平成エンタメ研究所

最近は政治ブログのようになって来ました。世を憂う日々。悪くなっていく社会にひと言。

青天を衝け 第2回「栄一、踊る」~唄い、舞い、朗読する。こうして言葉と思想が血肉化されていく

2021年02月22日 | 大河ドラマ・時代劇
♪ お蚕、お蚕、やわらか桑の葉 ほーいほい ♪
♪ 天下無双の藍を産む ♪
 これ「労働歌」なんですよね。
 民衆が労働をする時に歌う唄。

 舞いも民衆に根ざしたもの。
 小林薫さんが演じる市郎右衛門の舞い、いい味出してた。
『鬼滅の刃』の炭治郎のお父さんも火神楽の舞いを踊ってたな。

 民衆はこんなふうにして労働の中に楽しみを見い出してきたんですね。
 こういう民衆視線の描写、大地に根ざした感じでいいな。

 一方、慶喜(草彅剛)の舞いは立派な檜舞台でおこなわれたが、お面をつけている。
 つまり慶喜は仮面をつけて本当の自分を見せていないという暗喩か?
 能の面だから無表情なのは仕方ないのだが、栄一(小林優仁)の獅子舞の獅子頭は表情豊かで楽しそう。まわりも、やんややんやと拍手喝采。
 これもまた暗喩か?

 朗読もこの時代の当たり前の文化で、
 皆、声を出して読んで、言葉を自分の体に染み込ませていた。
 学校の勉強が黙読主流になったのはいつからなのだろう?

 いずれにしても、
 栄一は唄と舞いと朗読で、言葉と思想を血肉化している。
 ……………

 今回は代官の理不尽が描かれた。
 道を造るのに、御用金と労役を無償で要求される。
 これが前近代、封建時代なんですね。
 大名、代官など支配者達の既得権。
 栄一はこれに「承服できん!」と叫んだ。

 旧い特権と風習の打破。
 こういう思いが明治維新を生んだ。
 歴史学では、明治維新はフランス革命のような近代化革命なのか? という議論があるが、
 旧勢力の既得権打破という点では近代化革命と言えるだろう。
 そして栄一はこうした近代化の申し子。
 旧勢力の既得権を打破して新しい経済構造を作る。

 未来の渋沢栄一は「承服できん!」と叫んだ時点で生まれていた。


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14 コメント

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打って変わってベタ褒めですね (2020-08-15 21:07:49)
2021-02-22 20:56:36
コウジ様

申し訳ないのですが、2回目は見てません。
ただ、ネットによると「こんばんはイエヤスです」は、またやらかしたようですね。

今回、先週と打って変わってベタ褒めですね。
でも、じつはあなたのその反応もある程度予見していました。

渋沢栄一は、ある程度公益も考える人でしたが、同時代人の福沢諭吉は、個人が社会で功成り名を遂げるために「学問」をすゝめるスタンスでした。
利他的と利己的の違いです。見ていませんが「承服できん!」も想定内です。

わたしは今のところは中立ですね。
もし、将来的に「渋沢」VS「福沢」といった対決が出てくるのであれば、認めてもいいですけど、それはなさそうな気がします。
返信する
1万円札! (コウジ)
2021-02-23 09:13:14
2020-08-15 21:07:49さん

いつもありがとうございます。

そうなんです! やらかしてました!(笑)

僕の基本姿勢は「褒める」なんです。
どういう作品でも良い所を見つけてほめる。
前回は褒めるべき良い所がなくて、しかも幕末大河の定番みたいなことをやらかしていたので、ああ書きました。
まあ、今回も僕の民衆文化論や歴史観を披露しただけで、「ベタ褒め」という感じではないのですが。

福沢諭吉の評価というのは分かれますよね。
勝海舟も福沢を批判していました。

福沢の目指した所は、学問による「個の独立」ですよね。
2020-08-15 21:07:49さんの様な「学問は立身出世の道具」というとらえ方もありますが、「国民ひとりひとりが学問を修めることで、国力が強くなる」
こんなことも考えていたかもしれません。

「渋沢」VS「福沢」は現実でも展開されている様です。
1万円札!(笑)
諭吉さんから栄一さんに変わるということは、時代がそうなったということかもしれません。
返信する
福沢さんの暗黒面? (2020-08-15 21:07:49)
2021-02-23 13:27:35
ただ、福沢さんは今まで過大評価されていたのではないか、という話は、昭和末期から平成になってからチラホラ出ている話です。

学問のすゝめを言うのはいいのですが「社会的弱者は、学問を修めなかった結果そうなっているのだから、自業自得であり、救済の必要もない」といった発言もあったそうです。
そういった話を読んで気がつきましたが、諭吉先生は、渋沢とは違って、社会福祉的な分野にはほとんど興味を示していません。

こういった意味で、渋沢対福沢の「沢対決」が今後見られるかどうか、それに着目しています。


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自助ですね。 (コウジ)
2021-02-23 19:03:32
2021-02-23 13:27:35さん

教えていただきありがとうございます。
菅義偉流に言うと、福沢諭吉は完全な『自助』ですね。

渋沢栄一の経済思想はどんな感じなんでしょうね。
まさか弱肉強食の「新自由主義」ではないと思いますし、公共性を大事にした「素朴な資本主義」なのでしょうか?
今回の農村の描写などを見ると、そんなふうに思えてきます。
僕はこの点に注目していきたいと考えています。
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安藤昌益とか農本主義とか (2021-02-23 13:27:35)
2021-02-23 20:13:02
もしも、今後数週間のうちに、北大路欣也が、
「こんばんは、イエヤスです。さてさて、みなさま方におかれましては、安藤昌益や農本主義といった言葉に心当たりがあるでしょうか?」
と言うのであれば、コウジさまのご期待どおりの展開になる可能性もあります。
また、そうなるのであれば、遠く離れた時代の人物である「イエヤス」を狂言回しとして出演させる意味も、見えてきます。
ですが、多分そうならないと、わたしは見ています。
返信する
Eテレになってしまう (コウジ)
2021-02-24 09:16:42
2021-02-23 13:27:35さん

明治政府の経済政策は農本主義ではないので、そうなることはないでしょうね。
イエヤスが農本主義を語ったら、Eテレになってしまいますし。

僕が言っている「素朴な資本主義」とは、過度の自由競争に走らない、抑制のきいた共存共栄の資本主義ということです。
渋沢栄一の経済思想はどのようなものなんでしょうね?
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Unknown (2020-08-15 21:07:49)
2021-02-24 20:55:50
コウジ様

>僕が言っている「素朴な資本主義」とは、過度の自由競争に走らない、抑制のきいた共存共栄の資本主義ということです。
渋沢栄一の経済思想はどのようなものなんでしょうね?

さあ、それですが、渋沢の経済思想は、と言われると、途端にフォーカスがボケるんですよね。さっぱり分かりません。
何しろ、渋沢栄一は「論語とソロバン」がうたい文句ですが、論語や儒教といった孔子さまの教えって、東アジアにおいては、2000年以上にわたって、封建体制維持の抑圧的な道具として利用されてきた歴史があります。

ともあれ、ひとつ言えるのは「慈善事業や社会福祉に目を向けるだけ、諭吉先生よりはマシだったのではないか」それだけです。

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論語+そろばん=渋沢栄一の経済思想 (コウジ)
2021-02-25 08:51:54
2020-08-15 21:07:49さん

考えていただきありがとうございます。

僕は「渋沢栄一の経済思想」もひとつの視点として、この作品を見ていこうと思います。
現代に「渋沢栄一」を敢えてもって来て描くからには、1万円札になるから以外の理由があるはず。
それは現代の新自由主義的なものに対する批判なのか?
渋沢栄一の経済思想が戦後社会にどのように反映したのか?

儒教も重要な視点ですよね。
儒教と経済がクロスした時、どのような経済思想が生まれるのか?

学ぶべきことは山のようにあります。
返信する
儒教と経済がクロスしたとき (2020-08-15 21:07:49)
2021-02-25 21:37:38
儒教と経済がクロスしたとき、何が産まれるでしょうか・・・

今でも、中小企業の経営者の中には、経営者が儒教秩序的な君主であり、社員はその君主に仕えるしもべと考える人たちがいます。
幸いわたしが今いる会社は、そのような気風はないのですが、知人が勤めていた会社は、相当ひどかったそうです。
罵倒ではなく侮蔑でもなく、自らの一族がこの土地で数百年名家の一族であったことをごく自然に誇り、そして「君たちの家には、このような栄光の歴史はない。ゆえに、君たちの血統は我ら一族に仕えなくてはならない。それが社会秩序である」といったことを、にこやかにくりかえし穏やかに説くそうです。

儒教の怖さは、人間愛のような精神を説く一方で、こういった理不尽さも正当化してしまうところにあります。

さて、渋沢の儒教は、どんな儒教なんでしょうか。
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仁・義・礼・智・信 (コウジ)
2021-02-26 09:04:03
2020-08-15 21:07:49さん

僕は儒教にあまり詳しくないのですが、
おっしゃるとおり、基本は「君主のための行動哲学」「統治・秩序のための行動哲学」ですよね。
一方で、こちらの方が重要だと思うのですが、
「仁」「義」「礼」「智」「信」という考え方が基本にありますよね。
・仁愛による企業経営
・義による企業経営
・信による企業経営
と考えてみると、弱肉強食でない、目的のためには手段を選ばないのではない、「穏やかな資本主義」が見えて来る気がします。
僕はこの点をこの作品で確認してみたいと思っています。

同時に、哲学・宗教には弊害もありますが、良い面もあることを忘れないようにしたいとも考えています。
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