宮廷から解放されて自由になったまひろ(吉高由里子)。
しかし、自由とは不安になることでもある。
解放されて一時の高揚感を得られるが、やがて自分が何者であるか、わからなくなる。
たとえば会社員は会社に勤めている時は「会社員」でいられる。
母親は子育てをしていれば「母親」でいられる。
それらがなくなった時、自分は何者なの? と考え始める。
まひろは自分の思いを周明(松下洸平)に語った。
道長(柄本佑)については、
「あの人はわたしに書くことを与えてくれたの。
書いたものを大勢の人に読まれる歓びを与えてくれた。
私が私であることの意味を与えてくれたのよ」
現在の気持ちについては、
「もう私には何もないの。
あの人に役立てることは何もない。
都にも私の居場所がない。
何かを書く気力もない。
わたしは終わってしまったの。
終わってしまったのに、それを認められないの」
今作の特徴は登場人物が多くを語らないことだが、今回のまひろは多弁だった。
自分の思いを素直に語った。
まひろは「自分探し」をしている。
いや、もはや自分探しをする気力がなくなっている。
まひろは完全に燃え尽きてしまった。
自分には何もないと嘆くまひろに周明はこう語る。
「まだ命がある。これから違う生き方ができる」
「書くことはどこででもできる。紙と筆と墨があれば。都でなくても」
さて、まひろは「第二の人生の自分探し」にどう結論を出すのか?
周明の言葉と死はまひろに何をもたらすのか?
太宰府に戻った時、周明は何を語ろうとしていたのか?
おそらく、まひろはまた何かを書き始めるのだろう。
まひろの生涯は「書くことがすべて」だったから。
では何を書くのか?
その答えは次回。
※追記
枯れてしまったまひろと対照的に、書くことに意欲旺盛な赤染衛門(凰稀かなめ)。
発注は道長の物語だったのに、宇多天皇の時代から書き始めた!
余裕があれば、藤原氏が隆盛を誇るきっかけとなった大化の改新から書きたかったらしい。笑
赤染衛門が書きたかったのは、仮名による壮大な歴史書!
まひろより年齢が上だと思うけど、赤染衛門のこのパワーはすごい。
まひろ、枯れている場合ではないぞ。
それと「栄花物語」の成立をこんなふうに解釈するとは!
※追記
紫式部の後半生や殁年は明らかになっていないので、太宰府パートは作家が自由に書けるパート。
脚本・大石静さんは「作家が筆を折るとはどういうことなのか?」と追及したくなったのだろう。
それと大石静さんのだんなさんは「光る君へ」執筆前に亡くなったらしい。
周明が亡くなり、道長が亡くなり……
ここからは大石静さんの「私小説」パートになるのかもしれない。
しかし、自由とは不安になることでもある。
解放されて一時の高揚感を得られるが、やがて自分が何者であるか、わからなくなる。
たとえば会社員は会社に勤めている時は「会社員」でいられる。
母親は子育てをしていれば「母親」でいられる。
それらがなくなった時、自分は何者なの? と考え始める。
まひろは自分の思いを周明(松下洸平)に語った。
道長(柄本佑)については、
「あの人はわたしに書くことを与えてくれたの。
書いたものを大勢の人に読まれる歓びを与えてくれた。
私が私であることの意味を与えてくれたのよ」
現在の気持ちについては、
「もう私には何もないの。
あの人に役立てることは何もない。
都にも私の居場所がない。
何かを書く気力もない。
わたしは終わってしまったの。
終わってしまったのに、それを認められないの」
今作の特徴は登場人物が多くを語らないことだが、今回のまひろは多弁だった。
自分の思いを素直に語った。
まひろは「自分探し」をしている。
いや、もはや自分探しをする気力がなくなっている。
まひろは完全に燃え尽きてしまった。
自分には何もないと嘆くまひろに周明はこう語る。
「まだ命がある。これから違う生き方ができる」
「書くことはどこででもできる。紙と筆と墨があれば。都でなくても」
さて、まひろは「第二の人生の自分探し」にどう結論を出すのか?
周明の言葉と死はまひろに何をもたらすのか?
太宰府に戻った時、周明は何を語ろうとしていたのか?
おそらく、まひろはまた何かを書き始めるのだろう。
まひろの生涯は「書くことがすべて」だったから。
では何を書くのか?
その答えは次回。
※追記
枯れてしまったまひろと対照的に、書くことに意欲旺盛な赤染衛門(凰稀かなめ)。
発注は道長の物語だったのに、宇多天皇の時代から書き始めた!
余裕があれば、藤原氏が隆盛を誇るきっかけとなった大化の改新から書きたかったらしい。笑
赤染衛門が書きたかったのは、仮名による壮大な歴史書!
まひろより年齢が上だと思うけど、赤染衛門のこのパワーはすごい。
まひろ、枯れている場合ではないぞ。
それと「栄花物語」の成立をこんなふうに解釈するとは!
※追記
紫式部の後半生や殁年は明らかになっていないので、太宰府パートは作家が自由に書けるパート。
脚本・大石静さんは「作家が筆を折るとはどういうことなのか?」と追及したくなったのだろう。
それと大石静さんのだんなさんは「光る君へ」執筆前に亡くなったらしい。
周明が亡くなり、道長が亡くなり……
ここからは大石静さんの「私小説」パートになるのかもしれない。