経済安全保障担当大臣・高市早苗氏の「総務省文書問題」が紛糾し始めてから、まもなく1ヵ月が経とうとしている。
高市氏が「(文書は)捏造だ」と答弁した後に総務省が「行政文書」と認めたり、総務省が「レク(打ち合わせ)があった可能性が高い」と言うと高市氏が「レクを受けたと確認できない」と反論したり……。野党も辞任を要求し続け、本当の「論点」がどこにあるか分からない「泥沼」にはまり込んでしまった。
だが、水掛け論に終始し、放送法が抱える根本的な問題が議論されないのはあまりにもったいない。そもそも放送法には「内容が曖昧すぎる」という致命的な欠陥があり、これを解消しないと同じような問題が何度でも起きる可能性がある。
文献や国会議事録を調べると、放送法には制定当時から「不偏不党」の解釈についての揺らぎがあったことが分かる。
「第1条」では、放送法の目的が定められており、
(1)放送の最大限の普及、
(2)放送の不偏不党、
(3)健全な民主主義の発達、
の3つが掲げられている。
このうち(2)放送の不偏不党については「政府のみが守るべき」なのか、「放送事業者にも要求される」のかという点で、議論が分かれてきた。
「第3条」では「放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない」と定められている。ここを読めば、テレビ局は政府に干渉や規制をされることなく、自由に番組を作ることができる、という理解ができる。
ところが「第4条」では放送事業者に対し「公安及び善良な風俗を害しないこと」「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という4つの原則が提示されている。こうした原則に反するなら、「政府が放送番組に干渉できる」という解釈も可能だ。
では、放送法を所管する総務省はどう解釈しているのか。一つの指針となっているのは、元総務事務次官であった金澤薫氏が記した『放送法逐条解説(改訂版)』だ。金澤氏は「第1条」について、「本条は目的規定である(中略)目的を達成するための具体的な規律の内容については、第2条以下に定められている」と説明している。第1条はあくまで「目的」で、これだけでは具体的な判断はできないということだ。
では、その後の部分を金澤氏はどう解釈しているのか。条文の内容について「規律の重要な事項として不偏不党及び真実を掲げている」と解説しつつ、「しかし、これらの規律を確保するために国が直接放送内容に干渉することは、放送の言論媒体としての性格からできる限り避ける必要がある」と記載されている。
これは「有権解釈」と呼ばれるもので、言うなれば総務省の「公式見解」である。その中で「国が直接放送内容に干渉すること」を避けるべきだと主張しているのだ。 にもかかわらず、条文が曖昧である限りは、政治の力によって解釈が捻じ曲げられる危険性は消えない。憲法が定める「言論の自由」を守るためにも、条文を意味が明確なものに変えていくというところまで、検討していくことが必要なはずだ。 「週刊現代」2023年4月1日・8日号より
感想;
高市大臣が「捏造でなかったら大臣辞める」と明言されているのですから、下記の選択肢しかありません。
1)大臣辞める
2)謝罪する
3)”捏造”という単語を正しく理解していませんでした。と説明しお詫びする。
問題は安倍政権が、サンデーモーニングの放送内容に干渉したことです。
そして当時の高市総務相が「(政権の言う”公平”な内容になっていないと)電波を止める!」と発言したことです。
まさに国が放送内容に干渉すると明言したのです。そのために各放送局は政権に都合の悪いことはダンマリが増えました。NHKなどは受信料を強制的に徴収しているのに、まさに”公平”な内容になってなく、政権の意向を反映しているのに電波は止められません。公平ではなく、政権に都合の良い場合は不公平でも良いが、政権に都合悪いことを発言するなら、政権側を”よいしょ”する人を番組に参加させて発言させなさいということなのでしょう。
そう言えば、ジャニーズ喜多川氏のセクハラは大手マスコミはスルーです。
これは政権ではなく、ジャニーズ事務所ににらまれたくないからでしょう。
結局力を持つものには従うマスコミの姿勢なのかもしれません。
私たちはTVだけの情報では偏った情報になると知っておいて、他からの情報収集に努める必要があるのでしょう。