少し前、ツイッターでこんなツィートを見かけた。
『権利って生まれながらに持っているものではなくて国から与えられるものやぞ。
だから犯罪者は拘束されて生きる権利を制限されるし、死刑にされる奴は生きる権利を失う。
ルールを守らない人間に生きる権利などないんやぞ』
はあ……。
どうして自ら人権を放棄するのかな?
今の人権って、過去の人々が戦って勝ち取って来たものだぞ。
たとえばフランス革命。
それを自ら放棄して「国家」に委ねてしまうなんて。
犯罪者や死刑囚の例を出しているが、それは法律論だ。
確かに法律は生きる権利を制限するが、ベースには「人権」の思想がある。
人権に照らし合わせて、その刑が妥当かどうかが判断される。
根底に「人権思想」があるから裁判制度、再審制度、裁判員制度があり、
推定無罪、拷問NG、取り調べの可視化などが設定された。
死刑については、人権に照らし合わせて妥当かどうかが常に議論されているし、世界のほとんどの国が死刑廃止だ。
だから上の論拠は非常に表面的だ。
………………………………………………………
先程のツィートを擁護するこんな意見もある。
『「基本的人権はright なので生まれながらにもっているものです」というのは事実の描写ではなくあくまで思想、もしくは宗教的教義なので、その思想や教義をシェアしている人には通じるけど、シェアしていない人には通じないよ。
だから元ツイのように考える人も出てくるのは当然』
そのとおり。
基本的人権・天賦人権論は宗教的教義ではないが、「思想」だ。
思想であるがゆえに、書き換えられたり、霧散する可能性がある。
だから「その思想をシェアしていない人」から守らなくてはならない。
先人が勝ち取って来た「基本的人権」を後の世代に受け渡すのが
今を生きる大人の役割だと思うのだが、どうだろう?
『生まれながらに与えられた権利って何か意味があるんですか?
組織に与えられるからこそ価値があり、意味があると思うのですが。
人権=自然権的な考えは理解できますが無管理者がいない社会、コミュニティなどありませんし。
アンチではなく単純な疑問です』
つまり無政府・無秩序状態では「人権」もへったくれもない、という考え方だ。
確かにそのとおりだ。
だが、ここで見失ってはいけないのは「主人は我々だ」という視点だ。
無政府・無秩序状態にならないために、僕たちは警察などの行政に税金を払い、ある程度の力の行使を委ねている。
だから、
「政府の皆さん、私たちの人権を守ってくださってありがとうございます。だから、そのお礼に政府の言うことには何でも従います」
という奴隷意識ではなく、
「私たちは主人である。だから政府は私達の人権を守るために全力で働け。少しでもおかしなことをしたらクビにするぞ」
という主人意識が正しい。
繰り返すが、僕たちは主人で、秩序を守るために警察官などを税金で雇っている。
それが機能しないのなら、税金を払うのをやめて警備員を雇う。
ただ個人の資産では限界があるから、税金を出し合って警察という組織を作っている。
これが現代の社会システムだ。
いろいろ書いて来たが、
人権を決して他者に委ねてはいけない。
自ら奴隷になるなど愚かなことだ。
『権利って生まれながらに持っているものではなくて国から与えられるものやぞ。
だから犯罪者は拘束されて生きる権利を制限されるし、死刑にされる奴は生きる権利を失う。
ルールを守らない人間に生きる権利などないんやぞ』
はあ……。
どうして自ら人権を放棄するのかな?
今の人権って、過去の人々が戦って勝ち取って来たものだぞ。
たとえばフランス革命。
それを自ら放棄して「国家」に委ねてしまうなんて。
犯罪者や死刑囚の例を出しているが、それは法律論だ。
確かに法律は生きる権利を制限するが、ベースには「人権」の思想がある。
人権に照らし合わせて、その刑が妥当かどうかが判断される。
根底に「人権思想」があるから裁判制度、再審制度、裁判員制度があり、
推定無罪、拷問NG、取り調べの可視化などが設定された。
死刑については、人権に照らし合わせて妥当かどうかが常に議論されているし、世界のほとんどの国が死刑廃止だ。
だから上の論拠は非常に表面的だ。
………………………………………………………
先程のツィートを擁護するこんな意見もある。
『「基本的人権はright なので生まれながらにもっているものです」というのは事実の描写ではなくあくまで思想、もしくは宗教的教義なので、その思想や教義をシェアしている人には通じるけど、シェアしていない人には通じないよ。
だから元ツイのように考える人も出てくるのは当然』
そのとおり。
基本的人権・天賦人権論は宗教的教義ではないが、「思想」だ。
思想であるがゆえに、書き換えられたり、霧散する可能性がある。
だから「その思想をシェアしていない人」から守らなくてはならない。
先人が勝ち取って来た「基本的人権」を後の世代に受け渡すのが
今を生きる大人の役割だと思うのだが、どうだろう?
『生まれながらに与えられた権利って何か意味があるんですか?
組織に与えられるからこそ価値があり、意味があると思うのですが。
人権=自然権的な考えは理解できますが無管理者がいない社会、コミュニティなどありませんし。
アンチではなく単純な疑問です』
つまり無政府・無秩序状態では「人権」もへったくれもない、という考え方だ。
確かにそのとおりだ。
だが、ここで見失ってはいけないのは「主人は我々だ」という視点だ。
無政府・無秩序状態にならないために、僕たちは警察などの行政に税金を払い、ある程度の力の行使を委ねている。
だから、
「政府の皆さん、私たちの人権を守ってくださってありがとうございます。だから、そのお礼に政府の言うことには何でも従います」
という奴隷意識ではなく、
「私たちは主人である。だから政府は私達の人権を守るために全力で働け。少しでもおかしなことをしたらクビにするぞ」
という主人意識が正しい。
繰り返すが、僕たちは主人で、秩序を守るために警察官などを税金で雇っている。
それが機能しないのなら、税金を払うのをやめて警備員を雇う。
ただ個人の資産では限界があるから、税金を出し合って警察という組織を作っている。
これが現代の社会システムだ。
いろいろ書いて来たが、
人権を決して他者に委ねてはいけない。
自ら奴隷になるなど愚かなことだ。
記事の作成お疲れ様です
権利は国から与えられる物って言うのがおかしいですね。人権は元々生まれ持った
物です。国、国と言うのが右翼的な考えです。
余談ですみません。自民が何故マイナカードに固持する理由が判明。マイナカード
事業に企業4社が自民へ5.8憶円を献金していた事が分かりました。此れは癒着
してたと言う事。トラブル続出でも何ふり構わず推進して行く訳です。
何しろ、我が国の人口の一割半のロスジェネ世代はまともな生活を送るのは難しいです。
これで人権の尊さを理解するって難しいです。
マイナンバーの一件でも政府は柔軟性を失っていて、まともな統治力があるか疑問です。
隣の韓国何て自殺者(特に若年層)は日本よりも酷いです。
「人間があつまって国家を作るのであって、国家が細胞分裂して人間になるわけではない.どちらの方が大切かは自明でしょう」
右寄り的な愛国者の人たちと話していてつくづく思うのは…
1.日本の国家はスゴい
2.日本民族はスゴい
3.オレも日本人だからスゴい
このあたりのヘンテコな論理ですね。
日本人だからスゴいのではなくて、人格や能力が優れているからスゴい、という当たり前のことが忘れられています。
なので「オオタニさんはスゴいから、オレ様も同じ日本人だからスゴい」となるわけです。
まあ、現実社会で議論すると取っ組み合いになりかねないので、ニコニコ笑って受け流していますが、そろそろヤバい閾に達しつつあるのかもしれません。
いつもありがとうございます。
・個人<国家 なのか?
・個人>国家 なのか?
これで人の思想信条が大きく変わって来るんですよね。
では「国家」とは何か?
半沢さんがマイナカードの利権のことを書かれていましたが、税金で甘い汁を吸う連中が仕切っている集合体のような気がします。
そんな連中のために奴隷のように働かされたり、戦争に行きたくないですよね。
太平洋戦争末期、戦争指導者たちは「国体護持」のため、終戦をどんどん遅らせていきました。
苦しんでいる国民のために早く終戦の決断をすればよかったのですが、ずるずる遅らせた結果、沖縄戦や広島、長崎への原爆投下。
あるいは、ソ連が満州に攻めて来た時、関東軍は国民を見捨てて真っ先に逃げました。
これが「国家」の本質のような気がします。
いつもありがとうございます。
>今の社会はひっ迫して可笑しくなっている証拠です。
本当におかしくなっていますよね。
・マイナンバーカード、万博などをマトモに運営できない日本。
・オリンピックで発覚した汚職ばかりの日本。
・経済成長できず、実質賃金は下がり、ひとりあたりのGDPでは韓国、台湾に抜かれている日本。
・ここで今までのやり方を改めて、方向転換をしなくてはいけないのに同じことをやっている。
さて、この負のエネルギーはどこに向かうのでしょうか?
まあ、ロギーさんは韓国の自殺者のことを書かれていましたが、こうした行き詰まり感は日本だけではないんでしょうね。
人類自体がヤバくなっている気がします。
いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、
愛国的な人たちにとっては「日本=自分」なんですよね。
だから「美しい日本」「すごい日本」でなくてはならないので、自分には直接関係ないのに、慰安婦を否定したり、過去の日本の戦争を美化したりする。
あるいは、おっしゃるとおり
「日本人だから俺スゴい」ではなく、「自分の仕事や能力や人格がすぐれているから俺スゴい」になってほしいですよね。
自分が大谷翔平のような存在になってやる、という気概をぜひ持ってもらいたいものです。
これが「個人」として生きるということなのですが、それは結構しんどいんですよね。
だからつまらない自分を忘れるために、大きなものに委ねようとするのかもしれません。
ネット愛国的な人って、社会経済や国家としての日本と、民族や文化としての日本が、きちんと区別できない人が多いんです。
「日本の社会システムには、まだまだ改善できる部分があるよね」という話をしても、「日本には四季がある、文化も芸術も優れている、世界から尊敬されているスゴい国なんだ」といった話になってしまい、まるでかみ合わず、挙げ句の果てに「おまえは反日か」ということになってしまうんです。
彼らの意識の中では、国家も文化も政治経済もゴチャゴチャに一体化していて、切り分けができていないんですね。
この「癒着した日本像」を切り分けて整理するのに、アイヌや沖縄といった、周縁部の文化の存在は、本来効果的なはずなんですが、ネット愛国的な人って、こういう周縁部の文化は、排除か無視です。
確かに、ごっちゃにして語っていますよね。
僕は日本の政治や経済を批判しますが、文化は否定しませんし。
それに政治や経済を批判するのは、日本が良くなってほしいから、このままだとどんどん衰退してしまうという「愛国的な思い」からなのですが、パヨクで一括りにされている感じがします。
それに自国の「文化」に誇りと愛情を持っていれば、他国や他民族の「文化」も興味を持つものなんですけどね。
「あ~、日本とぜんぜん違うんだ? 面白いな」と思ったり、他国の文化を知ることで、日本文化をより深く知ることもできるのに。
偏狭で排他的な姿勢は人生の豊かさを疎外しますよね。
ただ、明治維新はかなり罪作りなことをしていて、たとえば、国家神道というやっかいなものを生み出してしまいました。
アニミズム文化としての素朴な神道に、愛国的社会システムを組み合わせて、神社合祀をやったり、官幣社システムをつくったりしたために、神道って、単純な伝統文化とはとても言えない、わけの分からないキメラになっていますね。
個人的には「日本的なビザンチンハーモニー」と解釈しています。
なので、日本とロシアは社会システムが意外に近い存在で、相性がいいのではないかと思っています。
なので将来的には日露同盟の可能性も…
って、またそんな話になってますね(笑)…
>国家神道というやっかいなものを生み出してしまいました。
要するに「神道の政治利用」なんですよね。
・国家を束ねるために天皇が必要。
・天皇の権威づけるために「国家神道」なるものを作り出した。
神道に限らず、古今東西、政治と宗教は結びついて来ました。
現在でもそれは厳然として存在していて、たとえば神社本庁、創価学会、そして統一教会。
故・安倍晋三氏を神様に、という動きもあるようですし。
人が集団をつくれば政治的になるのは免れませんが、「政教分離」は理念でしかないんですかね。