事件には動機がある。
小百合の息子・昴(今井悠貴)の動機は<本への愛>。
玉岡聡子(森口瑤子)の動機も<本への愛>。
ふたりとも、自分にとって大切な本を、それを愛していない人に渡したくないと考えている。
そのために盗みを働いたり、ウソをついたりする。
本来なら、同じ本を愛しているふたりは<一番わかりあえる人間どうし>なのに。
ちょっとしたボタンの掛け違えで、争ったり憎み合ったりするようになる。
このように考えていくと、今、世界で起きているさまざまな争いや紛争のほとんどは、ボタンの掛け違えで起こっているのかもしれない。
おそらく、あの後、昴と聡子は『春と修羅』を共有するだろう。
ここから豊かな対話と人間関係が生まれる。
さて、今回の事件のモチーフである<手入れ本>。
宮沢賢治は同じ作品を何度も推敲し、書き直したようで、現在、ひろく読まれている『銀河鉄道の夜』にも、その元となったオリジナルバージョンがあるようですが、今回のドラマにも<手入れ>がなされているように思える。
最初のオリジナルバージョンは<昴が『春と修羅』を盗んだ>という物語。
手入れをされて書き直されたバージョンは<聡子が『春と修羅』を正当な相続者に渡さずに盗んだ>という物語。
おそらく原作の三上延さんは、宮沢賢治を模倣して、今回のエピソードを<手入れ>してみようと考えてみたのではないか。
せっかく宮沢賢治の作品を題材にしているのだから、このエピソードも<昴が盗んだ>という物語で終わらせてはいけないと考えたのではないか。
このことは三上延さんに確認してみなければわかりませんが、もしそうだとしたらしっかり遊んでいますね。
何度も手入れをした宮沢賢治へのリスペクトもある。
最後に、今回のもうひとつの事件、志田さん(高橋克実)の事件。
・金メダル
・額に★型の印
・ポケットにモモンガ
背後にすごい謎が隠されている事件のようだったが、実は泥酔していただけ!(笑)
先程の<動機>という視点で、この事件を考えてみると、動機というか事件の原因は<泥酔>。
前述の『春と修羅』をめぐる事件と比べると実に他愛ない。
それに、事件の真相が<泥酔>であったというのは、おそらくミステリー史上初ではないか(笑)
でも、世の中で起こる事件のすべてが、こんなふうに楽しくて他愛ないものだったらいいですね。
小百合の息子・昴(今井悠貴)の動機は<本への愛>。
玉岡聡子(森口瑤子)の動機も<本への愛>。
ふたりとも、自分にとって大切な本を、それを愛していない人に渡したくないと考えている。
そのために盗みを働いたり、ウソをついたりする。
本来なら、同じ本を愛しているふたりは<一番わかりあえる人間どうし>なのに。
ちょっとしたボタンの掛け違えで、争ったり憎み合ったりするようになる。
このように考えていくと、今、世界で起きているさまざまな争いや紛争のほとんどは、ボタンの掛け違えで起こっているのかもしれない。
おそらく、あの後、昴と聡子は『春と修羅』を共有するだろう。
ここから豊かな対話と人間関係が生まれる。
さて、今回の事件のモチーフである<手入れ本>。
宮沢賢治は同じ作品を何度も推敲し、書き直したようで、現在、ひろく読まれている『銀河鉄道の夜』にも、その元となったオリジナルバージョンがあるようですが、今回のドラマにも<手入れ>がなされているように思える。
最初のオリジナルバージョンは<昴が『春と修羅』を盗んだ>という物語。
手入れをされて書き直されたバージョンは<聡子が『春と修羅』を正当な相続者に渡さずに盗んだ>という物語。
おそらく原作の三上延さんは、宮沢賢治を模倣して、今回のエピソードを<手入れ>してみようと考えてみたのではないか。
せっかく宮沢賢治の作品を題材にしているのだから、このエピソードも<昴が盗んだ>という物語で終わらせてはいけないと考えたのではないか。
このことは三上延さんに確認してみなければわかりませんが、もしそうだとしたらしっかり遊んでいますね。
何度も手入れをした宮沢賢治へのリスペクトもある。
最後に、今回のもうひとつの事件、志田さん(高橋克実)の事件。
・金メダル
・額に★型の印
・ポケットにモモンガ
背後にすごい謎が隠されている事件のようだったが、実は泥酔していただけ!(笑)
先程の<動機>という視点で、この事件を考えてみると、動機というか事件の原因は<泥酔>。
前述の『春と修羅』をめぐる事件と比べると実に他愛ない。
それに、事件の真相が<泥酔>であったというのは、おそらくミステリー史上初ではないか(笑)
でも、世の中で起こる事件のすべてが、こんなふうに楽しくて他愛ないものだったらいいですね。
いい話に思えるけれど、何か甘い気がしました。
聡子さんとか、ビブリア古書堂を一歩出たら、ケッとか言って唾吐いてそうな気がする。
栞子が昴くんと聡子を「同じ本を愛しているから大丈夫だ」とか言っていたけれど、「本を愛する」人も色々いると思う。
まず、昴くんがその本を愛する理由は明快だ。
その本の中の詩の朗読が自分を救ってくれ生きがいとなった。それに、祖父との絆を深めてくれた。だからその本が好きであり、それゆえ、祖父も本を譲る気になったのだろう。
しかし、聡子さんの場合、そう単純ではない。彼女はその本が宮沢賢治の「手入れ本」だと知っていた。それゆえ、その本を愛していたのなら、その本自体よりも賢治に愛された本、もしくは賢治の名声を愛していた可能性が残ってしまう。
さらに、聡子さんのようなビブリオマニア(本愛好家)は、人との交流が難しい。(姉や兄に問題があるのも分かるが、仲が悪いのはそれだけが理由とも思えない)
本の愛好家は例えばページが少し折れたというだけで、ものすごく怒ったりする。そんな本愛好家の聡子さんが、貴重な「春と修羅」の「手入れ本」の、昴くんの自由な鑑賞を本当に許すのかという疑問がどうしても残るのである。
結局、事実は最後に志田が言ったように、貴重な本のために人が死ぬこともありえるので、ドラマのためのきれいなお話に過ぎない気がする。(まあ、志田のセリフはこのあとの話、おそらく最終回のための伏線なんでしょうが・・・)
いつもありがとうございます。
おっしゃるとおり、聡子に関しては説得力が足りないですよね。
昴のような、『春と修羅』の内容に対する聡子の思いをどこかで描いてほしかった。
それに憎しみは愛の裏返し。
熱烈に愛しているからこそ、簡単に憎しみに変わる。
ご指摘のとおり、最終回は、あのエピソードになるんでしょうね。
話は変わりますが、最近いろいろあって、ブログに否定的な意見を書くのは、極力避けようと思っています。