平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

恐竜絶滅 ほ乳類の戦い 生物はDNAを遺すために生きている

2010年08月04日 | ドキュメンタリー
 NHK特集「恐竜絶滅 ほ乳類の戦い」を見た。
 恐竜の時代、人類の祖先であるほ乳類は小さくてネズミの様な姿をしていたらしい。
 絶えず恐竜に食べられる危機にさらされ、夜にコソコソ動きまわるだけの存在。
 だが転機が訪れた。
 6550万年前の隕石の落下だ。
 直径10キロの隕石が落ちてきて、チリが巻き起こり、それが大気と摩擦を起こし、地球は炎に包まれた。最大高さ300メートルの津波が3日間に渡って陸地をのみ込んだ。
 そして<衝突の冬>が起こり恐竜は絶滅。ほ乳類の時代がやって来た。

 この隕石落下の災厄をほ乳類が免れたのはなぜか?
 それは<ほ乳類が小さく、胎盤で子供を育てる生物だったから>だそうである。
 まず体が小さければ、食料が不十分でも生きていける。巨大な恐竜は生きていけない。
 また胎盤で子供を育てるため気候の変動にあまり左右されない。恐竜は卵で子孫を残したが、卵は寒さの影響を受けうまく孵化しない。
 なるほど。
 余談だが、胎盤で子供を育てるほ乳類が生まれた背景には次の様なことがあったそうだ。
 ほ乳類の前身であるネズミは恐竜同様、卵で子孫を残していた。しかし卵は恐竜を始めとする生物に食べられやすい。気候の影響も受けやすい。それを避けるために進化して胎盤を作り、胎盤で育てる様になったそうだ。
 この様に進化とは、生物が何とか子孫を残すために生み出された必死の手段なんですね。

 さて、隕石の落下により恐竜が滅びた時代。
 ほ乳類が全盛とはいえ、まだ敵はいたらしい。
 恐竜の生き残り達だ。
 ひとつはワニの先祖。彼らは水の中に逃れたために気候の変動に拠る被害をあまり受けずに済んだ。
 そしてもうひとつは鳥の先祖(=ガストルニス)。
 知らなかったが、何と鳥は恐竜の進化した姿なのだそうだ。(確かにあの鋭い爪を持った三本指の足などは恐竜を思わせる)
 ではなぜ恐竜は鳥という形で生き残ったか?
 それは恐竜の中に巨大な羽根の様なものを持った種類がおり、その羽根で卵を覆って寒さから守ったから。
 なるほど、羽根にはそんな意味があったんですね。
 そして、この羽根には先程のほ乳類の胎盤と同じことが言える。
 すなわち、子孫を遺すためにほ乳類が<胎盤>を持った様に恐竜も<羽根>を持った。

 こうして何億年にも及ぶ生物の進化の歴史を見ていると、生物がなぜ生きるのかがわかる気がします。
 つまり<子孫を残すこと><自分のDNAを遺すこと>。
 生物はこのために必死に生き、自らの体の形を変えて進化していくんですね。
 それは同じ生物である人間も同じ。
 自分のDNAを遺すために生きている。
 ただ人間という生き物は複雑で、子供を産んでDNAを遺すこと以外に様々なことをする。
 たとえば歴史に名を刻みたいと思うこと。巨大建築物を造って自分の代わりの存在を遺すこと。本を書いて自分の考えを遺すことなどなど。
 本当に人間って複雑だ。
 また、この様に人間の様々な営みも<自分のDNAを遺す>という見地で考えると、わりとシンプルに見えてきますね。
 
※追記
 <進化>についても人間はいろいろなことをする。
 たとえば
 人間には羽根がない。だから飛行機を造り出そうとする。
 人間は水中で生活できない。だからアクアラングや潜水艦を造る。
 人間は鋭い牙がない。だから武器を造る。
 これはある意味、恐るべきことだ。
 なぜなら他の生物は羽根を作るために、水中で生活するために、鋭い牙を得るために<進化>という何万年もの時間を使う。
 ところが人間は?
 鳥が何万年もかけて生み出した羽根を<飛行機>という形でほんの三十年ぐらいで作っている。
 さて、この様な人間は今後どうなって行くのだろう?
 人間には天敵はいないのだろうか?恐竜を滅ぼした様な隕石は降ってこないのだろうか?
 人間を<生物><自然>の一部として見なければならない時代が来ている。

 そして、もうひとつ認識しなければならないのは、今自分が生きているということは何億年前のネズミから必死に命を繋いできた結果だということだ。
 こう考えると、自分の命って崇高で奇跡に近いものの様に思えてくる。


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爆笑問題のニッポンの教養 オカルトは救いのシステム

2010年06月25日 | ドキュメンタリー
 爆笑問題のニッポンの教養。
 今回は「京都パワースポット」。
 安倍晴明の式神で有名な一条戻り橋や深泥池(みぞのがいけ)、貴船神社などが紹介された。
 そこで紹介されたことは戻り橋や深泥池を境にして、この世とあの世の境目があること。
 貴船神社の家来は鬼で、貴船神社の神様は人々の呪いを聞いてくれる神様であることなど。

 それにしても人間はなぜこの様なオカルトなものを求めるのであろう?
 番組ではこう考察していた。
 ひとつは<現実では説明できない出来事を説明する手段であったこと>。
 確かに不可解なことも鬼や神様の仕業と考えれば説明が出来る。
 第二は<人間には現実から抜け出して違う異世界に行きたいという思いがあること>。
 戻り橋や深泥池を渡れば、異世界に行ける。
 現実で息苦しい思いをして生きている人には<異世界>の存在は救いであっただろう。
 戻り橋や深泥池の伝説は人間が楽に生きるための救いのシステムだったのだ。
 それは貴船神社の呪いを受け入れてくれる神様も同じ。
 憎らしいヤツを懲らしめてほしいと願掛けすることによって、人間の憎しみの気持ちは少しは軽減される。
 神道の言葉で言えば<浄化>される。憎しみ、怒りという穢(けが)れの感情を祓う。
 貴船神社も人間が楽に生きるためのシステムだったのだ。

 こうして見ていくと、オカルトや伝説も人間というものを表現していてなかなか面白い。

 最後に爆笑問題の太田さんのコメント。
 「現代のネット空間も異世界ではないか?」
 なるほど、ネットの世界に入れば様々な人に出会えますからね。
 喜びだけでなく、怒りや憎しみの言葉も溢れている。
 ブラックなサイトに行けば、鬼や妖怪のような人間にも出会える。

 現実が息苦しくなったら、ネットやオカルトの世界に逃げ込むのもひとつの手段。
 それにしても人間の営みというのは面白い。


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情熱大陸 農業のススメ

2010年06月18日 | ドキュメンタリー
 「情熱大陸」でフランスで農業を営む山下朝史さんの話をやっていた。
 山下さんの野菜はフランスの三つ星レストランのシェフたちに大好評だと言う。
 シェフ達は山下さんの野菜を通常の五倍の価格で買い、品がないときは「出来た時でいいから持ってきてほしい」と言って待っていると言う。
 山下さんの野菜のクォリティが高く、シェフ達の料理を作るインスピレーションを刺激するからだ。
 僕はここにも日本の将来のあり方があると思う。
 お金を右から左に動かすだけで利益を得る金融資本主義社会は間違っていると思う。

 山下さんの野菜生産量はわずかだ。収入もそれほど多くない。
 だが山下さんは語る。
 「たくさん作ればクォリティを維持できない。それよりもシェフが喜んでくれて、心が通じ合える方がいい」
 これにも共感。
 番組は違うが、先週の「太田総理」では俳優のえなりかずきさんが日本がGDP世界3位になることを憤っていたが、そんなことよりわれわれ個人ひとりひとりが山下さんのような仕事を世界ですることの方が意味があるのではないか。
 フランスのシェフは山下さんの野菜を尊敬し、山下さんは自分の作った野菜の味を活かして作るシェフ達の料理を尊敬する。
 そんな人間関係を世界で結ぶことの方が大事。
 もちろんお金は大事だけれども、いくら稼いだかで一喜一憂することほど愚かなことはない。

 また山下さんは農業についてこうも語る。
 「農業は野菜と向き合う仕事。そして野菜と向き合いながら自分と対話している。だから(他人と関わる時のように)物怖じしたり、自己卑下したり、傲慢になったりすることが自然と避けられているような気がする」
 なかなか含蓄のある言葉だ。
 他人相手の仕事が苦手な人には農業が向いているかもしれない。
 地道に野菜と向き合い、自分と向き合う。
 どうしたら美味しいものが出来るかを野菜と自分と対話して作っていく。
 農業は本当にクリエイティブな仕事だ。
 日本の職人芸、ここにありという感じだ。


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奇跡の地球物語 野菜は必死に生きている。

2010年05月25日 | ドキュメンタリー
 キャベツ、大根などはアブラナ科の植物らしい。
 これらは人間がアブラナを改良して作った野菜。
 ではなぜアブラナなのか?
 それはアブラナが油成分が多くて苦く、他の動物が食べなかったから。
 ではなぜ人間がそんな他の動物が食べないような物を?
 それは人間の身体能力が他の動物に比べて低く、残り物のアブラナしか食べられなかったから。
 なるほどねえ!
 でも人間がすごい所は、その食べづらいアブラナを改良して、食べられる野菜を作ったこと。
 野菜ひとつをとってみても、壮大な歴史がある。
 生きるために戦い、工夫してきた歴史がある。

 テレビ朝日 日曜・夕方6時30分の「奇跡の地球物語」では、この他にもこんな野菜の紹介をしていた。
 トマトだ。
 トマトの種が詰まっているゼリー状の部分には糖分やグルタミン酸(=いわゆる味の素)が含まれていると言う。
 なぜ、これらの物質が含まれているか?
 それは動物に食べてもらうため。
 ええっ、なぜ!?
 それはこういうことらしい。
 トマトの実は食べられるが、種は消化されずに糞(ふん)として排出される。
 実を食べる鳥や動物は様々な土地を移動するから、種は別の場所に運ばれる。
 その場所で発芽できる。
 またトマトのゼリー状のネバネバには発芽抑制効果があるらしい。
 これにより寒い冬での発芽が抑制される。

 何というトマトの智恵だろう!
 赤いあいつがそんなことを考えていたなんて。
 僕も家庭菜園をやっていて、収穫目前のトマトを鳥に持っていかれて悔しい思いをしたことがあったけど、それはトマトの摂理にかなっていた! トマトが望んでいたことだった!
 そう考えると、持っていかれたことも何だかうれしくなる。

 それにしても生物は生きるために一生懸命なんですね。
 世の中に真実があるとすれば、それは次の様なことではないでしょうか?
 <生物は生きるために一生懸命がんばる><種を残すことに必死になる>
 生物はそのために生きている。
 それはアブラナを改良して野菜にした人間もそう。
 改良したことは生きるための必死の努力。
 だが、一方で人間は自然の摂理から外れた生き物でもあるんですね。
 アブラナを野菜にしただけでは物足りなくてもっと美味しい物を求める。
 食べられるだけで満足しないで、自動車とか娯楽とか様々な物を求める。
 種の保存のためだった生殖は本来の目的を離れて、快楽のために使われる。
 自然の摂理から外れた人間は、まだ地球に許容量があるうちは許されたけれど、もはや地球を壊すほどの存在になっている。
 自然災害やウイルスはそんな地球の警鐘かもしれない。


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イースター島の巨大地下洞窟~人類への警鐘

2010年05月18日 | ドキュメンタリー
 ナショナル・ジオグラフィック「イースター島 巨大地下洞窟の秘密」を見た。
 モアイ像で有名なイースター島には溶岩が流れ込んで出来た地下洞窟がいくつもあるらしい。
 そこには人が住んでいて、戦闘の跡がある。砕け傷ついた人骨がある。人を食べた痕跡もある。
 これはどういうことか?

 かつてイースター島はヤシが生い茂り、海鳥や植物の豊かな南海の楽園であったらしい。
 しかし現在は植物は草程度のものしかなく、岩肌が露出する荒涼たる大地である。
 こうなった原因はヤシなどの木々の極端な伐採。
 祖先を祭るモアイ像を作るために、木々は巨石を運ぶ枕木やテコに使われたらしい。
 その伐採と繁殖したネズミが木々の実を食べたことが原因となって、島から木がなくなってしまったのだ。
 結果どうなったか?
 食糧危機である。
 ヤシの実やバナナはなくなり、今まで木々が支えていた豊かな土が雨などで流されたため、作物が育たなくなった。
 イースター島に移り住んできた人々は家畜を舟で連れてくるという風習がなかったため、ブタなどの家畜はおらず、海は溶岩の岩肌で魚が集まりづらいものだった。
 その結果、食料の奪い合いが起こり、争いが絶えなくなった。
 人々が地下洞窟に住むようになったのも戦いから身を守るため。
 砕け傷ついた人骨はもちろん戦いの跡。
 そして飢えを凌ぐため、人を食べた……。

 僕にとってイースター島のモアイ像って、不思議がいっぱいのロマンであった。
 しかし、このモアイ像が原因でこんな悲惨な歴史が繰り広げられていたとは!

 このイースター島の歴史は人類への警鐘である。
 建造物を造るために、自然破壊を行い、結果、食糧危機と争いが起こる。
 現在は二酸化炭素の大量排出で砂漠化が起きているが、イースター島で起きたことが地球規模で展開されている。
 「星の王子さま」で王子さまが言っているように、バオバブの芽は早いうちに摘んでおかなくてはならない。
 そうしないとバオバブはどんどん大きくなり、星を破壊してしまう。

 人間は今こそ歴史に学んで賢くなる時である。


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雨にも負けぬサラリーマン 宮沢賢治 最期の二年半

2010年05月14日 | ドキュメンタリー
 歴史秘話・ヒストリア『雨にも負けぬサラリーマン 宮沢賢治 最期の二年半』。

 番組では賢治が亡くなる前、東北砕石工場で営業マンとして働いていたサラリーマン時代を紹介していた。
 このサラリーマン時代を賢治は結構楽しんでいたようですね。
 石灰肥料を売るために
・ダイレクトメールを送った。
・肥料の効果を裏づけるために大学教授のお墨付きをもらった。
・コピーを考えた。
 など、現在では当たり前だが、当時としては珍しい独創的なことをやっていた。
 賢治は新しい農作物として観賞用のチューリップを育てたりしましたが、結構ハイカラ、新しいもの好きなんですね。
 それが、このサラリーマン時代の仕事にも現れている。

 仕事への取り組み方も賢治らしい。
 彼が仕事をするのは<まわりの人の力になりたい>から。
 賢治が石灰肥料の注文をとってくれば、砕石工場の人たちの生活が潤う。
 当時の岩手県の土壌は作物が育ちにくい酸性で、自分が営業しているアルカリ性の石灰肥料を撒くことで、作物が豊かに実る。結果、農民の生活が豊かになる。
 他人の役に立てて賢治は幸せであったことでしょう。
 だからがんばった。
 こうと決めたら突っ走る人だったから体を壊すまでがんばった。

 番組では、そんな賢治を彼の作品「グスコーブドリの伝記」を使ってさらに掘り下げた。
 冷害から人々を救うために自らを犠牲にして火山を爆発させたグスコーブドリ。
 賢治の最初の原稿では、ラストは自ら犠牲になったグスコーブドリを人々は「ほめ讃えた」というものだったらしい。
 だが最終的には、その部分を削除した。
 グスコーブドリは人々にほめられるために犠牲になったわけではないからだ。ほめられるためにやったのなら、それは<無私の行為>でなくなってしまう。

 そんな賢治を人は<偽善者>と呼ぶかもしれない。
 でも僕はここに賢治の葛藤を感じる。
 実は賢治はみんなにほめられたかったのだ。賞賛されたかったのだ。
 生前、文学者として認められず、農民としても挫折した賢治。
 賢治は心の奥底では、文学者として成功したい、農民としての自分の理想を理解してほしいと思っていたはずだ。
 だから「グスコーブドリ」の最初の稿では「ほめ讃えられた」と書いた。
 だが、それを否定する自分もいた。
 『法華経』の信者であった賢治は<無私><無償の愛>を理想とした。
 世の中で成功したいという思いと<無私><無償の愛>という理想の間で賢治は葛藤していたのだ。

 番組でも紹介されていたが、賢治の詩「雨ニモ負ケズ」にはこんな終わり方をする。

 ミンナニデクノボートヨバレ
 ホメラレモセズ
 クニモサレズ
 ソウイウモノニ
 ワタシハナリタイ

 でくの坊と呼ばれ、褒められもせず苦にもされない存在。
 そういうものに私はなりたいと書かれた「雨ニモ負ケズ」は、成功したい、認められたいという煩悩に悩む賢治の希求を表現した詩だったのだろう。
 賢治は自分の中の欲望と必死に戦っていたのだ。


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