「正確性については、行政文書であるか否かとは別の概念」──。安倍政権下で総務省が作成した放送法の解釈に関する「行政文書」を巡り、8日の参院予算委員会で高市経済安保相と立憲民主党の小西議員が再び対決。論戦を何度も中断させた「文書は本物、中身は捏造」と認めるような“珍講釈”は、日本政治史を根本から否定する危険性をはらむ。 丸川珠代氏13年前“愚か者Tシャツ”で悪ノリの全貌…ブーメランに「党が反省」と責任転嫁
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この日も高市氏は強気一辺倒で「少なくとも私が登場する4枚については事実ではない」と改めて主張。小西氏に対し「正確なものだということを、反対に立証してください」などと常にケンカ腰で、時には問題の文書を机にたたきつけ、怒りをぶつける場面もあった。
感情をたかぶらせる高市氏に助け舟を出したのは、総務省の幹部たちだ。今川拓郎官房長は「行政文書の中にそういったもの(=捏造)があることは考えにくい」と前置きしながらも、「文書の正確性は別。正確性を確保されたものもあれば、正確性が確保されてないものもあるかと思う」と答弁。禅問答のような解釈のよりどころは、2017年12月の「行政文書の管理に関するガイドライン」の改正だ。
当時の安倍政権は、モリカケ問題や陸自の南スーダン日報問題でズサンな公文書管理が批判を浴びたことを踏まえ、意思決定過程の検証に必要な文書の保存を「原則1年以上」に見直し。 一方、省庁内部や外部との打ち合わせ記録は「可能な限り出席者に発言内容を確認し、正確性の確保を期す」と盛り込んだ。
歴代政権の「黒歴史」がなかったことに…
この努力義務を逆手に取ったのが、8日の総務省幹部の答弁だ。問題の文書の記載内容は14年11月~15年5月のやりとり。「ガイドライン改正の前に作成された文書のため、確認が難しい面がある」(小笠原陽一・情報流通行政局長)との理屈で文書の正確性を暗に認めない。
逃げ場を与えられた高市氏は「ありもしないことを、あったかのように作ることを『捏造』と言うんじゃないか」とエラソーに言い張ったわけだが、「この抜け穴は行政文書の全面否定につながる」と危惧するのは、高千穂大教授の五野井郁夫氏(国際政治学)だ。こう続けた。 「17年12月より前に記された発言内容の判定は困難との解釈を許せば、あらゆる行政文書の正当性が失われます。文科省から『総理のご意向』と記された文書が見つかった加計学園問題に当てはめると、そう迫った内閣府の幹部が『言っていない』と難クセをつければ、当時の菅官房長官が言った通り『怪文書』扱いのままでした。極端に言えば岸信介氏の外交文書内の発言に、安倍元首相が『祖父がこんなこと言うはずがない』とクレームをつける余地を与えるようなもの。都合良く歴史の修正を許す結果を招く恐れがあります」 公文書管理法は、行政文書を「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源」と位置づけ、「現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすること」を国に求めている。 「立法の趣旨に沿えば、時の政権に都合の悪い事実であっても、将来の検証に堪えられるよう包み隠さず記録に残すべき。行政文書を『黒歴史クリーナー』にしてはいけません」(五野井郁夫氏) 高市氏の「捏造」答弁を肯定するためだけに、この国の歴史を破壊するなんて許されない。
感想;
高市大臣は、もう一度日本語を勉強された方が良いのではないでしょうか?
事実でないことがあればすべて捏造とするとおかしくなります。
議事録が正しくない、勘違いした、正確に伝わっていなかった。
すべて”捏造”になります。
捏造は、そこに”故意”があったかどうかです。
意図的に違うことを書いたとすると、それを行政文書として行政側にも問題が生まれます。
高市大臣、捏造の意味、理解されていますか?
正しいかどうかで捏造になりません。
このレベルで大臣になれるのですから、誰でもなれそうです。
いえなれません。
父親が代議士か、大きなバッグがついているか、知名度が高いかが必要でした。
高市大臣のこの言動を見ていると、ある句が浮かびました。
「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉 芭蕉 」
高市大臣、安倍元首相の後ろ盾を失い、誰もフォローしてくれない。
総務省も早々と”正式行政文書”と断言してしまう。
高市大臣が哀れに見えてきました。
ない能力でこれまで必死にやってこられたのかもしれないな・・・。
”哀れ”はしみじみとした心に染み入る感情表現があるので、”気の毒”の方が、いや自分で蒔いた種だから、”情けない”、それより、”悲しい”の方が良いのかも。
部下に対して酷かったとも言われているので、自業自得なのですが、なんかやはり”哀れ”の「かわいそうな状態。無惨な姿」の意味が近いかもしれません。
言葉は難しいです。