エース”の地位にいる。

・ルックスやスタイルが好みだったり、身体の相性が合うなどの理由で、セックス目的付き合っている相手は、”ヤリカノ”、終電を逃してしまったり、同棲中の本営と喧嘩して一緒にいるのが気まずいときなどに、宿や家を提供してもらうことを目的とする”宿カノ””家カノ”、あまり売り上げへの貢献はないがルックスが好みだったり話が合うので、ホスト自身の趣味で付き合っている”趣味カノ”といったものも存在する。
 ちなみに、これらの営業とは全く関係のない、店に呼ばれることのない彼女は”本カノ”と呼ばれ、・・・。

・親友のような絆で結ばれたホストの”エース”で居続けるため、有香はもうすぐ大学をやめる。これが彼女の”選択”だ。

・「ホストクラブの魅力って、どういうところですか?」
この女性がホストに狂って、5千万円もの掛け(借金)を背負っているということを、道端ですれ違う、誰が想像できるだろう。少しうろたえながら尋ねたわたしに、結衣はしばし考え込んだあろ、こう答えた。
「自己承認欲求が満たされるところですね」

・いちばん金を使う女という立場を得るために結衣は、ソープランドとメンズエステとを掛け持ちしながら、ほとんど休日を作らずに働き、稼いだお金をひたすらホスクラ通いに注ぎ込んでいる。

・ホス狂いの女性たちが共通して言うのが、この「お金を使ったら、好きになってしまった」というセリフだ。

・「今、ほかにやりたいことがないんです。自分がこうなりたいって思える人間って、すごく立派だと思うんですけど、わたしみたいな人間って自分に自信がないから、誰かに注いで、その誰かが輝いているのをみたいんでしょうね」

・ホス狂いの女性たちは、とにかくよく働き、よく稼ぐ。

・AKBグループによるシングル選抜総選挙は、投票によってシングルの楽曲を歌うメンバーが選出されるシステムで、ゆえにファンたちは自分の押しの順位をあげるために投票券の封入された特定のCDを複数枚買う。それと同じく、ホス狂いたちは押しのホスト=担当をナンバー入りさせるために、シャンパンや高級ボトルをおろす。
 握手会やシングル総選挙などのイベントを絡め、メンバーそのものを売りにしてCDの売り上げにつなげるAKB商法は、あちこちでバッシングされた(そもそもAKB自体が、キャバクラのステージを参考にコンセプトを立てられたという噂もある)が、ホストクラブもまた、ホストそのものを売りにして飲食代の売り上げにつなげている。

・ホストクラブに通うことが、働いて稼ぐモチベーションとなる。

・金銭を介した関係の上に成り立っている以上、金の切れ目が縁の切れ目ともなる。その事実を十分にわきまえたホス狂いの女性たちは、よく働いてよく稼ぐ。自らの欲望は金で解決すると知っているからだ。

・「ホストクラブの稼ぎって、女の子たちのお金だってされているけれども、本当は違うんですよ。女の子はホストに大金を使うけれども、そのお金はホストにそのまま入るわけじゃなくて、本文は店に行く。っていうことは、ホストクラブの最大の顧客は働いているホストたちってことです」

・”担当”の存在を原動力とすることで、舞は鬱を脱し、再び働き始めることができたものの、今度は働きすぎだと、通っている精神科の医者に言われているらしい。

・担当が姫の”メンケア”を施すのは店の中だけに限っての話ではない。普段から、LINEや電話などでこまめに連絡を取り合い、「おはよう」「おやすみ」といった挨拶や近況報告はもちろん、仕事や私生活でつらいことがあったときには、その気持ちに寄り添ってもらう。デートやセックスはもちろん、同棲もその延長線上にある。そうして恋愛のような喜びや日々の活力を叶えるためや、ホストとしての地位を上げる手伝いをすべく、店に通って多額のお金を落とすのだ。

・お金を使う楽しみを一度知っちゃうと、もう使わないと楽しくない。

・「ホストクラブの醍醐味は、好きな顔のホストと飲めること、それなんだったら、そのホストと普段もLINEできるし、デートだってできるし、ワンチャン一緒に住むこともできる」
 接客だけを売っているのではなく、疑似恋愛を売っているといこと。

・ホストとの出会いを求めているわけではない女性が、たまたまホストと知り合う機会が唯一あるとすれば、「マッチングアプリで偶然マッチングした相手がホストだった」というパターンだ。

・これまでの長い(ホス狂い)期間に得たものと失ったものについて考えると、あまりにどちらも多い。
 あえてひとつずつ挙げるとすれば、前者は、気に入った男性を売れっ子ホストへ仕立て上げるような「権力(パワー)」であり、後者は「普通の人生」ではないだろうか。

感想
読み終わって頭に浮かんだことは、人生を生きるには、衣食住だけでは十分でないということです。
もちろん、衣食住は必要です。
イエスキリストが「人はパンのみにて生きるにあらず」と言った通りです。

ホス狂いの女性はは”押し”のホストを支えるために、一生懸命頑張っているということです。
悪いことに、女性は性を売ることで金を稼ぐ手段があるので、返ってホス狂いにはまりやすいのかもしれません。
女性が性を売ることができない社会であれば、簡単にお金を稼げないので、ホス狂いもできないのです。
性を買う男性からのお金が、ホス狂いの女性を通して、ホストとそのお店に流れているのです。

人は寂しいので、誰かとつながっていたい。
ホストはお金をかけると優しく接してくれる。
まるで恋人のように。
でも、自殺をするホス狂いの女性も出てくるようです。
信じて騙されたのでしょう。
信じるに値する人を信じたいです。
そもそもホストを信じるものでないと理解して遊ぶことなのでしょう。
そうすれば騙されたと思いませんから。

寂しいのは自分を愛してくれる人がいない、あるいは愛される存在だと自信が持てないからそれを簡単に満たす選択の一つがホス狂いなのかもしれません。

逆に自分から、人を愛する、お金目当てでない人を支えるなど、人生の目的があれば、寂しさを超えるのかもしれません。

ホス狂いできる間は良いかもしれませんが、それが出来なくなった時、それでも人生にYESと言って一歩一歩前に進めると良いのですが。
歩んで欲しいと願います。

それにしても疑似恋愛でお金を巻き上げることをする男性は、相手の女性の人生についてどう思うのでしょう。
男性も生きることで精一杯なのかもしれません。
きちんと働いて生活できる社会でなくなってきているのかもしれません。

その人を判断するには、大切な時間とお金を何に使っているかを見ればわかると言います。
自分の人生、どうするかは自分の選択肢ですが、自分の未来によい選択肢であれば良いと願います。
そんなことを言っている自分はどうなのだと言われるかもしれませんが。

徳山ダムも長良川河口堰も…建設すべきでなかった「ムダな公共事業の見本」なのに政治家は絶対に謝らない ”工事することが目的で、政治家にキックバックが?”

2023-03-02 08:58:08 | 社会
---------- 前編『河村たかし名古屋市長「徳山ダム導水路計画」に同意の謎…“ムダな巨大公共事業”はなぜ止められないのか? 』から続く ---------- 

一滴も使われていないダムの水

 導水路で流そうとしているのは徳山ダムの水。このダムは揖斐川の最上流部に建設されたロックフィルダムで、高さは161メートル。総貯水容量は、日本最大の6億6000万立方メートルという巨大ダムである。水資源機構が管理する、治水・利水・発電の多目的ダムだ。  
 揖斐川上流域がダム調査区域に指定されたのは1957年12月。2000年5月にダム本体が着工され、2008年3月に完成。ダムによって徳山村のほぼ全域が水没し、8集落の466戸・522世帯の家屋、全住民約1500人が移転を余儀なくされた。ダム建設では初の全村離村で、「徳山村」の名は地図から消えた。  
 筆者は、巨大公共事業を象徴するこのダム建設をかねて取材してきた。  最初に訪れたのは1984年。ダム計画のあるところではどこも同じだが、新たなインフラ整備は行なわれない。そのため、車のすれ違いが大変な山道で村に通った。“開発”が行なわれていない徳山村にはすばらしい自然が残り、人々はその中で素朴な暮らしをしていた。  
 泊まるのはいつも、増山たづ子さんの民宿だった。増山さんは、アジア太平洋戦争の戦場で行方不明になった夫が戻って来るのを待ち続けていた。ダムに沈むまでの村の様子を夫に見せようと、写真を撮り始めた。  徳山ダム建設計画は、何度も見直しをする機会があった。しかしこの巨大公共事業は、長良川河口堰と同じように完成まで突き進んだ。

不必要だった「長良川河口堰」

 長良川河口堰は、利水と治水のためとして1493億円で建設された。「長良川河口ダム」の構想が発表されたのは1960年1月。漁師や地元住民による建設反対運動が始まり、建設差し止め訴訟も起こされた。  
 1988年2月に地元漁協が建設に同意せざるを得なくなり、本体工事が始まる。筆者はこの時から運用開始とその後の影響まで100回以上にわたる建設関連の取材をし、さまざまなメディアに145本の記事を出した。  
 新たに始まった建設反対運動へは、全国からさまざまな人々が駆けつけた。公共事業に異議を唱える運動として、過去最大の盛り上がりをみせた。  
 この運動は、民主党政権による公共事業の見直し政策へと繋がっていった。しかし河口堰の建設は止まらず、1995年7月の本格運用となった。  
 危惧されたとおりに、生態系には大きな影響が出た。海から遡上するアユやサツキマスは大幅に減少。河口堰付近を最良の漁場としていたヤマトシジミは、まったく獲れなくなった。シジミ漁と同じように網を入れると、悪臭を放つ大量のヘドロが入った。  
 長良川河口堰によって取水可能となった淡水は22.5立方メートル毎秒。現在、使用しているのは水道分12.16立方メートル毎秒のうちの3.59立方メートル毎秒でしかなく、工業用水にいたっては、一滴も使っていない。つまり、約16パーセントの水しか取水していないのである。維持管理費は、毎年8~12億円が使われている。  
 過大な水需要の予測に基づいたこの事業は、「ムダな公共事業の見本」なのだ。長良川河口堰や徳山ダムを、建設すべきではなかったのは明白である。だが、それを推進した政治家や官僚が謝罪したことは一度もない。
・・・

感想
なぜこんな無駄な公共投資をするのでしょうか?
それは土木、建設業者のもうけさせるため。
そして政治家にキックバックが入るからではないでしょうか?
税金を日本の未来のために使おうとの考えが最初からないのです。

それを良しとしている国民の問題なのでしょう。
日本は貧困国になったというのに。
岸田首相は安倍元首相と同じように海外にお金をばら撒き続けていません。
食べるものもないシングルマザーの悲鳴を聞く耳を岸田首相は持っておられないようです。

白川氏、黒田氏政策を批判「壮大な金融実験」 IMF季刊誌に寄稿 ”トップの政治家が経済を日本を悪くした”

2023-03-02 08:33:33 | 社会
 日銀の白川方明前総裁が、国際通貨基金(IMF)の季刊誌に寄稿した論文で、黒田東彦総裁による10年間の大規模金融緩和を「壮大な金融実験」として批判的に論じた。これまで黒田日銀の政策について表立った発言を控えてきた白川氏だが、黒田氏の退任が4月に迫ったタイミングで批判した形だ。 
  論文は金融政策の新たな方向性に関するもので、英文で3ページある。1日にIMFのウェブサイトで公表された。  そのなかで白川氏は、黒田氏が実施したマイナス金利や大量の国債購入など異例の金融緩和策について、「物価上昇の面から見て影響は控えめだった。そして経済成長の面から見ても同じく効果は控えめだった」と評価。「必要なときに金融政策を簡単に元に戻せるとの幾分ナイーブな思い込みがあったのではないか」と指摘した。  
 超低金利の継続を予告するフォワードガイダンス(先行き指針)など黒田氏が導入した非伝統的な金融政策にも疑問を投げかけ、足元の悪性インフレを助長する一因になったとの厳しい見方を示した。  
 白川氏が総裁在任中の2012年12月に第2次安倍晋三政権が発足。アベノミクスを打ち出した安倍政権は日銀に大規模金融緩和を迫り、白川氏の後任に黒田氏を選んだ。白川氏は13年3月に任期満了を前に辞任した。  
 安倍政権の意向をくんだ黒田氏は「2%の物価安定目標を2年で達成する」と豪語。「金融政策には限界がある」と訴える白川氏の路線を転換させ大規模緩和策に踏み切った。  
 だが、現実には2期10年たっても2%目標は達成できなかった。むしろ円安による物価高の加速や超低金利による産業の新陳代謝の遅れなど、長引く金融緩和の弊害が目立つようになっており、白川氏の主張に分があったと証明する格好になっている。   
 白川氏は、安倍政権と日銀が目指した2%の物価目標について「物価目標は1970年代から80年代初頭のスタグフレーションを受けて誕生したもので、変更不能と考える理由はない」と指摘したうえで、「その限界を知った今こそ金融政策の枠組みを更新するときだ」と見直しの必要性を訴えた。【ワシントン大久保渉】

感想
確かに、過去10年で韓国は年収3倍、日本は5%マイナス。
円安でさらに日本人の年収は国際的も低くなり、貧しい国に。
その貧しい国内でさらに年収200~300万円台の収入層が最頻値になっています。
若者の正規労働先が減少
貧困の連鎖
シングルマザーの悲鳴

一方国がやることはアベノマスクに500億円
防衛費1兆円追加
マイナンバーカードに助成金
国の未来のために税金を使っていません。
東京オリンピックでは談合で少しでも税金のおこぼれを。
そこには政治家への巧妙なキックバックがあったのでしょう。

日本の未来は暗いです。
そんな政党に投票している国民のつけが結局国民に来ているのでしょう。
その政党に投票した人は自分が蒔いた種と思うことでしょう。
その政党に投票しなかった人は、自分で出来ることをするしかないと悟ってやることなのでしょう。

そのうち、日本の土地の多くが中国人などに購入され、土地代を日本人が払うのでしょう。ところが日本人は中国の土地は購入できません。