NHK特集「恐竜絶滅 ほ乳類の戦い」を見た。
恐竜の時代、人類の祖先であるほ乳類は小さくてネズミの様な姿をしていたらしい。
絶えず恐竜に食べられる危機にさらされ、夜にコソコソ動きまわるだけの存在。
だが転機が訪れた。
6550万年前の隕石の落下だ。
直径10キロの隕石が落ちてきて、チリが巻き起こり、それが大気と摩擦を起こし、地球は炎に包まれた。最大高さ300メートルの津波が3日間に渡って陸地をのみ込んだ。
そして<衝突の冬>が起こり恐竜は絶滅。ほ乳類の時代がやって来た。
この隕石落下の災厄をほ乳類が免れたのはなぜか?
それは<ほ乳類が小さく、胎盤で子供を育てる生物だったから>だそうである。
まず体が小さければ、食料が不十分でも生きていける。巨大な恐竜は生きていけない。
また胎盤で子供を育てるため気候の変動にあまり左右されない。恐竜は卵で子孫を残したが、卵は寒さの影響を受けうまく孵化しない。
なるほど。
余談だが、胎盤で子供を育てるほ乳類が生まれた背景には次の様なことがあったそうだ。
ほ乳類の前身であるネズミは恐竜同様、卵で子孫を残していた。しかし卵は恐竜を始めとする生物に食べられやすい。気候の影響も受けやすい。それを避けるために進化して胎盤を作り、胎盤で育てる様になったそうだ。
この様に進化とは、生物が何とか子孫を残すために生み出された必死の手段なんですね。
さて、隕石の落下により恐竜が滅びた時代。
ほ乳類が全盛とはいえ、まだ敵はいたらしい。
恐竜の生き残り達だ。
ひとつはワニの先祖。彼らは水の中に逃れたために気候の変動に拠る被害をあまり受けずに済んだ。
そしてもうひとつは鳥の先祖(=ガストルニス)。
知らなかったが、何と鳥は恐竜の進化した姿なのだそうだ。(確かにあの鋭い爪を持った三本指の足などは恐竜を思わせる)
ではなぜ恐竜は鳥という形で生き残ったか?
それは恐竜の中に巨大な羽根の様なものを持った種類がおり、その羽根で卵を覆って寒さから守ったから。
なるほど、羽根にはそんな意味があったんですね。
そして、この羽根には先程のほ乳類の胎盤と同じことが言える。
すなわち、子孫を遺すためにほ乳類が<胎盤>を持った様に恐竜も<羽根>を持った。
こうして何億年にも及ぶ生物の進化の歴史を見ていると、生物がなぜ生きるのかがわかる気がします。
つまり<子孫を残すこと><自分のDNAを遺すこと>。
生物はこのために必死に生き、自らの体の形を変えて進化していくんですね。
それは同じ生物である人間も同じ。
自分のDNAを遺すために生きている。
ただ人間という生き物は複雑で、子供を産んでDNAを遺すこと以外に様々なことをする。
たとえば歴史に名を刻みたいと思うこと。巨大建築物を造って自分の代わりの存在を遺すこと。本を書いて自分の考えを遺すことなどなど。
本当に人間って複雑だ。
また、この様に人間の様々な営みも<自分のDNAを遺す>という見地で考えると、わりとシンプルに見えてきますね。
※追記
<進化>についても人間はいろいろなことをする。
たとえば
人間には羽根がない。だから飛行機を造り出そうとする。
人間は水中で生活できない。だからアクアラングや潜水艦を造る。
人間は鋭い牙がない。だから武器を造る。
これはある意味、恐るべきことだ。
なぜなら他の生物は羽根を作るために、水中で生活するために、鋭い牙を得るために<進化>という何万年もの時間を使う。
ところが人間は?
鳥が何万年もかけて生み出した羽根を<飛行機>という形でほんの三十年ぐらいで作っている。
さて、この様な人間は今後どうなって行くのだろう?
人間には天敵はいないのだろうか?恐竜を滅ぼした様な隕石は降ってこないのだろうか?
人間を<生物><自然>の一部として見なければならない時代が来ている。
そして、もうひとつ認識しなければならないのは、今自分が生きているということは何億年前のネズミから必死に命を繋いできた結果だということだ。
こう考えると、自分の命って崇高で奇跡に近いものの様に思えてくる。
恐竜の時代、人類の祖先であるほ乳類は小さくてネズミの様な姿をしていたらしい。
絶えず恐竜に食べられる危機にさらされ、夜にコソコソ動きまわるだけの存在。
だが転機が訪れた。
6550万年前の隕石の落下だ。
直径10キロの隕石が落ちてきて、チリが巻き起こり、それが大気と摩擦を起こし、地球は炎に包まれた。最大高さ300メートルの津波が3日間に渡って陸地をのみ込んだ。
そして<衝突の冬>が起こり恐竜は絶滅。ほ乳類の時代がやって来た。
この隕石落下の災厄をほ乳類が免れたのはなぜか?
それは<ほ乳類が小さく、胎盤で子供を育てる生物だったから>だそうである。
まず体が小さければ、食料が不十分でも生きていける。巨大な恐竜は生きていけない。
また胎盤で子供を育てるため気候の変動にあまり左右されない。恐竜は卵で子孫を残したが、卵は寒さの影響を受けうまく孵化しない。
なるほど。
余談だが、胎盤で子供を育てるほ乳類が生まれた背景には次の様なことがあったそうだ。
ほ乳類の前身であるネズミは恐竜同様、卵で子孫を残していた。しかし卵は恐竜を始めとする生物に食べられやすい。気候の影響も受けやすい。それを避けるために進化して胎盤を作り、胎盤で育てる様になったそうだ。
この様に進化とは、生物が何とか子孫を残すために生み出された必死の手段なんですね。
さて、隕石の落下により恐竜が滅びた時代。
ほ乳類が全盛とはいえ、まだ敵はいたらしい。
恐竜の生き残り達だ。
ひとつはワニの先祖。彼らは水の中に逃れたために気候の変動に拠る被害をあまり受けずに済んだ。
そしてもうひとつは鳥の先祖(=ガストルニス)。
知らなかったが、何と鳥は恐竜の進化した姿なのだそうだ。(確かにあの鋭い爪を持った三本指の足などは恐竜を思わせる)
ではなぜ恐竜は鳥という形で生き残ったか?
それは恐竜の中に巨大な羽根の様なものを持った種類がおり、その羽根で卵を覆って寒さから守ったから。
なるほど、羽根にはそんな意味があったんですね。
そして、この羽根には先程のほ乳類の胎盤と同じことが言える。
すなわち、子孫を遺すためにほ乳類が<胎盤>を持った様に恐竜も<羽根>を持った。
こうして何億年にも及ぶ生物の進化の歴史を見ていると、生物がなぜ生きるのかがわかる気がします。
つまり<子孫を残すこと><自分のDNAを遺すこと>。
生物はこのために必死に生き、自らの体の形を変えて進化していくんですね。
それは同じ生物である人間も同じ。
自分のDNAを遺すために生きている。
ただ人間という生き物は複雑で、子供を産んでDNAを遺すこと以外に様々なことをする。
たとえば歴史に名を刻みたいと思うこと。巨大建築物を造って自分の代わりの存在を遺すこと。本を書いて自分の考えを遺すことなどなど。
本当に人間って複雑だ。
また、この様に人間の様々な営みも<自分のDNAを遺す>という見地で考えると、わりとシンプルに見えてきますね。
※追記
<進化>についても人間はいろいろなことをする。
たとえば
人間には羽根がない。だから飛行機を造り出そうとする。
人間は水中で生活できない。だからアクアラングや潜水艦を造る。
人間は鋭い牙がない。だから武器を造る。
これはある意味、恐るべきことだ。
なぜなら他の生物は羽根を作るために、水中で生活するために、鋭い牙を得るために<進化>という何万年もの時間を使う。
ところが人間は?
鳥が何万年もかけて生み出した羽根を<飛行機>という形でほんの三十年ぐらいで作っている。
さて、この様な人間は今後どうなって行くのだろう?
人間には天敵はいないのだろうか?恐竜を滅ぼした様な隕石は降ってこないのだろうか?
人間を<生物><自然>の一部として見なければならない時代が来ている。
そして、もうひとつ認識しなければならないのは、今自分が生きているということは何億年前のネズミから必死に命を繋いできた結果だということだ。
こう考えると、自分の命って崇高で奇跡に近いものの様に思えてくる。